『中央公論』「時評2005」

October 11, 2005

『中央公論』「時評2005」欄原稿・#11

■ かんべえ殿の次の記述を複雑な想いで読んだ。
 〇この夏に帰省した際に、母親がこれを持っていけ、と言って渡されたのが「不老林」である。んなもん、要らん、と言ったら、もらいものなんだけど、ウチじゃ誰も使わないから、などと言う。まあねえ、考えたら自分も間もなく40代後半になるし、そういうものの世話になるかもしれんなぁとつい弱気になり、帰りのクルマのトランクに入れてしまった。
 先日、理客店で雪斎も、焦ったことがある。雪斎は、中学以来、丸刈りを通しているのだが、その日、雪斎は自分の髪型に異変を発見した。何と前頭部分が「光っている」のである。「これは…!?、禿げ始めたのか」と愕然としてしまった。実際は、丸刈りスタイルで元々地肌が見えやすい髪形のところに頭上から照明を当てたために、前頭部分が他の部分に比べ「光っている」ように見えたのである。帰宅した後に母親に聞いたら、母方の祖父は六十五で急死するまで黒髪フサフサだったそうだし、母方の伯父も六十五歳を過ぎているのに全然、白髪がない。「よし、遺伝子的には大丈夫だ…」と思い込んでみたのだが、どうなることやら…。

■ 以前も書いたと思うけれども、ヴィクトル・ユゴーは、「強く辛辣な言辞は論拠の弱さを示唆する」という言葉を残している。此度の選挙では、様々な小泉純一郎内閣批判の論稿が、世に出たけれども、此度の結果は、広く論壇と呼ばれる世界の影響力が後退した現実を白日のもとに晒した。とある保守論壇の重鎮は、小泉総理を「狂人宰相」と評したようであるけれども、こうした「強く辛辣な言辞」は、その人物の「論拠の弱さを示唆する」結果を招いている。保守論壇は、確かに今は元気である。それに関する雑誌は好調であろうし、保守論壇の一翼を担いたい論客は続々と登場している。ただし、そうした保守論壇の盛況も、特定のメディア、論敵を「強く辛辣な言辞」で攻撃する言論が幅を利かせるならば、早晩、終息に向かうであろう。
 現在、進行している皇位継承に関する議論に際しても、「男系男子」による継承を唱える保守論客の中に、「強く辛辣な言辞」を含んだ言論を弄する向きが少なくないのは、誠に残念なことである。そうした保守論客は、普段の言論が災いして、説得力を次第に喪失させていることを反省したほうがよいと思われる。昔日の「戦後民主主義者」の影響力失墜が、体制に結び付いた「右翼反動」の策謀の故でなく、ほとんど自壊の類に他ならなかったとするならば、保守論壇の影響力失墜も、自壊の類として進行するであろう。その兆候は、既に現れているのではないであろうか。
 言論家の役割は、読む人々に「思考し判断するための材料を提供すること」であって、読む人々の「もやもやとした感情をすっきりさせたいという求めに応ずること」ではない。

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May 10, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#6

■ 歴史において「事実」は一つであるけれども、その「解釈」は多様である。歴史の「解釈」の有り様は、しばしば、それぞれの「今」を生きる人々にとって「こうあって欲しい」という価値観の反映であることがある。だからこそ、エドワード・ハレット・カーは、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話である」という有名な言葉を残したのである。
 ところで、『毎日新聞』(五月八日付)は、「<日中外相会談>関係修復へ向け対話強化で一致」の見出しで次のように伝えている。
 

町村信孝外相は7日、中国の李肇星外相と京都市のホテルで1時間半会談し、反日デモで悪化した日中関係の修復へ向け対話を強化することで一致した。東シナ海のガス田開発に関する実務者協議や次官級による総合政策対話を今月中に実施することで正式に合意したほか、先月17日の外相会談で町村外相が提案した歴史共同研究を進めることなどを確認した。

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April 09, 2005

『中央公論』「時評2005」/ケナン追悼

■ 雪斎は拙ブログでもジョージ・F・ケナンに関するエントリーを何度も書いた。ただし、雪斎は、活字メディアの上で正面切って「ケナン論」を展開したことはなかった。

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March 11, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#4

■ 雪斎が幼少の頃に見たテレビ画面の光景で忘れられないものがある。それは、一面の雪が積もっていた林に囲まれた一軒の綺麗な家を巨大な鉄球で壊しているというものであった。「雪」「綺麗な家」「鉄球」と来れば、ピーンと来る人々もいるであろう。それは、「連合赤軍あさま山荘事件」を伝える報道であった。

