学者生活

January 06, 2011

「バブル」の夢、「世界第二の経済大国」への追憶

■ 実質上、2011年の始動である。
 雪斎は、過去三年、「停滞の時間」を過ごした。
 二十歳代の終わりから三十歳代を経て四十歳代l第一・四半期くらいまで、上昇気流に乗っていたはずであるけれも、過去三年は途方もない「失速」と「停滞」の時間を過ごした。日本の「失われた20年」なみに鬱陶しい想いをした。こういう停滞の時期というのは、人間の「精神」に悪しき影響を及ぼす。

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January 03, 2011

対韓同盟という「迷い」

■ 昨年、日本は、「世界第二の経済大国」の座から転落したらしい。
 「らしい」というのは、指標の読み方では、「まだまだ…」という声もあるからである、
 とはいえ、日本が復活するまでの道は険しそうである。
 ところで、日本の対外政策における「迷走」は、まだまだ続きそうである。
 こいう動きには、どう反応すべきであろうか。
 □ 韓国と安保同盟を=前原外相が提案―新聞報道
          時事通信 1月3日(月)1時17分配信
 韓国紙・毎日経済新聞(電子版)は2日、前原誠司外相が同紙とのインタビューで、「韓国と安全保障分野でも同盟関係を結ぶことを希望する」と述べたと伝えた。
 外相は「北朝鮮の武力挑発は朝鮮半島はもちろん、東アジア全体の安定と平和を脅かす行為だ」と指摘。「新年の日本外交の最大の懸案の一つは、隣国と確固たる安全保障体制を構築することだ」と語ったという。 

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October 27, 2010

日本の「手の文明」

■ 昨日のエントリーでも書いたように、「近代日本の盛衰・四十年周期」説というのがある。
 幕末維新を起点にすれば、四十年後の1905年前後が一つの「山」となる。
 「坂の上の雲」に描かれた歳月である。
 それから四十年後、1945年前後が、一つの「谷」である。「帝国」の終焉である。
 それから四十年後、1985年前後が、また一つの「山」である。「バブル」の手前、「経済大国」の絶頂期である。
 このパターンで考えると、現在は、四十年続く「下り坂」の最中であって、次の「谷」は、2025年前後だということになる。「失われた20年」どころか、現在の日本の苦境は、あと十五年続くという勘定である。
 これが「四十年周期説」の趣旨である。


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October 08, 2010

「資源のない国」の神話

■ この数日、鈴木、根岸両老教授のノーベル化学賞受賞の報に沸き立っている。
 NHK午後7時のニュースで武田アナウンサーが、のっけから万歳をやる「演出」には、やりすぎだろうとおもったけれども、それでも今は許されるであろう。慶事である。
 雪斎も、北海道大学OBなので、特に鈴木教授の快挙は率直に悦ばしいとおもう。
 両老教授が、共通して示していたのは、「日本は資源がない」という認識である。
 「日本は資源がなくて、戦争をやって負けた…」。
 両老教授は、終戦時、中学生くらいだとおもうので、こうした感覚を多分に持った世代であろう。
 そして、戦後の高度成長を牽引した世代である。

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August 06, 2010

真夏の「仕事」

■ 現在、読売新聞朝刊文化面に毎週月曜日、「今に問う言葉」というコーナーが掲載されている。
 近代以降の日本の知識人の言葉を取り上げて、それを解説するというものである。
 これまでは、福沢諭吉(執筆・苅部直教授)、小林秀雄(同・新保祐司教授)、徳富蘇峰(同・杉原志啓氏)、福田恒存(同・竹内洋教授)、清沢洌(同・筒井清忠教授)という順序で解説が進められた。 
 今月は雪斎が依頼されたので、永井陽之助先生の言葉を取り上げた。

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June 23, 2010

日本相撲協会は、「天皇賜杯」を返上せよ。

■ 大相撲の各場所千秋楽で優勝力士に真っ先に授与されるのは、「天皇賜杯」である。
 その昔、「ヒョーショ―ジョー」の口上で有名だった「パンナムおじさん」の表彰状も、小泉純一郎総理が「感動した」と絶叫しながら渡した表彰状も、おまけに過ぎない。  
 だから、年六回もやっている各場所というのは、実質、「天皇杯」相撲大会なのである。
 天皇賞・天皇杯と呼ばれるものが授与されるスポーツ・イヴェントは、ほかにもある。
 ● 競馬   天皇賞  日本中央競馬会主催
 ● サッカー 天皇杯  日本サッカー協会主催
 当然のことながら、公益法人が主催するイヴェントである。他にも、柔道、体操などの競技会にも、天皇杯が出ている。
 ココで考えよう。
 現在の相撲協会の行状を前にして、「天皇賜杯を返上せよ」という話が出てきたら、どのようにするのか。
 今のところメディアの世界では誰も口にしていないようなので、少なくとも、雪斎は、そのように主張しよう。
 「違法行為を繰り返している連中が、天皇賜杯だって。不埒だな…。即刻、返上せよ」。
 現に、民間ベースではスポンサー撤退の動きが出ている。
 

