告別の辞
■ 一昨日のブログ運営停止宣言は余りにも唐突であったので、あらためて「告別の辞」を記す。
■ 本日未明、「やってられないわ」という気分を表明したところであるけれども、段々、その気分が亢進したので、このブログの運営も潮時だなという想いも出てきた。
ということで、突然ではあるけれども、このブログの運営も相当な期間に渉り、停止することにする。
思えば、このブログの運営は、政治学者が世の「床屋政談」に付き合ってみるという趣旨で始めたものであったけれども、そうしたことにも、限界を感じている。誰か、雪斎のほかに、世の「床屋政談」に付き合おうとする政治学者がいれば、その活躍を期待するけれども、雪斎がその奇特な役割の一端を担いつづける必要もあるまい。
雪斎は、「永田町時代」から、仕えた愛知和男代議士の意向と無縁であることを強調しながら言論活動を続けてきたけれども、「永田町」から撤退して一年過ぎても、「永田町」とのつながりを云々する向きがあるのを知れば、「床屋」と「永田町」、あるいは「大学」を架橋するという「義侠心」だけで、このブログを運営するのも率直に虚しいことであるという結論に至った。
過去三年半近く、お読み頂いた方々には謝意を表する。過去のアクセス数は、三百九十万件であった。
雪斎
■ 野村證券の中国人社員が起こしたインサイダー取引事件は、二つの意味で「またかよ…」という印象を世に与えることになる。一つは、野村證券という日本の最大手証券会社が起こした不祥事ということで、「またかよ…」であるけれども、二つは、中国j人絡みで起こった問題であるということで、「またかよ…」である。日本の金融資本主義の実態が与える対外印象の点でも、チベット情勢が惹起した対中感情の悪化を更に進めそうだという展望の点でも、「よいこと」は何もない。
ところで、今、野村のCMに登場しているのが、阿木燿子・宇崎竜童夫妻である。奥さんの阿木さんは、一体、おいくつなのであろうか。三十年前から容貌が全く変わっていないのが、不思議な女性である、
この夫妻の代表作品に山口百恵さんが歌った「絶体絶命」がある。次のような一節が有名である。
さあさあ さあさあ
すっかりカタはついたわ
すっかりカタはついたわ
すっかりカタはついたわ
やってられないわ
…
bye bye bye bye やってられないわ
bye bye bye bye やってられないわ
■ 産経新聞「正論」欄に最新論稿を載せた。
これは、「民主党批判」の論稿ではない。
そういう短絡した反応をする人々が、中にhはいるから困ってしまう。
「前歴がそうであったから、今も…」と考えるのは、「惰性」である。
■ 第二次世界大戦中、ガダルカナル作戦やインパール作戦における日本軍の愚行を表すものとして言及されるのが、「兵力の逐次投入」である。
この伝でいえば、日銀総裁・副総裁人事案件を前にした民主党の対応は、さしずめ「不同意理由の逐次投入」と評されるものである。
日銀総裁・副総裁人事案では、民主党は、渡辺副総裁案を「天下り反対」ということで不同意にするつもりのようである。何故か。小沢一郎氏が反対したためだそうである。
武藤総裁案、田波総裁案のときは、「天下り反対」という理由は前面に出ていたであろうか。
要するに、次から次から「別の理由」を持ち出しては、不同意にしているのである。
人間の心理を荒廃させるのに一番、有効な方策は、「何時、終わるのかが判らない状況」に人々を追い込むことである。人間が「冬の寒さ」を堪えることができるのは、「冬の後には春が来る」ことを知っているからである。そうした展望がないところでは、人間の精神はおかしくなる。
その点では、小沢一郎氏は、日本の「政治の風景」を荒涼としたものにすることには間違いなく貢献している。
日銀総裁・副総裁人事を「何時、落着するのか判らない状態」に放り込んでしまったわけである。
こういうネチネチとしたやり方は、間違いなく「報復」される。その「報復」が具体的にどのようなものであるかは、雪斎の知るところではないけれども…。
