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February 26, 2010

オリンピックと「遊び」の精神

■ 特に冬季オリンピックの楽しみというのは、普段は馴染みのない競技を観ることである。
  以前からカーリングは興味深い競技だと思っていたので、今度も「クリスタル・ジャパン」の活躍を楽しみしていた。結果は、10チーム中、8位だったが、それでも、いいものを見せてもらった。

 ところで、「クリスタル・ジャパン」の失速は、「経験の差」だったそうである。
 確かに、スキップという「差配」役の年齢は、カーリング先進国では次のような具合らしい。オリンピック種目の中でも、夏季の馬術や射撃と並んで、「年季」の要る種目であることは、実感できた。。

 スイス      ミリアム・オット    38歳
 カナダ      シェリル・バーナー  43歳
 スウェーデン  アネット・ノルベリ   43歳

 日本のスキップの目黒萌絵さんは25歳なので、この域に達するまでには、まだ二十年の時間がある。カーリングが「カー娘」ではなく、「有閑マダム」の種目であっても、何の問題もあるまい。スポーツは、結局、「遊び」であり、ヨハン・ホイジンガが書いたように、「遊び」が文化を築くのである。「おはじき」や「ビー玉」の延長のように気楽にやるものであろう。日本で、スポーツは、往時の「スポ根」ドラマが影響して、とにかく「血の汗流せ、涙を拭くな」というの風情で語られる向きがあるけれども、「遊び」とは、そういうものであるまい。「のびやかに、そして真剣に」。それが「遊び」の精神である。
 カーリングは、「氷上のチェス」と呼ばれているが、日本にも、「将棋」の伝統がある。日本人は、野球や相撲のように、「間合い」のある競技が好きである。カーリングも、「間合い」の競技である。これは、日本人には親和性が高いとおもう。日本でも、かなり認知度が高まっていると思うので、是非、盛り上げたい競技である。
 雪斎も、「ここにストーンを置いて…」とか「次は、こっちのストーンに当てて、このあたりで止める…」という感じで、事前に手順を予想しながら見るのは、楽しかった。
 今日は、注目のフィギュア・スケートだが、「真央ちゃん」を初めとして、日本人選手がメダルを採れるかどうかは、余り関心はない。彼女たちを出汁にして、「ナショナリズム・マスターベーション」をやるぐらい 気色の悪いものはない。彼女たちが、納得した表情で演技を終えるのを観ることができれば、それでいいであろう。考えてみれば、日本人女性が星条旗やロシア国旗を付けて、あるいは米国人の名前を持つペアが日章旗を付けて、銀板を舞う時代なのである。「人間、至る処青山あり」である。
 隣国の少女は、相変わらず祖国の「ナショナリズム」を背負わされているようだが、少々かわいそうだなと思う。ということで、雪斎は、米国代の長洲未来さんに注目する。彼女は、どこまで上がれるのか。後は、フィンランド代表のキーラ・コルピを拝めれば、それでよろしい。「真央・ヨナ対決」などと世間の喧騒から離れたところで見れば、この種目も、もっと多様な楽しみ方ができると思うのだが…。

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Comments

私も同感ですが、そう上手くはいかんでしょう。というのは中国・韓国はこれから自分たちも世界に出てゆくんだという未来の希望を求めるという点から、日本は経済もよくなく先行きも暗い点から新たな「力道山」を求めずには居られません。

またそういうナショナリズムの上にオリンピンクがお金を稼いでいるという現実がある以上、それを「マスターベーション」で切り捨てる事は難しいのではないでしょうか。インターナショナルもナショナルなくしては成り立たない側面があるのですから。

むしろ国籍が変わろうとも民族を忘れない中国・韓国の方が正しいのではないでしょうか。米国籍の韓国人でも中国人でもいざとなれば韓国や中国を応援する。日本人だけがアメリカ人だと優等生ぶってて何も得るものはない。そういうこっけいな「名誉白人」が日本ではないのですか。

そういう面で言うと報道が日本人選手に偏りすぎなのは大変問題があります。他の国の選手たちの見事な技への言及が少なすぎて、実は日本のためになってない。世界のレベルの高さを思い知り、いかに日本が駄目かを思い知る事で次回へのばねになるでしょうが、「がんばれニッポン」と変な大本営発表でお茶を濁している気がしてなりません。

Posted by: ペルゼウス | February 26, 2010 at 09:44 AM

 大部隊を送り込んで金メダル無し。最後の希望が19歳の女の子というわけで真央ちゃんには気の毒な気がします。また宿敵が韓国とは殊更ナショナリズムを刺激しますね。

 話は変りますが、演技に使う曲はどういう経緯で決まるのでしょうか。

 真央ちゃんのSPに使った「仮面舞踏会」はともかくとして、フリーのラフマニノフはいただけません。重すぎてジャンプする気分になれません。キム・ヨナの007、ガーシュウィンに、少なくとも選曲では完敗だと思います。

 安藤美姫のモツレクも。何であんな曲を選ぶのか。センスが悪すぎます。

 

Posted by: K.IITOYO | February 26, 2010 at 10:13 AM

カーリングはスリルがあってもイノチガケでないところがいいと思います。
ずいぶん以前にキャンデロロというフィギュア選手がいました。彼はまさに技術と遊びのバランスが取れた、スタイルのある選手でした。
今の選手はみんな必死に点数を取りに行っているように思えます。
参加国同士の中で、五輪が国威発揚の場であるという認識がもう「現代」においては古いという了解が取れれば、ナショナリズムと
別の次元で対戦できるようになるのかもしれませんが…

Posted by: nami | February 26, 2010 at 08:38 PM

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