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February 10, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#3

■ 今年は、「戦後六十年」である。おそらくは、夏に向けて、「日本の近代」の意味を問い直す気運が盛り上がるかもしれない。
 雪斎が割合、好きな女優の一人に、永島暎子さんがいる。永島さんといえば、今では、「生活に疲れた中年女」といった役柄を演じれば、この人の右に出る者は居ないという感じの味わい深い演技をしているけれども、その彼女が若き日に『桃尻娘』というポルノ系映画(実態は青春映画に含めるべきだと思うが…)に出演したという事実は、今となっては、どれだけの人々が覚えているであろうか。

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January 11, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#2

■ 昨年末、『溜池通信』では、「憤兵は敗れる」という言葉の出典に関する議論が行われていた。この議論の中で出てきた「かんべえ」氏の「戦争は『勘定』でやるものであって『感情』でやるものではない」の言葉は、確かに名言であった。雪斎は、この議論の中で「憤兵を敗れる」の出典が『漢書』であると知ったので、その前後の記述を確認してみた。「魏相丙吉伝」の「相、上書して曰く…」で始まる一段落は、誠に多くの示唆を与えるものであった。それ故にこそ、雪斎は既に一編の原稿を書いた。そして、雪斎は、これを機に、『漢書』(ちくま学芸文庫・全八巻)を購入し、読み始めている。ただし、『漢書』は、中国二十四史書の中の一つで、『史記』と双璧を成す作品と称されている。これは読み通すには相当な時間が掛かりそうである。
 此度の「時評2005」原稿は、再び「魏相丙吉伝」の記述に依拠したものである。雪斎は、似たようなネタを使い回して原稿を書くのを好まないけれども、このネタで突き詰めて原稿を書こうとすれば、少なくとも七編の原稿が用意できそうである。東西両洋の古典は、様々な思索の淵源である。此度の原稿は、「兵が忿る者は敗れる」の記述を現在の日本国内の対中国感情や対北朝鮮感情の有り様に投射させて論じたものである。外交は相手のある営みなのであれば、「毅然とした外交」という言葉が一人歩きを始めるようならば、実際の外交展開を歪めることになるであろう。「毅然」という言葉は、物事に臨む姿勢を表すものであっても、その方針を表すものではないからである。
 尚、『中央公論』今月号に掲載された様々な論稿の中でも興味深かったのは、渡邊昭夫先生の論稿「『吉田ドクトリン』の遺産と誤算」と伊豆見元先生の論稿「国際的制裁の道を閉ざすな」の二つであった。特に渡邊先生の論稿は、戦後日本外交の軌跡の意味を考えさせる。こういう論稿を読めるのは、何時も嬉しい。