■ 土曜日の午後八時に就寝して、起きてみたら日曜日の午後四時を過ぎていた。二十時間は寝ていたことになる。こうしたことは、過去十数年にはなかった。
母親が開口一番、「死んだのかと思った…」である。
これこそ、「春眠、暁を覚えず」というところか。
■ モーリス・ラヴェルの「ボレロ」、ジョルジュ・ビゼーの「アルルの女組曲」を聴く。
演奏は、アンドレ・クリュイタンス指揮でパリ音楽院管弦楽団である。
単純なリズムの繰り返し、それに依った偉大な作品である。
たいした変わりもない普段の生活も、後々に偉大な作品に昇華できれば、それは凄いことに違いない。
学者の「望み」は、そうしたことにしかないような気がする。
■ 『荘子』に次のような記述がある。
「上古に大椿なる者有り 。八千年を以て春と為し、八千年を以て秋と為す」 。
この伝でいけば、人生八十年など一瞬の出来事でしかない。
近頃、雪斎は、「万事、頑張っても仕方がない」という思うようになった。
パブリックな次元でいえば、これからの雪斎にとっては、「やること」は、そんなに変わらない。書を読み、文を書く時間が流れるだけである。これは、別段、「頑張る理由」にはならない。
プライヴェートな次元でいえば、これで妻子がいれば、「妻子のために」というのが、「頑張る理由」になるのかもしれないけれども、そうした理由は今のところない。老いてきた母親さえ生活に困らないようにすれば、他には何の義務もないのである。
それにしても、身体状況は相変わらず良くない。困ったものである、
雪斎は、「長生きししそうにはない…」と率直に思う。
「脳性小児麻痺の障害を抱えると、加齢の影響がストレートに出てくるというのは、こういうことか…」と暗澹たる気分になる。
■ 本日、『産経新聞』「正論」欄には、雪斎の論稿が掲載される。
今月二度目の掲載である。とはいえ、「正論」欄には、過去十年で百数十編の論稿を書いているから、決して書きすぎというわけでもない。時評は本来、最低でも一週間に一度のペースでやるべきものであろうけれども、そうしたことが叶わないのであれば、三週間に一度くらいのペースで書くのがよいのであろう。
一昨年、昨年は、他の仕事に精力を費やしていたので、「正論」欄に書く論稿は減っていたけれども、そろそろ平常への復帰である。
もっとも、「正論」欄執筆陣の中では、現在の雪斎の立場は、完全に「正論左派」であろう。雪斎は、雑誌『正論』には率直に書きにくいけれども、新聞の「正論」欄には割合、簡単に書けるところがある。新聞は、同人誌ではないのであるから、そうした異分子を受け入れる幅は、雑誌よりもあるのである。
本日の「正論」欄論稿は、民主党を思いっ切り叩いた先回の論稿に比べれば、はるかに穏当なものになっているはずである。
■ 先週中は、風邪で臥せっていた。この時分の風邪も大変である。
声も変わってしまった。三十年ぶりの「異常事態」になっている。
外出は、月曜日と火曜日だけであった。
火曜日は外務省での定例の研究会に参加した。
水曜日は、築地・朝日新聞本社で新著に関わる打ち合わせをした。
残るは、ひたすら書を読み、資料を漁る時間が流れた。
下の書は、実に有益である。一家に一冊という趣の書である。
● トゥキュディデス、『歴史 1・2』(藤縄謙三訳、京都大学学術出版会・西洋古典叢書、二〇〇〇年)
■ 『吉野作造評論集』(岩波文庫)を読む。巻末に付された岡義武教授の解説を引用しよう。
□ 吉野は述べて、医学に臨床講義があり、法学には判例研究がある。同じ意味で政治の学問においては「政論」が考えられるべきである。…自分(吉野)が政治評論においてひそかに期したところは、「政治の学問に於ける臨床講義の開設」にあった、としている。
