二つの外交懸案
■ 「北方領土」と「拉致被害者」は、ともに、日本が他国に返還を要求している案件である。
だが、この二つの案件は、決定的な違いがある。
「北方領土」案件は、解決が長引いたところで困る人々は、実質的には誰もいないであろう。
故に、日本政府は、「四島一括返還」原則を押し通すことができる。敢えて「中途半端な妥協」に踏み切る必然性はない。自分の手柄にしようという「下心のある政治家」がいれば、話は別だが…。
だが、「拉致邦人」案件は、明らかに様相を異にする。
それは、「急がなければならない」案件なのである。
たとえば、半世紀後、「拉致被害者」が世を去ったような事態になれば、何を「解決」といえるのか。
横田めぐみさんならば、雪斎と同世代なので、半世紀後も存命であることは考えられるけれども、それでは、両親との再会は無理であろう。それは、他の「拉致邦人」に関しても、同様である。
故に、これは、解決に向けた「期限」を予め設定しておかなければならない話である。佐藤栄作は、「向こう二、三年以内に」と期限を設定して沖縄返還交渉に臨んだけれども、同じことを日本の政治家が打ち出す必要があるわけであるl。そうでなければ、「邦人拉致」案件は、時間だけが経っていて結局は余り進展していない「北方領土」案件と同じ類のものになる可能性があるのである。
雪斎は、「拉致被害者」帰還という目的を第一にして、「向こう五年以内」という期限を設定たつもりでやれば、「毅然とした態度」を求めるという単線的な姿勢では、物事は動かないであろうと考えている。だから、雪斎は、北朝鮮との国交正常化を急ごうとする政治家の動きは、批判的に観ていない。また、拉致被害者をカネで取り返すという身も蓋もないオプションもまた、排除されてはならないということになる。中世期、ヨーロッパでは、多くのキリスト教徒がイスラム海賊によって拉致されけれども、それを奪回するには、「カネで片を付ける」手法は全然、排除されていなかったのである。こうした手法は、キリスト教徒の側からすれば、理不尽なことかもしれないけれども、そもそもイスラム海賊の側に「同胞の身柄」がある以上、仕方がなかったのである。こうした手法を余儀なくされたキリスト教徒側の憤懣が、後の十字軍運動の下地になっているわけである。小泉純一郎訪朝から既に七年近くの時間が経っている。拉致案件に、あと何年の時間を掛けるつもりなのか。
雪斎は、「拉致被害者」救出を唱え、北朝鮮に対する「毅然とした態度」を要求する人々にとっては、「拉致被害者」救出は、一種の「顕教」(建前)であって、「毅然とした態度」という言葉で「国家としての自尊心」を満足させることが、実は「密教」(本音)なのではないかと思うことがある。こうした人々の姿勢が、義侠心の現われであっても、その一方で、「砂時計の中の砂」は確実に落ちていっているのである。
「北方領土」も「拉致被害者」も、本来は日本の手にあるべきだが、実際には、それはロシアなり北朝鮮なりの側にある。どちらも、向こうが「返す気」にならなければ帰ってこない。日本国民の側も、それを返してもらわなければならないという切迫感を、どれだけ持っているのか。対外政策における「本音」と「建前」が交錯する。
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Comments
それは違います。
拉致問題をカネで解決できるはずはありません。
とっくに拉致被害者は殺害されている。もし生きているならとっくに北朝鮮は拉致被害者を解放してます。北朝鮮に拉致問題を長引かせてメリットがあるはずもない。「拉致被害者は生きているはずがない」というのは彼らが自分たちの手で殺した事の証明であり、その責任を取らない以上、カネも正常化もありません。
では責任をどうとるか。
本来なら「戦争責任」をとる形で日本が罰を受けたように東京裁判のような形で首謀者の死刑という形をとるべきでしょう。しかし将軍様を神とする彼らには難しい。
ならばもはや手はただ一つ。
憲法9条を押し付けるしかありますまい。それをこばめば「特別な国家」としてこれからも扱うというよりありません。
Posted by: ペルゼウス | April 23, 2009 01:25 PM