『山猫』と政治
■ ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『山猫』を観る。
『山猫』は、日本の政界では、小沢一郎さんが並々ならぬ愛着を寄せている映画として知られている。
小沢さんは、物語の主人公である老公爵(バート・ランカスター)の台詞から、「現状を護るためには、変わらなければならない」という信条を培ったのだそうである。
ただし、雪斎がイタリア語完全版DVDを観たら。老公爵の台詞として、それらしいものが見つからなかった。「残るためには、少々の変化を受け入れねばならぬ」という老公爵の台詞が、中盤に出てくるけれども、このことを言っているのであろうか。
それに相応する台詞は、老公爵の甥(アラン・ドロン)が革命運動に身を投じる理由として語ったものとして出て来るのである。
『山猫』の主人公である老公爵は、時代の変化に従って「変われない自分自身」を自覚した。それ故にこそ、「変化」に適応しようという若き世代の振る舞いを邪魔しようとしなかった。一族の俊才である若き甥が革命運動に身を投ずるのを止めなかったし、その甥が「新興成金の娘」と結婚しようとしても、それを温かく迎えたのである。老公爵は、新国家樹立後に政府から上院議員に推挙されても、「自分は旧体制の人間だ」として拒んだ。多分、『山猫』が訴えたことは、小沢さんの理解とは逆に、「人間は、そんなには変われない」ということなのではないか。
さて、今日は、自民党総裁選挙である。雪斎は、党員・党友の類ではないので、この選挙でも「観る阿呆」でしかない。
ただし、誰が総裁に選ばれるにせよ、自民党再生の鍵は、元総理・派閥領袖クラスの政治家が、『山猫』の老公爵のように、若い世代のトライアルの邪魔をしないという姿勢を保てるかということなのであろうと思う。特に支持団体その他との関係を固めるという「裏方」の仕事は、ヴェテラン勢に徹底してやってもらうのがよいであろう。彼らは、元総理・元大臣という肩書きで色々なところを回ってもらえばよい。彼らは、そうした肩書きがある限り、少なくとも邪険には扱われまい。総理や大臣を務めた人物に「会いたい」と言われて嫌な気になる人々は、実は多くない。野党としての自民党には、そうした「資産」は確かにある。
誰が総裁になるかではない。総裁や幹事長その他以外の経験者議員が、どのように動くかである。総裁・党三役経験者うラスの政治家は、選挙後の一ヵ月、何をしていたか。そうしたことが、段々、浮かび上がってきそうである。
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Comments
>老公爵の甥(アラン・ドロン)が革命運動に身を投じる理由として語ったもの
それ以外にはありませんよ。もちろん小沢さんもそういう文脈で話しています。間違って伝えられているだけです。
Posted by: Ozeki | September 28, 2009 04:38 PM
河野さんへの議員票がおどろくほど少なかったですね。
僕は愛想つかして39年の自民シンパを今日限り止めることにしました。
Posted by: 笛吹働爺 | September 28, 2009 07:32 PM
「山猫」は名画ですね。今度新作の上映の売り込みで東京国際映画祭に来日するジュセッペ・トルナトーレ監督はシチリア人を知りたければ「山猫」を観ろというくらいですから。
ただ私の意見ではあの映画のテーマは「裏切り」ですよ。バート・ランカスター演じる貴族が新興財閥のボスに自分が何度も主を変えて来た事を告白するではありませんか。貴族社会にとっては伝統や忠節は大切なものでしょう。しかしそれは裏切りによって支えられているものであり、生き残れなければすべてが無意味だという部分こそ重要なのではないですか。
あの貴族の立場を「天皇家」とか「日本」とか置き換えてみればわかるでしょう。アメリカについてゆけばさえ行けばよいなどという出鱈目とはまったく違う。むろん逆らいさえすればよいということじゃない。裏切りとは自分に守らねばならないものがあるからこそ必要になる結果なのだという事です。
もう日本など多極化のなかでどうでもよくなっているアメリカに距離を置いて何が悪いというのでしょう。北朝鮮を代わりにパートナーに選ぶことがあるかもしれない。しかし彼らにしても自分たちの血をアメリカのために流す事は危険な事で、米軍基地が置かれて、米兵によるレイプや犯罪の被害が起きれば、そう簡単にはいきますまい。下手をするとそれで北朝鮮の政治体制が変わる事になるかもしれない(笑)。
アメリカ人が日本人のために血を流せない以上、日本人もアメリカ人のために一滴も血を流す必要はないのです。
Posted by: ペルゼウス | October 01, 2009 11:09 AM