□ 吉野は…記して、わが国の「政論界」には二派あり、一つは「純粋な理想的標準」から現状を論評し、その説の実行が果たして可能かどうかについては意に介しないものである。なお一つのものは、「与へられたる政界の実勢を基とし、之を如何に運転すべきやを説くもの」である。この後者の方の評論は時に「因循姑息な微温的議論」のようにみえることもあるが、もともと政治は白紙に字を書くようなものではない。「実際的政論」は、どこまでも所与の現実に拘泥せざるを得ないとして、自分としては第二のタイプの政治評論を行う旨を示唆している。
■ 東京帝国大学を「近代国家の配電盤」と呼んだのは司馬遼太郎であった。
要するに、東京大学は、発足当初から、「近代国家」の運営に携わる人材の養成を期待されたのである。
そして、往時、東京帝国大学出身の最も優秀な人材は、内務、外務、大蔵の各省に進んだ。
戦後、内務省が解体された後では、大蔵省が「官庁の中の官庁」と呼ばれるようになった。
因みに、山崎豊子著「華麗なる一族」の中で、長女の夫となっているのは、大蔵官僚である。
国家の中心に「経済・カネ」が置かれるようになれば、確かに財務担当官庁の影響力が大きくなるのである。
この点は、日本は、英国と様相が似ている。
「永田町」で仕事をしてみて判ることは、「最も機嫌を損ねてはいけない官僚」とは、大蔵・財務官僚だということである。農政にせよ地方振興にせよ福祉にせよ、この国の政策を遂行するためには、総て「予算」の裏付けが必要とされる。予算策定の細かい話を知っている財務官僚に味方として頑張ってもらわなければ、特に政権与党の政治家は仕事にならない。福田総理が何故、財務次官経験者の起用に執着したのかということを推測すれば、そうした政権運営に際しての財務官僚の存在感を指摘しておくことは、決して無意味ではない。
そういえば、小沢一郎氏も、細川護煕内閣のときには、大蔵省に思いっきり配慮する形で、「国民福祉税」などというのを打ち出しているのである。おそらく、民主党の中でも、自民党議員として政権に関与した経験を持つ政治家は、政権運営における「財務官僚の協力」の決定的に大事であることを諒解しているはずである。だから、「財政・金融」分離などという理屈で財務官僚に抵抗しているような演出を見せられれば、「野党だから気楽にいえるのか、それとも政権を取った後のことを考えていないのか、はたまた政権を本当は取る気がないのか、そのどれかであろう」と思ってしまうのである。
…と、ここまで書いて、読者の人々には、警鐘を発しておこう。
雪斎も、一応は東京大学(大学院法学政治学研究科)OBである。
雪斎にとって最も大事な友人の一人は、財務官僚である。
雪斎は、五体満足だったら、外務官僚になりたかった。
雪斎が「官僚」に対する姿勢は、彼らと協力して何らかの政策を進めることに興味はあるけれども、彼らと喧嘩して何かをする気はない。彼らとは、「役割」が違うだけである。もっとも、ここでいう「官僚」は、財務、外務、防衛という領域の官僚である。他の領域の官僚の事は、ここでは議論しない。
こうしたバイアスを含み置いて、このエントリーをお読みいただきたい。
■ 日銀総裁は、「空席」になることが確定した。
阿呆らしくて、もはや論評する気も起きない。
かくなる上は、空席期間をできるだけ短くしてもらうよりほかはい。
今週中に決めてもらう必要がある。
ところで、此度の紛糾の結果、確実にいえることは、民主党は完全に財務省を敵に回したようだということである。民主党は、たとえ政権を取っても、財務官僚の「献身」を期待できまい。そういう状態で、民主党は、予算編成などをうまくやれるのであろうか。先々のことを考えずに、目先のことだけを考えるから、こういうことになる。
ところで、民主党が田波耕治総裁案を蹴った理由は、「国際金融の見識に不安がある」だそうである。ん、武藤総裁案のときには、そういう理由が付いていただろうか。何時から、そういう条件が出てきたのであろうか。
かなり不愉快なので、次のように書いておく。
民主党政治家が、どのような報いを受けようとも、雪斎の知ったことではない。
