「小澤一郎」の終り
■ 小澤一郎氏が民主党離党である。正確には除名である。
だが、彼の今後の動向などは、もはや、どうでもいいことである。
保守主義の政治は、途方もない「幅」を持っている。
だから、「この政策を推進すれば、保守主義の趣旨に合わない」ということはない。何十年かのスパンで考えれば、方向が正反対の政策が断行されたりするのである。
だが、それは、政党全体の話である。
個々の政治家は、政策に関しては、「ぶれない」という姿勢が大事になる。
小澤氏は、「政局」を弄び過ぎた。
だから、増税反対を掲げても、期待する声が弱い。
「所詮、増税反対といっても、自分が権力を持つための方便だろう」と思われている。
結局、彼は、過去の自分に報復されているのである。
そして、彼は、増税法案を廃止するだけの「力」も持っていないl。
それにしても、小澤氏を擁護する向きが、いまだにあるのは、驚きである。
そういう向きは、「今の小澤氏」しか見たことのない政治のニュー・カマーなのかもしれない。
雪斎は、新生党と新進党で、小澤氏がどういう政治家かを「見てしまった」ので、彼に対する評価は、もう十数年も前に「ネガティヴなものとして」確定している。気に入らない玩具を取り替え引き替えする幼児のように、小澤氏は政党を扱っている。そのようにして、もう二十年である。その二十年の歳月の中で、彼は、どのような業績を残したというのか。
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Comments
>それにしても、小澤氏を擁護する向きが、いまだにあるのは、驚きである。
>そういう向きは、「今の小澤氏」しか見たことのない政治のニュー・カマーなのかもしれない。
壊し屋に存分に暴れてもらって、自分たちの出番を作りたい、アウトロー的立場のコメンテーターや知識人も、擁護者の中には居ますね。
もう、そんな人達しか味方が居ないんだなあ、と感じています。
小沢氏の二十年の軌跡が日本の失われた二十年と重なって仕方がないです。
Posted by: 一読者 | July 04, 2012 07:47 AM