政治的な立場と人格
■ 人々が、どのような政治上の立場を取るかということは、その人物の人格の反映である。下のような図表がある。これは、『現代政治学入門』(永井陽之助・篠原一共編、有斐閣))という歴とした政治学教科書に書かれていることである。
「強靭なな心性」
|
|
|
|
|
|
「急進」---------「保守」
|
|
|
|
|
|
「柔和な心性」
横軸は、物事を観察する視座である。これは説明を要しまい。
縦軸は、物事に対する姿勢である。「強靭な心性」とは、その成長過程で、様々な欲求の統御の術を上手く体得することが出来なかった人々に多い、故に、外部に対する姿勢は、非妥協的、攻撃的なものになる。「反共の闘士」とか「革命の志士」とかという類の人物は、このタイプに属する。他人を表立って馬鹿にしたり、罵倒するような言辞を吐く人々も、そうすることで不満を解消しようという心理の下にある点では、同じようなタイプである。片や、「柔和な心性」とは、そうした諸々の不満を抱え込む幣から逃れられている故に、他人に対して概ね寛容な姿勢になる。
芸術や文化の領域では、「精神の若さ」は、間違いなく歓迎される。だが、政治の世界では、それは、克服すべき話になる。マックス・ウェーバーの『職業としての政治』で説かれているのは、そうした政治における「精神の成熟」の意義である。
この図表の上に、a:共産主義者、b:社会主義者、c:自由主義者、d:保守主義者、e:ファシストをプロットすると、下のようになる。 尚、これらの人間類型は、総て価値中立的で、特段の称揚や罵倒の意味を持たない。
「強靭な心性」
|
|
a |
| e
|
|
「急進」---------「保守」
| d
|
b |
| c
|
|
「柔和な心性」
この位置に関しては、次のようなことがいえる。
第一に、「共産主義者」と「ファシスト」、さらには「社会主義者」と「自由主義者・保守主義者」は、同じタイプの人間類型である。人間は、横の方向に移動は出来るけれども、縦の方向へは移動できない。人間は、「物事を観る視点」は容易に変えることできても、「人格」を変えることはできないからである。だから、「共産主義者」は、「ファシスト」に転向することがあっても、「社会主義者」にはなることはない。「自由主義者」は、「保守主義者」の顔をしたり「社会主義者」に寄ることがあっても、「共産主義者」や「ファシスト」からは最も遠い。
第二に、自由主義者と保守主義者は、最も近いタイプの人間類型である。「保守」と「リベラル」が対立するなどという議論は、米国の図式を直輸入しただけのものであり、それで説明しようとすると日本の実情では整合しない。
…ここまでが「説明」である。
さて、ここからは、雪斎の意見である。
二十一世紀の現在、こういう「ファシズト」や「共産主義者」とは、どこにいるのかと問われそうである。だが、周囲に対して罵倒や嘲笑の言葉を投げ付ける「「強靭な心性」の持ち主、、即ち「精神が大人とはいえない人々」は、今でも巷に掃いて捨てるほど、居るのではないか。現在、世に言う「真正保守」とは、雪斎の理解する限り、1930年代に生活していたならば、「ファシスト」と呼ばれた層ではないか。「ネット右翼」というのも同類であろう。また、「市民運動家」というのも、ここでいう「共産主義者」の亜流と呼んだほうがいいい。
この二つのタイプに共通するのは、どちらも、 「肩に力を入れて、眼を血走らせて」悲憤慷慨する風情を漂わせるということである。更にいえば、自分の気に入った人々のことは「●●氏」「●●さん」と書く一方で、自分の気に食わない人々のことは「●●」と敬称抜き、呼び捨てで書くのも、こういう「強靭な心性」の持ち主層の特色である。要するに、どちらも「偏狭」なのである。
雪斎は、多分、この中では、「自由主義者」と「保守主義者」の中間ぐらいには、位置するのだろうと自覚する。
だから、「共産主義者」とは遠いし、「2000年代の自称、真正保守」とは全然、違う人間類型となる。どちらも、「付き合うのは遠慮したい」タイプの人間類型である。
政治的スペクトラムは、「急進ー保守」という横軸で観るのが、当然であった。だが、実際の人間関係でいえば、「強靭ー柔和」という縦軸の方が、分かつ要素は大きいのである。「考え方は近くても肌が合わない」というのは、「自由主義者・保守主義者」と「ファシスト」の違いを表す言葉でもあるのである。
政治を語る際には、眼を血走らせて何かをしようとすると、余り碌なことはない。どうせ、人間のやることである。民主党が政権を執ろうと、物事が「天地が引っくり返る」ように変るわけではない。自民・公明連立を続いても、日本が沈没するわけでもない。所詮、政治などは、「二流の仕事」でしかない。そうした「二流の仕事」にエキサイトし過ぎるのも気色悪い。そういえば、雪斎の若い友人が昨日、カリフォルニア・ワインの名品「オーパス・ワン」を進呈してくれた。こういうワインを傾けながら、ブルックナーのシンフォニーを聴いていたほうが、人生は豊饒なものにならないであろうか。
「学者生活」カテゴリの記事
- 連続する「食言」(2009.11.15)
- 「政治」を教えた俳優(2009.11.11)
- 一つの懺悔(2009.11.10)
- 『井上成美』を読む。(2009.11.01)
- 「現場」の傲慢(2009.10.15)













Comments
大変興味深いお話でした。
この2つの座標軸、対象が「政治的立場」となっていますが、「社会的立場」ともう一つ大きな枠でも良いように思います。即ち、人間が集団を形成する場では、似たような分布を呈するものかと思います。
小生はサラリーマンですが、社内においても同じような様相を呈しております。
なお、落ちの部分、opus-1とブルックナー。此処も誠に同感です。(笑)
Posted by: sal | July 10, 2009 at 12:01 PM
ワインとシンフォニー?もう一つ、必要ですよ。それは女。女から見れば男。
旨い酒、惚れた異性、よい音楽、これだけ揃えば、政治など、馬鹿らしくてどうでもよいとなるでしょう。
表のおかげで、共産党系ブログ、真正保守と称するブログで、少し、批判をすると、出入り禁止になる理由がわかりました。
Posted by: 冬水 | July 15, 2009 at 09:07 PM