折々の言の葉

February 15, 2007

清沢洌の言葉

■ 「お前がこの国に生れた以上は、国家を愛するに決まっている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ」。
   ―清沢洌『非常日本への直言』「序に代えて わが児に与う」『清沢洌評論集』(岩波文庫)所収―
 清沢洌が書いた文章の中でも、かなり印象的な言葉である。昭和八年三月は、前々年の満州事変、前年の上海事変を経て、日中関係の「不幸な時間」が本格的に始まろうとしていた時期である。清沢の幼い子供が、中国人を観て、「あの人たちと戦争をするのでしょう」と問いかけてきたのに驚いて、清沢は、子供を諭す体裁で文章を書いた。冒頭の言葉は、その文章の一節である、
 「自分の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いる」と考えない人々、もしくは「自分の考えるように考えなければ、この国を愛していない」と考える人々が、最近、矢鱈に多くないか。昔は、「自分の考えるように考えなければ、平和を愛していない」と考える人々を相手にして、疲れる想いをしたものであるけれども、今は、「自分の考えるように考えなければ、この国を愛していない」と考える人々を相手にして、疲れなければならない。
 雪斎には、まだ息子・娘はおろか、妻もいない。だが、先々、息子・娘を持つ身になったら、この清沢の言葉に倣った言葉を自分なりに伝えたいと思う。

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January 26, 2007

福澤諭吉の言葉・続

■ 「…随て新聞紙の如きも自から事に慣れざるが故に、其の議論にも自ら用心を欠き、却て大言壮語して国内の人心を騒がすのみならず、実際に当局の事を妨るの感なきに非ず。本人の考は毫も悪意あるに非ずと雖も、国家の不利は免かる可らず。大いに警しむ可き所なり。外交の結局はつまり国力の如何に決するものなれども、その掛引は甚だ微妙なり…」。
  ―福澤諭吉 「新聞紙の外交論」『時事新報』(明治三十年八月八日)社説
 22日のエントリーで紹介した福澤諭吉 「新聞紙の外交論」の一節は、論稿の締めの文章であるけれども、これは、中盤部分の一節である。
 

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January 22, 2007

福澤諭吉の言葉

■ 「外交の事態いよいよ切迫すれば、外交の事を記し又これを論ずるに當りては自から外務大臣たるの心得を以てするが故に、一身の私に於ては世間の人気に投ず可き壮快の説なきに非ざれども、紙に臨めば自から筆の不自由を感じて自から躊躇するものなり。苟も国家の利害を思ふものならんには此心得なかる可らず」。
   ―福澤諭吉 「新聞紙の外交論」『時事新報』(明治三十年八月)社説
 この福澤の言葉には、政治評論の「作法」の総てが詰まっている。要するに、「自分が外務大臣だったら、どう考えるか」という姿勢を貫かないと、政治や外交を論じる資格はないということである。

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October 04, 2006

折々の言の葉14 陸羯南

■ 「住人なきの屋は廃屋なり、住屋なきの人は漂人なり。漂人はその生を保つべからず、廃屋はその用をなすべからず」。
   ―陸羯南著『近時政論考』
 これは、明治言論界の巨峰であり、新聞『日本』を舞台に活躍した陸羯南の言葉である。この陸の言葉は、「住人」と「住屋」の比喩を用いて、「個人の自由」と「国家の権威」の関係の有り様を示している。「住人」は「個人の自由」であり、「住屋」は「国家の権威」である。

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October 02, 2006

折々の言の葉13 長谷川如是閑

■ 『長谷川如是閑評論集』(岩波文庫)を読む。誠に印象的な記述が続く。抜き出してみる。
 「国家は人民をして、国家自体の偏見に盲目的に服従せしむる策を取るよりも、自由に独立の批判を国家に加えることの出来るような人民を有つことが自家の安全のために必要なことなのである。合理的の批判によって国家組織の進化を促すことは、不合理な理想によって国家組織を硬化せしめるよりも、国家を強固にし、安全にする途であって、そうすることが遙か愛国的なのである」。
          ―「国家の進化と愛国的精神」―
 「そこで私が『明治にかえれ』というと、何でもいいから、『アングロ・サクソン系に還れ』というのと同じことになる。…イデオロギーに立った大正・昭和人の、観念的に排他的なのとは違って、そのように実践的に包容的なのが、アングロ・サクソン流なのである。…『明治に還れ』を思想の面からいうと、『哲学』否定のアングロ・サクソン哲学にかえれということになるが、それは明治どころではない、祖先以来の実践的ポジティヴィズムに返るということで、つまり本来の自分に返るのだから、ちっともむずかしいことではない」。
          ―「明治を思う」―

