雑誌に寄稿した原稿

November 22, 2006

帝力何ぞ我にあらんや。

■ このところ、政治学者にあるまじきエントリーを書き続けたので、そろそろ真面目なものを書く必要がある。
 とはいえ、安倍晋三総理になってから、雪斎は醒めた感情で物事を観ている。
 色々なネタがあるはずなのに、政治に対する「期待値」が下がっているのである。
 もっとも、政治に対する期待値が低いということは、決して由々しきことばかりと片付けるわけにはいかない。
 「鼓腹撃壌」の故事を思い起こす。

   日出でて作き、
   日入りて息う。
   井を鑿りて飲み、
   田を耕して食う。
   帝力何ぞ我にあらんや。

 これが「理想の統治」である。安倍晋三総理の統治において何が行われなければないかというメニューは、既に出尽くしている。安倍総理に問われているのは、そのメニューのどれだけのものを実際に実現できるかということでしかないのである。

Continue reading "帝力何ぞ我にあらんや。"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

June 04, 2006

「愛国心」論

■ 雑誌『論座』今月号が届けられる。「私と愛国心」という特集が組まれている。執筆陣は以下の通りである。

 ●青木冨貴子 ●赤瀬川原平 ●石田 雄 ●石破 茂 ●猪瀬直樹 ●入江 昭 ●岡留安則 ●奥 武則 ●小倉紀蔵 ●粕谷一希  ●加藤 節 ●鎌田 慧 ●上坂冬子 ●萱野稔人 ●香山リカ ●姜 尚中 ●呉 智英 ●小山 晃 ●佐伯啓思  ●桜井哲夫 ●櫻田 淳 ●三遊亭金馬 ●志位和夫 ●篠原 一 ●朱 建栄 ●杉田 敦 ●鈴木邦男 ●鈴木宗男  ●関川夏央 ●仙谷由人 ●多田富雄 ●立松和平 ●中島 梓 ●中島岳志 ●成田龍一 ●橋本 治 ●原 武史  ●平山郁夫 ●藤井誠二 ●船曳建夫 ●保坂展人 ●保阪正康 ●堀田 力 ●本田由紀 ●道場親信 ●目取真 俊 ●毛利嘉孝  ●森 達也 ●森 千香子 ●山内昌之 ●山折哲雄 ●梁 石日 ●吉田 司 ●王敏

Continue reading "「愛国心」論"

| | Comments (7) | TrackBack (0)

October 30, 2005

皇位継承に関する所見

■ 何故か「天皇賞」中継を観る。最近、競馬を観るのが楽しみになってきた。今日は、「天覧試合」だった。中中、貴重なものを観たのかもしれない。

■ 前々回のエントリーには、数々のコメントを頂いた。雪斎は、皇位継承に関わる「男系男子維持」論者の「語り口」には総じて批判的である。「あれでは、受け容れられるものも受け容れられなくなる…」と率直に思う。それでは、雪斎は、皇位継承について、どのように考えているのか。

Continue reading "皇位継承に関する所見"

| | Comments (2) | TrackBack (1)

September 05, 2005

雑誌『論座』に寄稿した「9・11選挙」論

■ 朝日新聞社が発行する雑誌『論座』今月号は、「9・11」総選挙に関する特集を載せている。この雑誌は、今月号から表紙をリニューアルした。デザインを担当したのは、29歳の若手デザイナーのようである。「これはいい…」と率直に思う。こういうヴィヴィッドなレイアウトは、余り見たことがない。ただし、「何やら小泉総理が岡田代表を上から一喝している」ようなレイアウトには、思わず苦笑する。
 「9・11総選挙」特集のライン・アップは、下記のとおりである。
 ▽座談会:佐々木毅(学習院大学教授)×川本裕子(早稲田大学教授)×北城恪太郎(経済同友会代表幹事)
「古い政治にサヨナラしよう!」
 ▽論客10人が問う 総選挙の真の争点はこれだ!
①日本型社会民主主義の後にくるもの(筆者:山口二郎(北海道大学教授))
②社会上の「活力」を保つために必要な「構造改革」(筆者:雪斎))
③「小泉イシニアティヴ」は実現するか(筆者:野中尚人(学習院大学教授))
④待ったなしの外交問題をどうするのか(筆者:姜尚中(東京大学教授))
⑤靖国参拝合憲化が進む危険性(筆者:高橋哲哉(東京大学教授))
⑥内閣・与党の一体化を実現できた党が創造者になる(筆者:岩本康志(東京大学教授))
⑦マニフェストの詳細比較を(筆者:松原聡(東洋大学教授、NPO法人マニフェスト評価機構理事長))
⑧戦後60年の「底力」が試される(筆者:永井愛(作家))
⑨だましたい政治家・だまされたい国民(筆者:辛淑玉(人材育成コンサルタント))
⑩民主党が示すべき政策は都市型弱者支援だ!(筆者:宮台真司(首都大学東京准教授))

