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February 15, 2012

大阪維新「船中八策」の「馬脚」

■ 大阪維新の会の「政策綱領」が世に出た。
 これを「船中八策」と呼び習わしたのは、率直に愚昧、軽薄の沙汰であろう。
 雪斎は、坂本龍馬に自分を仮託しようという政治家を信用しないことにしているので、これが橋下徹大阪市長の意向での命名でならば、その時点で橋下市長に対する評価は「暴落」である。龍馬は、「設計図は書いたかもしれないが、実際の建築には携わらなかった」人物である。「体制を考えた人々」と「体制を作った人々」の間には、途方もない開きがある。
 橋下市長の「失速」は、意外と早かったようである。こういう政策綱領を出してくること自体、彼らが、きちんした政策吟味をしていないことを暴露している。
◇ 統一性の薄い全体像
 「船中八策」は、「それを、どのように実現するか」という考慮が、まったく働いていない文書である。首相公選制度の導入には、憲法改正の手続きが要る。先に、参議院廃止と打ち上げてしまった後で、参議院が「自殺」を要請するような改正案の発議に踏み切るであろうか。この「船中八策」の発表は、参議院を不用意に敵に回すことによって、却って首相公選制度の導入の芽をつぶしたのではないか。
 「正しいことを語っていれば、必ず他人はついてくる」などと自惚れてはなるまい。橋下市長は、自分が他党から言い寄られている「かぐや姫」のようなものだと思っているかもしれないけれども、「大阪維新」の看板は、たとえば東北や北海道では無価値である。そういえば、大阪維新の会というのは、震災復興に関して、どのような方針を持っているのであろうか。ともあれ、他党との提携のハードルを上げるような振る舞いは、率直に愚策である。
 ◇ 「反自由主義的」色彩
 「船中八策」の税制政策志向は、多分に「反自由主義」的である。
 典型的なのが「資産課税の強化の件である。
 次のような記事がある。
 □ あの世に金は持っていけない 「船中八策」説明
       産経 2012.2.14 09:50 (2/2ページ)[west政治]
 税制では、預貯金や不動産など資産課税の強化や所得税の税率引き下げの一方、消費税増税も掲げる。橋下氏は「国内でお金を使ってもらう税制に」と内需拡大を訴える。後略。

 橋下市長は、「資産の使い切りの人生」を提唱しているらしい。
 だが、そういうことは、「他人に口出しされたくない」事柄ではないか。
 資産税の趣旨は、他人が築いた「恒産」に後から手を出すというものである。
 他人が「恒産」を築き上げる過程の中で、「おこぼれ」を吸い上げる所得税とは、趣旨が異なる。
 「恒産なければ恒心なし」というのは、人間の「自由」に絡む基本原則である。
 こういうものを平気で出してきたところを見ると、「大阪維新の会」の実態は、疑似「共産主義」、あるいは「国家社会主義」志向だと批判されても、反論は難しいだろう。そうでなければ、こうした政策志向が持つ思想上の意味を全然、理解していなかったかである。
 ◇ 「官僚」に依存した「官僚主導」脱却
 橋下ブレーンとして名前が挙がっている面々は、何故か、学者・知識人という肩書を持っていても、「元官僚」である。しかも、彼らは、せいぜいが佐官級で「霞が関」を去った人々である。そして、彼らの多くは、龍馬よろしく「脱藩官僚」と称している。だが、明治維新を成就させたのは、大久保利通や西郷隆盛の後盾になった小松帯刀にせよ木戸孝允にせよ、「脱藩しなかった高級藩士」である。彼らが、藩主を説得して藩兵を差配できるようにしたが故の維新の成就である。おそらく,日本を劇的に変えたけえれば、「霞が関」の将官級官僚の号令一下、動かせるようにしないと無理である。
 加えて、官僚は、個別の政策をスペシャリストとして立てる能力には長けている。けれども、スペシャリストの地検は、それを幾ら束ねても、ジェネラリストの知見にはならない。 政策全体を観る思想上の感性が伴わなければ、その政策パッケージは大概、キメラのごとく異形なものにしかならない。この「船中八策」も、橋下市長が政策相互の「整合性」を図った上で打ち出したものであるならば、価値のあるものになったかもしれないけれども、その整合性の確保という作業の痕跡は、まるで浮かび挙がってこない。たとえていえば、橋下市長は、「よさそうな食材を皿に盛っただけの料理」をだしてしまったのである。焦って「馬脚を現す」ような真似は、しないほうがよかった。もったいないことをしたものである。