国益よりも党益を優先させた選択の事例として、雪斎は、記憶し、言及することになるであろう。
おそらく、数十年後に、此度の民主党の選択が「国益」を見据えての選択であったと証明する材料が見つからない限りは、此度の民主党の選択は、平成政治史に残る「愚行」と位置付けられるであろう。そして、この「愚行」に加わった民主党政治家は、「愚かな政治家」として語られることになる。そして、この評が定着すれば、後世の人々は、彼らのことを誰も尊敬はしないであろう。
これを「末代までの恥辱」という。
言論なり学術の領域の活動は、そういう「末代までの恥辱」を「愚かな政治家」に与えることができる。
後世の人々から嘲笑され、侮蔑される人生とは、何と空しいものであろうか。
「ペンは剣よりも強し」ということの意味は、そういうことである。
■ 雪斎は、「日本の福祉」批判で言論活動を始めた。今は、表の活字メディアでは「福祉」論を封印している。
ただし、このブログでは、自分が障害を持つ身であることを隠さないで書いている。
雪斎に直に会ったことのない人々は、雪斎がどのような障害を持っているのかが判らないであろう。
脳性小児麻痺という障害には色々とヴァリエーションがある。
雪斎の持つ障害者手帳には、「両上肢障害」と書かれている。
要するに、手が使えないということである。
手を使ってまともにできることというのは、書を開いたり、キーボードを打つことぐらいである。
世の人々の中には、雪斎における言論活動を褒めてくれた人々がいた。
しかし、雪斎にとっては、それは、唯一できることだから、やっているのである。
■ 二月中は、「朝日新書」から出す著作を校正する作業に、総てのエネルギーがとられていた。
「一冊の書」を仕上げるのも大変である。今月半ばまでは、この調子であろう。
さて、今だから告白するけれども、雪斎が保守論壇から離れた理由のひとつは、その「安心感」の欠如であった。「何故、これほどjまでに余裕を感じさせないのか…」という想いがあったわけである。
高坂正堯先生の『宰相吉田茂』の中に、先生の「保守主義者」観を示す記述がある。
● 自分は過去において相当な実績を挙げたきたのだという安らぎの感情は、社会の現在や未来に自信を与える。
● この自信の有無が保守主義者と反動家を区別する。
● 自信と心の安らぎがなければ、社会の進歩を取り入れることができない。
● 戦後の保守主義の基盤は、焦土の中から復興してきたという「実績」に求めるしかない。
■ 過日、雪斎の許に、保守系知識人を中心にして作られた「シンクタンク」への入会案内が回ってきた。
しかし、雪斎は、それには乗らなかった。
政策を検討するためには、「様々な可能性」が考慮されなければならない。だが、この「シンクタンク」に名を連ねている人々の顔触れから判断すると、「様々可能性の検証という誠に地味な作業が行われるようには思えない。
最初から、「保守イデオロギー」に染め上げられた政策を大した検証もせずに提言するのであろうと読めた。
故に、件の「シンクタンク」もまた、「政策研究の場」」というよりも、「政治運動の場」に堕す可能性が高い。
歴史教科書にせよ教育にせよ、近年の保守論壇の面々は、その程度の差はあれ、政治運動家になっている。政治運動家は、国論の分裂という事態を何とも思っていないし、持論を通すためならば、「大衆運動」に手を染めるのも躊躇しない。保守論客の「ユートピア」論議の光景が、出現するのである。
昔、シャルル・ド・ゴールは、アルジェリア動乱の最中にあった頃を振り返って次のように書いた。
「私は国民感情を徐々に国益に合致させて行き、決して国民の分裂をきたさぬように、ことを進めようとしていたのである」。
「国民の分裂を来さぬように」。これを実現するには、イデオロギーは、最大の敵なのである。
