February 24, 2007
■ 週末なので、簡略なエントリーを書く。
1 最近のテレビ・ドラマで観ているのは、次の三つである。
① NHK大河ドラマ『風林火山』
/ 明日辺りから盛り上がりそうである。
② NHK土曜ドラマ『ハゲタカ』
/ これは面白い。第一回放送分は、宇崎竜童さんの必死の演技が、印象に残る、
「バルク・セール」とは、価値の落ちた資産を二束三文で「まとめて売る」意味らしい。
こういうドラマを作るから、NHは侮れない。
③ 『華麗なる一族』
/ 「キムタク」だけが確かに浮いている。この俳優を除けば、「昭和の雰囲気」は確かに伝わるのだが…。
2、最近、入手したワイン
① コンポジション・レイフ[2004] /ヨーゼフ・マイヤー
/ 残念ながら、「ラマレイン」は手に入らないので、「コンポジション・レイフ」を代わりにする。
② カリュアド・ド・ラフィット・ロートシルト[2000]
/ 思わず買ってしまった。2000年モノに眼が眩んだ結果である。
3 最近の音楽
① 「水蓮―しなやかに歌って」(シィー・ヤン)
/ 中国の女性シンガーであるシィー・ヤンによる「山口百恵ナンバー」のカヴァーである。収録されているのは、「しなやかに歌って」、「秋桜」、 「曼珠沙華」、「横須賀ストーリー」、「 いい日旅立ち」、「さよならの向う側」である。全曲、中国語で歌われている。「百恵さんの歌も、アジア共通の歌になりつつある」と実感させられる。特に「秋桜」が味わい深い。
② 「ベートーヴェン:交響曲第7番」 (カルロス・クライバー/バイエルン国立管弦楽団)
/ クライバーの「ベト7」には、ウィーン・フィルを振ったものがあるけれども、このライブ版は「凄い演奏」である。しかし、この演奏を聴くときは、聴くほうも構えていないと疲れる。普段は、ギュンター・ヴァント辺りを聴いているのが、よいのであろう。
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February 02, 2007
■ 最近、購入したモノを紹介する。
① ULTRASONE ヘッドフォン PROline2500 オープンエア ダイナミック型
: このヘッドホンは、値段が非常に高い。ただし、雪斎のように、賃貸マンションの自室で夜中に音楽を聴くという生活を続けていると、ヘッドホンに「いいモノ」が欲しいとおもっていた。「音質」だけではなく「健康」に配慮したというのが、この商品のセールス・ポイントなので、思い切って購入してみたのである。
聴いてみると、実に「安心感のある」モノである。かなり長時間、装着していても、耳が痛くならない。昔、とある人物に中古のベンツに乗せてもらったことがあったけれども、そのときに抱いた感想に似ている。雪斎は、基本的に、「モノは、シンプルにして、かつ堅牢であればいい」という考え方の持ち主なので、こういう「安心感を与える」モノは、有り難いと思う。
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November 18, 2006
■ 連日の訃報である。
□ <訃報>仲谷昇さん77歳=俳優
個性的な演技で活躍した俳優で演劇集団円代表の仲谷昇(なかや・のぼる<本名・昇流=のぼる>)さんが16日、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため東京都内の病院で亡くなった。77歳。葬儀は家族による密葬で、劇団葬を後日行う。自宅は非公表。喪主は未定。
中央大を中退し文学座演劇研究所に入り、後に座員に。1953年、今井正監督「にごりえ」で映画に初出演し、中平康監督「猟人日記」「砂の上の植物群」では主役を務めた。
63年、芥川比呂志らと文学座を脱退し劇団雲を結成。75年には演劇集団円を結成し92年から代表。舞台、映画、テレビで名脇役として活躍し、深夜番組「カノッサの屈辱」(フジテレビ)では教授役を務め人気となった。
(毎日新聞)
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September 22, 2006
■ 時間がないので感想を一言だけ書く。
□ 9月22日付・読売社説(1)
[国旗・国家訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」
日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。
教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。
都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。
学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。
しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。
判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育(はぐく)まれるだろうか。
教師らの行動に対する認識も、甘すぎるのではないか。「式典の妨害行為ではないし、生徒らに国歌斉唱の拒否をあおる恐れもない。教育目標を阻害する恐れもない」と、判決は言う。
そもそも、日の丸・君が代に対する判決の考え方にも首をかしげざるをえない。「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」という。
そうだろうか。各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている。
後略
いいたいことは、ただ一つである。教師は、「他人を教える」という職分をまっとうしているか。
もし、こうした政治活動のために、教育に投下されるべき精力がそがれえるならば、そちらのほうが問題である。
ところで、国旗・国歌のごとき題材で、「思想良心の自由」が議論されるのは、解せない。
これは所詮は、「礼儀」の問題である。下らぬ。
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August 28, 2006
■ かんべえ殿が「占星術」フリークであったのを知って、かなり驚いた。実は、雪斎も、かなりの「占星術フリーク」なのである。自宅に西洋占星術関連の英文専門書が数冊ある。
因みに、雪斎のホロスコープには
乙女座に、天王星、冥王星
牡牛座に、木星
山羊座に、水星、金星 があり、
それぞれが四重のグランド・トラインを形成している。
それ故、「冥王星」が脱落すると、吉相とされるグランド・トラインの有難みが減るようで、寂ししい。
「冥王星」には、「究極」、「再生」、「極端」という意味合いがある。
ホロスコープから判断すると、「神懸り」的なことをやるという意味合いになるのであるけれども、果たして、どうなのであろうか。どうやら、「冥王星」脱落によって、雪斎の「神通力」も消滅ということであろうか(苦笑)。
もっとも、安心したこともある。雪斎の「冥王星」は、「第8ハウス」に位置しているのであるけれども、この相は、間違えば「カサノヴァ」になってもおかしくない相である。若き日の雪斎は、「おいおい…。全然、違うだろ…(そうだったら、ムフフだが…)」と思ったものである。これが弱まるのであればという想いもあり、そうなると寂しいという想いもある。
それにしても、雪斎の周囲には、「占星術フリーク」が意外と多いものだということが判った。強烈な「確信」の下に振る舞っているような人物であっても、拠り所が要るということであろう。そういえば、アドルフ・ヒトラーにも、フランクリン・ローズヴェルトにも、傍らに占星術師がいた。ロナルド・レーガンの傍らにも、居たようである。
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August 21, 2006
■ 「甲子園」の決勝は、引き分け再試合のようである。
雪斎の言いたいことは、ただ一つである。
「準々決勝と準決勝、決勝の間に一日ずつ『休養日』を入れろ」。
こういう話が何故、出て来ていないのかが不思議である。
ニュースでインタビューを受けた人々が「明日も頑張って…」と言っているけれども、「冗談じゃないな…」と思う。
ああいう炎天下の環境で下手をすると三日も連続で野球をやることを当然と思う感覚が解せない。
ピッチャーに至っては、一試合百数十球も投げるわけだから、昨日も含めると四試合で軽く五百球近くは投げるのであろう。控えピッチャーでどれだけカヴァーできているのか知らないいけれども、「これは、やりすぎであろう…」と率直に思う。
「頑張れ…」などと妙な「精神主義」を称えてはいけない。
こういう「非合理」は止めるべきだと率直に思う。
もっとも、延長は15回までになったし、控えの人数も増えているようであるから、以前よりも、ましになっているのかもしれないけれども…。
「岩見沢苫小牧」と「早稲田」の若者達が「いい試合」をしていたようであるだけに、主催者を含む大人達の「鈍感さ」を腹立たしく思う。
幼稚園に上がる前の時分の雪斎にとっては、「太田幸司」はヒーローの名前だった。太田さんは、三十七年前、「甲子園」決勝の延長十八回l、翌日再試合を独りで投げ抜いた青森・三沢高校のピッチャーである。確か、三沢の隣町の八戸の中心街で開かれた「凱旋パレード」を母親と見に行ったような記憶が、おぼろげながらある。子供の頃は、熱心に「甲子園」の中継を観ていた。「深紅の優勝旗」は、「岩見沢苫小牧」が一気に津軽海峡の向こうに持っていくまでは、「白河の関」ですらも越えなかった。「甲子園」には、東北人の落胆が詰まっている。
雪斎が高校三年の夏、我が母校は、県大会決勝で敗れ、「甲子園」行きを逃した。それ以降、雪斎は、「甲子園」を観ることもなくなった。
訂正、三年の間、「駒大苫小牧」ではなく「駒大岩見沢」だと思い込んでいたようである。昔の思い込みで書くと、こうなる。「甲子園」がいかに関心の範囲から消えていたかの証明である。こっぱずかしいが、「三方ヶ原戦後の家康の自画像」として、さらしておこう。
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July 09, 2006
■ 日曜の午前である。 ドイツ―ポルトガル戦は、ドイツの勝ちであった。
【シュツットガルト(ドイツ)8日時事】サッカーの第18回ワールドカップ(W杯)ドイツ大会第24日は8日、当地で3位決定戦を行い、地元のドイツがポルトガルを3-1で破り、1970年大会以来の3位となった。ポルトガルは過去最高の66年大会の3位に並ぶことはできなかった。
相手のうまいパス回しにリズムがつかめずにいたドイツは、後半11分にシュバインシュタイガーが強烈なミドルシュートでW杯初ゴールを挙げて先制。4分後には同選手のFKがオウンゴールを誘うと、同選手がさらに加点し、相手の反撃を終盤の1点に封じた。5ゴールで得点王争い首位のドイツのクローゼには得点がなかった。ドイツはバラックが欠場する一方、GKカーンが最終戦で出場。ポルトガルのフィーゴは後半途中から出場し、アシストを記録した。日本の上川徹氏は無難に主審を務めた。
上川徹主審は、日本代表チームよりも先に、「世界最高水準」に到達した。こういうレフェリーという仕事は、意外に日本人には向いているかもしれない。レフェリーという仕事の前提は、公正に「仕切る」ということで、プレーヤーその他との「信頼」が出来上がっていることである。日本は、米国や欧州諸国と並ぶ「高信頼社会」とのことであるから、こうした社会土壌からならば、国際舞台で活躍するもう少し多くのレフェリーが登場してもいいであろう。上川主審は、道を開いた、上川主審に乾杯である。
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July 04, 2006
■ 拙ブログでは、ことがあるたびに、小椋佳さんの『孤高の鷹』を引用していた。この曲は、元々は1996年正月にテレビ東京系列で放映された「徳川剣豪伝―それからの武蔵」のテーマとして使われたものである。この曲が収録されている小椋さんのアルバムは、「バラードセレクション~ことなり~」である。「巌流島」以後の宮本武蔵を描いた物語の雰囲気にはあっていたと思う。
このたびの命 思い為す宿命
好まずと言えど 戦いの嵐
荒れ止まず 挑みの心 また湧き止まず
誰のようにも 生きられず
誰のようにと 生きもせず
梢の高み 孤高の鷹が
心ならずの 爪を磨く
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June 21, 2006
■ 梅雨時の身体の具合の悪さは如何ともし難いので、本日以降、当面の間、永田町勤務を完全SOHO勤務にすることにした。
盆明けの「永田町のお祭り」に備え、体力、気力その他をリカヴァーさせなければならない。
ところで、さる筋から、「マカ」を勧められた。「マカ」ね…。
早速、大学近くのドラッグ・ストアで購入する。一瓶5000円である。高っ。
これは、いいのかしら。
この三日、「元気の出ない」エントリーを書いた。
明日から、まじめな国際政治分析を用意しよう。
先ずは、「くじら」である。
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June 20, 2006
■ 19日中の北朝鮮のミサイル発射も、「なかった」ようである。
自傷癖で周囲を冷や冷やさせる若い女性の深層心理は、「私、寂しいの。誰か構って頂戴」だとか。
北朝鮮も、このパターンなのか。
付き合いきれんな…。
■ 金曜日以降、相変わらず身体的な調子は好転しない。
にもかかわらず、やることは、溜まっている。やることが多すぎる。
大学に居た頃は、七月中旬で授業を終えれば、実質二箇月の夏休みに入ったものであるけれども、今年は、そうは行かないであろう。おまけに、盆明けには、「楽しい楽しい」自民党権力闘争の本格化と来ている。
「永田町に居るうちに嫁さんをもらって、永田町から足を洗ったら、夏の二ヶ月は嫁さんと避暑地にこもって、研究に没頭だ…」。
