政治学徒の関心を集める一つの要件は、「秩序」である。「無秩序な社会」における「秩序」の意味を考究する国際政治学の世界では、そのことは特に顕著であるといえる。それでは、個々の人々にとって、その「秩序」は、どのような意義を持つのであろうか。
古代中国の聖天子・堯帝の世は、「鼓腹撃壌」の言葉で語られるけれども、そのような安定した「秩序」の下でこそ、人々は日々の生活を平穏に営むことができる。「秩序」は、人々が「生きたいように生きる」上での前提なのかもしれない。
ところで、今年もまた、幼い子供たちが犠牲になる事件が相次いだ。現在の子供たちの世代は、「生きたいように生きる」上では未曾有の恵まれた条件を手にしている世代である。無論、雪斎の世代もまた、「貧困」と「戦争」の影から免れていた点では、「生きたいように生きる」ことのできた世代かもしれない。ただし、「戦争の残影」に縛られ、「冷たい戦争」が進行する中で生まれ育った雪斎の世代は、そのことによって、思考の幅が狭められている嫌いがある。しかも、雪斎の世代にとっては、「海外」は、まだ「特別な空間」であった。雪斎の世代は、結局のところ、「考えたいように考える」ことのできた世代では決してないのである。雪斎の世代が取り組んでいる「普通の国」云々の政策課題は、「先の大戦」の敗北に伴う残務処理みたいなものであり、取り立てて新しく何かをしようとするものではない。現在の子供たちの世代には、「生きたいように生きる」だけではなく「考えたいように考える」条件もまた、用意されなければなるまい。「生きたいように生き、考えたいように考える」ことのできた世代が生み出す文化は、誠に豊饒なものなのではなかろうか。
下の原稿は、そうした雪斎の想いが込められたものである。厳密には「政治評論」とはいえないけれども、書き留めておくことにする。
■ 「東京」から四十年後、「アテネ」から四十年後…
本稿を執筆している八月二十五日時点では、世の関心を独占しているのは、アテネ・オリンピックにおける柔道、競泳、体操を初めとする日本競技陣の活躍である。金、銀、銅の三種のメダル獲得総数は、既に史上最多の三十四個に達し、金メダル獲得数に限れば史上最多の十五を記録した東京オリンピックに肩を並べる勢いである。日本競技陣は、金メダル獲得数では、米国、中国に次ぐ成績を収めている。率直にいえば、私は、我が国が「スポーツ大国」であると意識したことはなかったけれども、此度の成績は、我が国が「スポーツ大国」であることを如実に物語っている。自らの子供の「意外な才能」を知って戸惑いながらも喜ぶ親のように、私は、日本という国の「意外な相貌」に驚いている。
ところで、そもそも、オリンピックは、「時代の物語」と重ね合わせて語られるところがある。振り返れば、一九六四年の東京オリンピックは、日本の「復興」を世界に知らしめた催事であった。東京オリンピック以後、日本は、「経済大国」への道を驀進した。そして、それから四十年後のアテネでの日本競技陣の活躍は、後世、どのようなものとして語られることになるのであろうか。私は、此度の日本競技陣の姿は、「世界に何の気負いもなく向き合うようになった日本」を象徴しているようなところがあると考えている。幾多のメダリストは、幼少の頃から競技を始め、国際舞台で技を磨いてきた。昔日の世代は、徒手空拳で競技を始めるという事情が多分にあったし、海外経験は「特別な出来事」であった。村田英雄が歌った『王将』には、「明日は東京に/出て行くからは/なにがなんでも/勝たねばならぬ」という一節があるけれども、『王将』の中の「東京」を「海外」に置き換えれば、昔日の世代がオリンピックのような場に臨んだ際の気分というものが、浮かび上がってこよう。翻って、現在の世代は、様々な国際経験を可能とする「豊かさ」の上に、昔日の世代の「経験」を継承しつつ、競技を進めてきた。この世代にとっては、海外での経験は、もはや「日常の風景」でしかないし、その感覚もまた、東京オリンピック後に「もう走れません…」の言葉を遺して世を去った円谷幸吉のようなものとは、だいぶ、懸け離れているだろう。東京オリンピック以後の四十年の歳月は、確かに「アテネの群像」を登場させる環境を用意したのであろう。
東京オリンピックの四十年後に登場した「アテネの群像」を前にして、四十年後の日本の風景に想いを馳せながら、私は、岡崎久彦氏の著書『百年の遺産』にある次のような記述を思い起こしてみる。
「文化の最盛期というのは、古今東西の歴史で、戦乱の百年後に訪れています。漢の武帝、唐の玄宗の時代、日本の元禄等、皆そうです。…関ケ原の戦い(一六〇〇年)の五十年後といえば、由井正雪の乱(一六五一年)です。関係者は皆、関ケ原戦後生まれですが、まだ戦争の長い影をひきずっています。戦乱の影響のかけらもない、井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉、関孝和など元禄をになう世代が生まれるのは、一六四〇、五〇年代です」。
もし、岡崎氏の見立てが正しいとすれば、我が国の文化の最盛期は、今より四十年後の二〇四五年前後に訪れることになる。それは、誠に楽しい見立てではないであろうか。無論、この岡崎氏の見立てにも、前提はあろう。それは、日本の経済や社会の活力が現在の水準から劇的に落ちることなく、「世界に何の気負いもなく向き合うようになった人々」の活躍を支えていくことができるということである。私は、現在、進められている様々な施策もまた、具体的には「二〇四五年の日本」を考慮した上でのものであって欲しいと考えている。政治的な権勢や経済上の隆盛といったものは、本来は転変を免れ得ないものであるけれども、文化やスポーツの領域での所産や業績は、「永遠の生命」を持つものである。
元禄期の井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉のように、「二〇四五年の日本」の文化を担う人材は、現時点で生まれたばかりであるか、あるいは今後、数年の間に生まれてくることになる世代である。現在、社会の動きを差配することのできる立場の人々の責任とは、そのような世代に対して、できるだけ自然な条件を用意しておくことでしかないのであろう。
『月刊自由民主』(二〇〇四年十月号)掲載
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