 それにしても、橋下市長は、黙って「大阪維新」の貫徹に精励すればよかったものを、何故、国政参入を急いだのであろうか。もう少し腰を落ち着けて業績を積み重ねてくれれば、十年後には、間違いなく日本の最重要の政治群像に数えられたはずである。彼は、司馬遼太郎の創った龍馬像が好きなようであるから、同じ司馬遼太郎作品『燃えよ剣』の一節を引用してみよう。
 むしろ頽勢になればなるほど、土方歳三はつよくなる。
本来、風に乗っている凧ではない。
自力で飛んでいる鳥である。
と、自分を歳三は評価していた。すくなくとも、今後そうありたいと思っている。
(おれは翼のつづくかぎりどこまでも飛ぶぞ)
と思っていた。

 司馬は、「土方歳三は鳥、近藤勇は凧だ」と書いている。鳥は、どんな状況でも自分で飛んでいけるが、凧は、風が吹いているうちは揚がっていられるが風がやめば堕ちる。近藤は、何時の間にか、政治家になり、時代の動きに翻弄される「凧」になったのに対して、土方は、どこまでも剣客であった、それ故にこそl、土方は、自らの「剣」だけで、「鳥」として京都から、会津、函館へと転戦していったのである。
 今の時分、「凧」になりたい面々が多すぎないか。維新塾に集まった三千数百名というのには、そうした空気が露骨に漂っている。

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Comments

初めまして。

>雪斎は、坂本龍馬に自分を仮託しようという政治家を信用しないことにしているので<

というのはご立派な見識だと思いますが、日本の有権者が、その類の政治家に瞬間的に入れ込んでしまう現象を、どうお考えでしょうか。

ひとつの国は、その有権者のレベルを超えた政治家を持つことはできません。

その意味で、政治学者である「雪斎」どのにお尋ねします。日本人がその類の政治家を無視しうるほどに成熟するためには、どのような啓蒙教育活動が必要なのでしょうか。

Posted by: 岡本至 | February 15, 2012 at 09:48 PM

北岡教授が常々、「憲法論議の停滞は反民主主義的」と言われていました。他の点はともかく、統治機構のルールたる憲法にかんしては、いやしくも国政に関与しようとする勢力は、さしあたっての支持調達や他勢力との連携といった戦術論を脇においた上で、「正しいと信ずるもの」を提示する責任があるとすら思います。ですから、現状の国会の憲法論議の停滞を鑑みるに、こうした提案をしたことそれ自体を評価したいですし、二大政党は負けずに憲法論議をやれ、と言いたい。折しも審査会が再開したところです。

一院制含め、参議院の権限を弱める方向の改正などは、どのような提案であっても参院の賛成は容易には得られないでしょう。それゆえ他党との連携を困難にする愚策だと言い切ってしまっては、外部勢力はもとより参院会派を内部に抱える既成政党から、そのような改革論はなおさら出てこないでしょう。そういえば小泉元首相も自民党のマニフェストに一院制を入れろと言っていたことがありましたが、一院制の是非はともかく、自民党など、様々な反発を覚悟で、もっと憲法論議を引っ張ってほしいものです。