最近は、そうしたことを考えるようになっている。雪斎も、歳を取ったものである。
■ ワールドカップで気になるのは、韓国は勝ち抜けるのかということである。
現時点では、韓国が勝ち点数で首位を走っているけれども。次のサイクルでフランスとスイスが勝てば、韓国は一次リーグ敗退である、フランス―トーゴ戦は常識的にフランスの勝ちである。スイス―韓国戦は、スイスの強さを見ると、韓国有利とはとてもいえない。只今、スイス―トーゴ戦が終わったけれども、確かにスイスは強いチームであった。
もし、韓国一次リーグの敗退ならば、四年前の四傑進出は何だったのかという話になる。サッカーの世界では、欧州と亜細亜を隔てる壁は、まだまだ高い。
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June 19, 2006
■ 日本―クロアチア戦は、△ である。雪斎の予定通り、ブラジル戦は、○ ということであろう。
同胞よ、落胆するなかれ。
総ては、「奇跡」のための下準備である。
■ 18日中の北朝鮮のミサイル発射は、「なかった」ようである。「ふざけんじゃねえよ…」と言いたくなる。
■ 相変わらず、身体的な調子は良くない。困ったものである。
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June 15, 2006
■ FIFAワールドカップは一次リーグを一巡した。
明日未明の優勝候補イングランドと初出場トリニダード・トバゴの対戦は、ちょっとした楽しみである。
というのも、この試合を仕切るのは、日本人レフェリーの上川徹氏であるからである。14日付の「読売」が伝えている。
□ W杯・上川主審、イングランドの試合で2試合目の笛
国際サッカー連盟(FIFA)は13日、グループリーグB組のイングランド―トリニダード・トバゴ(15日・ニュルンベルク)の担当審判員を発表し、9日のポーランド―エクアドル戦を担当した上川徹主審が、広嶋禎数副審らとともに再び指名された。
日本人の主審が、W杯の同一大会で2試合目の笛を吹くのは初めてのことだ。
これまでにW杯を経験した日本人審判は、主審としては各大会で1試合ずつしか出場機会が与えられなかった。高田静夫氏は1990年までの2大会で6試合のジャッジに加わったが、当時は審判の分業制がなく、4試合が線審(現副審)だった。
上川氏には2試合目の主審が巡り、しかもサッカーの母国イングランドの試合を担当する。ポーランド―エクアドルでの安定したジャッジが、FIFAから評価された証しとみられる。
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June 13, 2006
■ 今日は、これを書くしかないのか…。
昨日夜のFIFAワールドカップ、日豪戦である。
前半、ナカムラが一点を入れて勝っていたので大丈夫だなと眼を離した隙に、何と三点が豪州に入っていた。唖然とした。
多分、次のクロアチア戦は、△
ここで、100人中99人は絶望する。
ブラジル戦は、ロナウジーニョ以下の主力を全部温存させたブラジルと競って、まさかの ○
勝ち点 4 で決勝リーグ突破!!。
これが、最も日本らしい筋書きである。
根拠はない。
■ 日経平均株価600円下げである。いい加減、落ちすぎであろう。
指標だけを観れば、「買うしかない」局面であるけれども、どうなのであろうか。
ぐっちー殿の教示によると、「株は五年以上は持ち続ける覚悟」が大事だとか。
しかし、それにしても、このアップ・ダウンの激しさは…。
訂正、前半で「決勝リーグ」と書いたのは、「一次リーグ」の誤りである。精神状態が荒れると、こうなる。オヨヨである、
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June 02, 2006
■ このブログも段々、「日記」どころか「週記」になりつつある。
■ 今日の永田町のホット・ニュースはこれだったかもしれない。
□ 安倍氏、総裁選へ始動 派閥横断で支持拡大狙う
9月の自民党総裁選に向け「ポスト小泉」の最有力候補とされる安倍晋三官房長官が2日、本格始動した。安倍氏支持の中堅・若手議員を中心とする「再チャレンジ支援議員連盟」(会長・山本有二衆院議員)に衆参両院議員94人(ほか代理21人)が参加、事実上の「安倍応援団」が発足した。議連は派閥横断的な支持の広がりに自信を示しており、今後は党所属の全国会議員に参加を呼び掛け「先行逃げ切り」(周辺)を図る構えだ。
同議連は衆院当選6回以下、参院当選2回以下に参加を打診。この日の設立総会には谷垣、二階両派を除く各派閥から出席したものの、参加者の中には総裁選対応について「福田康夫元官房長官が出馬に踏み切るのかどうか、様子を見たい」との声もある。
「なんだ94かよ…」というのが率直な印象である。雪斎は、「安倍長官のことだから、150は行くだろう」と思っていたのである。この94という数字は、自民党衆参両院407議席の4分の1にも満たない数字である。過半数204までには、ここから一人の脱落者も出さずに110を上乗せしなければならないというのは、かなりハードルが高そうである。無論、実際の総裁選挙では、党員票という要因が絡むから、世論調査の上で先行している安倍長官に「分」があるのは、間違いないであろうけれども、それにしても…である。
それにしても、かんべえ殿が示した「クラシックによるネオの取り込み説」は、本当であろうか。本当だとしたら…。道理で、拙ブログの「日記」が「週記」になってしまっているわけである。
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June 01, 2006
■ 今日から六月である。これからは、雪斎には誠に相性の悪い季節の始まりである。
人のために よかれと思い
西から東へ かけずりまわる
やっとみつけた やさしさは
いともたやすく しなびた
春をながめる 余裕もなく
夏をのりきる 力もなく
秋の枯葉に 身をつつみ
冬に骨身を さらけ出す
―『春夏秋冬』より―
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May 02, 2006
■ 連休中である。ということで、雪斎は何をしているのか。
1、書の執筆
: とある筋から新書として出すものである。
: 最初の一章分、四十枚分を書いている。
2.何故か、「中森明菜」を聴いている。
: 何故か、聴きたくなった。理由はない。高校の時の「旧い女友達」に逢った気分か。
3、連休明けが国会でも、一騒動ありそうなので、そのためのシミュレーション。
: そういえば、ドラマ『白い巨塔』で唐沢寿明演ずる財前五郎fが「タンホイザー」を流しながら外科手術のシミュレーションをやっていた。「政策」屋にとっても、これは大事である。
4、経済ネタの書を読む。そういえば、高校生だった頃の雪斎は、「一橋大学」を志望していたような記憶がある。
5、只今六時過ぎである。テレビ東京で「モー・サテ」放映中である。お天気キャスターの井口玲音さんは、確かにかわいい。
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April 11, 2006
■ 近頃、サイバー空間では、「成分解析」なるものが流行っているらしい。分析したいものを指定すると、成分を解析して表示するという趣向のものである。。「札幌」の成分を解析すると、その結果は以下のようになる。
札幌の70%は歌で出来ています。
札幌の26%は毒物で出来ています。
札幌の2%は花崗岩で出来ています。
札幌の1%は信念で出来ています。
札幌の1%は魂の炎で出来ています。
「何じゃ、こりゃ」と思う。それならば、やってみよう。
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March 22, 2006
「ハルト将軍も亦曰く、凡そ軍人たる者は間断なる切磋琢磨し以て智識を得ることに勉めざるべからず。然らざれば其無識は勇侠なる部下を犬死せしむることあるべし。古来幾多の戦闘が単に将帥の無識の故を以て敗衄に帰したること枚挙すべからず」。
―秋山真之 『海軍基本戦術 第一篇』緒言より―
先刻、入手した『秋山真之戦術論集』という書には、このような記述がある。昨日、世は、「王ジャパン」の世界制覇で沸き立ったけれども、雪斎は、その一方で、この秋山真之の言葉を思い出した。
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March 18, 2006
■ 一昨日、がっくり来たこと…。ワールド・ベースボール・クラシック対韓国戦、何故か敗戦である。
敗戦後、あれだけ感情的になっているイチローをはじめて見た。
曰く、「生涯、最も屈辱的な日」だそうである。
昨日、驚いたこと…。米国敗北により、日本が準決勝進出である。
帰宅した折、「ただいま」といおうとした矢先に、雪斎の母親が「メキシコ、勝ったよ」である。
世の中、何が起こるかは本当に判らないい。
昨日、怒り狂ったこと…、そして悲しんだこと。
またまた、やってくれました。ボブ・デ-ヴィッドソン塁審の「自爆判定」である。
米国・メキシコ戦で、「ホームラン」を「二塁打」にしたあの判定は何だ。これから、野球にも「ビデオ判定」が必要なのであろうか。この審判は、「米国の威信」を大きく傷付けている。「馬鹿な愛国者」ぐらい救いようがない存在もないということの典型であろう。まさか、この審判は、また、準決勝か決勝に出るのであろうか。そんなわけはないよな…。
しかし、「永田町の自爆男」にせよ「米国球界の自爆男」にせよ、本当に迷惑な存在ではある。
それにしても、また韓国と対戦なのか…。いい加減、飽きたな…。韓国を完膚なきまでに叩き潰して、終わりにして欲しい気がする。
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October 16, 2005
■ ひさしぶりに占いネタをやってみる。
「0学占い」というのがあるらしい。
この占いでいうと、面白い結果がが出ていた。
雪斎の場合、「2005年」が運勢の「底」であり、
なおかつ「9月」が「底」であり、
しかも「9日ー11日」、「21日ー23日」が「底」であった。
雪斎の「永田町」復帰を決めた総選挙当日、2005年9月11日は、「底の底の底」であった。
だから、この占いによると、この日の「底の底の底」以降は、10年近くは「上昇モード」ということになる…はずである。。
これは、一体、意味しているであろうか。
おお、やはり「永田町」は、雪斎を待っていた…のか。
■ 昨日、思わず日本のプロ野球の中継に見入ってしまう。
パシフィック・リーグ、プレーオフ第三戦、「ホークス・マリーンズの試合」である。
9回裏が始まった時点で、マリーンズが4-0で優勢であり、マウンドには「守護神・小林」の姿があった。
どう見ても、マリーンズの31年ぶりのリーグ優勝が決まったような雰囲気であった。
しかし・・・。
「守護神・小林」は4点のリードを守れず、延長戦に突入し、結果はホークスのサヨナラ勝ちである。
これが野球である。いやはや、面白かった。ボビー・バレンタインが少し可哀想だったが…。
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October 15, 2005
■ 「気がついてみたら、日本は何でもできるではないか…ということが判った」。
かんべえ殿が、昨日夜放映のテレビ東京系『ワールド・ビジネス・サテライト』に出演していた中で、語った言葉である。この言葉は、「今の雰囲気」を表しているなと思う。
因みに、一昨日に紹介した三浦展著『下流社会』によると、「上流層」が視聴する頻度が高いのは、NHKとテレビ東京で、「下流層」はフジテレビなのだそうである。なるほどね。「WBS」と「モーサテ」のイメージだなと思う。
それにしても、テレビ東京では、大江麻理子アナウンサーは、かなり綺麗な女性である。かんべえ殿は身近に遭遇したのであろうか。だとすれば、率直に羨ましい気がする。
■ 昨日、大学での講義を総て休講にし、国会での活動も総て見合わせた上で、病院でメディカル・チェックを受ける。「人間ドック」入りとまでは行かないものの、それに近いことをやった。病院の検査とは、時間が掛かるものだと実感する。結果は、「何の異状もなし」だそうである。内心、「つまんねえな…」と思ってしまった雪斎は、大馬鹿者であるかもしれない。ただし、数時間も病院に閉じ込められて、得たのが「異状なし」の一言というのは、納得が行かない…よな。
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October 09, 2005
■ 『王将』 (作詞/西条八十、作曲/船村徹)は、村田英雄を有名にした歌である。
吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑えば笑え
うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ
空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が またもえる
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October 04, 2005
■ Simon and Garfunkel の曲を初めて聴いたのが、高校生くらいの頃である。当時、八戸市内の映画館で『卒業』が公開されていたので、それを観たときに、曲が頭に入ってきたのであろう。しかし、このエントリーで書きたいのは、S&Gのことではない。『卒業』でも挿入曲として使われた〈Mrs. Robinson〉には、次のような一節が最後に付されている。
Where have you gone, Joe DiMaggio,
Our nation turns it's lonely eyes to you.
What's that you say, Mrs. Robinson.
Jotting Joe has left and gone away,
Hey hey hey.
