「揚げ足取り」の風景
■ 麻生太郎総理が「失言」をやらかしたらしいという話が伝わってきた。「高齢者を侮辱した」という趣旨だそうである。下記記事は、その「失言」への反応を伝えている。
□ <鳩山代表>首相の「高齢者は働くしか才能ない」を批判
7月25日19時59分配信 毎日新聞
民主党の鳩山由紀夫代表は25日、大阪府柏原市内での街頭演説で、麻生太郎首相が高齢者に関し「働くしか才能がない」と発言したことについて、「どう考えてもおかしい。人生はまさにいろいろある。『働けるぞ』という方には大いに働いていただきたいが、70歳、80歳になってからゴルフやスポーツを始めてもいい」と批判した。後略。
麻生総理の元々の発言は、どうだったのかを見ないと判断が付かないので、探してみたら次のようなものだったらしい。
「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」
確かに、揚げ足を取られる要素は、多分にある。
雪斎が麻生総理のスピーチ・ライターならば、次のように「朱」を入れる。まだ、突っ込まれる要素が二つだけああるけれども、元の発言よりは「消毒」が済んでいるはずである。
「元気な高齢者をいかに活かしていくか。この人たちは皆さんと違って、働くことに図抜けた才能があると思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても限りがあります。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」。
こうして考えると、麻生総理の弱さは、政治家としての「地」が見えすぎることにあるのであろう。政治家の仕事は、歌舞伎・能のような「技芸」なのだから、「地」が出ては困るのである。麻生総理は、「悪党」になりきれない人物なのであろう。政治を離れて付き合えば、誠に楽しそうな人物であはあるけども…。更にいえば、政治家に「地」の発言をさせないためにも、スピーチ・ライターという仕事があるのだけれども、日本では、活躍の余地は狭いのである。
もっとも、総理の発言の趣旨には、雪斎は全面的に賛成である。現在の日本の「内治」の本質は、高齢者の「子泣き爺・子泣き婆」化を、どのように回避するかということに他ならない。「子泣き爺」とは、「本来は爺の姿だが、夜道で赤ん坊のような産声をあげる。それを見つけた通行人が憐れんで抱き上げたところ、体重が次第に重くなり、手放そうとしてもしがみついて離れず、遂には命を奪ってしまうという」妖怪のことである。今後の日本の高齢者は、余程の資産を持ち、若年世代に世話になる必要を感じないということでなければ、「悠々自適の隠居生活」を愉しめると思ってはいけないということなのかもしれない。
ところで…、前の「修正済み」麻生発言に突っ込みを入れるとすれば、次のような感じになるであろう。
「元気な高齢者をいかに活かしていくか。この人たちは皆さんと違って、働くことに図抜けた才能があると思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても限りがあります。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」。
① 「この人たちは皆さんと違って…」。
/ 「皆さん」には、才能がないというのか。
② 「80歳過ぎて遊びを覚えても限りがあります」。
/ そんなことは、どうして断言できるのか。
③ 「その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」。
/ 年を取ってまで、税金を搾り取るのか。
これが、現在の日本の政治の風景である。「ワン・フレーズ・ポリティックス」をやろうとした小泉純一郎元総理は、この点では賢明であったというところか。
「国内政治」カテゴリの記事
- 三ヵ月の空白(2011.08.28)
- 仏滅の内閣改造/与謝野馨という「トロイの木馬」(2011.01.14)
- 民主党における「馬鹿の四乗」(2010.10.26)
- 「過剰配慮」の代償(2010.10.19)
- 日本のナショナリズム(2010.10.17)
The comments to this entry are closed.














Comments
■『それが国民の程度かも』 細田幹事長すぐ撤回 首相批判にいらだち―「それがマスゴミの程度かも」というのが本当だ!!
こんにちは。昨日、細田幹事長も、麻生総理も、マスゴミが興味を惹きそうな失言をしていたと思います。マスコミも頭が悪くて、暇なものですから、こういう話題はとっつき易いので、報道しているのだと思います。しかしこのようなこととは、全く関係なく私達の社会は、少し前までとは全く異なる知識社会に突入しています。こういう社会では、富の源泉は、カネではなく知識です。また、労働者のうちで量・質ともに最大の層は知識労働者です。今や政治そのものが、知識労働者に合わせたものにならなければなりません。選挙のための道具も、知識にすべきです。いまのままだと、自民党も、民主党も、次の選挙で政権を担ったとしても、過渡期の政権に終わります。そのことに早く気づいた政党などがいずれ主導権をとることになるでしょう。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
Posted by: yutakarlson | July 26, 2009 11:44 AM
これじゃ怖くて何も言えないですね。
聖職者じゃないと政治家になれない気がします。
Posted by: blksize | July 26, 2009 11:48 AM
この宰相、言語観が平凡で、自分の意思を伝達する手段だと思っているのだろう。それも上手でないが。
白川静、あるいは、フランス構造主義などの著作に触れたことはないようだ。
言語は、呪術、贈りものだと考えるべき。贈りものだと自覚があれば、細心の注意を払って言葉を使うだろう。
石田純一は、無自覚にだが、言葉が贈りものだと思っているのだろう。だから、あの程度の風采でも、あんなに女にモテル。
この宰相は、金や地位を狙ってくる女性にはモテタだろうが、本当に惚れた女には、振られたような気がする。
Posted by: 冬水 | July 26, 2009 05:13 PM
麻生総理の真意『元気な高齢者』これからの日本
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm7746259
上の動画は2008年2月17日、伊勢原青年会議所設立30周年記念講演の音声動画です、一年半前ですけど多分同じ話だと思います、馬鹿受けですw、まあ総理大臣が受けを取ってもしょうがないんですけど、自分は支持します。
Posted by: poop | July 26, 2009 09:03 PM
いつも楽しく拝見させて頂いております。
今回の失言に関するネット(主に2ちゃんねるのような)の論調を見ていると、麻生総理に同情的でマスコミに厳しいものが目立ちます。わたし個人は、ネットの論調がそちらに偏りすぎるのはどうかと思っています。
システマティックに見た場合、高齢者が新たな技能を身につけるより、現在の技能の延長線上で社会貢献したほうが効率は高いものと思いますが、単に社会への効率や余命という現実でばっさり切ることは、少なくとも現代の人道的なモノの見方からはずいぶんとズレている印象を受けます。
人間個人としての権利、一個の独立した人格として最後まで自由に活動的に生きる権利があるという観点が欠落しているように感じます。
なので、もし同じ趣旨の発言をするとしても、最初に個人の権利、人格を尊重した前置きの上で、改めてシステムとしての効率化が日本社会に重要だという組み立てをしないといけなかったのかな・・・と思います。それでも議論は尽きないと思いますが。彼の発言にはいつも前者が抜けているので・・・わたし個人では考え付かない失言ばかりなので、大変不思議です。どうしてなんでしょうね?
Posted by: ayumihamasaki | July 27, 2009 10:45 AM
知識労働者ばかりが国民ではない。老人、障害者、農家、漁師等の存在も大切に考えないと、いつまでも日本は地獄社会だ。そんなことでは自民党は潰れてしまう。
Posted by: マルク | July 29, 2009 05:09 AM