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May 31, 2011

政治家が憧れ倣おうとした「指導者」

■ 実に、暫くぶりのエントリー更新である。
 気分としては、「平常」に戻りつつある。

 菅直人に関して素朴に雪斎が抱いている疑問がある。
 「彼は政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしたのか。」

 この視点は大事である。
 というのも、「人間は、なりたいと思った自分にしかなれない」からである。
 正確にいえば、「人間は、誰でもなりたいと思う自分に必ずなれるわけではないけれども、それでも、なろうとしなければなれない」のである。

 鳩山由紀夫ならば鳩山一郎だろうとは、容易に推測できる。
 麻生太郎ならば吉田茂、安倍晋三ならば岸信介であろうという推測は、平凡の極みである。
 小泉純一郎ならば、祖父・叉二郎が仕えた浜口雄幸であったかもしれない。
 金解禁という一つの政策の実現に賭けた浜口と郵政民営化に執念を燃やした小泉とは、確かに似ている。
 二世、三世議員であることは、このように「近付くべき目標」が身近にある点では、決して悪くない。

  それならば、菅直人の場合は、誰なのか。
 「奇兵隊内閣」を標榜するくらいだから、幕末維新の長州藩士の誰かなのであろう。
 維新前に落命した高杉晋作や久坂玄瑞なのか。
 彼らは、「既存の体制」を壊した人物であって、「新たな体制」を樹立し、維持した人物ではない。
 維新後に位階人臣を極めた伊藤博文や山形有朋なのか。
 彼らは、「維新の三傑」の事業を受け継いだ人物である。
 それとも、この範疇の中には、いないのか。
 こうしたところが見えてこない。
 「憧れ倣おうとした政治家」像が判らないところは、菅直人の政治家としての本質であろう。

 ということで、政治家に会ったら、尋ねてみれば興味深い。
 「貴方は、政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしているのか」。
 政治指導者にも三つのタイプがある。そのタイプの誰に憧れを寄せているかは、政治家の「人品月旦」の材料になる。

 「既存の体制」を壊しただけの「革命家」タイプの人物を挙げるような政治家は、雪斎の価値基準からすれば、論外である。ソ連では、レーニンを含めて革命初期の指導層が、このタイプである。彼らは、多くの場合、「正しいこと」の実現に執念を燃やす。彼らは、旧体制との「利害の調整」を初めから拒否しているから、その政治手法は、まことに粗いものになる。彼らが「権力」を握れば、旧体制の残滓を徹底してつぶしにかかる。「根回し」や「すり合わせ」などという面倒なことは、当然ことながらやらない。邪魔をする輩は、「革命の敵」として根こそぎ、処断すれば済むことである。

 「既存の体制」が壊れた後の混乱の中から新しい体制を樹立した「創業者」タイプの人物を挙げた政治家は、次善である。フランス革命後のナポレオン・ボナパルトが、このタイプかもしれないし、ソ連史の中では、ヨシフ・スターリンが該当しよう。日本でいえば、頼朝、家康、大久保利通は、このタイプに属する。このタイプは、「花より団子」というわけで、徹底した「オーガナイザー」として振る舞う。体制を構築するというのは、「理念をあまり語らない」ことである。

 「既存の体制」が危機に陥ったときにそれを建て直した「中興の祖」タイプの人物を挙げるような政治家ならば、最善である。ソ連では、こうしたタイプの指導者は結局、登場しなかった。ミハイル・ゴルバチョフは、それを目指したかもしれないけれども、上手くいかなかったのである。雪斎が思い入れを寄せる政治指導者というのは、大概、この「中興の祖」タイプである。具体的には、シャルル・ド・ゴールであり吉田茂である。吉田は、戦後に、「明治という国家」を再生させようとした点では、完全な「中興の祖」タイプである。少なくとも、吉田は、敗戦を機に日本が全く別の国家になったなどという議論は、信じていなかったはずである。ド・ゴールも、第四共和制に引導を渡して第五共和制を樹立したけれども、彼は、「フランスの栄光」の復活を目指したのであって、全く新しい国家を創成しようとしたわけでない。「守文は創業よりも難し」とは、云い得て妙で、様々な「しがらみ」の中で泳ぎ切っていかなければならない点では、「創業者」タイプよりも、難儀であろう。