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September 13, 2006

折々の言の葉 12 トーマス・S・エリオット

■ 私は私の見方と根本的に對立した見地に立つ人々を相手に議論したり、推論したり、論爭しようといふのではない。吾々の時代においては、眞に根本的な問題について論爭するといふことは私には無駄な事に思はれるのだ。論爭は理解の共通地盤のある場合にのみ實行效果があるのである。…自由主義に蝕まれた吾々のやうな社會においては、凡そ固く信ずる所のあるほどの人間にとつて單だ一つ可能な事は、一つの見方を披瀝すること、さうして、それだけでそれをそのままにして置くことなのだ。
         ―トーマス・スターンズ・エリオット―
 日本で政治評論を手掛ける人々のパターンには、概ね三つがある。一つ目は、政治学者が「夜店」として行うパターンである。二つ目は、政治ジャーナリズムの世界に身を置いた人々が行うパターンである。三つ目は、文士・文藝評論家と呼ばれる人々が乗り出すパターンである。この三つのパターンで行われた政治評論は、明らかに同じ対象を論じていても、議論としてはまったく様相の異なるものになっていることがある。

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June 24, 2006

折々の言の葉11 ゲーテ

■ 「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからない」。
            ― ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
 これは、割合、有名なゲーテの言葉である。出典が判らなかったので、少し調べたたところ、『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』(第二巻・第八章)に次のような一節があるようである。

WHO never eat with tears his bread,

Who never through night's heavy hours
Sat weeping on his lonely bed,--

He knows you not, ye heavenly powers!

Through you the paths of life we gain,

Ye let poor mortals go astray,
And then abandon them to pain,--

E'en here the penalty we pay,

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June 09, 2006

折々の言の葉 カネにまつわる言葉

■ 昨日、日経平均株価は一時600円下げで、7ヵ月ぶりの安値水準である。最近は、アップ・ダウンが矢鱈に激しいような気がするけれども、もう少し緩やかな動きをして欲しいものである。
 古来、カネにまつわる名言は幾らでもあるけれども、一寸、ひもといてみよう。
 ● 「世に銭ほど面白き物はなし」。-井原西鶴
 確かに、これは究極の名言である。「ホリえもん」」こと堀江貴文氏や「偽・欽ちゃん」こと村上世彰氏にまつわる話は、総てこの西鶴の言葉のヴァリエーションである。もっとも、堀江氏や村上氏の今を見ていると、次のトルストイの言葉のほうが、訴えかけるものは強い。
 ● 「ああ、金、金! この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!」。―レフ・ トルストイ

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May 21, 2006

折々の言の葉 10 古島一雄

■  単純なる右翼論者は純情一点張りで中には神話時代の政治を行はんとするやうな議論を平気に唱へて居る者もあれば、甚だしきは忠君愛国を一手専売の如く振舞ふ者さえある。
   ― 古島一雄 ―

 古島一雄といっても、今では知る人々も少ないであろう。ウィキピディア日本版では、次のような説明がある。戦前は犬養毅を支え、戦後は吉田茂の指南役と呼ばれた人物である。
 なるほど、「甚だしきは忠君愛国を一手専売の如く振舞ふ者」は、今でも居るようである。雪斎は、そのような人々とは関わりを持ちたくないものである。自らが「忠君愛国」や「保守主義」の本筋であると声高に語っているような人物には、本物の「忠君愛国」や「保守主義」の徒はいない。古島が活躍した戦前期から、このことは変わっていない。それにしても、「単純なる右翼論者は純情一点張り」という件には、苦笑してしまった。

■ 昨日午後、東京・青山の「明治記念館」で防衛庁主催の「米軍再編シンポジウム」に加わる。案内された席が、何と最前列の中央であった。額賀長官や事務方三氏のブリーフィングを最も近い位置で聞くことができた。

■ 昨日朝、新書の原稿、「第一章」五十枚分、脱稿する。へばった。

■ 新聞に寄稿する原稿が三編、溜まっている。どうなるのであろう。

■ 先週の日経平均株価は嫌な動きをしていた。雪斎保有の鉄鋼株は値を保っていたので、損失は余りない。世界規模の鉄鋼業界再編がまた、囁かれている。オットー・フォン・ビスマルクが、ドイツ統一前に、「現在の大問題は演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」と演説し、「鉄血宰相」(Eiserner Kanzler)と呼ばれた頃から、鉄は「国家」である。早いところ「配当」をもらいたいものである。

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May 15, 2006

折々の言の葉 9 伊達政宗

■  馬上少年過  馬上少年過ぐ
   世平白髪多  世平らかにして白髪多し
   残躯天所許  残躯天の許すところ
   不楽是如何  楽しまずんばこれ如何
   ― 伊達政宗 ―

