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July 17, 2012

ロバート・ピールの三つの言葉

■ 『オックスフォード政治引用句辞典』からの引用である。先ごろ、邦訳版が出た。
 ● 「われわれは人々の意向に従うためではなく、人々の利益を調整するためにここにいる。意向が利益に反するのであれば、従わない」。―1831年、英国議会庶民院での演説
 ● 「政府は国民感情の監督と抑制なしに存在できない」。 1831年、英国議会庶民院での演説
 ● 「断言はできないが、大声で叫ぶ者が一番害をもたらす」。― 1834年、英国議会庶民院での演説
 この三つは、総てサー・ロバート・ピールの言葉として紹介されている。
 なるほど、英国保守党の最初の宰相の言葉らしい。これが「保守主義」の統治感覚である。
 目下、「反原発」デモが繰り返されている。
 だが、ロバート・ピールの言葉に従えば、こういうデモは、盛り上がれば盛り上がるほど、政治上は敬遠される運命になる。デモに参加した人々は、「反原発という自分の意向を尊重せよ」と表明しているのかもしれないけれども、欺瞞的な政治家を除けば、こういう「意向には、従うことはない。政治家が手掛けられるのは、エネルギー需給にかかる関係各所の「利益」を調整するということでしかない。昨日のデモには、とある音楽家が加わっていたらしいけれども、彼には、「反原発は貴殿の利益に、どのように具体的に関わるのか」と問いかけられなければならないであろう。また、「大声で叫ぶ者が一番害をもたらす」という言葉に従えば、デモ参加による「声」が大きくなればなるほど、その「害」も大きくなるということである。加えて、こういうデモが、人々の「感情」に足場を置くかぎりは、それを抑えるのが政府の存在証明になる。「デモで何かが決まる」ということはないのである。
 それにしても、こういう辞典は、日本版は成立しないのであろうか。
 「オックスフォード版」は出典が西洋偏重になるのは仕方がない。
 「耳を傾ける」趣旨でいえば、こういうものを「日本政治家言行録」として東京大学出版会辺りが用意することが大事なのであろう。

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July 13, 2012

『平和の代償』の再刊

■ 永井陽之助教授の古典『平和の代償』が再刊されることになった。
 刊行は、来月10日である。
 「中公クラシックス」からの再刊である。
 永井先生の思考がうずもれることにならなくてよかったと思う。
 こちらのサイトによれば、もう予約の受付が始まっているようである。

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July 11, 2012

小澤新党の「言語感覚」

■ 小澤新党結成である。
 「国民の生活が第一」とは、率直に「ひどい」党名である。
 何よりも、「数年後には存在しているようには思えない」党名であるのが、痛々しい。
 こういう党名を選ぶくらいなら、「新生党」や「「新進党」を復活させた方が、まだましだったのではいか。
 比例代表での投票を都合を考えれば、長すぎるというのも、難点である。
 漢字ひらがな混じりの八文字というのは、どういうことか。
 政党名は、長くても漢字五文字である。ぎりぎり引っ張っても七文字にしなければならない。
 和歌、俳句の例を引くまでもなく、日本の言語感覚で無理がないのは、「五」、「七」なのである。
 日本史上、「●●党」と名前の付く結社というのは、大概、漢字五文字で言いあらわされる。
 幕末の「土佐勤王党」、「水戸天狗党」、明治の「秩父困民党」は、その例である。
 また、自由党以降、議会制度の下での政党も、そうした例に漏れない。
 また、小澤新党の党名は、投票の際、「国民」と略記されれば、「国民新党」と混同される。
 雪斎に依頼してくれれば、「一新党」、あるいは「日本一新党」ぐらいは考えておいたのに…。
 故に、この「国民の生活が第一」という党名で了承した面々の言語感覚は、かなりおかしい。
 「この言語感覚のおかしな面々が何を訴えても…」というのが、雪斎の率直な感想である。