□ 永谷園、名古屋場所での懸賞金中止
 大相撲の野球賭博問題に絡み、相撲中継を行うNHKに対し、大関琴光喜が賭博への関与を認めたことが報じられた今月14日からの1週間で、計約900件の意見が視聴者から寄せられたことが21日、分かった。
 賭博に関与した力士や相撲協会の姿勢に対する厳しい意見が大半で、中継をやめるべきとの声もあったという。NHKは来月11日に初日を迎える名古屋場所の中継について、「事態の推移を見ていくが、視聴者の目線を大事にしながら総合的に判断する」(広報局)としている。
 一方、名古屋場所への懸賞金の大幅縮小を表明していた永谷園(東京)は21日、懸賞金を中止することを決めた。「社会的影響が大きい」(広報室)との理由で、9月の秋場所以降の対応については、「捜査や調査の状況を踏まえて検討する」とした。(2010年6月22日03時07分 読売新聞)
 
 記事にもあるけれども、NHKも馬鹿正直に幕内全取組を放映する必要もあるまい。一日三時間、一五日間の場所が六つで二七〇時間分の電波を使っている。再考してもいいのではないか。
 だが、それでも、象徴的な意味合いでいえば、日本相撲協会は、深甚なる反省の意味からも、「天皇賜杯」を返上すべきであろう。「『ジャパニーズ・マフィア』とも癒着するスモウ」などと海外に伝えられたら、それだけで、日本の対外イメージも、がた堕ちである。

 ところで、ただ今、サッカーのワールドカップ、フランス・南アフリカ戦の終了である。
 何ということか、雪斎が贔屓のレ・ブルーは、三連敗でグループ・リーグ敗退である。
 しかも、ヨアン・グルキュフの一発退場というおまけまでが、付いてである。
 ショックが大きい。

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June 14, 2010

「はやぶさ」の帰還

■ 小惑星探査衛星「はやぶさ」が帰還である。
 月より遠い天体に往って戻ってきたのは、史上初の快挙、小惑星から某かの試料を持ち帰ることができていれば、これも史上初の快挙である。
 こういう話は、「胸が躍る」のである。
 雪斎も、幼少の頃、かなり気合の入った「天文バカ」であった。
 今は、何故か、対極の「政治」を日々の生業にしているけれども、そういう趣向があるからこそ、「政治」にも距離を置いていられる。
 ただし、東京では、「満点の星空」などは無理である。故に、天体望遠鏡を購入しても余り役には立たない。
 「この機種には、これを合わせて…」と妄想するだけで終わる。幼少の頃、「将来は高橋製作所の望遠鏡を…」と思ったのだが…。
 だから、以前、五万円を費やして、「ミレニアム・スター・アトラス」というのを購入して、時折、眺めている。 
 このサンプルにあるように、極めて精巧な星図である。眺めていて、誠に楽しいものである。
 そして、気楽に眺めていると、耳に響いてくるのである。あのメロディーが…。
 
 The Galaxy Express 999
 Will take you on a journey
 A never ending journey
 A journey to the stars

 明日、理工系出身の菅総理が、この快挙に、どのようなコメントを寄せるのか。
 この内閣の姿勢を占う上では、注目に値しよう。ちゃんと「日本人の士気」を鼓舞するコメントを出してくれるのか。

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May 03, 2010

「敵」のイメージ

■ フランシスコ・デ・ゴヤが遺した傑作のひとつが、『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での虐殺』である。
 19世紀初頭、皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトの軍隊がスペイン全土を支配下に置いたとき、その支配に抵抗したマドリード市民が蜂起したところ、ナポレオンの軍隊に鎮圧された。この事件を題材にした作品には、初めて観たときには、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』よりも、おぞましい印象を受けた。
 18世紀以前のヨーロッパにおける戦争は、大体、王侯貴族が傭兵をも使って手掛ける戦争であった。だから、戦争するのは、あくまでも「ユニフォームを着た兵士」であり、それも、一定のルールに則った上での話になる。戦闘中命を落としても互いに「恨みっこなしで、別れましょうね」という具合になる。晴れて凱旋できれば、「富」と「栄誉」が待っているという具合になる。
 ところが、戦争を生業としているわけではない普通の市民が戦争にくわわわると、「敵」に対して、そうしたビジネス・ライクな見方ができなくなる。眼の前の「敵」は、自分の生命、財産に脅威を与える「現実の敵」として憎悪の対象になる。故に、「ユニフォームを着ない市民」が「ユニフォームを着た軍人」を相手に「仁義なき戦い」をやる風情になる。スペイン市民がナポレオン軍を相手にした散発的、神出鬼没の「小さな戦争」をスペイン語で「ゲリラ」という。今でいう「ゲリラ」の語源である。「ユニフォームを着た軍人」も、敗残兵を「捕虜」として扱うといった従来jのルールに則った処遇をする理由はないから、犯罪者として処断すという話になる。
 前のエントリーでは、カール・シュミットの『パルチザンの理論』に出てくる三つの「敵」の類型を元に議論した。ゴヤの最高傑作は、「敵」のイメージの転換を象徴する作品である。即ち、「在来型の敵」から「現実の敵」への転換である。202年前の今日の出来事である。