 
 雪斎は、サイバー空間では、駿河遠江・今川家の軍師だった「太原雪斎」から名前を借りてハンドル・ネームとしているけれども、戦国武将の中で最も強い思い入れを抱いていたのは、伊達政宗公であった。それは、雪斎の先祖が仙台伊達藩士(郷士だったかも…)だったという縁もあるけれども、政宗公が幼少期から隻眼という境遇を抱えていたことにも依っている。だから、十八年前にNHK大河ドラマで『独眼竜政宗』が放映された時には小躍りして喜んだし、完全版DVDが発売された時には衝動的に購入してしまったものである。政宗公の漢詩で印象深いのは、「不楽是如何」の結句である。これが人間の一生の果てに来る願望なのであろうと思う。
 ところで、、興味深い記事が配信されている。『読売』記事である。
□ 小泉首相「首相は大変きつい」
 小泉首相は13日午前、日本武道館で行われた実践倫理宏正会創立60周年記念式典であいさつし、自民党総裁選に関連して「ポスト(小泉)と言っているが、首相になっても、いいものではない。なってみれば分かる。大変きついものだ」と述べた。

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May 09, 2006

折々の言の葉 8 『漢書』「司馬遷伝」

■ 「それ孝は親に仕えるに始まり、君に仕えるに中し、身を立てるに終わる。名を後世に揚げ、以て父母の名を顕す。之れ孝の大なるものなり」。
    ― 『漢書』「司馬遷伝」―

 これは、司馬遷の父・太史公が臨終の折に息子に遺言として語った言葉の一説である。元は『孝経』からの引用であった。太史公は、長い間、中断されていた史料の収集と整理、史書の叙述といった事業を息子に託した。司馬遷にとって『史記』の編纂は、父親から受け継いだ事業であったのである。

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May 07, 2006

折々の言の葉 7 G・F・ケナン

■ 「もし私が外交官としてよい仕事が出来たことがあるとすれば、それは私が歴史を好み学んだからだ。もし私によい歴史が書けたとすれば、それは私が現実の外交に取り組んでいたからだ」。
   ―ジョージ・フロスト・ケナン―

 連休も末日である。雪斎は、とある出版社から出す予定の新書の原稿を書いている。此度の書は、完全な政治の書である。少し前まで、中森明菜、斎藤由貴、薬師丸ひろ子を流しながら書いていたけれども、今、流しているのは、「村下孝蔵」である。全然、脈絡のないセレクションになっている。村下さんのアルバムには、アコースティック・ギターの演奏で歌われた『踊り子』『春雨』を収めたものがあるけれども、それは、誠に味わい深い。

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April 29, 2006

折々の言の葉 6 中江兆民

■ 「平時閑話の題目に在りては、或は奇を闘はし、怪を競ふて、一時の笑柄と為すも固より妨無きも、邦家百年の大計を論ずるに至りては、豈専ら奇を標し新を掲げて、以て快を為すことを得んや」。
  (ふだん雑談のときの話題なら、奇抜さを争い、風変わりをきそって、その場かぎりの笑い草とするのももちろん結構だが、いやしくも国家百年の大計を論ずるような場合には、奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか)。
   ―中江兆民著『三酔人経綸問答』(岩波文庫版)―
 現在、『中央公論』に掲載されている拙稿に関して、Hache殿がわざわざ三つのエントリーを書いておられた。まともなコメントを付したエントリーを書かなければと思いつつ、時間が経ってしまった。その中の一番目に次のような記述がある。
 「私には、あまりに常識的であるように思えます。残念なことに雪斎先生の考えは、論壇では常識的ではないようです。非礼を承知で申し上げると、『こんな当たり前のことを書いている論考ではダメだ』という批判がでてもおかしくないと思うのですが、そんな状況ではないようです」。

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April 18, 2006

折々の言の葉 5 チャーチル

■ "A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty." 〈悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす)。
  Let us therefore brace ourselves to our duties, and so bear ourselves that, if the British Empire and its Commonwealth last for a thousand years, men will still say, "This was their finest hour. "(われわれは、気を引き締めて自らの義務に当たり、大英帝国とその連邦が千年続いたならば、人々がこう言うように振る舞おう。「これこそが彼らの最も輝かしい一時であった」と。)
     ―ウィンストン・チャーチル―

 この日曜日、小泉純一郎総理は、衆議院千葉七区補選の応援で、おそらくは最後の街頭演説をした。演説の中身は、さくら殿のエントリーで知ることができる。小泉総理とチャーチル、シャルル・ド・ゴールには共通項がある。それは、「危機の最中に登場し、建て直しに国民意識を鼓舞した」ということである。チャーチルやドゴールは、第二次世界大戦に際して、小泉総理は、経済停滞最中に、それぞれ登場して、「挫折しない魂」を説きつづけたのである。