Continue reading "雑誌『論座』に寄稿した「9・11選挙」論"

| | Comments (7) | TrackBack (4)

April 06, 2005

雑誌『論座』に寄稿した対朝政策論

■ 昨日夕刻以降、東京・築地、朝日新聞社内で「『論座』発刊十年記念交流会」が開催され、雪斎もそれに招かれて参集する。結構、多様な人士が姿を見せていた。政界からは、鳩山由紀夫・元民主党代表、武部勤・自民党幹事長、土井たか子・元衆院議長、福島瑞穂・社民党党首、仙谷由人・民主党政調会長、浅尾慶一郎参院議員といった具合である。学者・知識人となると、五百旗頭眞先生、小此木政夫先生、国分良成先生、飯尾潤先生といった方々と言葉を交わす。

Continue reading "雑誌『論座』に寄稿した対朝政策論"

| | Comments (5) | TrackBack (1)

December 28, 2004

今年の論稿・四(完)

 雪斎の対北朝鮮政策に関する考え方は、小泉純一郎総理の第一回訪朝直後、 『中央公論』(2002年12月号)に「北朝鮮を『自滅』や『暴発』に追い込まないために―〈対朝戦略で求められる日本の『現実主義思考』」と題された論稿を発表して以降、何ら変わっていない。この論稿の趣旨は、「フォーリン・プレス・センター」のサイト上で紹介されている。この趣旨だけを読むならば、雪斎の議論は、「アメ」の提供に傾斜したものと解されるかもしれないけれども、実際には、対朝制裁の枠組の準備や国際世論への働き掛けといった「ムチ」の用意の提案も行っている。この論稿は、英語訳が『ジャパン・エコー』誌、韓国語訳が『ジャパン・フォーラム』誌に転載された。特に『ジャパン・フォーラム』誌は、雪斎の議論を「穏健にして冷静な対北政策の提案」と紹介した。ただし、雪斎は、少なくとも対外政策の提案が「穏健にして冷静」を旨とするのは、当然のことであると考えている。「戦争と平和」に絡む国際政治の世界での政策提案に際しては、「やってみなければ、わからない」という発想は、最も厳しく排除されなければならないのである。
 雪斎は、小泉純一郎内閣の「対話と圧力」路線は、概ね順当なものと考えている。小泉第一回訪朝以後、特に保守・右翼層の中では、昭和初期の「暴支膺懲」ならぬ「暴朝膺懲」の気分に浸った議論が席巻しているようである。このような議論は、ただ単に「国民感情」の反映という域に留まるならば弊害も少ないかもしれないけれども、実際の政策を大幅に拘束するようになれば途端に多大な弊害を生むことになる。現在、小泉総理の最も評価される点は、昔日の近衛文麿とは異なり、「暴朝膺懲」の気分に迎合した発言を一切、避けていることなのであろう。
 下の論稿は、雪斎が対朝政策を論じた最新のものである。「今年の論稿」の締めとして書き留めておくことにする。

