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July 18, 2010

「大連立」の可能性

■ 「ねじれ」状況が出現した故にか、「大連立」待望論というものがあるらしいい。
 福田康夫内閣のときは、「大連立なんて…」という声が強かったと思うが、雰囲気は変わったのか。
 第二次世界大戦前、英国労働党は、ラムゼイ・マクドナルドを首班にして二度、内閣を組織している。
 第一次は、自由党との「二位・三位」連合の体裁で1924年に発足した。
 それは、僅かに9か月しか続かなかった。
 第二次は、1929年に発足した。
 マクドナルドは、世界大恐慌最中の経済危機にあって、失業手当の縮減を含む緊縮財政策で乗り切ろうとした。
 これは、労働組合を支持母体にした党内と閣内からの反発を呼び、第二次内閣は頓挫した。

 マクドナルド第二次労働党内閣の後、1931年から1945年までの14年間は、「挙国一致内閣」の時期である。
 1931ー1934 首班はマクドナルド、ただし実権は保守党が掌握、
            「挙国一致内閣」成立後に、労働党はマクドナルドを除名
            直後の選挙は、保守党を中心とする「挙国一致内閣」擁護派が大勝する。
 1934-1937 スタンリー・ボールドウィンを首班とした保守党主導
 1937ー1940 ネヴィル・チェンバレンを首班とした保守党主導、
 1940-1945 ウィンストン・チャーチルを首班とした保守党主導 
 労働党が単独で内閣を組織するのは、クレメント・アトリーの執政期である。
 今、「ねじれ国会」が出現する状況下で、「大連立」の可能性が問われているけれども、その「大連立」には前提がある。過去の英国の「挙国一致内閣」の事例に習うならば、その実態は、自民党主導のものでなければならないということである。「大連立は、政権運営の経験を持っている方が主導するのである。
 もし、菅直人総理が「大連立」をやろうとするのであれば、その実態は、十中七.八までは自民党に譲ったものでなければならなるまい。民主党は、「大連立」内閣の中で、主導権を握るのではなく、「丁稚奉公」をやるつもりで政権運営のノウ・ハウを身に付けようとする覚悟は、もったほうがいいかもしれない。
 故に、もし、「大連立」を組むのであれば、雪斎は、自民党を軸に、「民主党内非小沢系+みんな+公明」の連合を基本の線にしたほうがいいと思う。石破茂さんが、「(民主党内)財政再建優先派となら…」と語っているけれども、ばらまき志向に歯止めをかける意味では、そのほうがいいのであろう。 
 もっとも、「大連立」を政界で唱える与謝野馨さんが考えているのは、「民主党内小沢系+立ち上がれ日本+公明」を加えるパターンであろう。基本的に、小渕恵三時代の「自自公」連立と同じ図式である。だから、議員同士の納得というハードルは、決して高くないであろう。ただし、これは、国民受けが余り良くない気がする。余り筋の良い話のような…。
 結局のところ、今の民主党主流には、自民党に「協力を乞う」という姿勢を持てるのか。どうも、そうした謙虚さが感じられないのだが…。これが最大のハードルだろう。

 話は変わって…。
 昨年秋、永井陽之助先生の名著『平和の代償』は、「中公クラシックス」の一巻として再刊されるはずであったが、その計画は途中で頓挫した。再刊に寄せて雪斎が執筆した解説も、お蔵入りになっていた。だが、菅直人総理が所信表明演説で永井先生のことに言及した故にか、永井先生に対する注目度が高まったので、風向きが変わったようである。もっとも、菅総理の言動からは、「永井先生の議論から何を学んだのか」と首をかしげたくなるところがあるのだが…。雪斎が執筆した「解説」は、ある程度の手直しをした上で、『中央公論』に掲載されることになった。五百旗頭真、北岡伸一、田中明彦の各先生に顔向けができる結果になりそうなので、雪斎も安堵している。いやはや、昨年以来、雪斎は本当に肩身の狭い思いをした…。三年前の夏以降、雪斎の「運気」は長期停滞モードに入っていたけれども、この夏を機に、雪斎も、「復活」したいものである。

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