十数日ぶりのエントリー
■ このブログも「週刊」状態になっている。
ツィッターのように、「つぶやく」程度のものであれば、毎日、エントリーを上げられるかもしれない。
政治家の中には、「ツィッタ―」を始める人々がいるらしい。
だが、そうしたことは止めた方がいいと思う。
「つぶやき」では、他人を説得できない。扇動はできてもであるl。
この十日以上の「空白」の故に、雪斎のところに「圧力」が掛ったのではと思ったひとが、いたらしい。
「圧力」はないけれども、今の内閣では、「建設的な議論」をしようというモティヴェーションが堕ちるのは、確かである。
ところで、自民党内では、参議院比例選挙区で「70歳定年」を厳格に適用するか否かという議論がある。
雪斎は、古参議員に「席」を提供する選択は止めた方がいいであろうと思う。
もっとも、政治は、本質的に「老練」を以て佳しとする営みである。」
現在の御時勢では、「70歳」という年齢が定年として設定するには、若すぎるという見方もある。
とはいえ、自民党の印象は手あかにまみれてしまっているので、この印象を払拭するようなことをしないと、自民党の本気度は世間に伝わらないであろう。
現在の自民党の苦境は、「小泉純一郎」を党の異端のままにしたことの帰結である。
「小泉的なるもの」を党の基本的な基調に据えるくらいのことをしないと、再建は厳しいであろう。
小沢一郎幹事長周辺に捜査の手が入った。
雪斎は、「さも、ありなん…」と反応するしかない。全く驚きはない。
ところで、小沢幹事長は何故、「カネの管理」を自分の息子の世代の秘書に任せていたのか。
こういうことは、普通、三十年近く連れ添った「古参の秘書」に任せるのが、筋であろうと思う。
小沢幹事長には、初当選時から仕えたような「古参の秘書」というのは、いなかったのであろうか。
いなかったのであれば、結局、小沢幹事長における「ひとを心服させる力」も、その程度だったということなのであろう。
政治家の「質」を見極めるには「側近」を見よとは、マキアヴェッリが『君主論』にも書いていることである。
これは、「つぶやき」の連発になった。
「論」ではない。
本当に「士気」が堕ちている。どうしましょうか。
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Comments
>>「つぶやき」では、他人を説得できない。
確かにそうですね。
しかし、選挙ではかなり使えるツールですので、
参院選では多くの候補者がッイッター全開となるでしょう。
Posted by: 須田 清治 | January 15, 2010 01:07 PM