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October 14, 2009

追悼 江畑謙介さん

■ 残念な話である。江畑謙介さんが逝去された。

 □ 訃報 軍事評論家・江畑謙介さん死去
        10月12日18時17分配信 毎日新聞
 江畑謙介さん60歳(えばた・けんすけ=軍事評論家)10日、呼吸不全のため死去。葬儀は近親者のみで済ませた。お別れの会を開く予定。喪主は妻裕美子(ゆみこ)さん。
 上智大大学院理工学研究科博士課程を修了後、83年から18年間にわたり英国の防衛専門誌の日本特派員を務めた。湾岸戦争や米国を主体とするアフガニスタン攻撃、イラク戦争の戦況をテレビで解説した。「日本の安全保障」など軍事や防衛に関する著書多数。

 雪斎は、江畑さんの見識には、軍事評論という領域の世界の人々の中では最も信頼を寄せていた。江畑さんの著書は、大概、読んだ。雪斎が自分の論稿を執筆した折、江畑さんから直接の教示を仰いだこともある。
 江畑さんの軍事評論のスタイルは、理系出身の合理性と徹頭徹尾、「事実」に立脚した英国流認識の複合であったと思う。
 だから、江畑さんは、イラク戦争時の戦況解説のときには、「それを判断する材料はありません」といった言葉を続けた。判断する材料になる「事実」の情報が限られているのだから、断定的なことはいえない。そうしたストイックな姿勢は、江畑さんの評論に、「信頼性」を与えていたものであったと思う。
 日本では、軍事評論というのは、余りにも政治的なバイアスが掛ったものであるか、オタク的な趣味の反映であるか、あるいは「自分の経験」に依って語られるものであるかの何れかであることが多い。そうした類の軍事評論は、アカデミックな議論の対象にはならないことが多い。江畑さんの軍事評論は、そうした「戦後日本型」軍事評論の色合いとは全く異なっていた。江畑さんは、自民党政権時に政府審議会委員を務めたけれども、雪斎とは違って政治的には「厳正中立」という趣の方であったから、たとえ民主党政権でも意見を求められれば、きちんとした対応をしたであろう。
 二十年前、日本の大学で軍事・安全保障が講じられていたのは、防衛大学を除けば、北海道大学が唯一であった。雪斎は、その「ありえない」軍事・安全保障講義をエキサイトしながら聴いていた。担当したのは、米国籍の教授だったから、誰もクレームを付けようがなかったのであろう。その頃、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』の最も権威ある英訳版で、プリンストン大学出版会から出されていたものを読んでいた。英国や米国の名門大学から出ている書には、軍事・安全保障に関わるものが当然のように含まれていることを知った。
 「平時に戦争を研究し、戦時に平和を説くのが知識人の役割だ」というのが、永井陽之助先生の言葉であるけれども、「平時に戦争を研究する」のを妨げ、「『戦時に平和を説く』どころか、誰かが勇ましいことを呼号するのを期待している」のが、この国の根強い旧弊ではないか。平和のためにこそ、平時には必死になって戦争を研究しなければならないのである。雪斎は、そのつもりで活動しているけれども、江畑さんも、同じような想いを抱いていたであろううと信じる。
 江畑さんは、本来ならば、「軍事評論家」というよりは、日本の然るべき大学で軍事・安全保障を講ずべき方だったように思う。その場を江畑さんにきちん提供できなかったのは、日本における「知の世界」の貧困を象徴しているのではないか。
 江畑さんとは、幾度も言葉を交した。何時のことであったか、雪斎よりも明らかに年下の若く綺麗な奥様が傍らにおられた。「どう見ても二十歳近く年下の奥様がおられたとは…。江畑さんは、羨ましい…」と思った。江畑さんの著書には、何時も奥様への謝辞が書かれてあった。合点が行った。
 それにしても、今の御時勢で、齢六十で鬼籍に入るとは…。
 神は、この世に本当に必要な人材ほど、早く召し上げるものであるらしい。
 この世の不条理を恨めしく思う。
 謹んで、江畑さんの御冥福をお祈りしたい。
 そして、江畑さんには、「これまでの度々のご教示、ありがとうございました」と申し上げたい。

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