■ 時評2005 「毅然とした外交」に潜む不安

 昨今、我が国の外交を語る言説の中で頻繁に耳にするのは、「毅然」の言葉である。たとえば邦人拉致問題に絡む北朝鮮政府の対応は、「悪漢国家」としての印象を定着させた感がある。また、AFCサッカー・アジアカップ中国大会の折の「反日」騒動や中国海軍所属原子力潜水艦による日本領海侵犯といった事件は、我が国の人々の対中印象を悪くしている。世のの人々が「毅然とした外交」を要請するのは、故なきことではない。
 このような対中関係や対朝関係の風景が筆者に思い起させるのは、史書『漢書』「卷七十四・魏相丙吉傳第四十四」の中の次の一節である。
 「人の土地貨寶を利する者、之を貪兵と謂う。兵が貪る者は破れる。国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵が驕する者は滅ぶ」。
 『漢書』の記述を援用すれば、「強盛大国」を標榜する北朝鮮は、その国情の内実はともかくとして「驕兵」の彩りを鮮やかに示している。そして、中国は、南沙諸島の領有や東シナ海海洋権益の扱いを巡って「貪兵」の姿勢を露わにしているし、近年の劇的な経済発展は、その対外姿勢に「驕兵」の趣きをも与えている。この中朝両国の「貪兵」と「驕兵」の姿勢は、それが自らの「破」や「滅」に結び付くという意味においては、先々の破綻を免れまい。特に「政冷経熱」を指摘される現下の日中関係を前にして筆者が訝るのは、胡錦濤(中国国家主席)や温家宝(中国首相)を初めとする中国共産党政府指導層が、どのように「兵貪者破、兵驕者滅」の文言を遺した自らの先人の警告を受け留めているのかということである。少なくとも周恩来、華国鋒、鄧小平といった過去の指導層は、「イデオロギー」よりも「実利」を優先させた柔軟な政策の展開を通じて、日本国民各層の「共感」を繋ぎ止めてきた。我が国の人々が長きに渉り大々的な対中政府開発援助の提供を是認してきたのは、そのような対中「共感」の故に他ならない。然るに、江沢民以降の中国政府指導層は、「日本国民の『共感』」という名の資産を無分別に食い潰している。たとえ「政冷経熱」関係の責任を小泉純一郎(内閣総理大臣)の靖国神社参拝などに帰する中国政府の姿勢に理があったとしても、そのことによっては、スポーツ・イヴェントでの騒動や領海侵犯といった無礼や無作法が正当化されるわけではない。二〇〇四年の中国は、「反日」の論理で国際常識に悖る行為を繰り返した結果、却って国際社会での信用の低下を招いた。中国が直面する「破」や「滅」の危険とは、そのようなものなのである。
 その一方、我が国の人々が留意すべきは、既に触れた『漢書』の件の前には、次の文言が記されているということである。「小故を恨んで争い、憤怒して忍ばざる者、之を忿兵と謂う。兵が忿る者は敗れる」。無論、ジョージ・F・ケナンが「民主主義国家は平和愛好的ではあるが、怒り狂って闘う」と喝破したしたように、民主主義体制下での政策展開は、世の人々の「怒り」の感情に裏付けられた際には最も劇的に進むものである。けれども、『漢書』は、そのような「怒り」の感情に裏付けられた政策展開が、結局は自らの「敗」を招くことを教えている。中朝両国の「貪兵」と「驕兵」の姿勢が、前に触れたように「破」や「滅」という先々の破綻に行き着くものであるならば、そのような姿勢に煽られた結果、我が国が自ら「敗」を呼び込むような振る舞いに走るのは、愚かなことではなかろうか。
 筆者は、現下の「毅然とした外交」を求める声が「忿兵」の姿勢への傾きを持つものである限りは、それを肯んずることはしない。北朝鮮情勢への対応に関していえば、経済制裁発動を迫る議論が沸騰しているけれども、実効性を伴った対朝「圧力」の具体的な施策として先ず模索されるべきは、北朝鮮に絡む様々な問題を国連安保理に付託した上での対朝非難決議の採択であろうし、次には対朝経済制裁決議の採択であろう。我が国にとっては、この経済制裁決議採択の成った暁こそが、国際協調の一環として粛々と制裁発動に踏み切る時機である。『漢書』には、「乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂う。兵が義なる者は王たり」という一節もある。北朝鮮の「暴」を誅したいというのは、我が国の人々の抱く感情かもしれない。けれども、我が国の対応が「義」として承認されるために必要とされるのは、「毅然とした外交」という言葉が暗示する単線的な対応ではなく、国際社会全体を見渡した複雑にして微妙な対応なのである。
         『中央公論』(2005年2月号)掲載

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January 07, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#1

■ 『中央公論』は、雪斎の論壇デビュー作が載った雑誌である。デビュー作の載った雑誌を手にしたとき、雪斎の頭の中には、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェンの交響曲第五番・第四楽章の旋律が流れていた。沈鬱な調べが続く第三楽章の後に、金管の音色が鳴り響く第四楽章は、「苦難を乗り越えて歓喜に至れ」という言葉を音楽の上で表現していると思う。「苦難の日々」が続いた後で、自分の論稿が載った雑誌を手にしたとき、雪斎は、眼の前に光輝溢れる風景が開けたように感じた。「第五交響曲・第四楽章」の旋律は、そうした雪斎の感慨に重なり合っていたのである。
 その後、『中央公論』には、度々、原稿を寄せている。その折々には、もはや「第五交響曲・第四楽章」の旋律が、聞こえてくることもない。『中央公論』で書くことは、今では「実家での用事」に精を出すようなものである。そして、雪斎は、今年は一年通しで、「時評2005欄」を担当することになった。「時評」欄は、政治学系では、2000年に北岡伸一、2001年に田中明彦、2002年に山内昌之、2003年に飯尾潤・白石隆、2004年に飯尾潤・渡邊昭夫の各先生方が、それぞれ担当されていた。こういう先生方の後を襲う形になるのは、正直なところ、ちょっとした驚きであった。割合、気楽に依頼を引き受けた後で、「オヨヨ…」と慌てるのは、雪斎の何時もの悪い癖だが、此度も、そうだったようである。それにしても、この話を持ちかけられたとき、M編集長は、全然、深刻な顔をしていなかったのよね…。
 下掲の原稿は、その「時評」欄の第一作である。