 もっとも、日本では、ヒーローというのは、大概、「革命家」タイプである。頼朝よりも義経、尊氏よりも正成、家康よりも信長、大久保よりも西郷である。坂本龍馬というのも同じ趣きである。要するに、「現状を変えてくれる」という何時の時代にもある期待に寄り添うのが、このタイプである。しかも、こういう「革命家」タイプというのは、「畳の上で死ななかった」事例が多いという意味では、「悲劇的な存在」である。だから、彼らは、ドラマに取り上げられるし、人気も高いのである。
 それに比べれば、「創業者」や「中興の祖」の何と評判の悪いことよ。こういうタイプは、「汚い政治」の世界にどっぷり使っている印象がある。「熱き理想」などを口にしないから、冷酷な印象すらある。

 菅直人は、多分に、「革命家」に憧れたのであろう。だが、多くの「革命家」と同様、「権力」を掌握した後は、その維持が自己目的と化している。そこにあるのは、もはや、「政治」ではない。

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Comments

楠木正成はあくまで一介の武人であり忠臣であった筈なので、革命家と言われると正直かなり違和感が。
もしこの正成じゃなかったらごめんなさい。

Posted by: eim | May 31, 2011 at 11:30 PM

大変僣越ながら、私自身もかねて思っていたことをより整理・鮮明化して文章にしていただいたように思っております。ありがとうございました。

Posted by: 珈琲 | June 01, 2011 at 09:00 PM

最近、民主党政権発足から政権交代後のゴタゴタと
「建武の新政」の失敗が似てる様に思えます。
血は水より濃いって事ですね。

Posted by: ino | June 01, 2011 at 11:01 PM

先生はご存じと思いますが、高校教科書にも載っている貞観政要の一節で「創業・守成」というものがあります。
太宗は配下についた時期の異なる魏徴と房玄齢の二人に遠慮してどちらも難しいことだとしていますが、何よりその後太宗自身が守成の道を体現していったことに偉大さを感じます。今日の先生のエントリは胸にしっくりくるものがありました。

たしかに政治改革という呼ばれるものにはヒロイックな印象が要求されます。それでも、政治とは権力闘争である以上、華々しい武力闘争よりも、調整と折衝を繰り返す暗闘のような闘いが必要なのでしょう。
華々しく見えた小泉政権でも、飯島秘書官のような暗闘を担う人物が周りを固めていたからこそ、目的を達成してくることができたのでしょうね。

Posted by: くますけ | June 02, 2011 at 02:59 AM

 世間は菅直人を甘く見すぎです。
 この人が始末に悪いのは、信念をもって都合の悪いことはすべて他人の責任にしてしまう性癖です。無責任ですよね。
 どこの組織にもいますが、この手の人間は何もやりませんし、その地位を手放しません。 
 正直、今日の辞意表明という奇策に、私は舌を巻きました。唖然とすると同時に、このくらいの執念で首相の座にこだわるとは、なんとも驚きです。歴史上最大の狸かもしれません。 
 
 
 

Posted by: SAKAKI | June 02, 2011 at 10:41 PM

なるほど!の「人品月旦」ですね。よく知っている現代と歴史上の政治家たちがタイプ別に比較・整理されていて、フムフムと思いながら読ませていただきました。
そして多くの男子にとって永遠のライバルであり、座標軸である「父」とか「先祖」というものからの影響・・・。

組織経営に携わる者として興味深いテーマです。

ところで、多くの現代の政治家、そしてこれから政治家をめざす人たちは、何を「心の糧」として自己教育を積み上げていけばよいのでしょうかね?