■ 少し前、オーストリア・ハプスブルク家の当主という人物がインタビューに答えて、「私は、ヨーロッパ人だ」語っていたのを視たことがある。そういえば、今の欧州連合というのも、見方によっては、多様な民族を包み込んだ「帝国」であるといえなくもない。このハプスブルク家当主の幼少時には、まだオーストリア・ハンガリー帝国の枠組は存在していたのであるから、彼にしてみれば、欧州連合の枠組は、「結局、昔に戻っただけのこと」なのかもしれない。
ところで、こうした「帝国」の枠組に最も激しく反発しているのが、セルビアであり、そのセルビアに肩入れしているのがロシアであるという構図は、百年前と今とでは、さほど変わっていないようである。サライェヴォ事件の折、オーストリア「帝国」皇太子夫妻の暗殺に及んだのは、セルビアの民族主義者であった。
コソヴォ独立は、セルビアにいわせれば、「米国とEUの陰謀」らしいし、ロシアにとっては、「法的根拠はない」ものであるらしい。EUの中でも民族独立運動の火種を抱えるスペインやルーマニアは、コソヴォ承認に難色を示したようであるけれども、結局、「オーストリア帝国・西欧 vs セルビア+ロシア」という構図が復活している。これで、セルビア民族主義者が騒動を起こそうものならば…。ちょっと考えたくない話ではある。
案外、こういうコソヴォ絡みの西欧とロシアの対立というのは、日本で議論されている以上に根が深い。欧州連合の拡大なるものは、西欧「帝国」の版図が東方に広がったものであるという側面があるので、西欧世界に対する「劣等意識」を抱えるロシアにとっては、それ自体は気分のよくないものであるのは間違いないであろう。だから、今後、米国にせよ欧州連合にせよ、あまりロシアを刺激しない手を打てるかということが大事になるであろう。
■ このところ、昼間のテレビ東京系列で『大忠臣蔵』を放映していた。大石内蔵助を演じていたのが、三船敏郎さんである。よくよく考えれば、日本の物語では、ナンバー2、3辺りの人物が主人公になる事例が多い。『忠臣蔵』は、その例である。『水戸黄門』も、「先の副将軍」が主人公である。
■ 今までにj経験したことのない「絶不調」状態が続く。身体障害に伴う条件の悪さも、今までは気力と体力でカヴァーできていたけれども、これからは、そうもいかないと悟った。生活のスタイルを根本的に見直す必要がありそうである。
それでも、「朝日新書」草稿脱稿以後の作業は、粛々と続く。校正に伴う補筆やら註、参考文献一覧作成やらという作業である。これは、これで難儀な作業である。
担当の編集者H氏からは、「エキサイティングな原稿だ」というコメントをもらった。少しは、意を強くした。
「右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い。どこに男の夢がある…」。
確かに、そうした風情の原稿である。
結局、雪斎の人生は、」何時も、「傷だらけ」だった。
子どものときは、転んでばかりで生傷が絶えなかった。
大人になってからは、「右」にも「左」にも喧嘩を売って、両方から叩かれていた。
これからも、そうなのであろう。
■ 政治学入門の意味合いで間違いなく取り上げられるのは、伊藤昌哉著『自民党戦国史』(朝日文庫)である。伊藤昌哉は、池田勇人の秘書官を務め、宏池会のインサイダーだった人物である。テレビ朝日系の深夜番組『トゥナイト』に随時、政治向きのコメンテーターとして出演していたと記憶する。
この書のことを思い出したのには、理由ががある。
■ 「厄年」明けの誕生日のエントリーである。
日曜の朝日新書「」執筆作業完了後、昨日も今日も、「燃え尽き症候群」状態になっているので、どうも気合が入らない。この分だと、あと一週間くらいは、「何もしたくない」状態が続きそうである。
徒然に、「幕末人物診断」なるものをやってみる。
雪斎がやってみた結果は…
■ 日曜昼過ぎ、「朝日新書」原稿の総てが書き上がる。一昨年春に始まった執筆作業も、遂に片付く。
400字詰原稿用紙350枚ぐらいにはなったであろうか。
残るのは、文献一覧の整理である。これも、向こう、一、二週間の間に終ることになるであろう。。