■ 時評2005  麻薬としての「反○○」思考

 ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)とジョン・F・ケリー(民主党上院議員)が覇を競った此度の米国大統領選挙は、ブッシュの再選という結果に終わった。ブッシュは、選挙人獲得数でも一般投票数でも過半数を制したという意味では、フロリダ州での集計に伴う紛糾を経た四年前とは異なり、その大統領としての地位の正統性を揺るぎないものと感じているであろう。加えて、連邦議会上下両院選挙でも、共和党は優位を確保した。特にトーマス・A・ダッシェル(民主党上院院内総務)の落選は、民主党の「冬の時代」を象徴する光景であった。
 ケリーの敗北や民主党の零落には、既に様々な説明が行われている。就中、筆者に説得力を感じさせるのは、「ケリー陣営は、『次期大統領がJ・F・ケリーでなければならない理由』を説明できなかった」というものであった。確かに、此度の選挙の焦点とされたのは、ブッシュによる対イラク政策の評価であった。大量破壊兵器の存在証明の失敗、イラクの戦後統治に伴う困難は、たとえばマイケル・ムーア(映画監督)の作品『華氏911』の評判が象徴するように、「果たしてブッシュでいいのか」という疑問を幾多の米国市民に呼び起こしたことであろう。けれども、『華氏911』それ自体もまた、「反ブッシュ」感情を刺激するものであったとしても、「ケリーでなければならない理由」を説くものではなかった。その点、大統領選挙最中、民主党支持層から出て来た「ブッシュ以外なら誰でもよい」(“Anybody But Bush”)の標語は、結局のところは、ブッシュとケ リーが大統領候補として持つ存在感の落差を逆の意味で物語っていたのではなかろうか。
 ところで、「反ブッシュ」感情の動向に幾分かでも左右された選挙の顛末を前にして、筆者が思い浮かべたのは、「反○○」という枠組で物事を把握し、行動することの持つ「陥穽」といったものである。「反○○」という枠組は、幾多の人々に対して、何らかの正当な政治的、思潮的な立場に依って物事を語っているかのような錯覚を与えやすい。そのことは、この「○○」に入る言葉の意味するものが、米国や中国という国家であれ、自由民主党や民主党といった政党であれ、共産主義や帝国主義といった思潮であれ、さらには小泉純一郎や小沢一郎といった個人であれ、同じことである。そうであればこそ、マイケル・ムーアは、「反ブッシュ」感情に寄り掛かるだけで、自らの映画を世に送り出すことができたのである。昨今の我が国でも、たとえば「反米」の立場を掲げれば、とにもかくにも一編の論稿や一冊の書が出来上がる。「反○○」という思考や姿勢は、何か事を為すに際しては相当に安易な枠組を与える「麻薬」なのではなかろうか。
 しかし、「反○○」という立場や姿勢に初めから寄り掛かった議論は、結局のところは余り積極的な意義を持たない。そもそも、「○○」に入るものは、個人であれ党派であれ国家であれ、誠に多様なものであるけれども、そのような多様な「人間」を前にして採られた「反○○」思考は、どことなく教条的な色調を帯びることがある。「反○○」思考の教条的な性格は、様々な物事を正確に理解しようとするならば、却って大きな支障になることがある。因みに、我が国の政治の世界では、一九五五年以降、自民党優位の時期が永らく続いた故にか、政府・与党に対する「反」の姿勢を示すのが、野党の原初的な役割と解する向きがある。たとえば 目下、一般に「党首討論」と称される衆参両院の国家基本政策委員会合同審査会での討議では、総理大臣と民主党を初めとする野党党首は「対等な討論」をする建前であるにもかかわらず、実際に繰り返されてきたのは、野党党首の「質疑」と総理大臣の「答弁」という光景であった。この事実は、現在ですら、野党が政府・与党に「反」の姿勢を示すのを第一とする惰性から抜けていないことを示している。世は「二大政党制」に向けて着実に進んでいるという指摘があればなおさら、この惰性の持つ弊害は強調されなければなるまい。振り返れば、岡田克也(民主党代表)は、二〇〇四年七月末に米国民主党全国大会を訪問し、「ブッシュ・コイズミ」同盟への対抗心を露わにしながら、米国民主党に対する共感を内外に示した。そして、今、岡田麾下の民主党が参照すべきは、「反○○」思考に足を取られた米国民主党の軌跡なのではなかろうか。
            『中央公論』(2005年1月号)掲載

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