「俺は大久保利通になる」「私は21世紀の吉田茂を目指す」と願を掛けても、その人の言動が磨き上げられていくのでしょうか?
2世3世の政治家が、身近に目指す偉大な人物がいてその謦咳にふれるケース以外は、なかなか定点チェックが難しい気がします。
そういえば、吉田茂夫人は大久保利通に連なる家系の方でしたよね。岳父自身も戦前の自由主義を体現した政治家の一人でしたし。

現代を生きる政治家には、せめて次のコンピテンシー(行動特性)がこの1年間に向上したり発揮できたかどうかを360度評価してはいかがでしょうか?
政治家のもっとも大切なもの・・・日本の進路 明確な信念 ひっぱっていく気概 
指導者の資質・・・情熱・勇気・使命感・歴史感覚・先見性・現実処理能力そしてロマンと信仰
~細川護煕「私の履歴書」吉田茂評より抜粋~

Posted by: お伊勢参り | June 05, 2011 at 12:11 AM

大変勉強になります。ありがとうございます。

菅氏は「革命家」タイプの人物を上げるように思えます。しかし従来の政治や官僚制度を否定することはできても、それに代わるものを産み出すことができませんでした。

私は、菅氏に止まらず、民主党の政治家は大なり小なり「革命家」タイプを目指しているように思います。個人的には、吉田茂や高橋是清、池田成彬を好ましいと思っているので、彼らとは相容れないものを感じます。

(シャルル・ド・ゴールについては詳しく知りませんので勉強いたします)

大連立という言葉も飛び交っていますが、これまでの政権の言動を見る限り、信用できる相手とは思えません。被災者のために災害復興で積極的に協力はしても、それ以外では距離を置くべきだと思います。

Posted by: いしかわ | June 07, 2011 at 08:48 AM

菅首相、中曽根氏と李登輝氏を「尊敬している」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061420020026-n1.htm

 この期に及んでの政権延命工作の限りを見ているとなんか意外ですね。

Posted by: ささらい | June 14, 2011 at 11:18 PM

前は、薫陶を受けた松下圭一氏の国会内閣制を引っ張ってきて「ある意味では民主主義は期限を切った独裁だ」といっていて、最近は、同じ論者の思想かもしれないが、「参加型民主主義」が理想という。
まあ、この口癖の「ある意味では」が曲者なのかもしれません。今後、政治家で総理になる人には絶対に口癖として、使ってほしくない言葉の1つです。
正直、戦後の「市民」運動が生んだ成果としての総理大臣が菅直人氏なわけです。
丸山真男氏が、「戦後民主主義の虚妄にかける」といった故事を思い起こす一方、政治アナリストの伊藤淳夫氏がその著書「民主党」で、民主党のいう「市民」の薄っぺらさを指摘していることを想起します。
震災後、「菅直人」を反面教師として、我々は、少し正気に戻って、佐伯啓志氏がいう方の、本来の意味の「市民」に立ち返ることができるかということなんでしょうね。
執念を見せる再生エネルギー法案も、要は経済産業省が作成しただけあって、そのコストを電力会社が「市民」に料金に安易に転嫁できる仕組みであるという批判があり、もっと練り直すべきなのに、名前だけで飛びついてそれに走る、その軽率さがいかにも「菅直人」的(「戦後民主主義的?」、民主党の「市民」的?)と感じます。
丸山氏も、生きておられたらどういわれるか・・。この20年ほど「政治改革」に血道をあげたお弟子さんの東大ご出身の政治学者のいいわけを大いに聞きたいところです。

Posted by: yunusu2011 | June 21, 2011 at 08:31 AM

中曽根氏と李登輝氏を尊敬しているという発言は、民主党のスピンドクターの入れ知恵でしょう。高杉晋作などを挙げれば、「既存の体制を壊しただけの人物を尊敬する菅氏では、新たな社会は築けない」という反論に備えただけなのだと思います。

私は、自らの政権の延命に固執する菅氏を、魔女の予言に翻弄され、破滅するマクベスに重ね合わせて見ています。政権に取り入って利用しようとする者(魔女)の耳に心地よい言葉を信じ、自らは正しいと思い込んで頑迷に権力に固執する。周囲は見えず、人が去っていくことを止められなくなる。

菅氏は首相を辞める気などないでしょう。このままでは、民主党自体が菅で完…となるように思います。

Posted by: いしかわ | June 21, 2011 at 08:58 AM

菅さんって小泉さんに憧れてない?