 ■ 再び対朝経済制裁発動の前提について

北朝鮮による邦人拉致問題をめぐる第三回日朝実務者協議は、十一月九日から十四日まで平壌で開かれ、然程の進展も見られないままに終了した。この結果を受けて、政府・与党内では、対北朝鮮経済制裁の発動が、現実の選択肢として語られ始めている。
 筆者は、対北朝鮮制裁発動の前提は、少なくとも我が国と米韓両国との「協調」が維持されていることにあると論じてきた。ただし、この「協調」が実際に機能するかは、予断を許さない。
 十一月十四日午後、韓国紙『中央日報』(日本語、電子版)が伝えたところによれば、盧武鉉(韓国大統領)は、訪問先のロスアンジェルスで講演し、自衛手段として核やミサイルの開発を進めているという北朝鮮の主張を「一理あると思う」と評した上で、対朝武力行使という選択肢を「交渉戦略における有用性が制約されるだけだ」と一蹴した。また、盧は、対朝経済封鎖という選択肢についても、「決して望ましい解決方法ではなく、不安と脅威を長期化するだけだ」と否定的な見解を示した。これに関連して、十六日午後の同紙によれば、尹光雄(韓国国防部長官)は、年明けに発刊される「国防白書」では、北朝鮮を「主敵」に表記した部分を削除すべきだとの所見を示している。韓国国防部内には、「南北交流が活発化している状況では、北朝鮮全体を主敵に見なすのは適切でない」という声があり、尹の所見も、そのような声と気脈を通じたものであろう。米国では二〇〇二年一月のブッシュによる「悪の枢軸」演説以降、そして日本では同年九月の「小泉訪朝」以降、「悪漢国家」としての北朝鮮像は自明のものとして定着した感があるけれども、韓国は、そのような北朝鮮像を受け容れていないようである。因みに、韓国紙『東亜日報』(日本語、電子版)の二十一日深夜配信の記事によれば、ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)は、チリ・サンティアゴで二十日午後に盧と会談した折、「あくまでも外交的かつ平和的な方法で、北朝鮮核問題を解決していくという点を再度強調する」と述べたけれども、 潘基文(韓国外交通商部長官)は、この発言の趣旨を「米国が北朝鮮に対して敵対政策をとらず、北朝鮮を侵攻する意図がないという点を再確認したものだ」と説明した。「悪の枢軸」演説や「先制攻撃戦略」に象徴されるブッシュ政権の対外政策方針は、「悪漢国家」としての北朝鮮には明らかに大きな心理上の圧力を意味しているにもかかわらず、韓国政府の姿勢は、その圧力を骨抜きにするかのような方向で働いているのである。
 無論、二期目を迎えたブッシュ麾下の米国政府が、どのように「外交的かつ平和的な方法による北朝鮮核問題の解決」という対朝政策方針を実際に切り回すのかは、定かではない。第一期政権内で「思慮深い現実主義」(prudent realism)を体現したコリン・L・パウエル(前米国国務長官)の姿は、もはやない。後任のコンドリーザ・ライスは、パウエルほどには「力の行使」に抑制的な態度を取ることはないであろう。また、邦人拉致問題の解決を含む北朝鮮の人権問題が改善しない場合での対朝援助(人道支援を除く)の禁止、北朝鮮と人権問題を協議する大統領特使のポストの新設、北朝鮮からの亡命者への門戸開放を定めた「北朝鮮人権法」は、既に十月十八日の時点でブッシュの署名により成立している。客観的に見れば、北朝鮮政府が米国政府の「軟化」を期待できる根拠は、誠に乏しいものになっている。その意味では、現在、進行中の「六ヵ国協議」の枠組を生かすことにしか、北朝鮮政府が米国に対する働きかけを行える機会はない。もし、「六ヵ国協議」での対朝説得が不調に終われば、我が国は、この問題を国連安保理に付託すべく、関係各国に働き掛けるべきであろう。筆者は、我が国が対朝経済制裁を発動する時機とは、国連安保理での協議の結果、対朝経済制裁が決議された瞬間であると考えている。北朝鮮に対する「圧力」の枠組としては、このような国際合意を形成していくことが、先決なのである。
 政治という営みにおいては、「力量」、「運」、「必要性」の三つの要件への考慮が大事であると指摘したのは、二コロ・マキアヴェッリであった。そして、マキアヴェッリは、次のような言葉も残している。「加害行為は、一気にやってしまわなくてはならない」。制裁発動は、北朝鮮に害を加える行為に他ならないのであるから、それを実際に手がけるためには、きちんとした時機の見極めが必要になる。我が国は、特別な施策を要請されているわけではないのである。
             『月刊自由民主』(二〇〇五年一月号)掲載

| | Comments (1) | TrackBack (0)

December 25, 2004

今年の論稿・二

 政治学徒の関心を集める一つの要件は、「秩序」である。「無秩序な社会」における「秩序」の意味を考究する国際政治学の世界では、そのことは特に顕著であるといえる。それでは、個々の人々にとって、その「秩序」は、どのような意義を持つのであろうか。
 古代中国の聖天子・堯帝の世は、「鼓腹撃壌」の言葉で語られるけれども、そのような安定した「秩序」の下でこそ、人々は日々の生活を平穏に営むことができる。「秩序」は、人々が「生きたいように生きる」上での前提なのかもしれない。
 ところで、今年もまた、幼い子供たちが犠牲になる事件が相次いだ。現在の子供たちの世代は、「生きたいように生きる」上では未曾有の恵まれた条件を手にしている世代である。無論、雪斎の世代もまた、「貧困」と「戦争」の影から免れていた点では、「生きたいように生きる」ことのできた世代かもしれない。ただし、「戦争の残影」に縛られ、「冷たい戦争」が進行する中で生まれ育った雪斎の世代は、そのことによって、思考の幅が狭められている嫌いがある。しかも、雪斎の世代にとっては、「海外」は、まだ「特別な空間」であった。雪斎の世代は、結局のところ、「考えたいように考える」ことのできた世代では決してないのである。雪斎の世代が取り組んでいる「普通の国」云々の政策課題は、「先の大戦」の敗北に伴う残務処理みたいなものであり、取り立てて新しく何かをしようとするものではない。現在の子供たちの世代には、「生きたいように生きる」だけではなく「考えたいように考える」条件もまた、用意されなければなるまい。「生きたいように生き、考えたいように考える」ことのできた世代が生み出す文化は、誠に豊饒なものなのではなかろうか。
 下の原稿は、そうした雪斎の想いが込められたものである。厳密には「政治評論」とはいえないけれども、書き留めておくことにする。


