政治「エリート」養成のための七つの選択肢
■ さて、昨日のエントリーの続きである。
以下の記述は、「敬称。略」とする。
昨日、学歴を前面に出した議論をしたものだから、奇妙な反応が返っている。「今時、東京大学OBだって、大したことはない、「歴代の自民党宰相は、どうなのか」…という具合である。
だが、昨日のエントリーでも、、わざわざ下のような断り書きを書いているはずである。
ここでいう学歴は、「刻苦勉励」の証となるものの喩えである。昔日の英国ならば、恵まれた家庭に育った人材は、大概、十代から二十代のころに、「心身ともに厳しい環境」に放り込まれるものであるけれども、日本では、そうした人材には、何故か「生ぬるい環境」が用意されるのである。
雪斎は、13年前にも、現在の日本には、政治「エリート」養成ができていないと書いた。9年前に上梓した『国家への意志』でも、「統治の作法」を身に付けさせる仕組みについて色々と書いている。何のことはない。「戦後日本は、平等化、凡庸化、平準化を民主主義の趣旨であると錯覚した」とは、永井陽之助先生が40数年前に書いていたことである。四十数年前にも、戦後の高等教育の枠組が政治「エリート」養成を目的としてはいないと理解されていたのである。
ところで、小泉純一郎の最大の「失態」は、安倍晋三を後継にしたことであろうと思う。小泉自身は、特異な個人的努力で「統治の作法」や「政治感覚」を身に付けた人物であったと思うけれども、バトンの受け渡しには失敗したような気がする。安倍は、祖父・岸信介に憧れを抱いていたかもしれないけれも、彼は、岸における東京帝国大学法学部二番の成績で卒業した頭脳や商工省官僚・満州国官僚として培った人脈、、あるいは戦犯訴追されて文字通り「首が危なくなった」体験まで継承できたわけではない。 何故、小泉が「弱い」安倍を後継にしたのかは、率直に謎である。「清和会は岸信介の係累のものだ」という意識が、小泉にあったのか。













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