■ 「意識の世界地図」の続編である。 欧米諸国である。
● 米国
何だかんだ言っても、「凄い国」だとおもった。
雪斎が幼少期だった時代は、「アポロ11号」と「ヴェトナム戦争」が混然として米国のイメージを伝えていた。加えて、『巨人の星』である。星飛雄馬が投げる魔球は、何故、「大リーグ・ボール」だったのか。それは、「メジャー・リーグ=米国=日本人には太刀打ちできない」という意識の反映であったと思う。だから、日米関係の「精神史」の文脈からすれば、野茂英雄さんの功績は絶大であろう。彼こそが、「最初にリアルで『大リーグ・ボール』を投げた」ピッチャーだったわけである。
ただし、大衆文化での「親和性」は、余りないといったほうがいい。
音楽関係だと贔屓にしたのは、「サイモン・アンド・ガーファンクル」ぐらいである。
というわけで、戦後の一時期の日本人が、エルビス・プレスリーもどきのロカビリー・ブームにはまった心理というのも、よく判らない。あれは、何が楽しかったのであろうか。
昔、どこぞの漫画家が雪斎のことを「親米ポチ」と呼んだらしい。
だがl、こうした文化に対する距離からすれば、雪斎は、おそらく「親米派」ですらないであろう。
もっとも、例外はある。
雪斎には忘れられない風景がある。
それは、「カリフォルニアの青い空」である。
サンフランシスコ郊外の空港から市街地に向かう車内で見上げた「空の色」のことである。
加えて、真夏のスタンフォード大学構内を吹いていた涼風も…。
そして、アーネスト・ヘミングウェイの文学作品である。
高校時代に読み漁った。
"Man is not made for defeat..."
『老人と海』の一節である。逆境続きだった若き日の雪斎を支えた言葉である。
● ロシア
文化領域からすれば、雪斎が最も深い愛着を寄せている国かもしれない。
トルストイやチェーホフの文学、ショスタコーヴィチの音楽。
そして、ニキータ・ミハルコフの映画である。
大學時代、雪斎の第二外国語はロシア語であった。
● 英国
価値意識や生活スタイルで万事、倣おうとした国である。
大學時代に世話になったのが、キングズ・カレッジ出身、来日前はパブリック・スクールの教頭を務めた英国人教師だった。生粋の英国エリートは、「教育の現場」にも進むのである。
彼から、「英国スタイル」を、かなり濃密に教えてもらった。
酒も、バーボンなんぞよりは、シングル・モルトだろうと思う。一昨日も、帝国ホテルのバーで、「アイル・オブ・ジュラ」を飲んでいた。背広も、「出世したら、ヘンリー・プールかギーヴス・アンド・ホークスを着なければ…」と思っていた。
結局、この国は、「教授」のような国である。「下手なことを言うと、眼鏡の奥から冷やかな視線を向けられる」という風情である。その「冷やかな視線」に耐えながら、毎日、必死になって勉励している。そうやって、もう四半世紀が経った。
● ドイツ
中学時代、当時の校長から、ドイツ語でシューベルトの『菩提樹』を教えてもらった。
以来、この国は、雪斎のクラシック音楽趣味と結びついている。
一度、バイロイトでワーグナーの楽劇を観たいと思う、
『指輪』四部作を見通すのが無理なら、『タンホイザー』だけでも。
● フランス
子供のころ、「綺麗なお姉さんが多くいる国」だと思っていた。
それにしても、『ラ・ブーム』に出演していたころのソフィー・マルソーの美しさといったら…。彼女は、若干、雪斎よりも年下であるはずだが、十代のころの雪斎には、そのようには見えなかった。
この国には、色々な意味で「憧れ」の感情を掻き立てるものがある。
そして、その「憧れ」の感情は、一旦、リアルで体験すると、ますます強くなっていく。
「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、パリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」。
アーネスト・ヘミングウェイの言葉である。
雪斎は、「不運にも青年時代にパリに住まなかった」けれども、このヘミングウェイの言葉に込められた感慨を理解する。確かに、そういう場所である。
● イタリア
子供のころ、スーパーカー・ブームというのがあった。
ランボルギーニがイタリア車だと聞き、「何とけったいなものを作る国だ」と思った。
この国の「、「かぐわしさ」が判ったのは、実は四十歳近くになってからである。
「人生を愉しむ」とい考えからすれば、この国くらい参考になるとところはある。
そういえば、 「Carpe diem」という言葉もあったはずであるl。
● フィンランド
その国の歴史をひも解いて、落涙する体験は滅多にない。
大學に入る前、この国の歴史に脈打つ「独立への気概」に触れて、涙を流して感動した。
フィンランドは、第二次世界大戦前夜、ソ連と二度にわたって戦った。
そして、ぎりぎりのところで、独立を守った。
こうしてみると、雪斎は、典型的な「極西の国・日本」の住人である。中国や韓国のような「アジア世界」よりも、
「西欧世界」ほうに親和性が高い。それも、若いときには、英国やドイツに傾斜していたのが、段々と趣味がフランスやイタリアにシフトしてきたようなところがある。「君よ知るや南の国、樹々は実り花は咲ける」という境地に近づいてきたというところか。
観念として、「反米」、「嫌韓」を叫んでみても意味はない。ある人々が、たとえば中国を罵倒するとき、期せずして、そうした「中国」像を抱いた自分を罵倒しているのである。「自分の顔を鏡でよく見ろ」とは、よく言ったものである。だから、言論の世界で「反米」を唱える人々がいれば、「何故、彼は『反米の徒』になったのか」と一歩、引いて接することが大事であろう。公の場で「反米」を口にしても、自分の部屋ではジャズを聴いていたという人々は、ニキータ・フルシチョフがそうであったように、いるのではないか。
というわけで、二度のエントリーで、雪斎の「意識の世界地図」を披露した。それならば、このエントリーを読んだ人々に尋ねてみたい。
貴殿の「意識の世界地図」は、どのようなものであろうか。
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