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September 30, 2005
■ 昨日、阪神タイガース優勝である。阪神ファンの皆様、おめでとうございます。ジャイアンツを相手に胴上げを見せ付けることができたのは、さぞかし快感でありましょう。ただし、前の優勝から僅かに二年目での優勝は、「阪神、十数年ぶりの涙」という話を当たり前のものとして受けとめてきた雪斎には、いささか「違和感」を覚えるものでございます。「常勝軍団・タイガース」というのは、形容矛盾の趣きがあると思うのですけれども、いかがでしょうか。十数年ぶりに勝って、「物事をあきらめない」と人々を感動させるのが、タイガースのタイガースたる所以だと思います。雪斎も、「1985年の熱狂」は、よく覚えているのです。
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August 24, 2005
■ 夏は、高校野球が終われば、もう終わりである。雪斎は、今でこそ東京に住んでいるから九月一杯は暑い想いをしなければならないのは判っているけれども、二十六歳で上京するまでは八戸、宮城・栗原、札幌の夏だけを経験したから、そういうものだと思ってきた。
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August 10, 2005
■ 11日以降、16日まで宮城県北の「田舎」で仙人生活をやってきます。インターネットその他を使える環境ではないので、洋書を二、三冊を携えて読んでおこうと思います。拙ブログの更新は17日頃の予定です。
皆さん、よき「盆休み」を。
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July 20, 2005
■ 梅雨が明けたので、雪斎は「夏眠」の季節を迎える。「森の熊さん」が冬になると「冬眠」をするのと同様、雪斎は気温摂氏25度を超え30度台に入ると、一気に「夏眠モード」に突入する。大体、雪斎は、東北人であり節分直前が誕生日であり、名前に「雪」の字を入れているくらいだから、夏という季節には誠に相性が悪い。銀座・竹葉亭の鰻で数日は「夏眠」までの期間が延びたようだが、東北人のDNAには「耐暑因子」はないという現実は変えられなかったようである。「夏眠」の期間中は、活動の「質」「量」ともに、大幅な後退を余儀なくされる。
このように考えると、欲しくなるのは、「避暑地の別荘」である。雪斎は、モノには余り執着しないけれども、「よい環境」は欲しいと思っている。夏の東京では、思考の切れが悪くなる。それをやるにも、カネが要る。というわけで、ぐっち殿のところに弟子入りして「金持ち、まっしぐら」の道を.を歩もうかと本気に考えている。
そういえば長らく「塩漬け状態」(実際は『岩塩漬け』状態)であった雪斎保有の鉄鋼株が騰がり始めている。一時期、損失幅が10パーセント近くになったときには、かなり青くなったが、損切りはしなくてもいい水準に戻ったので、どこまで騰がるか見てみたいと思う。証券会社が設定している目標価格まで騰がれば、「来年の夏は、『夏眠』せずに、ムフフ…」となるはずであるが、実際は、どうなることやら…。
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July 19, 2005
■ 昨日の『読売』が伝えた記事である。
□ 「ラッフルズ」など41ホテル、米投資会社に売却へ
【シンガポール=菊池隆】シンガポールのホテル事業大手ラッフルズ・ホールディングスは18日、同国を象徴する名門ラッフルズホテルをはじめ、日本のスイスホテル南海大阪(大阪市)を含むホテル事業(開業準備中を含め計41ホテル)を米投資会社コロニー・キャピタルに売却すると発表した。
売却金額は現金で14億5000万シンガポール・ドル(約960億円)で、コロニーはラッフルズ側の負債も引き受ける。
1887年に開業したラッフルズホテルは、英国の文豪サマセット・モームなどが愛用した。英植民地時代の風情を残す外観やバーの看板カクテル「シンガポールスリング」で知られ、日本から訪れる観光客も多い。ホテルを運営するラッフルズ・インターナショナル社ごと売却するため、営業は売却後も現状のまま続けられる。
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July 04, 2005
■ 「ミュージック・バトン」というのがブロガーの世界に流行っている。やじゅん殿にいわせれば…、
「この企画、映画とか文学とか他の分野にも適用できるのではないでしょうか。そのうち勝手に映画について書いてみようと思います。雪斎さんはテレビ番組でも作ってくれそう(笑)」。
…だそうです。
御意。やってみよう。
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June 24, 2005
■ 昨日未明、FIFAコンフェデレーション・カップ、日本・ブラジル戦を観る。ただ、「惜しかった…」という他はない。「この試合は勝てたな…」と率直に思う。
■ 昨日昼過ぎ、『中央公論』「時評2005」欄の最新原稿を脱稿させて、提出する。此度の原稿は、本当に執筆作業が「難航」した。担当編集者のT氏からは喜んでもらえた原稿になったので、とりあえず安堵した。昔、雪斎は、『中央公論』に連載コラムを書くのは「夢」の一つだと思っていたけれども、実際の「フィールド・オブ・ドリームズ」は、難儀な舞台である。セ・ラ・ヴィ。
■ 『溜池通信』「不規則発言」欄によると、かんべえ殿は、山口・中原中也記念館を訪れたそうである。中原中也といえば、この写真の肖像が有名であろう。雪斎は、中原中也には、奇妙な「縁」がある。十数年前、二十歳代半ばの頃に雪斎の写真が『朝日新聞』に載ったことがあった。それは、雪斎の東京大学移籍を「壮挙」として伝えた記事だった。新聞写真を見た北海道大学時代の友人たちが、「ああ、中原中也だ…」と口々に言いながら笑った。なるほど、その写真は、物憂げな雪斎の表情を伝えていた。そして、友人の一人が決定的なことを言い放った。「この写真さぁ、○○(雪斎の本名)をまったく逆のイメージで伝えている。黙認した○○は詐欺師だな…」。
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June 08, 2005
■ 一昨日、朝日新聞『論座』が届く。雪斎は、『論座』という雑誌の性格は、たとえば『中央公論』が「政府の現実主義」(入江昭教授の言葉)に「保守」側から寄り添うものだとすれば、それに「リベラル」側から寄り添うというものであるべきだと思ってきた。雪斎は、このところ『論座』に書く機会が増えているので「左傾化した」という評があるけれども、雪斎は、「政府の現実主義」に寄り添った媒体に書いているという点では、言論家としての本籍地である『中央公論』に書いているのと感覚が変わらない。たとえばポーツマス講和会議直後に似た状況が来ても、『中央公論』と『論座』ならば、明々白々な「小村寿太郎外務大臣擁護」の論稿を載せることができるのではないかと思っている。
雪斎は、「リベラルの責任」と題された特集の中で、「『「普通の国』になればまた出番がやってくる」という原稿を寄せている。同じ特集には 久間章生、太田昭宏、仙谷由人の三氏の鼎談のほかに、次のような原稿がある。
□ 国連改革、歴史認識、自衛隊の海外派遣…
第三者の媒介で「新しい自由」を切り開け
京都大学大学院人間・環境学研究科助教授 大澤真幸
□ 真の保守主義再生しかない
京都大学大学院人間・環境学研究科教授 佐伯啓思
□ 「ネオリベ」批判を越えて
明治学院大学社会学部教授 稲葉振一郎
「リベラル」というのは、誠に多義的な観念だなと思う。社会学、経済学、政治学のどの学問領域を背景にしているかによって、論者がイメージする「リベラル」の中身は、だいぶ違っている。普通の人々は、ちょっと混乱したのではないかと思う。。
加えて、勉強のために読んだのが、次の二編である。
●英国総選挙
□現地報告 新しい政治的競争が始まった
北海道大学大学院教授 山口二郎
●第2期ブッシュ政権の行方
□保守イデオロギーと政治的機会主義の間で
東京大学法学部教授 久保文明
かんべえ殿は、「悩ましい対中通商摩擦―中国版「プラザ合意」の可能性―」という原稿を書いておられる。
尚、雪斎にとって、最も興味深かったのは、「ピンク映画の新しい波―人は何故このエロスに惹かれつづけるのか」(ピンク映画誌『PG』編集長 林田義行)という記事だった。
■ 昨日、産経新聞「正論」欄に、実に三ヵ月ぶりに原稿が載る。これだけ空白を作ってしまったのも、八年近く通算百数編の原稿を「正論」欄に書いた経緯からすると、異例のことである。
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June 02, 2005
■ 昨日午前、体調に異変が生じ急遽、外出を取り止める。雪斎は、真冬に体調を崩すことはないけれども、何時も六月の「暑くなり始め」の時期に、健康を害することがある。今日も、用心して静養である。
■ 昨日、「衣替え」である。雪斎は、真夏でもネクタイを締めるスタイルは不合理だと思っていた。大体、気温が真夏でも三十度を超えることが滅多にない欧州起源のスタイルを亜熱帯(夏季の東京)でやることの無理には、人々は早々に気付くべきであったと思う。雪斎は、普段はネクタイを締めない生活を続けているので、「ようやく時代が余輩に追い付いた?」.と高笑いをしている。
■ 昨日、雑誌『諸君』が届けられる。特集の中に、日本の政治家、官僚、財界人、言論人を「親米ー反米」、「親中ー反中」の座標軸で仕分けした記事を見つける。担当していたのは、かんべえ殿、宮崎哲弥氏、富坂聡氏である。
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May 31, 2005
■ 昨日、名大関・貴ノ花が世を去った。彼は、その後、相撲界のしきたりに則って、藤島親方、二子山親方と名前を変えたけれども、雪斎にとっては、何時までも「貴ノ花」のままである。雪斎の幼少の頃、力士といえば、貴ノ花なのであった。
ニュースによっては、貴ノ花は、北海道出身とも青森県出身とも伝えられているけれども、どちらなのであろう。雪斎は、彼が青森出身なのは自明だと思っていた。というのも、雪斎は、昭和五十年、貴ノ花が優勝した折、青森県内の熱狂を覚えているからである。
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May 29, 2005
■ 昭和四十年代後半、『激しい恋』(昭和49年5月25日シングルリリース)という歌が流行っていた。歌っていたのは、当時、「新御三家」の一人として人気の絶頂にあった西城秀樹である。この時期の歌というのは、何故か、色々と頭に残っているものである。
やめろと言われても 今では遅すぎた
激しい恋いの風に 巻き込まれたら最後さ
やめろと言われても 一度決めた心
この身を引き裂くまで
恋にこがれて やかれて
もしも恋が かなうならば
どんなことでもするだろう
僕の人生を変えてしまうのか
黒い 黒い 瞳の誘惑
やめろと言われたら 死んでも離さない
地の果てまでも行こう 君をこの手に抱くなら
やめろと言われたら よけいに燃え上がる
この身引き裂くまで
恋にこがれて やかれて
切ない胸 夜はふける
これが恋の 仕打ちなのか
僕の人生を 狂わせるような
黒い 黒い 瞳の誘惑
この歌詞を見ながら思い浮かべたのは、小泉純一郎総理が靖国神社参拝に寄せる心理である。雪斎は、これの替え歌として、『小泉総理、靖国神社参拝の歌』を詠んでみる。
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May 24, 2005
■ 昨日午前零時過ぎに『NHKアーカイブス』の枠内で放映されたのは、「東北アワー『バンカラ街道80キロ ~福岡高校応援団の25時間~』」であった。誠に懐かしさを感じさせる番組であった。というのも、雪斎の母校、青森県立八戸高校の応援団も、そうした「蛮カラ」の伝統に連なるものであったからである。「蛮カラ」が、どういうものかは、こちらの八戸高校OBによるサイトが丁寧に伝えている。何故か、今でも奥州旧南部藩領内の高校には、そうした「古き良き」気風が残っている。口さがない連中は、「生きた化石」と評するのかもしれないけれども、雪斎にとっては、それは「古き良き」気風以外の何物でもない。
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May 19, 2005
■ ただ今、午前1時半現在、原稿執筆、「追い込み」作業中。
■ ただ今、午後4時、『論座』に寄稿する原稿を編集部に提出する。
長い間、「保守派」と目されてきた雪斎が、「リベラル派」の可能性と課題を生真面目に論じた原稿と相成る。
急いで書いた原稿ではあるけれども、「こういう原稿を書いてみたかった…」という原稿である。
■ 一休みの上、『中興公論』「論点2005欄」原稿の執筆に「転進」である。
締め切りは明日。
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May 14, 2005
■ 昨日午前、久しぶりに「永田町」に足を運ぶ。自民党T・Y議員を訪ねる。Y議員は本当に手堅い政治家だと思う。その後、民主党A・N議員と自民党I・0議員の事務所に立ち寄る。アポイントなしで立ち寄ったので、両議員とも不在。事務所のスタッフの方々に歓迎してもらう。ありがとうございます。
■ 福沢諭吉は、『福翁自伝』で次のようなエピソードを紹介している。幼少期の福沢は、迷信の真偽を確かめるため、神社の祠から御神体を持ち出し代わりに道端の石を入れたり、祈祷札でお尻を拭って罰が当たるかを試してみたりしたのである。また、坂本龍馬と妻が「日本発の新婚旅行」の折に霧島山頂上の逆鉾を抜いて逆に刺す悪戯をしたエピソードは、有名である。
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May 13, 2005
■ 更新のスピードが落ちている。北朝鮮核、日本人傭兵の話など、書くべきネタは幾らでもあるのだが…。
■ ただ今、朝日新聞『論座』に寄せる原稿を執筆中である。
他に、『中央公論』「時評0005」欄原稿の新ネタも仕込みの最中である。
■ 昨日、TBS系夜九時のドラマ『夢で逢いましょう』を観る。海上自衛隊が撮影に協力しているドラマだそうである。ヒロインの父親が海上自衛官という設定である。家庭人としての「等身大の自衛官」が描かれるドラマが作られるようになったかと思えば、かなり感慨深い。
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May 07, 2005
雪斎は、幼少の頃、「大きくなったら何になりたい」と思っていたのか。それは、実は天文学者である。雪斎が幼少期を過ごした自宅の周囲には、街灯らしきものは何もなかったから、日が落ちた後は真っ暗な空間であった。その代わり、星が降るように輝いていた。真冬の夜に眺めていた星空は、綺麗なものであった。
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April 30, 2005
■ ただ今、世はゴールデン・ウィークに突入したばかりである。雪斎は、例年、この時期には、原稿執筆作業に忙殺されるものであるけれども、今年は「暇」である。これを機に、内村鑑三に倣って、「余は如何にして政治学徒となりし乎」を記してみたい。
1978年に「NHK特集」の枠内で放送されていたものに、『あの時世界は…磯村尚徳・戦後世界史の旅』という九回シリーズの番組があった。後にNHK特別主幹になった磯村尚徳さんがメーン・キャスターを務めていて、戦後国際政治史を彩った事件を検証するという趣向の番組であった。九編の中身は、東西冷戦の発端「ワルシャワの墓標」、原爆プロジェクトの意味「マンハッタン秘密計画」、インド独立運動の裏面「進めデリーへ」、イスラエル建国の経緯「引き裂かれた聖地」、アラブの石油戦略「ファイサル王の決意」、フランスの独自政策「ドゴールの挑戦」、核対決の実相「ケネディ対フルシチョフ」、ロケット開発の真実「フォンブラウンの執念」、ベトナム戦争の帰結「アメリカの敗退」といった具合である。日本のテレビ番組では初めて「国際政治史」を扱ったということで、当時は大きな反響を呼んだ番組であった。
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April 22, 2005
