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January 28, 2010

日米「太平洋」同盟の試練

■ 普天間基地移設案件は、迷走の最中である。
 名護市長選挙で、「移設受け容れ反対派」が勝利を収めたのは、予測の範囲内であったけれども、その後に、平野博文官房長官が、「選挙結果を斟酌する必要がない」と発言したのには、雪斎も目を丸くした。 
 多分、この騒動の結果、「普天間固定」という線が強まっているのではないかと思えてきた、「五月までに決着」というのが、鳩山総理の意向であるけれども、「政権の勢い」が落ちているところで、こういう案件を腕力で押し通すのも難しいであろう。
 そもそも、「五月までに」という期限の根拠が判然としない。1996年4月の普天間基地返還合意から2005年10月の辺野古沖移設合意までは、10年の歳月が経っている。向こう4カ月で落着できるという鳩山総理の見通しの根拠は、薄弱ではないのか。

 過日、尾崎行雄記念財団が発行する雑誌「世界と議会」に下掲の原稿を寄せた。尾崎財団は、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄を記念して創設された由緒正しき財団である。現会長は、横路孝弘衆議院議長、現理事長は森山真弓元法務大臣とのことである。一般には広く目にされることはなさそうなので、ここで掲載しておくことにしよう。

 □ 尾崎行雄記念財団『世界と議会』原稿  日米「太平洋」同盟の試練
 1、過ぎ去った「蜜月」
 小泉純一郎内閣期、日米関係は、「未曾有の蜜月」の時期を迎えたと評された。小泉は、「九・一一」事件直後の対米連帯声明、イラク戦争開戦直後の対米支持声明、さらにはイラク戦争終結以後の対イラク自衛隊部隊派遣といったように、テロリズムや戦争のような「有事」に際しては、一貫して対米連帯への旗幟を明確に示した。こうした一連の政策判断は、ジョージ・W・ブッシュ政権下の米国政府の「信頼」を得るに充分な対応であった。その「信頼」こそは、日米関係における「未曾有の蜜月」を成り立たせた条件であった。
 故に、五百旗頭眞(政治学者)は、小泉内閣期の対外政策を評して、「とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化である」と記したのである。
 目下、日米関係の「未曾有の蜜月」の時節は去り、一転して「同盟の危機」が語られている。、「政権交代」の結果として樹立されたバラク・H・オバマ麾下の米国政府と鳩山由紀夫麾下の日本政府には、「ブッシュ・コイズミ同盟」を演出した両指導者のような「信頼」は、何ら成立していない。僅かに四年にして、日米関係の「空気」は、激変している。
  2、「太平洋系大統領」が与えた機会
 現下の「同盟の危機」を招いた責任は、オバマの率いる米国政府にはない。二〇〇九年十一月、オバマは、アジア諸国歴訪に際しての最初の訪問地として日本を選び、「アジア政策」演説を行った。オバマは、プラハでの「核兵器のない世界」演説、カイロでの「イスラムとの和解」演説に象徴されるように、これまでも重要な演説を行ってきたけれども、東京で「アジア政策」演説を行ったことにこそ、オバマにおける対日関係重視の暗黙のメッセージが込められている。オバマの「アジア政策」演説には、次のような一節がある。
 「就任以来、私は米国のリーダーシップの一新と、互いの利益と互いの尊重に基づく国際社会に関与する新しい時代の探求に取り組んできた。われわれのアジア太平洋地域での取り組みは、米国と日本の不朽かつ活性化した同盟に根差していく割合が大きい」。
 故に、オバマの「アジア政策」演説は、日本に対する「親和性」と「期待」が色濃く滲み出た演説である。これは、それ以上に、オバマが示した「米国初の太平洋系大統領」という自己規定を鮮明に反映した演説である。その意味でも、この演説は、米国史上、「画期」的な位置を占めよう。オバマは、アジアの隆盛と試練に米国が関わっていくことを表明したのである。この「アジア」演説では、日本は、アジア関与の起点と位置付けられている。