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April 17, 2010

「哀れでイカレタ」宰相を戴く悲劇

■ 昨日昼刻以降、フランス大使公邸で大使主催の昼食会に出席した。
 「つくづく、キタノ・タケシは偉大だ」という話になった。

■ 鳩山由紀夫を「哀れでいかれた」と評した「ワシントン・ポスト」のコラムが話題を呼んでいる。
 だが、こうした鳩山評がでてくること自体は、何ら驚くに値しない。
 「いかれた(loopy)」という言葉を格調高い四文字熟語で表せば、「支離滅裂」となる。
 雪斎は、昨年11月上旬、政権発足後、50日程たった時点で、「『破局』へ歯車を進める鳩山外交」と題したコラムを書いた。そこで、雪斎は、「鳩山由紀夫内閣発足後50日余りの対米政策は、誠に支離滅裂なものであると評する他はない」と書いた。だから、雪斎は、「ようやくワシントン・ポストのコラムニストが、余輩に追いついてきたか…」と苦笑する。
 もっとも、鳩山が酷評されたところで、雪斎には、「自国の宰相」のことを弁護しなければならない理由はない。
 雪斎は、「正論」コラムでも井上成美の次の言葉に言及している。
 「アメリカがよくあれまで我慢したものだと思う。資金の凍結や油の禁輸などは窮余の策で、まだまだおとなしい方だ。日本のやり方は傍若無人と云うの外はない」。雪斎は、この井上と同じことを考えている。

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April 04, 2010

週末の二題

■ 昨日は、従妹の「華燭の典」である。
 当世、流行の「アラフォー婚」である。
 叔父や叔母は、さぞかし安心したであろう。
 「人生の味わいは深くして濃く、人生の響きは豊かにして華やかに」。
 帰宅して、リヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー序曲」をヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で聴きながら、そうしたことを考える。

 雪斎の自室には、大正時代の「モダン・ボーイ」だった祖父の写真が飾ってある。
 雪斎宅は、宮城や広島から駆けつけた親族の「集結地」に相成る。総て、この祖父から発した係累である。
 祖父の世代は、白洲次郎が典型であるけれども、一九〇〇年代に生まれ、一九一〇年代の「自由」の中で成長した。そして、戦時中は年齢が高すぎたので応召せず、「経済大国・日本」の復活を見届けて、一九八〇年代以降に鬼籍に入っていった。
 日本史でも、最も恵まれた世代であろう。
 そうした世代の「自由」や「バタ臭さ」というのは、かなりの程度まで雪斎の世代にも影響を与えているのではないかl。

■ ところで、政治である。
 与謝野馨氏や園田博之氏が自民党を離党して、平沼赳夫氏や鳩山邦夫氏と組んで新党を作るそうである。
 だが、雪斎は、この新党に冷ややかな眼差しを投げつけざるを得ない。
 「この新党は、次の衆議院選挙で、議席を確保できるのか、あの小選挙区制で…」。
 これが、「新党」というものに余り期待しない所以である。
 そもそも、小沢一郎氏も、自由党という小勢力では展望が開けないから、民主党に合流し、今では民主党を乗っ取ったのではないか。
 第三極というのも他の二大勢力に比肩できる勢力を持っていなければ、上手くいかない。
 だから、これをやるには、衆議院で一二〇議席くらいの勢力を持っていなければ、無意味である。

 故に、自民党は、右往左往することなく、向こう長くて三年、「爪を研ぐ」こことに専念すれば宜しい。
 焦ったところで、向こう三年、解散の大権を握っているのは民主党であるという歴前とした現実を直視すべきだろう。この三年の間に、「政権再奪還後、三ヶ月以内に何を断行するか」をきちんと綿密に考えておくことである。

 それにしても、現在の日本には、坂本龍馬の劣化コピーになりたがる政治家が多すぎないか。
 要するに、組織のしがらみから自由な立場で、「調整・媒介」するという風情である。
 だが、それは、結局、「他人の褌」で相撲を取る以上のことを意味しない。龍馬を評価するくらいならば、山内容堂を動かして土佐藩を維新の中核勢力にした後藤象二郎をこそ、政治手腕の観点からは評価すべきであろうと思う。
 織田・豊臣時代の徳川家康、あるいは島津久光の下僚時代の大久保利通のように、「力を黙々と蓄えて、ここぞという時にビッグ・ディールを張る」という骨太な姿勢がなければ、大業は成し難いのである。今の日本に必要なンは、大久保のように、「次の時代のシステム」を構築できる政治家のことである。決して、龍馬ではない。

 坂本龍馬は、政治家というよりも、楽天の三木谷浩史社長のようなヴェンチャー・ビジネスマンであろう。
 何故、世の政治家は、彼に憧れるのか。

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