「雪斎の随想録」来訪者 各位
前略、当ブログ「雪斎の随想録」は、本日午後2時頃、累計アクセス数が10万件に到達致しました。
昨年12月末の開設以来、4ヵ月目にして大台突破となります。
来訪された方々には、重ねて御礼申し上げる次第であります。
今後とも、政治学徒の立場から、国際情勢その他を考える「視点」を披露させて頂く所存です。
宜しく御愛顧の程を。
不一
平成17年4月22日
雪斎
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April 20, 2005
■ 去る14日、エンターティメント系ニュースは、次のような記事を配信した。
台湾の人気モデルである林志玲(リン・チーリン)が日本の大手芸能プロダクション、オスカープロモーションと契約。13日に赤坂プリンスホテルで行われたオスカープロ毎春恒例のタレントデビュー発表会に参加した。14日付で中国新聞社が伝えた。
この記者会見にはリン・チーリンのほか、日本人の新人タレントら3人も登場。200人もの報道陣が集まった。
リン・チーリンは記者の質問に終始、一生懸命に練習したという日本語で返答。「日本語をもっと勉強して日本の皆さんに愛されるタレントになりたい」と語った。
また「日本でいちばん共演したい俳優は?」との質問には、はにかみながら「演技が上手な竹之内豊さん」と答えていた。
オスカープロモーションは米倉涼子や菊川怜、上戸彩なども所属する大手芸能プロダクション。リン・チーリンとの契約についてオスカープロ側は、「アジア、そして世界に通用する芸能人として育てたい」としている。
リン・チーリンは台北生まれの30歳で、台湾の人気アイドルF4の言承旭(ジェリー・イェン)との交際も噂されているトップモデル。台湾当局から「VJC(ビジット・ジャパンキャンペーン)」台湾親善大使」に任命されており、日本観光の魅力をアピールする台湾のテレビ番組にも出演している
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April 16, 2005
■ 14日付のソウル発 ロイター通信は、「韓国で血液型占いブーム、B型男性への偏見広がる」と題して、次のような記事を配信している。
韓国の雑誌やテレビ番組、インターネット上ではここ数年、血液型占いが大流行しており、B型の男性について「自己中心的で短気」とする偏見が広がっている。
研究者は血液型と性格の相関関係を否定するが、自称専門家の説が下火になる気配はなく、B型男性は恋人に不向きなタイプと決めつけられている。
この影響は大衆文化に反映され、これまでに「B型の男」というヒット曲やB型男性との交際術の本、B型男性とA型女性の恋を描くラブコメディー映画が世に送り出された。
血液型による性格分類は、日本人の古川竹二によって1927年に初めて発表され、1971年に能見正比古が復活させた。
能見の著作などは韓国語に翻訳されており、首都ソウル市内の書店にも翻訳本が並ぶ。
韓国カトリック大学の精神医学研究者は、血液型と性格の関係を裏付ける科学的な証拠はないと明言し、こうした説を盲信する若い世代に冷静な対応を呼びかけている。
このブームに便乗する形で、『
B型の彼氏』という映画も製作されているのだそうである。
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April 14, 2005
■ 本日は、久し振りに諸々の「懸案」から解放された時間を過ごせそうである。当ブログのネタで一遍、やってみたいと思っていたのが、「美人論」である。世に「「世界三大美人」と日本でいわれているのが、「楊貴妃」、「クレオパトラ」、「小野小町」だそうである。
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April 04, 2005
■ かんべえ殿が昨日付けの「不規則発言」で仙台のことについて語っておられたのは、宮城県人である雪斎には有り難かった。ところで、以前、紹介した「ご当地の踏み絵・宮城県編」には、結構、笑える項目が並んでいる。
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April 01, 2005
■ 新年度が始まった。雪斎のような大学教員にとっては、四月が一番、忙しい。お陰で、このブログに書くエントリーの予定がだいぶ、狂ってしまっている。
■ 楽天イーグルスが本拠地・仙台での初戦に勝利を収める。宮城県人である雪斎は、率直に嬉しく思う。昔、政策秘書であった頃、とある人物から「仙台は何故、札幌などと比べて、しょぼい印象が拭えないのか」と問われて、雪斎は、「仙台は、『飲む・打つ・買う』の三点セットが揃っていないし…。プロ球団もない。結局、『白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき』なのさ」と答えたことがある。かの「すすきの」を抱える札幌に比べれば、仙台の「遊びの環境」の貧弱さは、否定しようがない。雪斎は、昔から、「ファイターズを仙台に呼べないか」と提案していた。ファイターズの札幌移転が決まった折には、「やられた…」と思った。だから、雪斎は、イーグルスのことをまじめに応援しようと思う。イーグルスは、「おらほの球団」である。
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March 30, 2005
■ 昨日、ネット環境がバージョン・アップする。これの関係で正午から午後九時近く「ネット」を使えない状態に陥る。慌てる。
■ しかし、接続後、「光」はいいものだと実感する。
■ 従って、昨日の相場の「後場」は、全く確認できなかった、日経平均1万6千円割れという結果に、「ここは買い時だったろう」とほぞをかむ。
■ スマトラ沖地震二連発に戦慄する。
■ ホリエモンさんの傍らに影のように付き添っていた女性が、表舞台に出るようになったようである。ホリエモンさんが「表に出なくなった」のは、組織運営の観点からは、大事なものであろう。
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March 28, 2005
■ 特撮ヒーローの代名詞といえば、「ウルトラマン」と「仮面ライダー」である。このシリーズは、今でも続いている。現在、放送されているのは、「仮面ライダー響鬼」(出演/細川茂樹)だそうである。親子二代で「仮面ライダー」を観ている光景は、珍しくないのだろうと思う。
しかし、雪斎が小学生の頃、即ち一九七〇年代前半頃、これに類する特撮ヒーローものの番組が集中豪雨的に製作されていた。「人造人間キカイダー」、「流星人間ゾーン」、「シルバー仮面」、「スペクトルマン」、「ミラーマン」、「レインボーマン」、「ジャンボーグA」,「変身忍者嵐」、「怪傑ライオン丸」・…といった具合である。調べてみたら、こうした番組は、民放はどこでも制作していたのである。「よくもまあ、これだけ色々なものを作っていたな…」という気がする。当時のテレビの現場は、よほど「熱かった」のであろう。
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March 25, 2005
■ このところ、久し振りに「二十四時間、戦えますが」モードに入る。この一、二日、関わった仕事は次の通りである。
① 雑誌「中央公論」に寄せる原稿の執筆
② 「読売新聞」経済部から依頼された「フジ・ライブドア紛争」への所見の執筆
③ 雑誌「論座」に寄稿した原稿の校正
④ 雑誌「月刊自由民主」に寄せる原稿の執筆
ということで、ブログにも色々と書きたいネタがあるが、今日は、少しだけ。
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March 18, 2005
■ 昨日夕刻、都内平河町で講演する。弁護士、税理士、経営者の方々で構成される研究会の趣である。「ボルテックス」というメディア系会社の女性社長であるNさんから持ち込まれた話であった。話した中身は、時節柄、やはり「ホリエモン」論を取っ掛かりにした澁澤青淵論である。当ブログを御覧になっている方々には、馴染みのネタであろう。尚、集まった方々の中に、とある民放法律相談系番組に出演されていたK弁護士の姿があった。「番組中での印象は素の性格とは、まるで異なる」という当たり前の事実を諒解した。
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March 15, 2005
■ 本日、確定申告締切。雪斎は、本職は私立学校教員であるけれども、原稿料その他の別ルートからの「資金流入」があったりするから、この時期は、書類の作成などに付き合う羽目になる。どうも、面倒なのだな。これが…。
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March 10, 2005
■ 「“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳」という誠に面白い記事を見つけた。
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March 09, 2005
■ ただ今、『論座』に寄せる原稿の執筆が佳境に入ったところである。当ブログで雪斎の「与太話」を期待されている方々には、暫時、新エントリーをお持ち頂きたい。
ところで、『夢芝居』(作詞・作曲/小椋佳)は、雪斎も好きな歌である。
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March 04, 2005
■ 昨日まで、原稿料談議を披露したけれども、実際には、依頼された原稿を片付ける他はない。一昨日、昨日で産経新聞に寄稿する書評原稿、雑誌『正論』から急遽依頼された原稿を片付ける。そして、反転して、雑誌『論座』に寄稿する原稿に再び取り掛かる。『論座』には二ヵ月、連続で載せることになる。かくして、来月には『正論』『中央公論』『論座』に同時に原稿を載せるjことになる。
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March 03, 2005
■ 昨日のエントリーを次のように締めくくった。
その藤さんの劇中の肩書きは、「大学教授・文芸評論家」である。今、雪斎も社会的には似たような肩書きを付けて活動している手前、この映画の設定を思い起こすに付け、「当時の大学教授・文芸評論家というのは、高級クラブに通えるぐらいカネを儲けていたのか…」という素朴に思う。学者・知識人などというのは、今では「カネ」にならない商売の典型である。誠に残念な現実ではある。
何故、こういうことになるのであろうか。
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March 02, 2005
■ かんべえ殿のところのサイトでは、日本経済新聞に連載されている渡辺淳一氏の小説『愛の流刑地』が紹介されている。今では、「あいるけ」という新語が登場しているのだそうである。振り返れば、十年前、世が「失楽園ブーム」の最中にあった頃、「日経というクォリティ・ペーパーに、ああいうポルノもどきを載せるとは何事か…」と激怒した
友人がいた。その友人は、「俺は渡辺淳一を南高OBとは認めぬ」とも口走った。彼は、雪斎の北海道大学時代の同期にして札幌南高校出身、渡辺淳一氏の後輩に当たる。品行方正を絵に描いたような男だった。
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February 24, 2005
■ 昨日夕刻、フジサンケイグループ主催の「第20回正論大賞」「第5回正論新風賞」贈賞式に出席する。此度の贈賞式は、「戦時色」を強く感じさせるものであった。雪斎が四年前に「第一回正論新風賞」のタイトル・ホルダーとなった折の贈賞式には、フジテレビの日枝久会長やニッポン放送の亀淵昭信社長がプレゼンターとして登場し、フジサンケイグループ総出の式典運営を実感させたものであったけれども、昨日は、そうした光景はなかった。同じ刻限に、日枝会長と亀淵社長は、ライブドアへの「逆襲」会見を行っていたのである。
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February 21, 2005
■ 本日、多忙となる予定に付き、まともな記事は用意できません。悪しからず、御諒承の程を。
■ 本日の関心事項は、ただ一つだけ挙げるとすれば、「ライブドアの株はどこまで落ちるか」である。
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February 18, 2005
■ 昨日、産経新聞常務取締役・論説委員長Y氏の名前で雪斎宛に奇妙jな封書が届く。同封されていたのは、雑誌『AERA』に掲載されたライブドア・堀江貴文氏、即ちホリエモンさんののインタビュー記事のコピーであった。Y氏の口上書の文面から察するに、同様の封書は、雪斎の他にも産経新聞「正論」欄に寄稿を委嘱されている総ての知識層に送付されたようである。雪斎は、「表向き対ライブドア批判の前線に出ていなかった産経新聞も、遂に参戦か…」と思った。
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February 16, 2005
■ 一昨日の当ブログでは、ライブドアの堀江貴文氏、「ホリエモン」さんのことに言及した。ホリエモンさんが資金の調達した「転換社債」は、正確には「下方修正条件付転換社債」と呼び、自社の株価が下がれば下がるほど「自分の首を絞める」結果を招くものなのだそうである。一昨日と昨日、ライブドアの株価は、それぞれ9%、10%と続落した。かなり、やばい状況になっているのではなかろうか。
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February 14, 2005
■ 土曜、日曜の二日間で原稿を二件、片付ける。一件は、『産経新聞』「正論」欄に寄稿するものであり、もう一件は、『論座』(朝日新聞)に寄稿するものである。「正論」欄に書いたものの中身は、かなり微妙なものである。これが実際に載るかは、産経新聞の判断次第である。雪斎も、時々、「ビーン・ボール」を投げることがある。「人間が出来上がっていない」証拠である。
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February 11, 2005
■ 昨日の経済関連記事の筆頭は、三井住友FGと大和證券の経営統合の話である。三井住友FGの株式ホルダ―である雪斎にとっては、「悪くないニュース」であった。ジョン・メイナード・ケインズは、朝、起床後の一時間を「株式売買」に当てていたそうである。国際情勢分析も、自分の「具体的な利益」を背負ってやらないと、本気になれないとことろがある。このことは、実際のビジネスの世界に身を置く人々にとっては、当たり前なのだろうけれども、「象牙の塔」の住人にとっては、決して当たり前ではない。ケインズは、経済学者、投資家、官僚、劇場のオーガナイザーという多面的な顔を持っていた人物であったけれども、雪斎は、そうした「知識人」像には強い憧れを抱いている。
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January 30, 2005
■ 昨日、雪斎の誕生日の様子。こんな感じで過ぎていきました。
1、「食」の一日
① 昼食・「尾道ラーメン」
: 旨かった。だが、雪斎にとっての一番は「札幌ラーメン」である。尾道の皆さん、御免。
② 夕食・神戸「森谷商店」製神戸ビーフ
: 雪斎の姉貴筋、S・Nさんからの進呈物。「ま、まひうー」(何故、「い」ではなく「ひ」なのかを想像して下さい)。もう何もいうまい…。
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January 29, 2005
■ 雪斎は、今日、齢四十を迎えた。生まれてから、この方、色々と「制約」の多い道程を歩んできた。それでも、何とか生きてきた。偶々、浦雅春著『チェーホフ』(岩波新書)を読む。チェーホフは、雪斎に先立つこと百五年前の同じ日に生まれた。年譜を見ると、四十歳で『三人姉妹』を執筆、四十一歳で結婚、四十二歳で『桜の園』を執筆、四十四歳で死去とある。チェーホフは、齢四十前後の数年間に、後世に残る文学作品を創り上げた。雪斎は、後世に何を残せるのであろうかと考えてみる。これを考えると、古賢が語ったように、「四十にして惑わず」とは行かない。ただし、方向性は見えている。因みに、雪斎から九十九年前の同じ日に生まれたロマン・ロランにとっては、かの大河小説『ジャン・クリストフ』の執筆は、三十八歳から四十六歳までの仕事であった。雪斎もまた、再び「怒涛の勢い」を思い出して、事に当たりたいものである。