かくして、一つの区切りがついた。
ヨハネス・ブラームスの「交響曲第一番」は、ブラームスが43歳のときに完成した作品であった。
雪斎の「43歳のときの作品」は、どのように迎えられるであろうか。
次は、二十年、温めてきた仕事を起動させることにしよう。
■ 過去一週間は、色々と「大荒れ」の状態であったようである。
■ 前のエントリーは、雪斎らしくもないペシミスティックな雰囲気のものであった。かの手塚治虫の漫画も、一時期はえらく陰鬱なものがあったはずである。
今、雪斎は、「後厄の年」の最後の一週間を迎えている。来週には、三年続いた「厄年」明けである。
「今が午前四時の暗さだ」と思い切るより他はない。
ところで、政治の話に戻る。
雪斎が不安に思っていたことは、実は雪斎だけがそう思っていたわけではなかったようである。
■ 何故か、一週間もエントリー更新を怠ってしまった。
一昨日、楽しみにいていた「リッカルド・シャイー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」来日公演が、指揮者であるシャイーが急病により中止になったと伝えられた。雪斎は椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けた。このショックは大きい。サントリー・ホールでの公演を二日連続でS席で聴くはずだったのだが…。
ところで、「小泉純一郎の遺産」と考えられたものは、次の三つである。
① 自民党の議会内優位
② 磐石な日米関係
③ 好調な経済情勢
小泉元総理が退任した折、これだけの条件が安倍晋三前総理に引き継がれた。1988年に中曽根康弘元総理が竹下登に引き渡したのも、同じ条件である。
■ 「朝日新書」原稿の執筆作業が最終段階に入っている。「右」も「左」も頭に来る中身であろう。
ところで、懇意にしている編集者T氏から、次の記事を教えてもらった。
□ ニューヨーク・タイムズ、ネオコン論客をコラムニスト起用
【ワシントン=大塚隆一】30日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、新保守主義(ネオコン)を代表する論客のウィリアム・クリストル氏をコラムニストに起用すると報じた。7日付の紙面から週1回、コラムを執筆するという。
クリストル氏はイラク戦争を一貫して支持し、リベラル色の強い同紙の論調と真っ向から対立。同紙が2年前、米政府による国際金融取引の極秘監視活動を暴いた際も、国益を損なうとして訴追を求めるなど、批判の急先鋒(せんぽう)だった。
クリストル氏の起用にリベラル派の一部は猛反発しているが、同紙のコラム欄担当編集者は「異論を聞きたがらない人は大きな間違いを犯す」と主張。一方、敵陣に乗り込む形になるクリストル氏は「同紙の多様性を高めることは、やりがいのある目標」と述べ、リベラル派の反発には「光栄で愉快だ」と応じている。
(2007年12月31日22時0分 読売新聞)
■ そろそろ、雪斎も動き出さなければならない。
年末年始に読み進めていたのが、下の書である。
〇 John Lukacs, "George Kennan: A Study of Character", Yale University Press, 2007
ケナンが世を去って三年の時間が経とうとしている現時点で、既にケナンの評伝が出された。ケナンに関して0は、生前から様々な研究書が出されたけれども、この書は、逝去後に出された評伝としては嚆矢として位置付けられるものであろう。
■ あけましておめでとうございます。
■ 只今、平成二十年元日未明である。
「歳替わりの瞬間」は寝ていた。起床午前二時である。
四十数年生きていて、こういう新年の迎え方をしたのは、過去には例はない。
というのも、「歳替わりの瞬間」に何かをしているのは、当たり前であったからである。
学生の時分には、「勉強」をし、社会に出てからは、「作業」をしていた。
