震災一年後の「反省」
■ 宮城・栗原にある雪斎の故地の実家は、昨年の震災の折の震度7の地震にも耐えた。
もう数十年は経っている二階建ての建物である。
首都直下地震の想定は、震度7に引き上げられたそうである。
しかも、震源は東京23区東部。江東区在住の雪斎は、「震源の真上」に住んでいることになる。
流石に怖気づき、東京脱出をちらりと考えた。
だが…。
日本は、「自然災害の博物館」のような国である。
世にある自然災害の類は、日本にいれば、大概のものが経験できる。
地震、津波、台風、火山噴火、豪雨、洪水、竜巻、落雷、豪雪、寒波、熱波、渇水・…。
こういうものが一つの国の中で全部、起こる。
だから、
たとえば、雪斎が金持ちで軽井沢に移ろうとしたとしても、「浅間山噴火を心配しなければなるまい。
もっとも、今時の日本の資産家ならば、そもそも海外に拠点を移すであろうが…。
モナコとか、近場だとシンガポールとか。
こういう国と「自然災害が余り多くない国」の政治が同じであっていいはずはない。
たとえば英国である。
英国は、どのように考えても台風や火山噴火とは無縁な国であろう。
地震も滅多に起きない。英国史上最大の沿海地震は、北海震源、1931年6月にマグニチュード(Richter scale)6・1を記録したものがあり、英国全土、ノルウェー、デンマーク辺りが揺れたようである。だが、これは、到底、日本には比べられない。
雪斎は、「マニフェスト」を掲げて選挙をするという有り様は、自然現象に伴う「突発事態」が容易に起こる日本には、ふさわしいものではないと思い始めている。幾ら綿密に「マニフェスト」を書いたところで、「突発事態」が起これば、それに対応しなければならない。民主党内閣の弁護をしてみれば、震災という突発事態のために「マニフェスト」に書いたことが円滑に実行できなかったということになるかもしれないけれども、そもそも、「統治」の本質とは、平時において、決められたことをどれだけ円滑に処理できるかということではなく、有事において、「突発事態」をどのように管理できるかということでしかない。民主党内閣は、そうしたクライシス・マネージメントに明らかに失敗したから批判されているのである。日本では、
ジョン・メイナード・ケインズが語ったことがある。「一つの土壌で育った植物を他の土壌に移植しようとすると、その植物は育たないどころか、その移植先の土壌を壊してしまうことがある」。一つの国で展開されていた施策は、それを安易に他の国でも行おうとすると、失敗に終わるだけではなく、社会の土壌を壊してしまうことになる。ケインズは、英国での政策が英国ならではのものであることを説いたのである。「ケインズの経済学と米国のケインジアン経済学は別物である」。こうした評も、ケインズの意図を伝えている。故に、もしかしたら、英国に倣って導入した「マニフェスト」選挙も、そうしたものだったのではないか。雪斎は、「マニフェスト」選挙を日本で行う意義については、きちんとした思考を怠っていた。のみならず、過去数度の国政選挙では、当然のように各党の「マニフェスト」の内容に論評を加えていた。「政治に必要なのは、マニフェストに書いてあることを粛々と実行することというよりは、マニフェストに書いていないような突発事態に機敏に対応することである」。こういうことを、もっと口酸っぱく語るべきだったのに、それをしなかった。
震災後一年である。政治学徒としては、そうしたことも真面目に反省しなければなるまい。
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Comments
私は未だにマニュフェストと政権公約の違いもよくわからないですが、雪斎さんの言う通りだと思います。ある大きな目的のための手段が政策であるはずなのに、手段たる政策を実現することが目的になっています。政治とは、ふらふらと大海に浮かぶ船を安定させることこそが大事だと聞いたことがあります。ましてや日本は陸海空すべてがふらふらなのですから、政治はおのずとその状況にあわせて政策を変化させていかないと行けないと思います。私は、ここにきて、村山富市の日本の政治家としての偉大さを感じています。
Posted by: fugakuoka | March 11, 2012 07:30 PM