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January 27, 2005
■ たまには、「政治」で遊んでみよう。
1、l「政治家占い」
http://interior-market.kir.jp/seijika/
雪斎の結果は、「小泉純一郎」だそうだ。まぁ、いいか…。
2、「21世紀禁断の総理大臣占い」
http://www.jimin-young.com/new/t00.php3
雪斎の結果は、「貴方が総理大臣になったとしたら 『21世紀の日本を平和にする総理』になるでしょう」、 「あなたが総理になった場合の内閣支持率は 68%」だそうだ。この占いを運用しているのは、自民党愛知県連青年部。森喜朗総理時代に「割合、笑えるテレビ・コマーシャル」を製作した宮城県連も、そうであったけれども、民主党の勢力が強い県の自民党は、色々と「けったいなこと」」をやっている。もっと「けったいな」企画を見たいものである。
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January 24, 2005
■ 言論家に「禁忌」というものは、あるのだろうか。前に書いたように、「文章全体のプロポーションの悪いものは書きたくない」というのは、雪斎の「美学」の範疇に属するものであるけれども、それ自体は「禁忌」とはいえない。
言論家として駆け出しの頃、言論家・雪斎の「育ての親」とも呼ぶべき編集者M氏から、「手を染めてはいけないこと」として次のような点を示されたことがある。
1、特定の「個人」を名指しして批判してはいけない。
2、「運動」に関わりを持ってはならない。
当初、これが何を意味するのかについては、雪斎には明確には判らないところがあった。けれども、暫くしてから、この教示の正しさを実感する機会が、度々あった。確かに、この二つの「禁忌」を破った論客の言論の「質」は、決定的に低下するのである。
第一に、個人を名指しして行った批判は、その人々の「意見」を批判したものなのか「人格」を批判したものかが、曖昧なものになる。厳格な作法に基づいた学術上の批判と反批判の応酬ならばともかくとして、狭い意味での論壇においては、個人名を挙げた批判は、たんなる「噛み付き」の類に終わることが多い。そのような「噛み付き」の類の批判を、「辛口評論」などと呼んで黙認し、あるいは煽ったりさえしているのが、一部のメディアの姿である。ある言論(テーゼ)から高次の発展した言論(ジン・テーゼ)を生み出さないようでは、批判(アンチ・テーゼ)も「アンチ・テーゼ」の価値を持たない。けれども、実際には、ジン・テーゼを生み出すことのない「噛み付き」の類の批判が、至るところにはびこっている。そうした言論は、言論家にとっては、「噛み付き」によって何事かを語っているように錯覚させている点において、「安直」としか形容できないものなのである。
第二に、言論家は、一旦、諸々の「運動」の渦中に巻き込まれれば、その「運動」の論理でしか物事を語ることが出来なくなる。「運動」は、本来は多様な人々の「力」を一つの方向に誘導するのを第一の目的としたものであるから、そこで用いられるのが定型的、紋切り型の言葉であるのは、当然のことである。たとえは、邦人拉致問題でいえは、拉致被害者家族やそれを支援する活動家から、「とにかく経済制裁を発動せよ」というこ定型的な言葉しか出て来ないのは、「運動」の特質上、何の不思議もないことである。ただし、言論家は、多様な可能性を考慮しなければならない。にもかかわらず、このような「運動」の論理に寄り掛かって、「とにかく制裁を」などと鼓吹する言論家は、決して少なくない。そうした言論家は、その「運動」の論理に相反する議論を初めから受け付けないという姿勢を示し、その言論の「視野狭窄」を来たすことがある。雪斎は、「右」であれ「左」であれ、言論家の真贋を見分ける一つの方法は、その人物が「運動」にどこまで深く入れ込んでいるかを見ることだと思っている。その点、伊豆見元先生が『中央公論』今月号に載せた論稿「北朝鮮への真の圧力は何か―国際的制裁の道を閉ざすな」は、拉致被害者支援「運動」に関わっている人々には有り難くないものであるかもしれないけれども、こうした論稿を世に問うことにこそ、言論家、広い意味での知識人の責務があるわけである。
上の二つの「禁忌」を破ることが言論家にもたらすのは、「安直」と「視野狭窄」である。そのような「安直」や「視野狭窄」に身を委ねるのは、少なくない言論家にとっては、おそらく「快」である。しかし、そのような「快」の先にあるのは、途方もない「堕落」なのである。
■ 下掲の論稿は、昨日付『産経新聞』「正論」欄に載ったものである。「正論」欄に最初の原稿を載せたのは、1997年2月のことであった、以降、月に一度のペースで書こうと思い立ち、書き続けた結果、昨年夏には通算百編の大台に達した。下掲の原稿は通算105編目の原稿になる。
■ 復興支援に望まれる「少しの配慮」
インドネシア・スマトラ島沖を震源として発生した巨大地震は、特にインド洋東海域に甚大な津波被害を及ぼし、二十二万人を超える人々の生命を奪った。この震災への我が国政府の初期対応は、災害救助・医療チームや自衛隊部隊の急派、五億ドルの資金拠出表明といったように、迅速にして適切なものであった。感染症の拡大が懸念されるように、被災した国々の状況は決して良くないようであるけれども、震災救援の初期対応には万全を期さなければならないし、それを最前線で担っている人々の労苦は、多とされるべきであろう。
ただし、このような初期対応が一段落し、中長期的な復興の展望を始めた折には、我が国もまた、「何を、どの程度まで手掛けるか」を冷静に見極めなければなるまい。過去十数年、我が国は、露骨な言葉を使えば「他人の不幸」に便乗する形で対外関与の余地を拡げてきた。我が国が現在の国力を維持する限りは、海外での「他人の不幸」に際して資金提供や人材派遣を要請される局面は、増えこそすれ減ることはないのであろう。しかし、その一方で、我が国にも、資金提供や人材派遣といった支援を無限に続けるわけにもいかないという事情がある。我が国の人々は、このような支援が国益上、何を狙ったものであるかを諒解する必要がある。その際の基本方針として相応しいのが、他国の人々の「共感」の獲得である。
因みに、外務省ウェブ・サイト上に公開されている「在サマーワ連絡事務所より サマーワ『キャプテン翼』大作戦-給水車が配る夢と希望-」という手記は、復興支援の文脈で考慮されるべき「共感」の獲得の意味を焙り出していて、誠に興味深い。この手記によれば、外務省は、昨年十月二十二日に陸上自衛隊部隊が展開するイラク南部ムサンナ州水道局に対して、 無償資金協力で給水車二十六台を贈呈していたのであるけれども、その給水車には、サッカー・アニメーション『キャプテン翼』のステッカーが貼られていたのだそうである。『キャプテン翼』は、中東地域ではアラビア語の吹き替えで放送され、子供たちには「キャプテン・マージド」として人気を博しているのだそうである。イラクは、サッカーが盛んな国柄であるから、そのようなサッカー・アニメーションが受け容れられる素地は、以前から出来上がっていたといえる。このような事情に着目した「少しの配慮」は、我が国がイラク復興支援の作業を進める際には、大事なものである。というのも、それは、現地の人々の「共感」を着実に積み重ねるものであるからである。筆者は、このアイディアを思い付いた外務官僚E氏は明らかに「いい仕事」をしたと思う。
我が国は、イラク復興支援が依然として成らざる段階で、インド洋諸国復興にも乗り出さなければならないけれども、その際にも、この「少しの配慮」の意義は、重いものとなろう。そして、それ故にこそ、我が国が様々な対外支援を展開していく上では、このような「少しの配慮」を着実に示していくための条件を用意することが、切実に求められよう。前に触れた「『キャプテン翼』大作戦」の場合には、「少しの配慮」は、外務官僚E氏の着想に負うところが大きかったけれども、他の場合においても、そのような「個人の着想」に多くを期待するわけにはいかない。支援を仰ぎたい人々にとって本当に有り難く感じる「少しの配慮」を紡ぎ出す作業は、一人一人の個人の着想に委ねるには、余りにも複雑なものであるからである。具体的に模索されるべきは、外務省や自衛隊を初めとする政府機関から、諸外国との交流に携わる各種NGO、日本国内に居住する外国人留学生やアカデミズムの世界の人々に至るまで、様々な人々の知見を様々な事態に即して役立てるための「知の銀行」と呼ぶべきものを普段から構築して置くことであろう。このような「知の銀行」の構築は、我が国の資金に裏付けられるならば、人類全体に対する実質的な貢献となろう。
災害に際しての資金提供や人材派遣に比べれば、「知の銀行」の構築は、明らかに「目立たない」作業であろう。しかし。このような「目立たない」作業こそ、手掛けるべき価値のあるものなのではなかろうか。
『産経新聞』(二〇〇五年一月二十三日付)掲載
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January 21, 2005
■ 昨日に提出するはずであった『中央公論』来月号の「時評2005」原稿が、午前中に脱稿する。四百字詰原稿用紙四枚半という分量の文章を書くのは、塑造作業にだいぶ、似ている。「ここに粘土を貼り付けて…、削って…。また貼って…、削って…」の連続である。文筆をコンピュータのディスプレイの上で行うようになると、この「貼った削った」の作業が簡単にはなったけれども、際限なく続くようなものにもなった。というのも、千八百字という紙幅の中では、一つの事柄を突き詰めて書こうとすると、途端に文章全体のプロポーションが崩れてしまうからである。雪斎は、「冒頭だけが詳しく結論は淡白に終わる」というようなプロポーションの悪い文章を書きたくない。エリック・ホッファーも、「平衡感覚(sense of proportion)がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらくは道徳的誠実さもありない」という言葉を残しているではないか。雪斎にとっては、「全体のプロポーションを崩さずに、論ずべきところは意を尽くして論じている文章」が、「いい文章」である。ただし、そのような「いい文章」を書くのは、何時も難しい。
因みに、話は変わるけれども、美女の絶妙のプロポーションとされているのが、かのマリリン・モンローの 「B90、W61、H90」だそうである。これに引き寄せて考えれば、「いい文章」は、「美しい文章」でもある。雪斎も、精進して「美」を創造せねばと思う。
■ 未明、ジョージ・W・ブッシュの二期目の大統領就任演説をNHK総合で視聴する。この件に関する所感は、あらためて書くことにしよう。
ただし、どうしても触れておかなければならないのは、「コリン・パウエルの涙」である。『読売新聞』記事は、「パウエル国務長官、涙の退任演説…成果と無念が交錯」という見出しで次のように伝えている。
【ワシントン=菱沼隆雄】第2期ブッシュ米政権の発足を翌日に控えた19日、パウエル国務長官は国務省で退任演説を行い、同省の職員らに別れを告げた。
対テロ戦の成果や中露との関係改善など4年間の外交成果を次々にあげていくなかで、欧州の同盟国の反対を振り切る形で踏み切った対イラク戦については、「独裁政権を打倒した」と簡単に触れただけ。国際協調を重視したブッシュ政権を代表する穏健派の告別の辞は、成果を誇るだけでなく無念の思いをもにじませたものとなった。
退任演説の行われた国務省正面玄関ロビーには、同省高官から食堂従業員まで長官との別れを惜しむ数百人が集まった。「私は40年の公僕としての生活に幕を下ろす」。演説が終盤にさしかかるとパウエル長官は涙で声を詰まらせた。
ブッシュ政権内では、強硬派のラムズフェルド国防長官やチェイニー副大統領とイラク問題や北朝鮮の核問題への対応をめぐってことごとく対立。統合参謀本部議長を含め、35年が軍隊生活で戦争の惨禍を知るパウエル長官は、戦争という選択肢にはギリギリまで反対した。
バウチャー報道官によると、退任演説後、執務室に戻った長官が、電話で退任挨拶をしたのが、イラク開戦反対の急先ぽうだった仏独露の3外相。「最後まで同盟国との関係改善を願う長官らしい去り際」(同省高官)との声もあった。
『朝日新聞』記事は、同じ光景を次のように伝えている。
パウエル米国務長官は19日、国務省職員たちを前に離任のあいさつをした。その中で「辛抱強い外交」が4年間に多くの成果を上げたと強調、在任中の成果を誇った。職員たちには「私の兵士だった」と呼びかけ、元軍人らしい表現で労をねぎらった。「長官」ではなく「将軍」と呼ばれることもあったパウエル氏らしい別れの辞となった。
パウエル長官は、4年間に「誇るべきものが多い」として、北大西洋条約機構(NATO)の拡大、ロシアとの戦略攻撃戦力削減条約の締結、中国との関係改善、インド・パキスタン関係の修復、アジアの同盟諸国との関係強化などを挙げた。
その際、ロシアや中国とは時間をかけて協議して問題を解決に導いたと指摘。「辛抱強い外交」が功を奏したと述べた。また、アフガニスタンとイラクから独裁政権を駆逐したと「対テロ戦」の成果を強調。ただし、両国の民主化は「難しい仕事」と認めた。
長官は米国の外交官を「米国の価値観の配達人」と呼び、「説教をしたり押しつけたりするのではなく、民主主義が人々により良い生活をもたらすのだと示すことが君たちの任務だ」と明言した。先制攻撃も辞さないブッシュ・ドクトリンや国連軽視の単独行動主義よりも国際協調路線を重視する姿勢が目立った長官らしく、米国人外交官たちの活躍で中東をはじめとする諸地域に民主主義が根づくことへの期待を込めた。
最後は声を少し詰まらせながら「私は兵士であり続ける。陸軍に35年も勤めて、もう兵士ではないなんて言えない」。話し終えると左手の人さし指でサッと涙をぬぐった。
このパウエルの様子は、実に「浪花節」的である。以前、『溜池通信』では、日本、米国、英国は、「浪花節」の感覚を共有する国民だという指摘が、為されたことがあったけれども、「パウエルの涙」は、そのような指摘を思い起させてくれるものであった。
パウエルの足跡に関して大事なことは、「戦争の現実を知る生粋の軍人であるが故に、平和主義的である」ということの意味を特に日本の人々に知らしめたことであろう。日本では相変わらず「戦争は軍人が始める」と考えている人々が多い。しかし、実際には、戦争を始めるのは、何らかの国民的な不満を代弁する知識人であり、それを煽るメディアであり、それを利用しようとする政治家である。現在の自衛隊でも、特に指揮官級の人々は、自らを統制する「政治」の側に対して、部隊の運用に際して慎重にして常識的な判断を求めている。民主主義国家の武官とは、そのようなものなのである。
そして、雪斎は、極東の同盟国の片隅から、去り行く「老兵」の労を称えたい。
「将軍、長年の御職務、誠に御苦労様でした…。私は貴官のファンでした」。
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January 18, 2005
■ 昨年末、アンソニー・サンプソンが逝去した。『毎日新聞』に載った訃報は、次の通りである。
アンソニー・サンプソンさん(英作家、ジャーナリスト).。英インディペンデント紙によると、18日夜、英国内の自宅で死去、78歳。南アフリカ通信は死因は心臓発作と伝えた。
1926年、英ダラム州生まれ。オックスフォード大を卒業後、51年に南アフリカに渡り、週刊誌の編集者になり、反アパルトヘイト(人種隔離)活動家のマンデラ氏(後に南ア大統領)らと親交を結んだ。
55年からは英オブザーバー紙などに勤務し、幅広いテーマで執筆。国際石油資本を取材した「セブン・シスターズ」(75年)、国際的な武器取引の内幕を描いた「兵器市場」(77年)などが代表作。マンデラ氏から執筆依頼された同氏の伝記は99年に出版された。
晩年は週1回、インディペンデント紙のコラムを執筆。イラク戦争前にはロンドンでの反戦の大デモ行進に参加した。
(共同)
毎日新聞 2004年12月20日 12時12分
雪斎は、大学院生時代、サンプソンの著作を熱心に読んでいた。中でも印象深かったのは、次の四作である。
1、The Seven Sisters: the Great Oil Companies and the World They Made.