今年は何やら「激変」が起こるであろうことを予感させる一つの個人的な話である。
■ 新書執筆作業が余り進捗しない.。
脱稿まで残すところ、あと四百字詰原稿用紙二十数枚分である。
スタジアムに入ってから、ヘロへロの状態になりながらゴールに向かっているマラソン・ランナーの風情である。
本日も、この作業を続けることになる。
■ 新年最初に聴いたのは、下の一枚である。
○ 「ブラームス 交響曲第一番 ハ短調 作品68」
クルト・ザンデルリンク
シュターツカペレ・ドレスデン
1971年録音
数ある「ブラ1」の中でも、、このザンデルリンク&SKD版が最も世評高いものの一つである。雪斎は、「ロイヤル・コンセルトへボウ」の音色が好きなので、リッカルド・シャイーやエドゥアルト・ファン・ベイヌムの振ったものを長らく聴いていたのであるけれども、この東ドイツ時代のSKDのサウンドには、誠に心惹かれるものがある。当分、曲云々よりもSKDの音色を堪能する時間が続く。
SKDでいえば、昨年、聴いた下の一枚は、気に入った演奏である。
○ 「ブルックナー 交響曲第六番イ長調 ハース版」
ベルナルト・ハイティンク
シュターツカペレ・ドレスデン
2003年録音
こうした音楽を先刻、購入したヘッドフォン「ゼンハイザー HD-650」で聴いた。えらく値の張る買い物であったけれども、確かに「逸品」を手にしたと思う。
■ 今年の回顧である。
一言でいえば、「前半絶好調、後半絶不調」という評価になるであろう。
前半は、大学本格復帰、パリ旅行その他のイヴェントが連続した。
後半は、身体の具合が悪くなるわ、株価は落ちるわで大変だった。
ところで、この二、三年諸々の占いは、雪斎の「最悪期」を伝えていた。
一昨年は、雪斎の「天中殺」であった。
今年は、雪斎の「後厄」の年だった。
しかし、そうした「最悪期」も終わりである。
来年一年分の家賃と生活費は、既に手元に移したので、年を越す家計上の用意も完了である。
かなり安心して年を越すことになりそうである。
■ 来年は、公的にも私的にも、色々と新たな局面を開いていきたいものである。
■ ということで、読者各位には、今年一年、お世話になりました。
よき新年をお迎えください。
■ たまには、「暴論」も書いてみよう。
この数年、テレビといえば、NHKとテレビ東京しか観ていない、他にBS放送の紀行番組を観る程度である、
故に、たとえば下のようなプログラムがあるのを知らなかった。
□ 今日午後9時からの日テレ系「爆笑問題の証人喚問-太田光内閣がアノ関係者とっちめちゃうぞSP」
爆笑問題の証人喚問2007では”太田光内閣”にさまざまな閣僚が集合。官房長官の福留功男や環境大臣の東ちづる、年金担当大臣のえなりかずきらが一年の出来事を振り返りながらトークを繰り広げる。
証人として宮崎県知事の東国原英夫氏が登場。番組が宮崎県民にアンケートを行ったところ、周りが騒ぐほど自分たちの生活は変わっていないと手厳しい意見が届く。
農林水産大臣だった松岡利勝さんの自殺直前に謝罪を説得したという鈴木宗男氏や、プロボクシングの”亀田ファミリー”の行く末を握るといわれるアントニオ猪木も現れる。
女性議員が大集合!2007大反省会では、女性議員が石田純一と山本裕典を前に反省会を行う。島田智哉子氏は予算委員会でスカートのファスナーが全開になっていたと告白する。
【ゲスト】福留功男、テリー伊藤、デヴィ夫人、東ちづる、えなりかずき、カンニング竹山、ふかわりょう、木下優樹菜、やくみつる、原口一博、平沢勝栄、山本一太、亀井久興、森ゆうこ、島村宜伸、
アントニオ猪木、大村秀章、横峯良郎、片山さつき、姫井由美子、鈴木宗男、石破 茂、東国原英夫
■ 拙ブログ「雪斎の随想録」を開設したのは、2004年12月23日であったから、本日を以って三年を経過したことになる。三年間の累計アクセス数は、350万くらいである。政治だの思想だのといった面白くもないネタを扱ったブログである故に、多くの人々に読んでもらっているのは、ブロ開設時には余り期待していなかった。よく続いたものであると思う。