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July 09, 2012

保守政治の「多面性」

■ 消費税増税に片が付いたとなれば、次に来るのは、TPPへの対応であろう。
 保守主義思潮の祖とされるのは、エドマンド・バークのフランス革命批判だが、バーク自身は、ホイッグ党所属の政治家だった。今、保守主義思潮が認知されつつあるので、バークの『フランス革命の省察』を読んだ人々は増えているかもしれないけれども、それを読んだ程度では、「保守主義」の感性が判るわけではない。『フランス革命の省察』を「聖典」のように扱う姿勢に至っては、噴飯の沙汰でしかない。むしろ、バークの思想よりも、一八三〇年代以降、トーリー党から保守党に脱皮した後の保守党宰相の事績を振り返る方が、有益である。
 19世紀、 英国保守党から出した宰相は、次の四人しかいない。
 ⅰ サー・ロバート・ピール                     /1834 –1835、1841 –1846
 ⅱ 第十四代ダービー伯爵、エドワード・スミス=スタンリー  /1852、1858–1859、1866–1868
 ⅲ 初代ビーコンズフィールド伯爵、ベンジャミン・ディズレーリ/1868、1874 – 1880
 ⅳ 第三代ソールズベリー侯爵、ロバート・ガスコイン=セシル /1885–1886、1886–1892、1895–1902
 ロバート・ブレークの保守党史研究は、十九世紀前半のピールの時代から二十世紀末のジョン・メージャーの執政器までを網羅する。興味深い書ではある。
 これにつられて、前に触れた四人の宰相の各人の研究書を読み始めた。
 今。読んでいるのが、英国保守党最初の宰相だったロバート・ピールの事跡である。ノーマン・ガッシュの手になるピール研究の「基本」の書である。ピールは、初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーを首班とするトーリー党内閣で内務相を務め、「スコットランド・ヤード」と呼ばれる首都警察制度の創設に尽力した。1830年代半ば、彼は、自分の選挙区向けに「タムワース・マニフェスト」と呼ばれる「公約」を発表し、それが周囲に広がったことが、近代政党としての保守党が登場する契機になった。ピールに関して強調すべきは、「穀物法」廃止を主導した鮮鋭な自由貿易論者だったということである。
 もっとも、保守党の大勢は、ピールのように自由貿易推進に傾かなかった。ディズレーリは、英国の「帝国主義」拡大(スエズ運河買収、ロシア南下阻止)を進めたが、ピールのような自由貿易推進に難色を示した。その一方で、彼は、労働者保護を目的とした新工場法、公衆衛生法、教育法の制定といった改革を断行した。この時期、労働者にやさしい政策を展開したのは、自由党よりも保守党であった。ディズレーリの後を襲ったソールズベリーは、「アフリカ分割」を進め、海軍拡張に乗り出した。
 重要なことは、「これ保守党の証だ」という政策はないということである。歴代の保守党宰相が手掛けた政策は、それだけを観れば、結構、ばらばらである。保守党が保守党である所以は、「王室、国教会、上院((貴族院)を中核とする秩序の護持」である。これさえ踏めば、個々の政策は、その時々の都合で、実践的、便宜的に決められていたということである。。日本の保守主義政党の存在証明は、多分、「皇室の護持、憲政の擁護」である。これさえ踏んでいれば、他の政策は便宜的な選択の対象でしかない。巷には、たとえば「TPPに反対するのが保守だ」と唱える向きがあるけれども、実際は、そういうことはない。
 日本では、世上、「政策」を軸をした「政党のガラガラポン」を期待する向きがある。だが、「ガラガラポン」を繰り返せば繰り返すほど、政党の「統治能力」は落ちていく。党の名称に始まり、綱領、組織、意志決定手続き、人事、資金、支持団体、官僚との関係に至るまで、色々なことを一々、考えていたら、到底、「国家の統治」までは、気が回らない。料理をする折に、包丁に要らぬ細工を繰り返して、却って切れ味を鈍くしたというのと同じことである。
 英国保守党は結党以来、二百年になろうとしている。英国労働党も百年である。政党も、これだけの長い歴史を刻みながら、「時代の要請」にこたえてきたのである。「政党のガラガラポン」で何かをした気になるのは、有害なのである。
 小澤一郎氏の新党の行方は、どうなるのか。折角、「反増税・脱原発」を掲げているのだから、是非、社民党と合流して「新社会民主党」結成をやってもらいたい。「国民の声が第一」などという会派名や党名は、みっともないことこの上ない。社民党との合流には、鳩山内閣下での縁もあるのだから、大した障害もない。由緒ある三宅坂の社民党本部の建物も使える。小澤氏には、「誰と寝ようと…」と口走った忘れ難き実績もある。福島みずほ女史に象徴される「憲法第九条原理主義」を徹底して骨抜きにした上で、「新社会民主党」がドイツ社会民主党を彷彿させる脱皮を遂げるのに尽力してくれれば、彼に対する評価も、「九回裏の逆転満塁ホームラン」になる。しばらくしたら、「新」を外して、「社会民主党」に戻せばよろしい。できなければ、彼も、完全な「ジ・エンド」である。これは、昔日には紀尾井町の小澤・新生党本部に度々、出入りしていた雪斎の「最後の忠言」ということにしておこう。くわばら、くわばら。

