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October 03, 2009

鳩山由紀夫よ、「友愛」を口にするな。

■ 「2016年東京五輪」の招致は、失敗に終わった。大望を抱くのが難しい時代になったようである。バラク・H・オバマを投入しても第一回投票で脱落したシカゴの姿は、オバマの「神通力」の失速を世に印象付けることになろう。リオデジャネイロは、45年前の東京、昨年の北京と同様に、「新興国の五輪」を開催することになる。後は、インド、イスラム圏、アフリカ大陸でできるかということであろう。日本としては、ブラジルに大いに祝意を示すべきであろう。もっとも、雪斎は、個人としては「東京五輪」をリアルで体験してみたい気がするので、「2020年」に向けて仕切り直しをしてもらいたいと思う。招致委員会も「解散」ではなく「再起」である。雪斎は、それを期待する。
 

 ところで、雪斎は、IOC理事会での鳩山由紀夫総理のスピーチには、率直に唖然とした。「この政治家は、コペンハーゲンに、自分を売り込むために来たのか…」と毒吐きたくなった。スピーチの中にある「CO2 25%削減」構想だの「友愛」理念だのといった話は、結局は、「自分の話」でしかないのである。鳩山総理は、そうした「自分の話」を枕にして、「環境」や「安全」といった東京承知のコンセプトにつなげたけれども、無理な構成だったのではないか。そもそも、国際政治の世界では無名の宰相が、世界では認知されていない「友愛」理念を語っても、「それが、どうした…」というところであろう。何故、「日本の魅力」や「東京の魅力」を正面から訴えることをしなかったのか。
 加えて、「友愛」理念は、何故、頻繁に語られるのか。「友愛」理念の元ネタは、フランス革命の「自由・平等・博愛」の標語の中の「博愛」( fraternité フラテルニテ)であるけれども、それは、正確には「同志愛」と訳すべき言葉である。故に、フラテルニテにおける愛や善意は、「同志」の間だけで通用するものであって、「同志」でない人々には通用しない。だから、革命の最中、フラテルニテの言葉の下で恐怖政治が行われ、「同志と認められない人々」には、ギロチン処刑を含む呵責ない弾圧が加えられた。これが、フラテルニテの言葉の持つ「裏の歴史」である。そういえば、昔日の共産主義者は、仲間のことを「同志!」と呼びかけていたわけであるけれども、「総括」や「粛清」が相次いだ件の人々には、途方もない偏狭の匂いがある。
 こういう多義的な意味を持つ言葉を安易に使うことの怖さは、鳩山一郎が国内向けに「友愛」として紹介していた時代ならまだしも、フラテルニテという元々の言葉で「友愛」理念が海外に紹介されている現在では、きちんと認識しておいた方がよいであろう。鳩山総理は、「価値観を認める」のが「友愛」の趣旨であると説明しているけれど
も、「多様な価値観を認めない」のが、フラテルニテの実際の姿である。だから、現在のフランスでも、イスラム教徒であるアルジェリア系移民の子女にスカーフ着用を認めていない。フランス文化の純粋性といったものには、強いこだわりを持っている。雪斎は、フランスにおける「自信の強さ」には敬服するけれども、日本人が、そうした「血の歴史」を知らないで「自由・平等・博愛」の言葉に寄り掛かるのは、率直に恥ずかしいと思う。 
 故に、こうした言葉を事ある度に海外でも口にする鳩山総理は、雪斎には、政治家というよりは宗教家のように映ってくる。悪くいえば、「友愛教」の教祖という風情である。「友愛」は、総てを説明する魔法の言葉か。鳩山総理は、早晩、「友愛」の言葉に自縄自縛になるのはないか。
 安倍晋三総理の時代、雪斎は、「安倍総理は、『祖父・岸信介の影』から離れる必要がある」と書いた。安倍元総理が祖父・岸信介に尊敬の念を抱いていたとしても、彼が祖父の執政を真似できるわけではない。彼は、祖父の「ナショナリスト」としての価値観を継いだかもしれないけれども、祖父の東京帝国大学を二番で卒業した頭脳や官界その他に張り巡らせたネットワークを継いだわけではない。祖父の影響から離れて、「身の丈」に合った執政を心掛けなければ、早晩、失敗する。雪斎は、そのように懸念したのである。
 だから、鳩山総理にも、同じことを書く必要がある。