■ 雪斎にとっては、「自由」が至上の価値である。
雪斎は、六歳から九歳までの頃、障害児施設で暮らしていた。その時期、何が憂鬱であったかといえば、「食いたいものが食いたいときに食えない」ということである。アイスクリームが食べたいな思ったときに、駄賃をもらって店で好きなものを選んで買うというわけにはいかないのである。加えて、万事、規則ずくめの暮らしだから、息苦しいこと、この上ないのである。「こういうところからは早く出たい」と思っていた。
だから、後年、社会主義体制の実態を知るようになったときに、「昔のこと、そのままだ」と思ったものである。
「自由」とは「独立自尊」の同義である。
そして、雪斎は、二十数年かけて、「自由」を手に入れた。カネは何のためにあるのか。それは、自分の「自由」を担保するためのものである。生きていく上での「不自由」は、カネがあれば減らすことができる。元々、物欲にも淡白な雪斎が何故、「投資家」もやっているかといえば、自分の「自由」のためである。
「日本人は『自由』を勝ち取った歴史がない」というのが、一般的な説明であるけれども、少なくとも雪斎にとっては、「自由」は「勝ち取ったもの」である。これを失ってなるものかと思う。
そういえば、映画『ブレイブハート』でメル・ギブソンが演じるウィリアム・ウォレスが最後の所雄叫びを上げる言葉は、
「フリーダム !!」
である。
スコットランドの「独立自尊」のために闘った男の物語である。
それは、雪斎の骨の髄まで染み込んだ価値意識である。
■ NHK大河ドラマ『風林火山』は、昨日、最終話放映である。
「生きるために、武田の『軍師』になった男」の生涯を描いた作品である。
雪斎は、このドラマにおける「勘助」を自分自身の人生の断片に重ね合わせて観ていた。
① 幼少時、隻眼萎脚の身の上の故、武士になるのは無理だといわれ、寺に入れられよようとしたのを拒んだ。
/ 雪斎も、幼少期はは「障害児施設」暮らしであった。絶対、外の世界で生きてやるのだと思っていた。
② 長い間、世jに容れられず「浪人」だった。
/ 雪斎も30歳直前までは、実質、「浪人」であった。
③ 武田信玄の「軍師」になったお陰で、活躍の場所を得た。
/ 雪斎も愛知和男代議士使えることができたお陰で、世に出ることができた。
④ 結局、「智謀」勝負の仕事であった。
/ 雪斎の活動も、そうである。
確かに、過去の大河ドラマの主人公では、山本勘助は、「余りにも近すぎる存在」であった。
そういえば、雪斎の授業を聴いている学生が、何時か、こう言った。
「先生は山本勘助みたいなひとですね…」。
■ 昨日夕刻以降、サントリー学芸賞贈賞式に出掛ける。
今年度の受賞作には、次の二作が入っている。
○ 飯尾潤 『日本の統治構造』(中公新書)
○ 宇野重規 『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)
飯尾先生も宇野先生も、雪斎にとっては院生時代からの「旧知の人物」である。此度の両先生の受賞も、「取るべくして取った」という印象がある。
雪斎は、政治学者としては、随分と道草を食った。さしずめ、齢四十過ぎまで仕官先のなかった「山本勘助」みたいなものであろう。だが、「戻るところ」があったというのは、よいことだと思う。「永田町」も、段々と「追憶」の世界になりつつある。
そういえば、先刻、北大時代にお世話頂いた外川継男(上智大学名誉教授)先生から新著を贈って頂いた。
○ 『サビタの花―ロシア史における私の歩み』
この書の中で、1950年代、北海道大学スラブ研究センターの草創期の頃、猪木正道先生と江口朴郎先生が「一緒の宿に泊り、同じ釜のを食い、一緒に温泉に入っていた」という逸話が紹介されていた。当時、猪木先生は「右」の代表的論客、江口先生は「左」の代的表論客といわれていた。その猪木先生と江口先生が「裸