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April 10, 2006

折々の言の葉 4

■ 「紀元節だ。朝日さやけし。ああ、天よ、日本に幸いせよ。日本を偉大ならしめよ。皇室を無窮ならしめよ。この国にのみ生まれ、育ち、死ぬ運命に結ばれるのだ」。(一九四三年二月十一日)
       ―清沢洌著『暗黒日記』―
 清沢洌がどのような人物であるかを知らない人々は、この文言を前にして、「右翼」、「民族主義者」、「国士」と呼ばれる人々の言葉であると反応するであろう。しかし、清沢は、戦前期、石橋湛山らに並ぶ、自由主義者として知られた人物である。しかも、一九四三年当時の清沢は、軍部の圧迫によって言論活動の機会を奪われていた。
 雪斎は、学生の時分、清沢洌の名前を北岡伸一先生の著書『清沢洌』を通じて初めて知った。以降、雪斎は、清沢にはかなりの思い入れを持っていた。雪斎は、清沢が「日本の幸い」や「皇室の無窮」を願う言葉を記していたことに強い印象を受けている。振り返れば、こうした「日本の幸い」や「皇室の無窮」を願う言葉遣いが、専ら「保守・右翼」知識層の側に握られていたの0は、戦後日本の言論空間のお寒い状況を物語っているといえるであろう。清沢や石橋湛山がそうであったように、リベラリストがこうした言葉遣いを取り戻してもよいのではなかろうか。
 リベラリストの言論といえば、雑誌『中央公論』を発行する中央公論新社が創業百二十年を迎えた。『読売』記事である。

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April 06, 2006

折々の言の葉 3

■ 「偉大さとは、政策というよりも姿勢である…。偉大さとは、世界において受動的な態度に甘んじることへの拒否である」。
  ― スタンリー・ホフマン 『政治の芸術家 ド・ゴール』 ―
 小泉純一郎総理が戦後三番目に長い執政期間を刻むことになった。後世、吉田茂や佐藤栄作に並ぶことになった小泉総理の執政には、様々な評価が与えられるであろう。ただし、小泉総理の「構造改革」路線を一貫して支持してきた雪斎にとっては、経済復調への着実な流れの中で、こうした節目を迎えることが出来るのは、率直に感慨深い。
 小泉総理の長い執政を可能ならしめたものを分析することは今後の政治学者の課題である。ただし、今の段階で何かを語るとすれば、小泉総理の「姿勢」には着目したいとは思う。たとえば、郵政民営化関連六法案参議院否決の晩に、「国民に聞いてみたい」と衆議院解散に踏み切った「姿勢」などである。
 小泉総理登場直後、雪斎は、下掲の原稿を『月刊自由民主』に載せていた。今から読み返せば、誠に色々な想いを感じさせる。

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March 08, 2006

折々の言の葉 2

■ 「ここでは、もう戦士に用はなくなった。われわれが取り引きをする。老人の仕事だ」。
  ―デーヴィッド・リーン監督『アラビアのロレンス』劇中の台詞ー

 渡部恒三前衆議院副議長が国対委員長として前線復帰したという話に触れて、雪斎が咄嗟に思い浮かべたのが、この有名な台詞である。第一次世界大戦中、アラブの解放のために闘った若きトーマス・エドワード・ロレンスの理想は、戦後、列国やアラブ族長たちの思惑が交錯する政治的な現実によって裏切られていく。前の言葉は、アレック・ギネス演ずるファイサルが言い放った台詞の一部である。この台詞の全部は、下の通りである。

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March 06, 2006

折々の言の葉 1

■ 総ての計画化に抵抗するための計画は、その反対物よりもましかもしれないけれども、同じスタイルの政治に属する。
 ―マイケル・オークショット著「政治における合理主義」

 要するに、「ミイラ盗りがミイラになる」ような愚は避けよという趣旨である。オークショットそれ自身は、エドマンド・バーク以来の英国保守主義の精神を継いだ政治学者であり、雪斎は学生の時分からオークショットの書を読んでいた。前に触れたオークショットの言葉は、フリードリッヒ・フォン・ハイエクを批判した文脈で語られたものである。ハイエクは、共産主義に象徴される「計画化された経済」を舌鋒鋭く批判した人物であり、マーガレット・サッチャーが影響を受けた人物として知られている。オークショットは、ハイエクの議論に半ば工学的な「偏狭さ」を見て取った。共産主義に対抗するために、「反共十字軍の徒」になってはならないのである。
 「反○○」という姿勢こそ、オークショット流の保守主義の精神からは遠く隔たったものである。この○○には、米国や中国といった特定の国名であれ、自民党や民主党といった党派名であれ、小泉純一郎や前原誠司といった個人名であれ、どれを入れても構わないものであろう。だが、こうした「反○○」の論理に走って「保守」を自称する人々が跳梁跋扈しているのは、どういうことであろうか。

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