Posted by: たろりん | June 23, 2011 at 08:25 PM

先生、米内光政の評価はいかがでしょうか。
私は吉田茂が好きですが、米内も好きですし、功績も大きかったと思います。

ただ、功績の大きさでは比較は難しいでしょうが、やはり吉田でしょうか。

米内が戦後も長く生き永らえていたら、どうだったのかわかりませんが、生きていても表舞台には出てこなかったのでしょうかね。

Posted by: やすひろ | June 28, 2011 at 06:12 PM

先ほどまで民主党両院議員総会とやらを初めて見たが、この党はまったくダイナミズムを喪失している。
あの「どうしようもない男」は途中で公務と言って中座してしまうし、質問も的外れで弱弱しく、そしてその返答もまともに答えていない。
これ国政レベル?と思ってしまうほど。

これだけの政治的混乱を引き起こすこととなった2009衆院選、彼らを選んだ有権者の責任は極めて大きい。
選挙前彼らをもてはやしたメディア・評論家・学者、誰もその責任を未だに取らない。自己反省、断筆したという話は聞かない。

誰も責任を取らない政治。
有権者のみ自己責任を取らされている。

Posted by: 素浪人 | June 28, 2011 at 06:45 PM

「かつて毛沢東という政治家が居ました。(中略)中国で圧倒的な力を
得ていた毛沢東は、外交においても世界に存在感をしっかりと示して、
ある時期にはアメリカと対峙をしてきた訳であります。
つまりは、国の中でどれだけのしっかりとした支持を得ているのか、
国民がどれだけ自分たちの責任のもとで、ある場面では、国のために、
多少の代償を払っても、この国を守り、この国を育てようとしているのか、
そうした力が、あるかないかが外交の、もっとも基本的な力であり、
原理であることを痛感して参りました。」

上記は菅氏の街頭演説の一部です。
貴殿の疑問の参考になるかどうかわかりませんが。

Posted by: sixthsense | July 23, 2011 at 10:03 PM

雪斎先生のブログを再読させていただきながら、過去数年間の政治状況を振り返ってみました。

本来なら、小泉政権以後、日本は国民や企業が国家に依存する社会から、国家から自立して国家を支える社会へと変わらなければならなかった。しかし、それはできませんでした。

日本の為政者(官僚も含め)は、環境に一度適応してしまうと、変革による批判や軋轢を避けるために問題を先送りし、ごまかしながら破滅的な状況になるまで突き進むという失敗を40年ごとに繰り返してきました。そして、今回も同じでした。私は、「早晩、日本は破産する」と覚悟するようになりました。

与党の政治家(現首相は特に)は、戦前の軍国主義者たちに良く似ています。自分たちの思い込みと現実のギャップを修正できない頑迷な態度。政権内部ですらまとめられない無能さ。日本の危機を軽視し、かつ責任だけは回避しようとする無責任な態度。そして被害を受けている主権者である国民に対する冷たいまでの無関心さです。

日本が破産した時、与党の政治家たちはこう言うことでしょう。「まさかこんなことになるとは」「なんで私たちの時に」「想定していなかった」「私たちだけの責任ではない」「実は分かっていたのだが…」。もはや、与党には何もできません。何も期待できません。与党保守派と呼ばれた方々も、威勢のよいことを言うだけで何もしない人達ばかりでした。

一年前のエントリーが、まるで政権の現在を予兆していたかのように響きます。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-7d38.html

現首相を見ていて、人材育成の仕組みの欠如がどれほどの悲劇を招くか…身にしみて感じます。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-785d.html

Posted by: いしかわ | July 31, 2011 at 02:20 PM

日本はもう一度麻生太郎や菅直人にチャンスを与えることが出来るかどうか?
それが今問われているような気がする今日この頃である…

Posted by: 憂国の死 | August 21, 2011 at 06:52 PM

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