2、The Arms Bazaar: From Lebanon to Lockheed
3、Black and Gold
4、The Midas Touch: Understanding thBlack and Golde Dynamic New Money Societies Around Us
これらの著書に絡むキー・ワードは、「石油」、「武器」、「ゴールド」、「マネー」である。①は、エッソ、ガルフやモービルといった「国際石油資本」七社の話、②は、アドナン・カショーギのような武器商人が暗躍する「兵器市場」の話。③は、南アフリカにおける「アパルトヘイト」と「金鉱産業」の話。④は、「人間」と「マネー」の話である。
サンプソンを読み始めた当初、「なんでぇ、落合信彦は、これの二番煎じかよ…」と思った。それは、ともかくとして、こういう書は、国際政治の「裏」で動くものに対する感覚を養ってくれた。「石油」、「武器」、「ゴールド」、「マネー」は、それを手掛けた人々に対して、巨大な利得をもたらし。その利得の巨大さ故に、それを手掛ける人々の「欲望」は、それぞれの国々の政治の動向も左右することがある。田中角栄が逮捕されたロッキード事件にしても、②に描き出された「兵器市場」の様子に触れてみれば、たんなる「贈収賄」という域に止まらない底の深さが感じられる。「政治」に関して何も驚くことはないと教えてくれたのが、この一連の著作であった。
ところで、今、読み始めたのが、米国で投資顧問会社を経営するピーター・バーンスタインの著書『ゴールドー金と人間の文明史』である。いやはや、アングロ・サクソン系&ユダヤ系は、やることが壮大ですな。「歴史」と「経済」の知識が融合した話に触れるのは、なかなか楽しいものがある。吉田茂の「商人的国際政治観」に影響を受けた雪斎は、この世界が好きなようである。
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January 17, 2005
■ 十年前、神戸で震災が起こった朝、雪斎は、たまたま六時過ぎに布団に入ったままテレビのスイッチをつけた。ブラウン管に映し出しだされたのは、炎上最中の神戸の市街地であったけれども、「コーベ」という地名が繰り返されるのを聞き、「コーベ…ねぇ。カフカスにコーベなんて街があったかな…」と反応した。雪斎は、元来、低血圧気味なので、寝起きが非常に悪い。その時も、雪斎は、完全に寝呆けた状態で、炎上する街の風景が、「神戸」のものではなく「内戦の最中にあったカフカスのどこかの街」のものだと感じた。それほどまでに、「神戸」と「災害」とは、雪斎の頭の中では、結び付かなかったのである。因みに、雪斎は、青森・八戸に育った。『ご当地の踏み絵・青森人編』というサイトにも、「震度5程度ではうろたえない」というチェック項目があるように、雪斎にも、震度4、5程度の地震は、来ても当たり前という感覚がある。「青森県の地震」という弘前大学のウェブ・ページによると、戦後に限っても、八戸周辺は、マグニチュード7レベルの地震に四度、見舞われている。特に、「1968年十勝沖地震」のことは、物心が付いてからも繰り返し聞かされた。もし、八戸周辺で震度6程度を観測する地震が起こったと聞けば、「えっ、またかよ…」と思ったかもしれない。だからこそ、「神戸」と「地震」が結び付いた折には、「なんで??」と思ったのである。
当時、雪斎は、「永田町」の住人だった。震災当日の永田町の雰囲気は、意外と静かだったと記憶している。午前中、刻々と送られて来る中継映像を見ながら、「あと二、三時間、発生が遅かったら、もっと酷いことになっている…」という今にして思えば驚くほどに冷静な議論をしていた。ところが、段々、時間が経って来ると、「自衛隊は動かないのか…」、「村山さんは何をしているのか…」という想いが募ってくる。村山総理が記者会見に臨んだのは、震災発生から十時間後の午後四時、兵庫県知事が自衛隊に災害派遣を要請したのは、夜になってからのことである。しかも、その夜に、ニュース・キャスターが「一般車両の神戸への往来は控えてください」と呼び掛けていたのは、仰天しつつ、完全に堪忍袋の緒が切れた。「馬鹿野郎、まだ通行禁止命令ぐらい出ていないのかよ…」とブラウン管に向けて罵声を浴びせた。雪斎は、野党議員の秘書だったけれども、そういう政治的な立場はともかくとして、「村山は最悪だ…」と思った。雪斎は、今でも、村山富市内閣に「日本における統治の質」が「底値」を付けたと思っている。
特に国際政治学者は、「他人の不幸」を題材にして物事を考えているところがある。雪斎は、震災の年の秋に、阪神大震災と二ヶ月後の東京地下鉄サリン・テロ事件が焙り出した「日本の不備」を論じた原稿を書き、その原稿によって言論家として離陸した。戦後、営々として築いた「豊かな生活」も「安全が確保されていなければ画餅に過ぎず、その「安全」を具体的に確保する方策を模索しなければならない。この雪斎の持論は、十年前に書いた原稿以来、何ら変わっていない。「国家の役割は、災害などの必要なときに必要なことができるということである」。雪斎の国家認識の第一は、このことである。
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January 15, 2005
■ この数日、政界とメディアの世界を巻き込んだ騒動になっているのが、「NHK番組改変問題」である。事の真偽に対する判断は保留するとしても、一時期は「永田町」の住人だった雪斎の立場から、次のような話は書きとめておく必要がある。こういう「脚本」を考えてみよう。
□ 永田町の午後
場所 / 永田町・議員会館内○代議士事務所、NHK局内
登場人物/ 【雪】=雪斎、【代】=〇代議士、【幹】=NHK幹部、【総】=NHK教養系番組総括プロデューサー、【番】=NHK番組『歴史法廷』担当ププロデューサー
〇 第一幕/ 永田町・議員会館内○代議士事務所
【幹】 こんにちは。本日は、私どもNHKの予算と事業計画についてご説明に上がりました。
【代】 やぁ、ご苦労さん。早速、始めてくれ給え。
… NHK側の説明が続く。
【幹】 …ということでございます。〇先生には、ご理解を賜りたく…。
【代】 判った。ところで、今度の「大河」は、評判が良いみたいだね。
【幹】 おかげさまで、主演の〇〇さんの演技が評判です。
【代】 〇〇か。親父さんの演技も凄かった。いい役者になったのだな。ところで、「変な番組」もあったそうだね。
【幹】 「変な番組」…ですか。何でしょう。
【代】 そこに居る雪斎が話していたのだよ…。雪斎君、説明し給え。
【雪】 ご苦労さまです。雪斎です。三日前の夜に放映された『歴史法廷』という番組ですが、かなり公平中立を旨とするNHKにはそぐわない内容であったのではないでしょうか。あの番組を放映する折に、局内で揉めませんでしたか…。あれは、うっかりすると、特定の政治的主張のプロパガンダですよ…。
【幹】 雪斎さんのご意見は、担当の者にも伝えることにしましょう。
【雪】 いやいや。これは一視聴者としての感想ですよ。
〇 第二幕/ NHK某所
【幹】 自民党〇先生のところに行ってきたよ。予算も事業計画も問題ないし、今度の「大河」の評判もご存知のようだった。
【総】 それは、良かったですね、
【幹】 ただね…。
【総】 ただ…?
【幹】 『歴史法廷』は、〇先生のところでも話に出てきたよ。あそこの雪斎さんという秘書が、結構、厳しいことを言っていたよ。「特定の政治的主張のプロパガンダじゃないのか」とか何とかってね。
【総】 そうですか・・・。
…そして、別の部屋。
【総】 【幹】から聞いたのだけど、『歴史法廷』は不味かったかな。自民党の〇議員のところからは、「プロパガンダだ」とクレームが付いたみたいだし…。次は、この手のものは止めた方がいいのではないかな…。
【番】 何を言っているのですか。これは、「政治」の圧力ではないのですか…。
もちろん、これは、フィクションである。ただし、ただし、雪斎は、これに近いことは、永田町では日常的に行われていることを知っている。永田町での政治家の仕事の中身は、結局のところは、他人に対する「働き掛け」に他ならない。その「働き掛け」は、職務権限に基づく「命令」ならばともかくとして、それ以外の場合には、「圧力」なのか「要望」なのか「意見表明」なのかが、曖昧であることが多い。総ては、「働きかけ」を受けた人々の感じ方次第なのである。「圧力」を告白したNHKプロデューサーにしても、問題は、彼が「圧力」と感じたが故に「圧力」だったということに過ぎないかもしれないのである。
今回の一件では、安倍晋三、中川昭一、中川秀直の各氏が、ドキュメンタリー番組の改変に「圧力」を加えたと伝えられている。雪斎にとって腑に落ちないのは、これらの各氏は問題となった番組を見ていたのかということである。連日、夜十時過ぎまで会合に加わったりしているのが政治家の日常であれば、これらの各氏が件の番組を見るほどに暇であったとは思われない。雪斎が前に示した「脚本」のように、、誰かから番組についての話を聞き、何かの話の序でに触れてみたというのが、実相なのではなかろうか。
このように「伝聞」と「伝聞」で始まった話が大事(おおごと)になって、我が国の政治家の時間と精力が浪費される。おかしな話である。
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January 14, 2005
■ 昨日、記した「48時間耐久レース」は、午前二時頃に襲ってきた睡魔には勝てず、遂に「リタイア」と相成る。起床後、寝間着に綿入れを羽織っただけの姿で、執筆を再開し、午前十時頃、原稿を提出する。担当のM氏からは、一部の加筆を要請された他は、問題なしとの連絡が入る。それにしても、雪斎も、確かに年を取っている。「72時間耐久レース」などをやっていたのも、今となっては昔のことか…。
■ 『溜池通信』最新号では、「ペリー来航後、19世紀後半の米国史については、日本人にはあまり詳しくない」という記述がある、名うてのアメリカ・ウォッチャーである「かんべえ」氏の見方は、正しい。さらにいえば、日本人は、独立戦争以後、南北戦争に至るまでの米国のことには、まるで知識がない。日本人にとっての米国とは、結局のところは、フランス革命との関連で語られることの多い独立戦争期の米国であり、自ら対峙することの多かった二十世紀以降の米国である。日本人の米国像は、独立戦争期の「自由の国」と二十世紀の「傲慢な大国」との間で分裂しているのである。
しかし、米国にも「弱かった時代」があったという事実は、日本人も理解しなければなるまい。1812年6月に始まる米英戦争では、米国は、英軍に攻め込まれ大統領官邸をも焼失させている。現在の米国国歌は、その戦争の最中、英軍の猛攻に晒された要塞が持ち堪えたのを見た作者が、その感激を詠じたものである。要するに、これは、「守りきった」ことに対する感慨の歌である。逆にいえば、「守りきった」ことに感慨を抱くほど、この時期の米国は、弱小の国であったのである。
『アメリカ太平記―歴史の転回点への旅1845』(佐伯泰樹著、中公叢書)という書がある。この書は、独立戦争から南北戦争に至る時期の米国の諸相を教えてくれる。こうした書に触れられていることは、米国を語る際には、きちんと踏まえられるべきかもしれない。日本の「反米」論客の多くは、実は思いつきで物事を語っているのである。因みに、雪斎が学生時代に課されたレポートの課題には、「19世紀のアメリカ外交を論ぜよ」というのがあった。今にして思えば、「19世紀の米国」に関心を向けさせてくれたという意味で、それは「いい課題」だったと思う。
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January 13, 2005
■ 物書きは、楽な商売ではないな。雪斎は、つくづく、そう思う。
昨日、原稿依頼が二件、入った。
一件目は、産経新聞「正論」欄担当のⅠ氏より。依頼の文面から、「何時まで、正月ボケしているのだよ…」と言われているような気がした。慌てて原稿を書き始めて、結局、脱稿したのが午前四時前。そのまま床に入ることもなく朝を迎え、今日は、大学で午前は授業、午後は教授会。無茶苦茶な一日となった。加えて、保有する製薬会社株は、今日時点で買値を割り込む。「売り時」を完全に誤ったが故の不始末である。オー・マイ・ゴッド。基督教徒でもない雪斎も、このように叫びたくなる。
二件目は、自民党機関紙「自由民主」担当のM氏より。聞くところによると、今月十八日の自民党党大会の席で、参会者に配布するのだそうである。いわば結党半世紀目の党大会の記念号に、雪斎の原稿が載るわけである。素晴らしい。これで、雪斎も「歴史の随伴者」になるのか。しかし、締切は、明日朝。久し振りの二日連続徹夜、「48時間耐久レース」になる。
「印税生活」に憧れている人々へ。これが「物書き」の現実である。くわばら、くわばら。
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January 12, 2005
雪斎は、昨年十月、 『中央公論』(2004年11月号)に「自衛隊は『共感を呼ぶ軍隊』である―海外活動で培った住民との信頼関係」 と題された論稿を発表した。「イラクに派遣された自衛隊部隊の役割は、イラクの人々の『共感』の獲得に他ならないと」いうのが、論稿の趣旨であった。
イラク復興支援の文脈では、面白い動きがあった。昨年十月二十二日に、外務省は陸上自衛隊が展開するイラク南部ムサンナ州水道局に対して、 無償資金協力で給水車二十六台を贈呈していたのであるけれども、その給水車には、サッカー・アニメーション『キャプテン翼』のステッカーが貼られていたのだそうである。『キャプテン翼』は、中東地域では アラビア語の吹き替えで放送され、子供たちには「キャプテン・マジード」として人気を博しているのだそうである。こういう仕掛けを作ったことによって、復興支援は、イラクの人々の「共感」の下で進めることができる。雪斎は、このアイディアを思いついた外務官僚は「いい仕事」をしたと思う。この件の顛末は、外務省サイト上に公開されている「在サマーワ連絡事務所より サマーワ『キャプテン翼』大作戦-給水車が配る夢と希望-」という手記が、詳しく教えている。雪斎は、つくづく「現場の人々」の努力は、大したものだと思う。
ところで、 「イラク」、「サッカー」と来れば、雪斎は、どうしても1994年ワールドカップ、アジア最終予選対イラク戦の際の「ドーハの悲劇」を思い出す。当時の日本代表チームは、雪斎と同世代のJリーグ草創期のプレーヤーが中心であり、彼らの「世界舞台」への挑戦を応援しただけに、あのロスタイムでの「イラクの同点ゴール」には思いっきり脱力した。失点の瞬間に、ピッチにへたり込んだ面々の表情は、名状し難いものがあった。そして、今、その「日本のサッカー」を表現したアニメーションが、イラクの子供たちに受け容れられている。日本の「ソフト・パワー」の質は、なかかなか高いものがあるといえよう。