目下、中国の隆盛の結果、米中両国による「G2」論というものが提起されているけれども、米国が建国以来、「理念の共和国」としての相貌を護ってきたという事実は、忘れ去られるわけにはいくまい。オバマは、「アジア政策」演説でも、「米国は基本的価値の主張を躊躇することは決してない。それは総ての人々の宗教や文化の尊重を含む。何故ならば、人権と人間の尊厳の尊重は米国に深く染み付いているからだ」と語っている。実際、オバマは、日本に続いて訪れた中国で胡錦濤(中国国家主席)や温家宝(中国国務院総理)と会談した折、人権やチベット情勢に絡む所見を提起している。オバマは、「自分たちの指導者を選び、自分たちの夢をかなえるための自由な人々の民主的な権利に対する信念」を語ったけれども、その信念において、米中両国には越え難い懸隔がある。日本が米国の対外政策全般に占める価値は、日本が「非西洋諸国の中では最も成熟した民主主義国家」であり続けたことに負っている。「実利」を梃子とした米中両国の接近は、米国が「理念の共和国」である限りは、自ずから限界に行き当たらざるを得まい。そのことは、日本の位置に併せて、冷静に確認されるべきであろう。
 加えて、オバマの「アジア政策」演説に関して印象深いのは、核を「二十世紀の遺産」と呼び、「地上において日本と米国ほど核で何が為され得るかを知る二つの国々はない」と評したことである。また、、オバマは、「核対処が日米両国の共通の安全保障にとって根本的だ」と語っているけれども、プラハでの「核兵器ののない世界」演説を補完する意味合いでいえば、また、この構想の主戦場がイランや北朝鮮を抱えるアジアであることを考えれば、この一節の持つ意味は、日本にとっては重いであろう。要するに、日本にとっては、オバマの「核兵器のない世界」構想に乗じて、「核の拡散」の防止に尽力することが、自らの安全保障の確保にも資することなのである。
 このように、オバマは、日本に対して多様な「機会」を提供している。オバマが「米国初の太平洋系大統領」であることの意義は、そうした観点からも理解されるべきであろう。
  3、鳩山由紀夫内閣における迷走
 然るに、鳩山由紀夫麾下の民主党主導内閣は、オバマが提供する「機会」を適切に活かそうとするどころか、それを逃すことに精励しているようである。
 日米関係における「同盟の危機」を進めたのは、普天間基地移設に絡む案件である。民主党は、衆議院議員選挙に際して発表した「マニフェスト二〇〇九」において、「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と記したけれども、その記述を半ば杓子定規に実行に移そうとした。それが紛糾の発端である。そもそも 普天間基地の返還は、それ自体としては、「百点満点で六十点ぐらいの成果」と評すべき類のものであった。それは、沖縄県民は無論、「どこも完全には満足しない」性格のものに他ならなかった。しかしながら、鳩山内閣は、「百点満点でなければ駄目だ」という論理を振りかざして、今までの「成果」を御破算にした。普天間基地移設に絡む日米合意それ自体は、十数年間、細心の注意を払って積まれた「積み木細工」であるから、これが崩されれば、元に戻すのには途方もない時間と精力が要るのである。鳩山内閣は、そうした「積み木細工」の積み直しの作業には、何らの定見を示さず右往左往している。しかも、鳩山を初めとして多くの民主党政治家からは、対中関係への傾斜と対米関係の軽視を窺わせる発言が続出している。こうした情勢の下では、鳩山が標榜する「緊密で対等な日米関係」の言葉からは、米国に対する「説得性」が剥落する。具体的な政策上の裏付けを伴わない言葉が浮遊する。米国政府の鳩山内閣に対する不信の眼差しが強まるのは、当然のことである。
 加えて、日米同盟の軋みは、周辺諸国に不安を与えている。たとえば、馬英九(台湾総統)は、政権掌握以降、対中経済交流を加速させてはいるけれども、安全保障に関しては、「日米安保条約があってこそ台湾を含む東アジアが安定する」と表明している。韓国でも、韓国紙『東亜日報』は、「(在沖縄駐米海兵隊のグアム移転が)韓国の安全にも深刻な影響を及ぼす」と指摘した尹徳敏(韓国外交安保研究院教授)の論稿を掲載している。日米同盟は、「冷戦の終結」以降には、東アジア地域における安定を担保する「国際公共財」の類として語られているけれども、台湾や韓国からの反応は、その「国際公共財」としての価値が受け容れられていることを示している。安倍晋三内閣期に発表された「日豪安保共同宣言」は、そうした「国際公共財」を日豪「準同盟」として補完する意味合いを持ったけれでも、それに基づく日豪両国の安全保障協議は、鳩山内閣下では停滞したままである。日米同盟の浸食がアジア太平洋地域の安定を損ねているのは、紛れもない事実なのである。
