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May 31, 2010

政治評論の「責任」

■ 「もう終わりだね 君が小さく見える…」といったところか。
 

□ 「首相辞任を」過半数 世論調査、内閣支持率19%
 共同通信社が29、30両日実施した全国電話世論調査で、米軍普天間飛行場移設問題の5月末決着を果たせなかった鳩山由紀夫首相の政治責任に関して「辞めるべきだ」が過半数の51・2%に上った。内閣支持率は20%台を割る19・1%まで続落。政党支持率や参院選比例代表投票先ともに自民党が民主党を上回り、党勢は逆転した。普天間対応では「評価しない」が66・1%、「評価する」が25・4%だった。
 首相は28日に普天間移設の政府方針決定後の記者会見で続投意欲を強調したが、政権運営は厳しさを増した。夏の参院選に向けて民主党内で「鳩山おろし」が一気に広がる可能性も否めない。
 政党支持率は自民党21・9%で民主党20・5%を上回った。比例投票先でも自民党20・9%、民主党19・9%だった。首相進退に関し続投支持は44・4%にとどまった。
 社民党の連立対応について「離脱すべきだ」が67・3%、「連立を維持すべきだ」が21・6%。福島瑞穂党首の閣僚罷免では「当然だ」の51・4%に対して「罷免すべきでなかった」は40・8%だった。
                  2010/05/30 17:20 【共同通信】

 朝日新聞その他のメディアでも、20パーセント割れの数字が出ている。
 既に、自民党と民主党の支持率逆転も、伝えられている。
 「どのように終わるか」ということに雪斎の関心が移っている。
 ところで、自民党政権下、自民党政権を専ら批判してきた人々は、本当に「楽な仕事」をしてきたのだなと思う。民主党政権発足時に、その政権発足を祝賀した人々は、この期に及んで「掌」を返すような見苦しい真似は、止めたほうがいいであろう。ぜひ、鳩山内閣の終焉の日まで、「どうしたら反転できるか」を必死になって考えるべきであろう。雪斎も、政権批判をすれば仕事が済む楽な状況には、しばらくは身を置きたいと思っているので、「掌」を返すような御仁たちが続々と出てくると「商売上」、迷惑である。…というのは、冗談である。だが、それにしても、堪え性のない御仁たちばかりである。
 そういえば、NHK大河ドラマ『風林火山』にも、次のような遣り取りのシーンがあtった。川中島の戦いでの序盤、「啄木鳥の計」が見破られて、甲斐・武田勢が窮地に陥った折の信玄と勧助の遣り取りである。
 勧助 「申し訳ございませぬ。それがしの失策でした…」。
 信玄 「…どのように陣を建て直すかを考えよ。勧助、そちは軍師だ」。
 雪斎は、「別に…、俺は民主党の軍師じゃねえよ…」と逃げる御仁たちの姿を軽蔑の眼差しによって見つめることにしよう。鳩山総理の言動では、「思い」という言葉が多用されるけれども、「責任」という言葉は出てこない。「思い」は、「心情」と同義の言葉であるとするならば、鳩山総理の対応は、「心情倫理」よりも「責任倫理」を重視したマックス・ウェーバー流の政治認識にも相いれまい。政権発足直後、「雨後の筍」のごとく登場した鳩山・民主党シンパは、どこに行ったのか。
 日本でも人気が高かった英国の政治学者であるハロルド・ラスキは、「英国労働党のパンフレット・ライター」と呼ばれた。それも、たんなるシンパ、ブレーンとして関わったのではなく、党幹部として関わったのである。因みに、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスにおけるラスキの政治学講座を引き継いだマイケル・オークショットは、ラスキとは真逆の「生粋の保守主義者」であった。英国の二大政党制は、こういう知的土壌に支えられているということは、留意に値しよう。
 政治学は、自然科学とは異なる「認識の学」である。雪斎の言論への批判として、自民党政権時代には、「体制派としてのバイアスがかかった御用学者の言論」というものがあったけれども、政治観察に際して、「バイアスがかかる」のは、むしろ当然のことである。ただし、大事なことは、そのバイアスのかかり方が明示されていることである。このような「バイアス」を隠して、客観性、中立性を装う政治評論くらい、不実なものはない。また、その「バイアスのかかり方」を自分の都合で変える政治評論ぐらい、価値の乏しいものはない。自分がどのような「バイアス」の下で観ているかを自覚できれば、他の「バイアス」の下での政治認識を尊重できるようになる。
 故に、風向きが悪くなってきたからといって、ほいほいと立場を変える御仁の言論は、大したものではあるまい。雪斎も、自民党下野に際して、「自民党再建に加勢仕る」と表明しておいた。雪斎は、今でも、自民党機関紙に「保守主義入門」と題した連載を続けている。晴れて政権奪回の暁には、総裁の名前で感謝状の一枚ぐらいは、もらおうかなと思う(笑)。
 話は替わる。サッカー・岡田ジャパンは、昨晩のイングランド戦で、前半に先制して、「をを」と思ったものの、終わってみれば、オウン・ゴール二発で逆転負けである。日本の「運気」は、ただ今、午前3時の「暗さ」か。それとも、まだまか夜明けは遠い午前2時か。

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Comments

その最たる者は田原総一郎であろう。
麻生内閣をさんざんボロクソに言って民主党に自ら投票。今になって「票を返せ」と。彼の見識を疑う。
福田さんに連立をしかけた小沢氏が「民主党には人材がいない」と言ってたのを覚えていれば今日のていたらくは予想できそうなものだ。

Posted by: 笛吹働爺 | June 01, 2010 08:55 PM

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