もっとも、雪斎は、『キャプテン翼』を見たことがない。雪斎にとってのサッカー・アニメーションとは、何時までも『赤き血のイレブン』である。「男が目指す 敵ゴール~~♪ 」という主題歌の一節は、どうも耳にこびりついて離れない。雪斎は、この作品の結末がどうなっていたのかを長い間、知らなかったけれども、「主人公が日本初のプロ・サッカーチ-ムの結成を目指す」という結末なのだそうである。このアニメーションからJ・リーグ創設まで二十年の歳月が経っていたのか・・・。
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January 10, 2005
■ 昨日、NHK大河ドラマ『義経』が始まった。雪斎のような奥州人にとっては、身近なところに、義経にまつわる話が転がっている。
先ず、『義経』には、市川左団次演ずる「金売り吉次」が登場する。宮城・栗駒山麓 国道四号線沿い県最北端、県境を越えると岩手県一関市となるという位置に栗原郡金成町があるけれども、ここは、「金売り吉次」の故地とされている。雪斎の故地は、金成町の南隣の築館町である。幼少の頃、雪斎の母親が「ここは金売り吉次が通ったのよ…」と言っていたことがあった。歴史の知識を持たない幼少期には、「金売り吉次って、誰よ・・・」と思っていたのであるけれども、成長するにつれて、平安期には栗原郡一帯は砂金の産出」で賑わっていたらしいことを知った。要するに、栗原郡一帯では、「金売り吉次」は「豊かさ」と「政治力」を備えたヒーローであるという記憶が残っているのである。その故か、雪斎もまた、「ゴールド」には、心惹かれるものを感じている。だから、雪斎が保有する株式の相当数は、とある鉱山会社のものである。ここの会社で出している「千両箱」は凄いですな。雪斎は、これは正直に欲しいと思う。ただし、手に入れるまでには、もう少し頑張らねばな・・・。
次に、雪斎が高校まで過ごしたのは、青森・八戸市「高館」地区である。この「高館」という地名は、義経が実は平泉で死なずに北へ逃げていったという「義経北行伝説」に由来する。「高館」地区から市内に往来するとときには、「小田の坂」と呼ばれる急な坂道を通らなければならない。路面が凍結する冬場の往来は、なかなか大変なものであった。
このように幼少の頃から聞かされた「歴史の話」は、成長した後でも、価値観の多くを形作っているところがある。雪斎は、中学の頃、「教科書」に書かれてある歴史は、何時も足りないと思っていた。なるほど、「教科書」には「金売り吉次」のことはでてこないし、「義経伝説」も語られない。雪斎は、「歴史教科書」が完全に当てにできるものでもないと判った。
■ 雪斎は、三十年近く、NHK大河ドラマを見続けて来た。近年は、『北条時宗』『利家とまつ』『武蔵』といったように筋書きに明白な破綻を来たしている愚作が続いたのは、残念であったけれども、昨年の『新撰組!』は、よく出来た作品であったと思う。大河ドラマの効用は、「子供たちを歴史の世界に誘う」というのが第一であろう。本来ならば、父親や祖父が、子供や孫に「英雄伝説」を含む歴史物語を語り聞かせるべきなのであろうけれども、実際には、そうしたことができる人々は、決して多くない。大河ドラマは、そのような祖父や父親の代わりという役割を果たしているのである。雪斎は、大河ドラマで歴史好きになったお陰で、高校卒業までは広い意味での社会科が一番の得意科目であった。特に政治学徒にとっては、「歴史の素養」は、不可欠なものであるけれども、そうした素養の下地は、高校卒業までに確かに身に付けることが出来た。一旦、「歴史が面白い」という感覚が身に付けば、後はアメリカ史であろうとヨーロッパ史であろうと踏み込むのは、難しくないからである。近年、「歴史教科書」を巡る論争があるけれども、子供たちの関心を歴史に向けさせるためには、良質な歴史ドラマの持つ意義は大きい。NHKに対する逆風は強いものがあるけれども、大河ドラマのような長丁場の歴史ドラマは、NHKしか作れないのも事実である。何はともあれ、大河ドラマは、貴重なのである。
ところで、雪斎が過去三十年の作品の中で最も強い印象を受けたものを五つ挙げるとすれば、次のようになるであろう。
1、『独眼竜政宗』( 昭和62年放送、原作/山岡荘八、出演/北大路欣也、岩下志麻、渡辺謙)
2、『黄金の日日』(昭和 53年放送、原作/城山三郎 出演/市川染五郎、丹波哲郎、栗原小巻)
3、『風と雲と虹と』(昭和 51年放送、 原作/海音寺潮五郎、出演/加藤剛、緒形拳、吉永小百合)
4、『獅子の時代』(昭和 55年放送、原作/山田太一、出演/菅原文太、加藤剛、鶴田浩二)
5、『武田信玄』(昭和 63年放送、原作/新田次郎、出演/中井貴一、若尾文子、紺野美沙子)
これらは、ある意味では総てが「敗北」と「挫折」の物語である。しかし、雪斎は、人々の心に深く残るのは、「勝利」と「栄光の物語よりも、「敗北」と「挫折」の物語であると思っている。
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January 08, 2005
■ 雪斎は、かなりのイギリス映画フリークである。中でも「人生」を感じさせてくれたのが、『日の名残り』(監督 ジェームズ・アイヴォリー、出演 アンソニー・ホプキンス、 エマ・トンプソン)であった。執事という「職務」に忠実である余りに、眼の前の「恋愛」を手にできなかった男の軌跡は、切ないことこの上ない。雪斎は、この映画を見るとき、小椋佳の『愛しき日々』の一節「きまじめすぎた まっすぐな愛 不器用者と 笑いますか もう少し 時が たお「」やかに過ぎたなら…」をも思い浮かべる。マルチェロ・マストロヤンニの『黒い瞳』とは別種の「男の切なさ」」の世界がl、そこにある。その一方、雪斎は、執事の「職務」における「品格」に強く心を惹かれた。雪斎は、男の種別としては、ホプキンス演じる執事に思い入れがある。
因みに、この執事が戦後に仕える米国人富豪を演じていたのが、昨年に逝去した「スーパーマン」こと、クリストファー・リーブであった。劇中のリーブは、「力はあるが、がさつ」」という米国そのものを表したような演技をしていた。この映画それ自体は、「人間関係の機微」を扱ったものであるが故に、この米国人富豪の「がさつさ」は、かなり目立った。この映画を監督したジェームズ・アイヴォリーは、米国人であるけれども、英国階級社会を扱った作品を多く手掛けている。米国人富豪の描き方は、アイヴォリーの皮肉であったのであろうか。
■ ところで、六年前、雪斎は下掲のような論稿を発表したことがある。日米関係を「貴族と「執事」の関係に見立て、日本は「執事」が有するような「政治手腕」や「調整能力」を身に付けよというのが、この論稿の趣旨であった。その後、「9・11」事件、イラク戦争を経て、米国に対する印象も、だいぶ揺れ動いた。小泉純一郎総理の対イラク開戦支持声明は、対米「追随」との批判を浴びた。下掲の論稿を発表し、「9・11」事件直後には対米連帯を訴え、イラク戦争に際しては対米支持を説いた雪斎の立場の論客は、「親米保守」と位置付けられ、「反米」論客からは罵倒に近い声が浴びせられた。しかし、雪斎のスタンスは、実際には六年前から何ら変わっていない。対米関係を考える上で大事なことは、米国が耳を貸すような言葉を、どのように発していくかということである。そのような言葉は、「反米」論客の中から出て来るはずはない。信を置いていない人物の言葉に真面目に耳を貸すなどといったことは、普通は、なかなかできない相談であるからである。
「執事国家」・日本の可能性
今期通常国会の焦点は、日米防衛新「ガイドライン」関連法案の審議である。現在、この法案審議を巡っては、昨年夏以来の北朝鮮情勢の緊迫化との関連で様々な議論が進められている。けれども、この法案は、本来は、冷戦終結後の国際環境の下、我が国が米国の同盟国として当然に行うべきことを不充分ながらも当然に行えるようにすることを目指したものであった。従って、今後、どのように北朝鮮情勢が推移しようとも、この法案自体は着実に成立させるべきものである。それは、たとえ当面の危機が回避されたとしても、棚上げにされて済むような政策課題ではないのである。
私は、一昨年八月二十五日付の本欄において、日米新「ガイドライン」策定の問い掛けるのが、「唯一の超大国」としての米国に対して、どのように同盟国としての我が国が向き合うかということの構想や論理に他ならないと指摘した。折しも、この数年の経済失速が、「第二の敗戦」、あるいは「マネー敗戦」という言辞ともに昭和二十年の「敗戦」の比喩で語られ、そのことに付随した「反米」、「嫌米」の気運が間違いなく拡がっているのであれば、われわれに大事なのは、覇権国家としての米国に対する自らの位置を規定する模索を続けることである。そして、従来のように、敗戦と占領の記憶に呪縛され、「属国意識」とでも呼ベるような卑屈さを表面に出したり、「反米」、「嫌米」の気運に浸ったりするが如き振る舞いは、そのような模索には何ら益するところはあるまい。
それでは、米国に対する我が国の自己規定の有り様とは、どのようなものであろうか。私は、率直にいえば、国際社会において、米国という覇権国家の「執事」の役目に徹することにこそ、我が国の今後を見たいと考えている。作家の塩野七生氏の説明によれば、ヨーロッパ世界における「執事」には、ただ単に「貴人に側近として仕え家政を仕切る」役割ではなく、「考え方の異なる人々の集合体の中で、調整を行い、その集合体を機能させる」役割があったとのことである。現在、われわれは、「執事」といえば英国上流社会の「執事」を思い浮かべるのが常であるけれども、そのことは、昔日の英国が様々な民族、宗教、文化を背景とする人々から成った「植民帝国」であったという事情と無縁ではない。
無論、「執事」とは、我が国では、馴染みがある種類の人々ではないかもしれない。しかし、武家における「家老」ということならば、我が国の多くの人々には、得心しやすいのではなかろうか。山本周五郎の傑作『樅ノ木は残った』に描かれているように、御家騒動に端を発した藩取り潰しの危機から仙台藩を救ったのは、仙台藩家老・原田甲斐である。原田甲斐にせよ、「忠臣蔵」の赤穂藩家老・大石内蔵助にせよ、我が国においては、一つの組織や集団の中で最も鋭敏な政治感覚や卓越した政治手腕が要請されてきたのは、「家老」、「番頭」である。古来、我が国には、「馬鹿殿様」はいたとしても、「馬鹿家老」はいないのである。われわれは、そのことを改めて想起すべきではなかろうか。
われわれは、米国に対しては、誇り高き「執事」、「家老」として振る舞うべきである。様々な民族、宗教、文化を背景とする国々の中で、洋の東西、あるいは先進産業諸国と発展途上諸国との間の関係を調整するという有り様は、我が国の国柄からしても、決して理に叶っていないとはいえない。「調整型」のリーダーシップとは、近年の我が国では余り評判の芳しいものではないけれども、我が国が国際社会で振る舞う際の流儀としては、誠に自然なものなのではなかろうか。そして、特に米国が様々な国際問題に際して一方的な対応に走りがちな国柄を持つ国であるだけに、われわれが、適正に「執事」、「家老」として振る舞えれば、その立場は殊の外、重いものになるであろうし、時には米国の対応に異を唱えたとしても、その異論は実を伴ったものとして受け止められるようになるであろう。
「日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東の要石であり続けなければならないのは、こうした理由によるのだ。要といっても、受動的ではなく能動的に発言する要石であり-しばしば英知を秘めた相談相手となり、われわれが導きを時には指導性さえ求めて対すベき要石であり続けなければならないのだ」
二十数年前、米国で「最後の賢人」と称される歴史学者、ジョージ・F・ケナンは、このように書いたことがある。米国の極東戦略にとって日本が「要石」であるというのは、既に常識に属する事柄であろう。しかしながら、われわれが留意すべきは、ケナンが期待した「要石」としての日本とは、米国に対しては、「能動的に発言し」、「英知を秘めた相談相手となり」、「導きと指導性を提示し得る」存在に他ならなかったということである。これは、間違いなく、「執事」、「家老」としての存在ではないであろうか。従来、我が国は、このケナンの期待に応えたとはいえない。そして、私は、我が国の国際社会における立場の浮沈は、このケナンの期待に本当に応えようとする意志を持ち、実際にそのように振る舞えるかということに掛かっていると考えている。われわれは、今後、どのような教訓や示唆を米国に示し得るであろうか。総ては、われわれ自身の問題である。
『産経新聞』「正論」欄(一九九九年二月八日付)掲載
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January 06, 2005
■ 雪斎は、以前、「新『南洋』戦略論」と題された論稿を発表したことがある。この論稿の趣旨は、昔日、「南洋」と呼ばれた太平洋島嶼諸国との提携を軸とした「海の外交」の展開を提唱するものであった。この論稿は、雪斎が初めて真正面から対外戦略を論じ、しかも相当の評価を得た「成功作」であったが故に、忘れ難いものとなっている。今、雪斎は、インド洋大津波災害を機に、「海の外交」論を読み返してみる、この論稿には、下のような一節がある。
加えて、このような安全保障上の「南洋」関与の前提として、我が国は、現行憲法典を改正し、海外に派遣し得る「海軍」を再建させた上で、「南洋」海域の巡視や哨戒を目的として、ヘリコプターや垂直離着陸機、あるいは水上輸送機を搭載した航空母艦の保有に踏み切るべきであろう。今後、我が国が保持すべき海軍とは、評論家にして麗澤大学教授である松本健一氏の言葉にある「テリトリー・ゲーム」の手段ではない。「テリトリー・ゲーム」の時代ならば、海軍とは、排他的な勢力圏を確保するための手段として使われるものであったかもしれないけれども、今後の海軍の役割は、海賊への対処、自由航行路の保全、海洋汚染の防止といったように、国際的な海事警察機能の一翼を担うことへと比重を移すであろう。その点でも、「テリトリー・ゲーム」の時代の海軍の有り様に思考を呪縛されることは、弊害が多いのである。
雪斎は、この空母保有の提案をだいぶ、びくびくしながら書いた記憶がある。しかし、今ならば、空母保有には、合理性が認められるのではなかろうか。日本は、此度の災害救援に九百人の自衛隊部隊を派遣するのだそうである。しかし、救援活動の実を挙げるためには、災害地に提供する物資だけではく、自衛隊部隊が消費する物資を万全に用意する必要があろうし、活動の恒常的な拠点も確保しておく必要がある。こういう用途には、空母はなかなか相応しい装備なのではないか。この際、米国海軍の退役空母を導入しても、いいのではないかと思う。
■ 雪斎は、三十歳代の最後の日々を過ごしているので、ここで誕生日ネタを一つ。雪斎の誕生日、1月29日には、史上、どのような人々が誕生しているのであろうか。「有名人誕生日データベース」というサイトで調べても判るとおり、その中には、アントン・チェーホフの名前が出てくる。
