「いいひと」と「無茶苦茶なひと」
■ 忌野清志郎さんの訃報に接する。
ただし、雪斎は、ロック系の音楽は余り聴かない。
昔、TOKIOが出ていた番組で、無名のストリート・ミュージシャンに変装して、オーディションを受けていたの見たことがある。当然、オーディションを通過するのだが、あとで正体がばれて大騒ぎと相成る。横綱が序の口の土俵に上るようなものだから…。
その後、「君が代」をロックで歌うということをやる人物だと知った。
「無茶苦茶なひと」だと思った。
昭和40年代に活躍した奇人に、交楽龍弾という人物がいた。モヒカン刈りの風貌で、サイケデリックの前衛画家として知られた。歌手やパフォーマーとしても名を馳せた。ある意味では、「無茶苦茶な」人物である。ただし、元々は、石見浜田松平家の当主で、世が世なら子爵の待遇を得ていた人物である。
ところで、この奇人である交楽龍弾との交友を喜んでいたのが、時の宰相、佐藤栄作であった。「俺にも、こういう友人がいるぞ」というわけである。
忌野さんの言動をどのように受け止めるにせよ、「政界の団十郎」と呼ばれた佐藤が当時の「無茶苦茶なひと」との交流を喜んだことの意味は、真面目に留意されるべきことかもしれない。佐藤ならば、忌野さんの「君が代ロック」に接しても、「けったいなことをするなあ」と反応したのではないか。要するに、政治の一つの目的が、文化の発展を促すことにあるならば、政治家は、特に文化・芸術方面での「「無茶苦茶なひと」を大事にしなければならないである。だから、「君が代ロック」に接して、「反日」、「不逞の振る舞い」などと反応するくらい、つまらないことはないのである。
そういえば、内田裕也さんも泉谷しげるさんも、「無茶苦茶なひと」である。御両人の歌は余りしらない。映画『十階のモスキート』における内田さんの怪演とか、ドラマ『』白虎隊』で官軍参謀・世良修蔵を演じた泉谷さんの「憎たらしい演技」というのは、彼らが「無茶苦茶なひと」であることを教えてくれた。実は、若き日の雪斎は、内田裕也さんの映画には、ほかにも強い印象を受けたのである。
「『反体制派的スタイルがロックだ』というのが常識ならば、その『常識』に逆らって、想いっきり『体制派的に』振る舞ってやるぜ。ベイビー」。これが雪斎のスピリットである。「何か違うだろう…」という突っ込みは、この際、ご遠慮願いたい(笑)。そうした反骨心は、それが、どちらの方向に向かおうとも、大事である。雪斎は、巷では、「保守論客」ということになっているけれども、こうした「反骨心」がなければ、モノを書く気にもならなかったというのが、率直なところである。
政治学の世界でいえば、進歩主義思潮前全盛の頃に、「現実主義」を打ち出して論壇に登場した高坂正堯先生や永井陽之助先生は、「無茶苦茶なひと」だったのである。だから、雪斎が両先生から習うべえきものの一つは、こうした「反骨心」なのであろうと思う。特に、永井先生は、東京大学法学部の「官学アカデミズム」の系譜に連なりながら、これをやったのであるから、その「無茶苦茶さ」は、高坂先生以上かもしれない。
翻って、2000年代以降の「保守・右翼」知識層というのは、一体、何に「「反骨心」を抱いているのか。中国や韓国に噛み付いたところで、こうした国々のエージェントから命を狙われる危険などあるはずもない。大体、国民の半数近くが憲法改正に賛成する御時勢にあって、たとえば憲法改正を唱えることには、どこに「無茶苦茶さ」や「反骨」があるというのであろうか。北朝鮮に対する国民的な憤怒の感情に乗じて、北朝鮮に対する強硬論を鼓吹することには、どこに「反骨」があるのか。そこにあるのは、彼らが批判する「平和ボケ」にも似た「お気楽な世界」ではないのか。だから、論の世界の「質」が落ちるのである。
巷では、「草食系男子」というのが、流行っているようであるけれども、日本の男児は、「いいひと」ではなく「無茶苦茶なひと」を目指すべきなのであろう。くさなぎ・つよし君の事件は、その「転機」になることを期待しよう。彼が、たんなる「いいひと」ではなく、「無茶苦茶なひと」のキャラクターも得るようになったら、芸能の世界では一皮剥けるのであろうと思う。そういえば、そういうキャラクターを演じられる若手は、今は多くないのではないか。
忌野さんの「無茶苦茶なひと」の系譜が、継がれるなら、いいことであろう。忌野さんの「無茶苦茶さ」と「反骨」は死せず。合掌。
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Comments
まぁいい人がどうとか草食がどうとかむちゃくちゃが良いとかそういう話を超えて、解決すべき課題を合理的に粛々と解決していけば良いだけだと思います。その作業でここまでこれた訳ですから。
いつの時代も本当に最も有能な人達は「日本はもう滅びる」とかそういう話どーでもいい話題に時間を使わず、日々粛々と解決すべき課題を解決している人達です。
Posted by: 佐々木 | May 05, 2009 05:48 AM
そう言えば時代劇などの悪役のできる人が最近はいませんね。往年の東映時代劇には個性的なカタキ役者が何人かいましたが。
「おくりびと」の本木くんに今ひとつもの足りなさを感じたのはそのへんかもしれません。完全に山崎努に食われてましたから。
草なぎくんが鬼気迫る悪役ができたら面白いでしょうね。
Posted by: 笛吹働爺 | May 05, 2009 07:05 AM
>「『反体制派的スタイルがロックだ』というのが常識ならば、その『常識』に逆らって、想いっきり『体制派的に』振る舞ってやるぜ。ベイビー」。これが雪斎のスピリットである。
なんか
The Yes Menみたいですね。
http://theyesmen.org/
Posted by: ろーりんぐそばっと | May 05, 2009 09:30 AM
今の時代こそ植木等演ずる「スーダラ社員」みたいな、バイタリティ(?)溢れるタイプが上にも下にも必要なのかもしれないですね。
Posted by: ぬ | May 06, 2009 03:26 AM
いいひと=どうでもいい人・都合のいい人、という意味だと解釈しているので、無茶苦茶なひとは一定数は必要だと思っています。
何やらチクリと仰りたい方もおられるようですが、無茶苦茶なひとだらけだったら世の中は成り立たない、というのが大前提ですよね。
Posted by: asa | May 10, 2009 04:01 PM