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June 19, 2009

「できること」と「できないこと」

■ 雪斎にとって、「永田町」時代の教訓は、何か。
 それは、政治家にとっては、「出来ること」よりも「出来ないこと」のほうが、遥かに多いということである。
 政治家は、「権力」を持っているから何でも出来るというわけではない。むしろ、「権力」を持っているから出来ることは、かなり狭まめれる。オットーフォン・ビスマルクは、政治を「可能性の芸術」と呼んだけれども、それは、政治が『出来ないこと』ばかりの状況下で『出来ること』を敢えて見つけようというする営み」だという意味である。
 こうした現実は、中々、理解されないのではないか。 

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June 15, 2009

「聖」と「俗」

■ 何を考えたか、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴く。教会の鐘を思わせる出だしが印象的な曲である。
 聴いたのは、下の演奏である。
 ● スヴャトラフ・リヒテル/スタニスラフ・ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
 ● ウラジーミル・アシュケナージ/アンドレ・プレヴィン&ロンドン交響楽団
 ところで、このラフマニノフのコンチェルト二番というのは、かの辻井伸行さんのレパートリーの一つであるので、結構、認知度が高まっているのではないか。
 ただし、辻井さんの演奏は、雪斎は二十年後に聴きたいと思う。現在、彼のCDやDVDが俄かに売れるようになっているようであるけれども、それが『五体不満足』ブームの再来になるようなことだけは、避けてほしいものだと思う。こういう時節であればこそ、彼には、しっかりと足元を固めてもらいたいものであると思う。
 「盲目のピアニスト」などという下らぬ「話題性」が消えたところで、彼の演奏家としての境地に触れたいものである。
 彼は、「聖」の世界の人間である。

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June 13, 2009

「鳩山太平記」

■ 四半世紀前に放映されたNHK水曜時代劇『真田太平記』は、雪斎には忘れられないドラマである。信州真田家の信之・幸村兄弟の軌跡を描いた作品だった。
 兄弟が政治上、彼我に割れているという様子は、今では鳩山由紀夫・邦夫兄弟の姿に現われているのであろう。

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June 09, 2009

「現代の検校」

■ 宮城道雄という人物がいる、
 正月に流れる箏曲『春の海』の作曲者として知られる。
 幼少時に失明した人物である。
 ところで、日本では、古来、視覚障害者には、座頭、匂当、検校という官職が与えられた。
 中でも、最高位の検校になるためには、箏曲、三味線などを極めなけばならなかったわけである。
 江戸・寛永年間に活躍した八橋検校は、箏曲の発展を劇的に進めた。 
 故に、日本では、視覚障害者にして音楽家というのは、長い伝統を持った職業なのである。
 宮城道雄は、そうした伝統を継いだ人物であったといえようう。
 そういえば、『風雪ながれ旅』のモデルとされる津軽三味線奏者、高橋竹山も、そうした人物であった。

 ところで、昨日、「快挙」ガ伝えられた、

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June 02, 2009

「北」の国から

■ このところ、諸事山積である。このエントリーも10日ぶりくらいの更新である。

 ところで…。

 「星影冴かに光れる北を 人の世の清き国ぞとあこがれぬ」

 これは、北朝鮮を称えた歌の一節である。
 金日成が建国した北朝鮮を「清き国」と称えたのである。  

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