 「鳩山総理は、『祖父・鳩山一郎の影』から離れる必要がある。ゆえに、今後、『友愛』の言葉を口にするのを控えよ」。

 吉田茂の孫でありながら、そのことを敢えて自ら強調しなかった麻生太郎前総理は、その点では誠実で賢明であったということであろう。彼の言葉は、色々と批判されたけれども、「祖父からの借り物」でなく、確かに「麻生太郎の言葉」であった。

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Comments

テレビを見てて感じたのは鳩山さんは東京五輪に反対なのじゃないかという事です。大極的見地から言うとこれから五輪をやるとすると雪斎さんもおっしゃる通り、新興国へ流れてゆくものであり、アメリカも日本も開催したところで大して投資効果があがるものでもない。

イスラムとヒンドゥーの対立の融和や熱帯雨林の所有国を国際社会により巻き込むという大きな利益のほうがより大切だし、インドや南米はこれからオリンピックの候補地として重要。そんな事世界を見る目が少しでもあればわかる事で、アメリカも日本もあて馬以外の何者でもない。ただ日本の総理として何もしないと叩かれるので自分を売り込む場として利用したのでしょう。

自民党の石原氏を民主党党首が助けるというのも変ですしね。

まあいい結果になったんじゃないですか。正直日本の聖火ランナーに中国、韓国の反日を掲げる連中が攻撃を仕掛ける機会はなくなりましたからね。

Posted by: ペルゼウス | October 03, 2009 at 12:17 PM

雪斎さんは麻生さんに一定の評価をしているようですが、内閣総理大臣という地位の権威をあそこまで失墜させた人もいないと思いますよ。女性問題とか金権問題とか過去の総理にもいろいろありましたが、いずれも品の問題で、才の問題ではありませんでした。しかし麻生さんの数々の失言は、「誰にでも基礎教養の穴はあるものだ」「文脈を無視した揚げ足とりだ」として反駁できる次元を頻度・程度ともに超えており、国のトップの「才」への疑いを小学生にまで抱かせました。個々の政策への評価はこれからもなされてゆくでしょうが、上記の罪を上回る功が広く認知されるようになる可能性は低いと思います。

Posted by: よし | October 03, 2009 at 12:34 PM

 鳩山氏は先生が指摘されている「友愛」の裏の歴史は知らないか、自分に都合良く頭の中で組み替えておられるかと思います。最近、いわゆるマスコミとか左よりの方々からネット右翼、略してネトウヨと呼ばれる方達の間で、鳩山氏に都合が悪い事をいうと「友愛」されてしまうぞ(この場合は粛正の暗喩でしょうか)等という言葉がよく使われております。故人献金疑惑で追及されたりすると都合が悪い方が鳩山氏に都合良く死亡することがなぜか多い様にも見えますから尚更。
 麻生前首相は色々いわれていましたが、少なくとも自分の言葉で話をしておられる、うまくいえませんが他人の影に捕まっている印象がない方でした。
 私自身は『祖父・鳩山一郎の影』がどのようなものか解りませんが。(何しろその頃には生まれていません)
 鳩山氏は自身は空っぽな方に見えます。中に色んなものを適宜詰めては棄てを繰り返している。その姓で中は色々詰めて捨てたものの残り滓があちこちに染みている。それを友愛という言葉で誤魔化している。そのように見えます。
 京極夏彦の「鉄鼠の檻」に出てくる慈行和尚(榎木津が京極堂が落とせるものがない空っぽな禅僧と呼び、京極堂自身も中身のない大伽藍と評した人物)と非常に近い方ではないかと。中身に何か詰めようとしているだけマシというレベルの方。
 外れていて欲しいのですが。

Posted by: almanos | October 04, 2009 at 12:48 PM

「フラテルニテ」この言葉は、使ってはいけませんね。私もそう思いました。徴兵(傭兵)そして帝国が頭をよぎりました。

現代的な文脈だと、極めて閉塞性を感じます。

Posted by: forrestal | October 05, 2009 at 04:30 PM

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