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July 05, 2012

「紫陽花革命」という与太話

■ 「紫陽花革命」というのがあるらしい。
 大飯原発再稼働に促された「自然発生的、脱政治的」な「反原発運動」のことである。
 誰が呼んだのか、これを北アフリカ・イスラム圏の「ジャスミン革命」に擬す感覚が解せない。
 この「運動」への評価は、各メディアで見事に割れている。
 先月、総理官邸前デモの参加実数の報道ですら、2万人程度から20万人という開きがある。
 デモに同情的な向きは、「多く集まった数字」を取りたいであろうし、その逆の立場もある。
 だが、実際の数字は、どうなのか。
 ところで、ロバート・ブレークが著した英国保守党史研究を読んでいたら、次のような記述に行き当たった。
 「(19世紀)当時やそれ以降の保守主義の相当部分は、『運動』に抵抗し、それを脇に逸らし、鎮めるものであった」。
 なるほど、保守主義の特性の一つは、「運動」への距離の取り方にあるのである。
 だから、「保守」と目される傾向の趣旨であっても。、「運動」にかかわりを持ち始めたら、早晩、変質するものだという警戒心は、どのような場合でも大事であろう。日本で、「拉致被害者奪還」を掲げて盛り上がったのは、何時のことであったか。拉致被疑者と家族の帰還は、「地味な外交交渉」の成果であって、「運動」の成果ではない。ヴェトナム戦争を終わらせたのは、へンリー・キッシンジャーの外交手腕であって、「べ平連」の運動ではない。
 同様に、「脱原発」政策推進の邪魔になるのは、おそらくは、「脱原発」運動である。「地道な議論」は一定の寄与は為し得ても、「運動」は役に立つどころか害を為すことがある。敢えて断言しておこう。

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July 04, 2012

「小澤一郎」の終り

■ 小澤一郎氏が民主党離党である。正確には除名である。
 だが、彼の今後の動向などは、もはや、どうでもいいことである。

 保守主義の政治は、途方もない「幅」を持っている。
 だから、「この政策を推進すれば、保守主義の趣旨に合わない」ということはない。何十年かのスパンで考えれば、方向が正反対の政策が断行されたりするのである。

 だが、それは、政党全体の話である。
 個々の政治家は、政策に関しては、「ぶれない」という姿勢が大事になる。

 小澤氏は、「政局」を弄び過ぎた。
 だから、増税反対を掲げても、期待する声が弱い。
 「所詮、増税反対といっても、自分が権力を持つための方便だろう」と思われている。
 結局、彼は、過去の自分に報復されているのである。
 そして、彼は、増税法案を廃止するだけの「力」も持っていないl。
 
 それにしても、小澤氏を擁護する向きが、いまだにあるのは、驚きである。
 そういう向きは、「今の小澤氏」しか見たことのない政治のニュー・カマーなのかもしれない。

 雪斎は、新生党と新進党で、小澤氏がどういう政治家かを「見てしまった」ので、彼に対する評価は、もう十数年も前に「ネガティヴなものとして」確定している。気に入らない玩具を取り替え引き替えする幼児のように、小澤氏は政党を扱っている。そのようにして、もう二十年である。その二十年の歳月の中で、彼は、どのような業績を残したというのか。

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