 もっとも、日米同盟の枠組で手掛けられるべき事柄は、別段、軍事・安全保障領域に限定されるわけではない。故に、「普天間基地移設だけが日米関係の課題ではない」という指摘は、それ自体としては決して誤っていない。実際、鳩山は、それを促す具体的な施策として、「地球温暖化防止」や「核拡散防止」を軸にした提携を提起していた。。しかし、「地球温暖化防止」や「核拡散防止」は、今後の日本の対外政策の文脈で誠に重い位置を占める政策課題であり、それに取り組むことには充分な大義が備わっているとしても、それに絡む議論は、別段、米国だけを相手にしなければならないものではない。日本が同盟国として米国に対して行わなければならない議論とは、米国にしか相手にできない政策課題を扱ったものである。
 具体的には、麻生太郎前内閣期に政府部内の議論を踏まえ提出された「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書では、集団的自衛権行使の許容、武器輸出三原則の緩和、敵基地攻撃能力の保持、PKO(国連平和維持活動)参加五原則の再考といった政策対応が提案されている。鳩山が標榜する「緊密にして対等な同盟」を実の伴ったものにするための条件は、こうした政策対応を一つでも二つでも実現させていくことである。
 前に触れた「普天間基地移設だけが日米関係の課題ではない」という議論は、こうした同盟の実質を担保する対応を手控える姿勢の口実となる。これもまた、日米同盟の現状を前にする限り、同盟の「深化」に逆行するのである。
 このように、鳩山内閣が対米政策の文脈で示している対応には、現下の対米関係を前にした「必然性」が伴っていない。「運命の女神の後ろ髪は禿げている」という西洋の諺を踏まえれば、諸々のの局面における「必然性」を読むことができず、「運命の女神」を抱き寄せることのできない政治の手法は、それ自体、「愚劣」の烙印を捺される他はない。オバマが提供する「機会」に乗ずることができない鳩山内閣の対応もまた、そのように評価されるしかないのではなかろうか。
  4、日米同盟という「奇跡」
 明治期、昭憲皇太后は、ベンジャミン・フランクリンが示した節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲といった十三の徳目に依拠して、十二の和歌を詠んだ。たとえば、「勤勉」に依って、「みがかずば光の玉は出でざらん 人のこころもかくこそあるらし」という具合である。こうした事情は、米国建国の基底にある価値観が、日本が「近代国家」として出発した折に尊重された信条と共振するものであったことを示している。時代は下って、昭和初期、日本の人々は、ベーブ・ルースやチャールズ・チャップリンが野球や映画を通じて伝えた米国文化を熱心に歓迎した。戦後、日本が昨日の敵としての米国を掌を返すように迎えることができたのは、多くの国民にとっては、こうした戦前までの交流の時間によって、戦時中の「鬼畜米英」の標語が自らの実感の伴わない観念にしか映らなかったからに他ならない、日米両国を結ぶ紐帯は、こうした歳月の積み重ねの上にある。
 日米同盟は、世界史上の「奇跡」である。日本と米国ぐらい、その元々の国情において際立った対照を成す二つの国々はない。地勢環境、人種・民族構成、宗教事情、言語、歴史、政治体制の何れの条件を採っても、日米両国には共通項はない。「大西洋同盟」と称される英米関係に比べれば、そのことは瞭然としていよう。日米同盟の「奇跡」とは、そうした国情の異なる両国が半世紀もの長きに渉る同盟の歳月を紡いだことにある。それ故にこそ、日米「太平洋」同盟を堅持していく際には、自覚的な努力の継続が要るのである。「どうせ同盟は壊れない…」と半ば高を括る姿勢くらい、有害なものはないのである。
 日米同盟樹立半世紀の節目において、その意味は強調されるべきであろう。

