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January 20, 2010

『カーマ・スートラ』の世界、そして「性事」としての政治

■ 何を思い立ったか、『カーマ・スートラ』を詠む。
 俗に、「インドの性典」と呼ばれる書である。
 しかし、実際に読んでみれば、誠に深遠な書である。
 インド哲学によれば、人生の段階で追求すべきものは、それぞれ異なっているそうである。
 青年期には、アルタを求める。アルタとは、権力とか富、地位といった「実利」に関わるものである。
 壮年期には、カーマを求める。カーマとは、「愛」に関わる官能的素養である。
 老年期には、ダルマを求める。ダルマとは、宗教。道徳上の義務に表される「美徳」である。
 要するに、若い時は、必死になって「富」を得て、その後には「薔薇の日々」を送り、老境に至っては「悟り」を開けということであろう。

 『カーマ・スートラ』というのは、壮年期に追求すべき「カーマ」に関する「教典」である。だから、「性の技術」ということ以上に、かなり細かい話が続いている。「結婚相手にしてはいけない女」という項目には、「箱入り娘」以下、17項目が並んである。「耳障りな名前の女」という条件もある。

 昨年以来、旧約聖書、新約聖書、コーランと読んできた。だが、これは率直に面白い書である。

 ところで、これは、政治の話とは、どう関係があるのか。
 政治は、「性事」である。
 そういえば、今の日本の政治家では、「カーマ」の素養を感じさせる政治家とというのは、誰なのであろうか。「官能的な魅力」を持つ政治家のことである。雪斎が見たところ、近年では、小泉純一郎、麻生太郎、中川昭一は、そうした政治家だったと思う。それならば、鳩山由紀夫は、どうなのか。小沢一郎jは、どうなのか。意外に多くはない。それが、今の政治の貧困に関わっているのではないか。
  たとえば、小沢一郎の場合、今でも、青年期の「アルタ」の追求ばかりをやっていて、「カーマ」の追求をやっていなかったのではないか。『カーマ・スートラ』は、そうした読み方ができると思われる。

 因みに、驚いたことがある。
 ヒンズー教の支柱となっている「マヌ法典」によれば、理想の結婚の有り様は、30歳の男が12歳の少女を妻にすることだそうである。年齢差が18歳ということになるけれども、男が一定の程度の「富」を手にするのは、どうしても三十半ば過ぎにならないと本物にならない。そうした時期以降に、「カーマ」を追求しようとすれば、そして容色の最高の時期(二十歳前)の女性と結婚しようとすれば、そのくらいの年齢差になるのであろう。巷では、「年の差婚」というのが流行っているようであるけれども、そもそも、「同年代婚」というのは、人間社会の有り様からすれば無理なのではないかと疑ってみる。他の地域でも、男は、若くして結婚できなかった。日本でも、江戸時代は、商家に奉公に出た男子が結婚できるのは、番頭になるくらいの年齢だったと記憶する。

 流石に、インダス文明以来の思惟の蓄積が反映された書である。純粋に、「古典」として読めば、これは、かなりのイマジネーションを刺激してくれる書である。

 

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Comments

確かに小泉さんはそっち方面で未だにバリバリ現役といった感じがありますね。もういい加減に悟りに入ったらどうかという位に。それに比べ、我らが総理は未だにママからお小遣いを貰ってる始末ですから、アルタにもいってないんじゃないんでしょうか。

ちなみに、男が本物の財力を身に付けてから、年下の若い嫁さんを貰うのが自然であるという辺り、まだまだ雪斎殿も若いお姉さんをモノにして結婚するのを、諦めてはいない感じがするのは僕の気のせいですよね。

Posted by: アップル | January 20, 2010 at 05:40 PM

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