Posted by: kky | February 16, 2012 at 01:35 AM

55年体制を変えたいから、維新としたのでしょうね。
でも、体制を根本的に変えることは至難の業でして、まして乱世でもないのでどさくさに紛れて力ずくで挙行も出来ない。
となれば、自分のやれる範囲で、こつこつするしかないのですよ。
地方自治は規模が小さいので、フットワーク良く改革できるかもしれないが、国政は利害関係も大きく外交まで含んでくるとなると、重量級です。
懐の深いジェネラリストが必要とされるのかもしれない。
そう思いました。

Posted by: 山田博永 | February 16, 2012 at 12:52 PM

すみません。橋下市長には興味あるのでまた口出しさせてください。

1.維新の会が坂本龍馬を持ち出したことから雪斎先生は橋下本質批判をなさっていますが、恐らく橋下氏は龍馬などそれほど関心がないです。彼の記者会見をずいぶん見ましたが、この船中八策(笑)以前に龍馬への言及は全く印象にありません。孫正義氏がことあるごとに龍馬龍馬言うのとは大違いです。代議士の「尊敬する人」で頻繁に登場するのが坂本龍馬。それが格好いいと思っているのが政治を志す方々の最大公約数。確かにセンス悪いと思いますが、橋下氏周辺の有象無象は自己陶酔中で、橋下氏はきっと「方便」と割り切っていると思います。

2.現存の中央=地方の関係では大阪だけでしこしこ10年頑張っても「大阪維新」は不可能です。それは彼が知事時代に繰り返し、具体的に事例を挙げて訴え、中央に働きかけていたことです。中央が動かないと見切りをつけた時点で、自分が中央に乗り込むしか手はありません。

3.次エントリーの「反自由主義的思想」は頓珍漢です。彼は切磋琢磨する競争社会を志向しています。その大前提が機会の平等であり規制撤廃・既得権破壊です。他方、結果の不平等はOKです。これが社会観の基本。だから頑張る意欲の低い私のような者には恐怖です。資産税云々は思想の問題ではなく、財政と消費拡大のための施策。そこから哲学を演繹するのはちょっと筋違いです。ガンガン働いてどんどん使えよ、経済水準維持するにはそれしかないじゃん、と、それだけの話です。

4.知事時代の検証記事で読みましたが、彼は方向性を示してあとは官僚に託します。すると官僚は優秀ですから、知恵を絞って様々な具体策を提案します。官僚は「厳しかったが楽しかった」んだそうです。メディアは対立をことさら伝えますが、会見を見ると、知事時代、ずいぶん部下を讃え労う発言をしています。上手だなぁと思います。

5.私は次エントリーkkyさんが示唆なさる通り、日本がアメリカ型の政体でないことが彼の不運だと思います。もしそこを彼が突破できれば、本当に天才だと思います。突破されちゃった場合、彼が去ったあとの日本がはなはだ不安ですが。

また長くなりました。ごめんなさい。橋下氏と小泉進次郎氏は見ていて本当に面白くて、つい熱が入ってしまいます。

Posted by: 吉田です | March 05, 2012 at 10:07 PM

私も坂本龍馬と幕末を手放しで評価する政治家は信用できません。言うのは易しですもんね。
ただし、私は地方人なので、橋下市長から始まる地方の乱の流れは大歓迎です。東京からの落下傘候補が当選しまくる地方の状況を打破できるのは彼かもしれないと信じてます。日本はそろそろ東から西へ、中央から地方にかわる時代かと。
船中八策も勝利のための手段ネーミングだと思います。彼は勝利に対して奴隷であり、手段と目的を取り違えることはないかと思います。
ちなみに、控えめで自分より年上で身長の低い松井氏を知事に選んだのもうまいですね。選挙中、松井候補にはグリーンのウィンドブレーカーを着せて、自身はノーネクタイのジャケット姿でした。見た目からきちんと上下関係の差をつけていました。おまえはプーチンであり、スターリンか!って思ってしまいました。
危険な香りのする破壊者かもしれませんが、破壊あれば創造する余地が生まれると信じて、私は橋下市長を応援します。

Posted by: fugakuoka | March 11, 2012 at 07:56 PM

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