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Comments

奇跡に頼るなど外交の策としては「下策」ではないでしょうか。基地の移転の問題くらいで危なくなるような国にのみすがる外交は危険だとはお考えにならないのでしょうか。

北朝鮮?イラン?これらの国をあおりたてて居るのはアメリカでしょう。北朝鮮やイランのおかげで米軍基地の必要性があるわけで、なんの事はない、アメリカにとって日本は防波堤でしかない。

中国との取引に活路を見出している欧米諸国が、中国のご機嫌を損ねる外交など出来ようはずもなく、イラン・北朝鮮との友好国である中国の覇権はもう揺らぎますまい。

オバマの演説など建前です。選挙でも敗れ、求心力は弱まりつつある。この先また共和党に政権が移れば、それこそ北朝鮮や中国を重視する外交になるのであり、それにも備える必要がある。

もう一度もうしあげます。奇跡に頼る外交など外交ではありません。感情を勘定に置き換えるとおっしゃっていたではありませんか。ならばアメリカが日本を見捨てる自由も勘定で考えれば大いにあり、それに備える外交をする事がどうして国益に反するのでしょうか。基地の一つや二つで大騒ぎするくらいの薄弱な軍事力の国を当てにするなど到底堅実な外交とは言えますまい。

Posted by: ペルゼウス | January 28, 2010 at 05:59 PM

はじめまして。いつも興味深く拝見させていだ抱いております。
>「普天間固定」いう線が強まっているのではないかと思えてきた
これについては朝日新聞で早速こんな記事が。
http://www.asahi.com/politics/update/0128/TKY201001280196.html
”鳩山由紀夫首相は28日の参院予算委員会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、「覚悟を持って5月末までに(移設先を)決める。(普天間に)戻ることはしない決意だ」と述べ、必ず移設先を決め、普天間の継続使用を容認することはないとの考えを示した。”

Posted by: carbon-monoxide | January 28, 2010 at 06:52 PM

私は門外漢ではありますが・・・
雪斎さんのおっしゃるように・・・

 日米同盟が地政学的に打算的な関係で生まれ、継続してきたとしても、米国にとって日本は国際政治上、補完的な役割として非常に稀有な存在であったと、やはり思います。
 そして、その実績は(沖縄などの大きな犠牲の上で成り立ってきたわけですが)戦後日本が築いてきた財産でもあるのではないでしょうか。

 外交といっても所詮は、人間(個や組織)同士の信頼関係の積み重ねの上に成立するもので、それを基礎にして安定的な交渉ができると思います。(もちろん、打算的な行動や強迫まがいの交渉もあるでしょうが、それは長期的な利益と安定を望めません。)

 米国にとって日本が中国・北朝鮮・ロシアの緩衝材であるならば、それはそれで結構。
 それらの勢力に硬軟入り混ぜて「有利に」交渉するために米国が日本を「手札」として、まったく捨ててしまうはずがありません。(少なくとも鳩山政権のような外交オンチな政権が米国に誕生しないかぎりはですが・・・)


 逆に日本にとって、本当に米国を見限るべきとしたら(1)軍事力(2)鉱産資源(3)農産物(4)人的資源の供給能力が著しく低下したときでしょう。


 ところで、欧米諸国というのは本当に狡猾な外交を展開してきますから、GNPや人口、経済成長率だけでBRICsを礼賛していると、思わぬ落とし穴に嵌る危険性があります。
 彼らは「勝てない」と分かると巧妙に「民主政治」や「環境」、「人権」、「安全」、「IT」、「金融工学」といった「新ルール」をあたかも正しく「グローバル」なこととして締め付けてきますから。

 そういった難癖をつけるにも日本の技術力はまだまだ欧米諸国にとって「役立ち」そうですね。

Posted by: misasagi | January 30, 2010 at 12:04 AM

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