『中央公論』「時評2005」欄原稿・#11
■ かんべえ殿の次の記述を複雑な想いで読んだ。
〇この夏に帰省した際に、母親がこれを持っていけ、と言って渡されたのが「不老林」である。んなもん、要らん、と言ったら、もらいものなんだけど、ウチじゃ誰も使わないから、などと言う。まあねえ、考えたら自分も間もなく40代後半になるし、そういうものの世話になるかもしれんなぁとつい弱気になり、帰りのクルマのトランクに入れてしまった。
先日、理客店で雪斎も、焦ったことがある。雪斎は、中学以来、丸刈りを通しているのだが、その日、雪斎は自分の髪型に異変を発見した。何と前頭部分が「光っている」のである。「これは…!?、禿げ始めたのか」と愕然としてしまった。実際は、丸刈りスタイルで元々地肌が見えやすい髪形のところに頭上から照明を当てたために、前頭部分が他の部分に比べ「光っている」ように見えたのである。帰宅した後に母親に聞いたら、母方の祖父は六十五で急死するまで黒髪フサフサだったそうだし、母方の伯父も六十五歳を過ぎているのに全然、白髪がない。「よし、遺伝子的には大丈夫だ…」と思い込んでみたのだが、どうなることやら…。
■ 以前も書いたと思うけれども、ヴィクトル・ユゴーは、「強く辛辣な言辞は論拠の弱さを示唆する」という言葉を残している。此度の選挙では、様々な小泉純一郎内閣批判の論稿が、世に出たけれども、此度の結果は、広く論壇と呼ばれる世界の影響力が後退した現実を白日のもとに晒した。とある保守論壇の重鎮は、小泉総理を「狂人宰相」と評したようであるけれども、こうした「強く辛辣な言辞」は、その人物の「論拠の弱さを示唆する」結果を招いている。保守論壇は、確かに今は元気である。それに関する雑誌は好調であろうし、保守論壇の一翼を担いたい論客は続々と登場している。ただし、そうした保守論壇の盛況も、特定のメディア、論敵を「強く辛辣な言辞」で攻撃する言論が幅を利かせるならば、早晩、終息に向かうであろう。
現在、進行している皇位継承に関する議論に際しても、「男系男子」による継承を唱える保守論客の中に、「強く辛辣な言辞」を含んだ言論を弄する向きが少なくないのは、誠に残念なことである。そうした保守論客は、普段の言論が災いして、説得力を次第に喪失させていることを反省したほうがよいと思われる。昔日の「戦後民主主義者」の影響力失墜が、体制に結び付いた「右翼反動」の策謀の故でなく、ほとんど自壊の類に他ならなかったとするならば、保守論壇の影響力失墜も、自壊の類として進行するであろう。その兆候は、既に現れているのではないであろうか。
言論家の役割は、読む人々に「思考し判断するための材料を提供すること」であって、読む人々の「もやもやとした感情をすっきりさせたいという求めに応ずること」ではない。
Recent Comments