イタリア映画『黒い瞳』 (監督/ニキータ・ミハルコフ,、出演/マルチェロ・マストロヤンニ)は、チェーホフの『犬を連れた貴婦人』や他の作品に着想を得たものである。この映画のの「ツボ」は、何といってもマストロヤンニの演技だろう。特に映画の最終部で、ロシアに残した恋人の存在を妻に問われて、恋人への想いを断ち切るように「ない」と否定したときのマストロヤンニの背中の演技は、凄いものだと思った。物語前半のマストロヤンニの役柄が、「身勝手」「優柔不断」「情けない」を絵に描いたようなものであったために、この「背中が泣いている」演技は、強烈に印象に残っている。これを初めて観たとき、雪斎は学生であったけれども、「如何ともし難い人生のほろ苦さ」を教えてもらったと思っている。劇中のマストロヤンニは、貧乏学生から銀行家の娘と結婚して「逆・玉の輿」を実現させた男であったけれども、人生における「幸福」とは、そうしたことばかりにあるわけではないのであろう。
因みに、ジョージ・F・ケナンが来日し、案内役を務めた故・高坂正堯教授と懇談したときに、話題にしたのは、チェーホフの文学世界であったそうである。日米両国の現実主義者が談じ合った「チェーホフ」とは、どのようなものであったのであろうか。雪斎は、その辺りのことが気になって仕方がない。
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January 05, 2005
■ そろそろ「仕事」を始めなければならない。今年最初の題材になるのは、インド洋大津波災害に対する各国政府の対応である。こいう災害救助の折には、「人道」が前面に出るけれども、その裏では、各国による「影響力」拡大・行使の合戦が始まっている。ただし、この「影響力」行使合戦の目的は、被災諸国の人々の「共感」の獲得であるといっても差し支えない。、
梶原一騎原作の劇画『愛と誠』(昔、読みました。夏夕介・池上季実子によるテレビ・ドラマも見ました。西城秀樹・早乙女愛の映画は見ていない)の冒頭には、「愛は平和ではない。愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけで、それは、地上における最も激しい、苦しい、自らを捨ててかからねばならない、戦いである」というジャワハルラル・ネルーの言葉が付されている。異性の「愛」を得るのも他国の人々の「共感」を得るのも、本質的には何ら変わらない営みである。それは、「誠」を武器にした闘いである。日本政府の対応は、今のところ実に上手くやってると見るべきであろう。
果たして、一月三日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙には、”Aid effort shows limits of China's rising power”と題された論説が掲載されている。こういう論説が出てくること自体、中国の今後の道程の険しさを物語っているということであろうか。
■ 齢三十を以て「而立」、齢四十を以て「不惑」としたのは、数千年前の中国のことである。だから、フジ・サンケイ・グループに身を置く雪斎の「姉上」によると、今の日本では、人生設計は七掛けでやるのだそうである。これで行くと、「而立」は齢四十二、「不惑」は齢五十六、「古稀」は、齢九十八である。因みに「志学」が齢二十一である。ただ単に学校に通う云々ということではなく、社会人としての修練の出発点を齢二十一とすれば、社会人として然るべき責任と権限を有する「而立」が、齢四十二ということだろうか。この指標は確かに合っていると思う。雪斎も、二年後には政治学者として「而立」を果たしたいと思う、尚、雪斎は、一人っ子である。雪斎は、尊敬する年上の女性を「姉上」、「姉貴」と呼ぶことにしているので、何時の間にか「姉上」が増えてしまった。上の「姉上」も、そうした一人である。
■ 「かんべえ」殿のサイト『溜池通信』には「かんべえの不規則発言」というコーナーがある。そのコーナーの1月4日の欄で拙ブログを紹介して頂いた。「かんべえ」殿、ありがとうございます。精進します。ところで、「かんべえ」殿には、「名古屋嬢」に関する記事を紹介させて頂いた。こういう人種が登場しているとは・・・。「負け犬の遠吠え」論争に目を奪われて、こういうものに気付いていなかった・・・。「名古屋嬢」というのは、「パラサイト・シングル」の典型なのか。それとも、「勝ち犬」候補なのか。「名古屋の好況」が終わった後の「名古屋嬢」を見てみたい気がする。
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January 04, 2005
■ 雪斎が高校時代に読み漁ったのが、『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』といったロマン・ロランの作品であった。後年、雪斎の誕生日がロランと同じ(1月29日)であることを知ったときには、正直に嬉しかったものである。ロランには、次のような言葉がある。「理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である」。
雪斎は、自らを「保守主義者」であると語る気は毛頭、ないけれども、「現実主義者」であるとは思っている。ただし、それは、「現実」に際限なく追随するという意味での「現実追随主義」とは似て非なるものである。雪斎が依るような「現実主義」を「現実追随主義」と批判する人士は、「現実主義」が絶えず「現実」と「理想」の狭間で格闘する思考態度であるということを理解していない。そうした批判をする人々は、「左」にも「右」にも多いのである。
ところで、昨日付けの「日々の戯言」で言及した朝日新聞元旦社説では、「東アジア共同体」構想、「東シナ海海洋資源の日中共同管理」提案といった「理想」が語られている。その「理想」を受け容れるかはともかくとして、朝日社説が「理想」を語ったのは、評価に値する。ただし、朝日社説は、そのような「理想」を実現するための具体的な手順については、何も語っていない。朝日社説は、次のように書く。「孫文は1924年、神戸市で『大アジア主義』と題する演説をした。道徳を重んじる『王道』の東洋文化が『覇道』の西洋文化より勝るとして、アジアの独立と復興を訴えたのだ。日本が『覇道の番犬』となる恐れにクギを刺しつつ、東アジアの連携を求めたのである」。 しかし、現在、「覇道の権化」として振る舞っているのは、他ならぬ中国ではないのであろうか。朝日社説は、結果としては「覇道の権化」にならざるを得なかった戦前期・日本の軌跡を批判して止まないけれども、現下の中国の「覇道」には及び腰の批判しか加えていない。、「東アジア共同体」構想、「東シナ海海洋資源の日中共同管理」提案といった朝日社説の「理想」は、中国の「覇道」が改められることが前提となる、もし、雪斎が「親中国派」知識人の片割れであるならば、「覇道」の先にある苦難と破滅とを中国政府要人に説く。その破滅は、六十年前には日本が経験し、その後には英国やフランスが相次いで経験したものであるからである。そうした過程を欠落させて、「アジアの連帯」を模索するのは、奇異なことである。
ロランの大河小説『魅せられたる魂』には、次のような言葉もある。「英雄とは自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる」。これは、言論家としての信条というよりも、雪斎の人生を支えた言葉の一つである。「できることをし続ける」。それが現実主義者の「証明」である。
■ 何故か、「ゴダイゴ」のCDを久し振りに聴く。『ガンダーラ』と『銀河鉄道999』は、つくづく名曲ではないかと思う。それにしても、『ガンダーラ』がテーマ曲として使われたドラマ『西遊記』に三蔵法師役で出演していた故・夏目雅子は、美しかった…。色気付き始めたロー・ティーンの頃に得た「きれいなお姉さん」のイメージは、後々まで残るものである。後に夏目雅子が作家と結婚したと聞き、「物書きになれば、あんなにきれいなお姉さんを嫁さんにできるのか」と思って、物書きをやっているのは、雪斎の「ああ、勘違い」であったのか…。
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January 03, 2005
■ この数年、正月にやることといえば、大作映画を観るものと相場が決まっている。昨日深夜から今日未明に掛けては、ルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィッヒ・神々の黄昏』が放映されていた。ルキノ・ヴィスコンティは、中世にはミラノを支配し、ローマ教皇をも輩出した名門貴族の末裔であり、この作品は、ヴィスコンティらしい「退廃」「美」「絢爛」の作品である。雪斎は、こういう作品世界には強く惹かれるものを感じている。次は、あらためてヴィスコンティの傑作『ヴェニスに死す』を観なければと思っている。「ヨーロッパ」を理解するためには、これらは大事な作品であろうと思われる。
■ もう一つ正月恒例のことになったのが、全国紙六紙の「元旦社説」の読み比べである。今年のライン・アップは下の通りである。
『読売』「『脱戦後』国家戦略を構築せよ…対応を誤れば日本は衰退する」
『産経』「【主張】歴史の大きな流れに思う 保守に求められる創造的挑戦」
『朝日』「2005年の始まり――アジアに夢を追い求め」
『毎日』「戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう」
『日経』「戦後60年を超えて(1)――歴史に学び明智ある国際国家めざそう」
『東京』「年のはじめに考える この国にふさわしい道」
上の六社説の中で雪斎が「共感」を感じた度合いで格付けすると、Aが読売、日経、B+が毎日、B-が朝日、Cが産経、東京である。雪斎が産経社説にCを付けたのは、「年頭社説に『保守』云々と同人誌みたいなことを書くな」という想いがあるからである。雪斎は、巷では保守論客として目されているところがあるけれども、常々、「やあやあ、我こそは保守論客なり」といった面持ちで論陣を張る一部の論客には怪訝の眼差しを向けてきた。そうした論客の中には、「やあやあ、我こそは、真正の保守論客なり」と言い募る人々も出てくる。そのような傾向は、保守論壇における「自己愉悦」と「狭隘」を加速させているのである。産経社説は、自ら「保守主義者」などと自己規定するはずもない市井の人々には、誠に奇異なものであるだろう。この社説が保守論壇という内輪での納得を得るために書かれたものであるならばともかくとして、広く市井の人々に訴え掛けるために書かれたものであるならば、その用を為してはいまい。これは、保守論壇の「蛸壺」化を象徴するような代物である。雪斎は、東京社説にもCを付けたけれども、そこには、余りにも定型的な「平和主義」感情の発露が見られる。東京社説は、「武力を使わない新しい国際的な秩序づくり-日本にふさわしく、より現実的な役割ではないでしょうか。『戦後零年』に還(かえ)った元旦、あらためて思います」と締めくくっているけれども、それは、戦後六十年の時代の変化を真正面から見ていない議論であろう。戦後六十年が「戦後零年」に還ったという時代認識それ自体は、そのような思考停止を象徴的に示している。
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January 01, 2005
平成十七年の元旦を迎えた。大晦日の異例の「雪」から一転して、東京はうららかな晴天である。朝、雪斎宅のベランダから霊峰・富士を拝むことができた。今年一年が、このように穏やかな日和のように続くことを願いたいものである。
雪斎は、今年、齢四十を迎える。古来、「三十に而して立ち、四十にして惑わず」という。確かに、雪斎は、齢三十の折に言論家として立った。「四十にして惑わず」という境地に達することができるかには、甚だ自信がない。少なくとも、雪斎の四十歳代は、「後世に残せるものをきちんと造ることのできる十年」でありたいと願っている。
とjころで、雪斎は、昨年、株式投資を始めた。北岡伸一著『清沢冽』には、戦前期の外交評論の世界で名を成した清沢冽が有価証券を含む相当の資産を有していた事情が紹介されている、北岡伸一先生は、清沢について、「何時でも筆を断つという覚悟で言論に臨むためには、安定した経済基盤による担保が必要だった」という趣旨の説明をされていたと記憶している。雪斎は、清沢の姿勢に倣いたいと思った。雪斎も、世に阿って原稿を書き散らし結果として粗い議論をするようになるよりは、そうした余裕の上で緻密な言論を展開していたいものだと思っている。因みに、昨年の投資成績は、「損失は全然、出ていない」というものである。投資経験十ヵ月の雪斎にしては、それなりに良くやったと見るべきだろう。大きく儲けようという気は、さらさらないけれども、自分の「言論の質」を維持するためには、「焦って書くこともないという余裕」の拠り所を手にしておくことは大事だと思われる。雪斎が保有する株式の中心は、某「銀行」株である。大手銀行の不良債権処理が進んだこともあり、当面、この種の株式は、安心して持っていられるものと判断している。
雪斎の言論活動は、昨年までの『産経新聞』「正論」欄、『月刊自由民主』「論壇」欄に加え、昨年末から『中央公論』「時評2005」欄の執筆を主とすることになる。『中央公論』「時評2005」欄執筆開始の折には、色々な方面から祝意を表して頂いた。ありがたいことであった。特にS・K先生からは、ニューヨークから激励のメールを頂いた。曰く、「○○(雪斎の実名)を起用するとは、中央公論も、なかなかのことをやる…」とのことであった。S・K先生の期待を裏切ることのないように、きちんとしたものを書かなければならないと思っているところである。
拙ブログ『雪斎の随想録』もまた、折に触れて書くものになる。来訪された方には、「どうか、よしなに…」と申し上げたい。
さて、話は変わって、昨年末から今日までに読んだ書と見た映画の紹介。
1、この数日の一冊 / 『希望格差社会』(山田昌弘著、筑摩書房)
: 山田氏は実に「良い仕事」をされたと思う。ただし、具体的な処方箋が弱い気がする。
2、この数日の一作 / 『ラブソング』(出演/マギー・チャン、レオン・ライ)
: これぞ、「アジアの恋愛映画」というところか。いいものを見せてもらいました。
マギー・チャンは、いい女優ですね。
ところで、この映画を見ると、テレサ・テンの「存在」の大きさが判ります。
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December 23, 2004
ブログを開設しました。これから折々の政治事象に関して思いついたことを書き連ねていきます。
雪斎は、戦国時代、駿府今川家の軍師にして、幼少時の徳川家康も薫陶を受けた「太原雪斎」に因みました。
お時間があるときにでも、覗いて頂ければと思います。
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