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September 18, 2010

菅改造内閣の最初の課題

■ 菅改造内閣発足である。
 北澤・防衛、前原・外務という布陣には、率直に安堵した。
 nhkニュースで、尖閣諸島絡みで波風が立った日中関係の鎮静化が、新内閣の最初の課題だと報じていたけれども、それは、おそらくは誤りであろう。新内閣が取り組むべき最初の対外政策課題は、「対米関係jの修復」である。下手に中国に甘い顔を見せれば、フィリピン、ヴェトナムといった南シナ海沿海諸国が不安になる。既に、政策のトレンドは転換している。
 北澤・前原の「安保ライン」に一任する形で、外野が彼らの足を引っ張るということをしなければ、かなり安心できる。
 大体、鳩山以来、「米国に距離を置き、中国に接近する」という方向を打ち出してきたのだが、中国は、尖閣でそれを裏切ったわけである。ならば、対外政策路線でも、「逆流」が始まる。雪斎は、幾度でも書く通り、集団的自衛権の政府解釈を見直すという決断を菅内閣で下せれば、それは、「普天間の失点」を大部分を取り返すものになるであろうと見ている。

 それにしても、外務・防衛以外は、「わからん」内閣である。
 岡崎・国家公安といういうのは、その「判らん」ぶりを象徴する。
 「非小沢化」の方向は。支持する。
 現に、一昨日の「読売」に下掲の原稿を寄せた。
 

□ 民主党代表 菅首相が再選 剛腕・小沢氏、時代遅れ
 菅直人再選という民主党代表選挙の結果は、小沢一郎の政治上の「退場」を画するものになるであろう。党員・サポーター票で小沢が菅に大差をつけられた結果は、小沢が一般国民からの「共感」を全く得ていなかった事情を示している。
 小沢は、「国民との対話」を第一に要請する現代の民主主義体制の趣旨には合致しない政治家である。彼に対する批判には、「政治とカネ」に絡むものが強調されるけれども、彼に関して何よりも批判されるべきは、「自らは表に出ず、舞台裏から他人を操作する」という政治の姿勢を延々と続けたことにある。そうした姿勢は、「影響力は行使しても責任は取らない」という姿勢に相通じる。しかも、世間では、こうした責任回避の姿勢は、「姑息(こそく)」や「卑怯(ひきょう)」といった言葉で評される。小沢が一般国民の「共感」を得られなかった所以(ゆえん)は、こうした根の深いところにある。
 もっとも、小沢の「剛腕」に対する期待は、選挙戦の最中、頻繁に語られた。そもそも、日本においては、「統治能力」や「政担当能力」とは、「官僚を指揮する能力」を意味する。それは、オーケストラの指揮という作業と似ている。各パートの奏者に色々な指示を出して、様々な「響き」を作っていくのが、交響曲や管弦楽曲の世界であるならば、各領域の官僚の能力を動員して、様々な政策を立案し遂行していくのが、「統治」の趣旨である。この際、総(すべ)ての評価基準は、どのような「響き」が奏でられているかということでしかない。
 小沢は、四半世紀前、中曽根康弘内閣期の自治大臣と竹下登内閣期の官房副長官の折にしか、その「官僚指揮」の経験を持たない。彼は、その後、細川護熙・羽田孜両内閣期、そして小渕恵三内閣期に与党の立場になったけれども、結局、自ら「指揮台」に立つことはなかった。加えて、彼は、鳩山由紀夫前内閣期にも、「官僚指揮」を手掛けるのを避けた。彼が「舞台裏から他人を操作する」という姿勢を続ける以上、その「官僚指揮能力」の実態が世に伝わることはなかった。彼は、その「剛腕」と評される手腕を発揮し、自らの「官僚指揮能力」を世に証明する機会を幾度も得ていたにもかかわらず、その機会を敢然と活(い)かすことはなかったのである。
 こうした過去の経緯から判断する限り、筆者は、彼における「剛腕」には、概して懐疑的な見方をしてきた。加えて、彼の「剛腕」の前提となる諸々(もろもろ)の政策領域の知識や見識にも、多々の疑問符が付く。たとえば、安全保障領域に関していえば、彼は、「在日米軍は第七艦隊の海軍力だけで十分である」とか「沖縄に駐留する海兵隊は必要ない」といった趣旨の発言を繰り返している。こうした発言は、日米安保体制の核として在日米軍が担う「抑止力」への評価を含めて、彼の安全保障認識が大分、底の浅いものであることを示唆している。小沢は、政界随一の実力者として語られてきたけれども、安全保障という国家枢要の政策領域においても、学者や専門家などとの対話を経た思考の蓄積の形跡を見出(みいだ)すのは、率直に難しい。
 小沢は、「失われた二十年」と呼ばれた平成改元以降の歳月の中で、一貫して日本の政局の中心に位置していたにもかかわらず、発揮すべき影響力を適切に発揮することはなかった。その意味では、彼は、既に時代に取り残された政治家である。故に、「小沢的なるもの」の払拭(ふっしょく)こそが、日本が「失われた二十年」と呼ばれる停滞から脱する第一歩であろう。
          『読売新聞』(2010年9月16日)掲載

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Comments

 鳩山・小沢系の空想理念路線が終了しただけでも前進です。世襲でまともな社会経験のない両者に比べて、菅総理は、たたき上げで落選時に苦労したことを考えればずっと現実的で庶民的です。
 また、旧社会党系の重用ですが、論功行賞でも内政に配置したことは評価できます。これらの勢力は、無役にしたり外政の閣僚にすると海外で想空理想論を振りまいて迷惑ですから、内政の閣僚で忙殺して、運良く現実に目覚めてくれることを期待しましょう。(千葉前法相のように)
 菅総理は爪を隠した鷹なのかもしれません。

Posted by: タカダ | September 18, 2010 at 12:30 PM

 国家公安の人選がまずすぎますよね。おそらく現在も監視対象な方ですし。見方を変えると公安関係者への「邪魔なら何時でも潰せるネタ押さえてる奴を渡すからこっちに協力してね」というサイン人事ではないかと。集団自衛権見直しは必要でしょうが、問題はここまで人がいない人事をする政権で出来るか? 特に左派である千石氏達は猛反対するでしょう。それだけでも面倒なのに、国会はねじれ状態。そして、小沢氏も大人しく終わるほど往生際良くない筈です。民主党代表選は「無能」と「明らかに悪党」のどちらを選ぶという不毛なものでした。「無能」が勝ったけど「悪党」は往生際が悪いからこそ「悪党」なのでしょう。これ以上政局でドタバタして欲しくないのですが、無理なのでしょうね。

Posted by: almanos | September 19, 2010 at 02:18 PM

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