 ■ 「東京」から四十年後、「アテネ」から四十年後…                     

 本稿を執筆している八月二十五日時点では、世の関心を独占しているのは、アテネ・オリンピックにおける柔道、競泳、体操を初めとする日本競技陣の活躍である。金、銀、銅の三種のメダル獲得総数は、既に史上最多の三十四個に達し、金メダル獲得数に限れば史上最多の十五を記録した東京オリンピックに肩を並べる勢いである。日本競技陣は、金メダル獲得数では、米国、中国に次ぐ成績を収めている。率直にいえば、私は、我が国が「スポーツ大国」であると意識したことはなかったけれども、此度の成績は、我が国が「スポーツ大国」であることを如実に物語っている。自らの子供の「意外な才能」を知って戸惑いながらも喜ぶ親のように、私は、日本という国の「意外な相貌」に驚いている。
 ところで、そもそも、オリンピックは、「時代の物語」と重ね合わせて語られるところがある。振り返れば、一九六四年の東京オリンピックは、日本の「復興」を世界に知らしめた催事であった。東京オリンピック以後、日本は、「経済大国」への道を驀進した。そして、それから四十年後のアテネでの日本競技陣の活躍は、後世、どのようなものとして語られることになるのであろうか。私は、此度の日本競技陣の姿は、「世界に何の気負いもなく向き合うようになった日本」を象徴しているようなところがあると考えている。幾多のメダリストは、幼少の頃から競技を始め、国際舞台で技を磨いてきた。昔日の世代は、徒手空拳で競技を始めるという事情が多分にあったし、海外経験は「特別な出来事」であった。村田英雄が歌った『王将』には、「明日は東京に/出て行くからは/なにがなんでも/勝たねばならぬ」という一節があるけれども、『王将』の中の「東京」を「海外」に置き換えれば、昔日の世代がオリンピックのような場に臨んだ際の気分というものが、浮かび上がってこよう。翻って、現在の世代は、様々な国際経験を可能とする「豊かさ」の上に、昔日の世代の「経験」を継承しつつ、競技を進めてきた。この世代にとっては、海外での経験は、もはや「日常の風景」でしかないし、その感覚もまた、東京オリンピック後に「もう走れません…」の言葉を遺して世を去った円谷幸吉のようなものとは、だいぶ、懸け離れているだろう。東京オリンピック以後の四十年の歳月は、確かに「アテネの群像」を登場させる環境を用意したのであろう。
 東京オリンピックの四十年後に登場した「アテネの群像」を前にして、四十年後の日本の風景に想いを馳せながら、私は、岡崎久彦氏の著書『百年の遺産』にある次のような記述を思い起こしてみる。
  「文化の最盛期というのは、古今東西の歴史で、戦乱の百年後に訪れています。漢の武帝、唐の玄宗の時代、日本の元禄等、皆そうです。…関ケ原の戦い(一六〇〇年)の五十年後といえば、由井正雪の乱(一六五一年)です。関係者は皆、関ケ原戦後生まれですが、まだ戦争の長い影をひきずっています。戦乱の影響のかけらもない、井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉、関孝和など元禄をになう世代が生まれるのは、一六四〇、五〇年代です」。
 もし、岡崎氏の見立てが正しいとすれば、我が国の文化の最盛期は、今より四十年後の二〇四五年前後に訪れることになる。それは、誠に楽しい見立てではないであろうか。無論、この岡崎氏の見立てにも、前提はあろう。それは、日本の経済や社会の活力が現在の水準から劇的に落ちることなく、「世界に何の気負いもなく向き合うようになった人々」の活躍を支えていくことができるということである。私は、現在、進められている様々な施策もまた、具体的には「二〇四五年の日本」を考慮した上でのものであって欲しいと考えている。政治的な権勢や経済上の隆盛といったものは、本来は転変を免れ得ないものであるけれども、文化やスポーツの領域での所産や業績は、「永遠の生命」を持つものである。
 元禄期の井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉のように、「二〇四五年の日本」の文化を担う人材は、現時点で生まれたばかりであるか、あるいは今後、数年の間に生まれてくることになる世代である。現在、社会の動きを差配することのできる立場の人々の責任とは、そのような世代に対して、できるだけ自然な条件を用意しておくことでしかないのであろう。
                  『月刊自由民主』(二〇〇四年十月号)掲載

| | Comments (2) | TrackBack (0)