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March 02, 2009

白洲次郎の「周辺」

■ 雑誌『諸君j』に下の論稿を乗せた。

 □ 保守再生は〈柔軟なリベラリズム〉から
  -徒に威信を求め、「戦後」を憎悪するのは虚しい。保守にはもうひとつの道があるはずだ

 雑誌『諸君』に原稿を寄せたのは、今世紀に入って初めてのような気がする。中身は、雪斎が折に触れて拙ブログで書いてきたような「保守論壇」批判である。

 この論稿では、牧野伸顕の言葉を引用した、牧野は、戦前期の自由主義者の一典型として知られた人物である。だが、牧野は、何よりも、昭和天皇の信頼も厚かった「股肱の重臣」であった。「自由主義者」と「皇室への敬意」が重なり合った戦前期の肖像である。こうした牧野に類する人物が、雪斎にとっては、正真正銘の「保守主義者」である。現在、帝国・日本の敗北を招き、国民生活に甚大な被害を与え、なおかつ皇室の安寧を危うくせしめた歳月のことを擁護している人々は、自らを「真正保守」などと呼び習わしているらしいけれども、噴飯の類であろう。
 さて、牧野との関連でいえば、一昨日から始まったNHKドラマ『白洲次郎』は、興味深かった。放送前に、雪斎の旧友がメールを入れてきて、「あれは●●(雪斎の本名)が好きなテイストであろう」という趣旨のことを言ってきた。「英国趣味の●●には、丁度、いいであろう」というわけである。実際、二十歳前後の雪斎は、そうした世界に心底から憧れの念を抱いていたのである。
 ところで、このドラマでも、吉田茂との絡みで牧野は登場するのである。それにしても、吉田茂を演じた原田芳雄さんの「激似」ぶりには、かなり驚いた。雪斎は、「原田の吉田」は、「森繁久弥の吉田茂」にも比肩するものであろうと確信する。尚、ドラマで白洲を演じている若手俳優のことは雪斎は知らない。白洲の妻を演じている中谷美紀さんは、つくづく上質の女優だとは思うが…。加えて、白洲の父親・文平を演じた奥田瑛二さんは、過日も民放の倉本聡原作ドラマでも、似たようなキャラクターを演じていなかったであろうか。
 ドラマの主人公である白洲次郎は、以前から、雪斎にとっては、「格好良い日本人」の典型みたいなところがあった。白洲に関していえば、被占領期、GHQを相手に一歩も引かなかったという話が、判で押したように語られる。だが、GHQを相手に張り合えたのも、白洲が、「米国などは我らの植民地だ」という英国上流階級の感覚を受け継いだからである、要するに、白洲にとっては、ダグラス・マッカーサー以下のGHQ将校連中などは、「粗野な田舎者」に過ぎなかったわけである。「占領者」を相手に呑んでかかっているのであるから、これは、強いわけである。白洲に関して伝えられる最も有名な具体的なエピソードが、昭和天皇からのギフトを粗略に扱ったマッカーサーをしかりつけたという話であるけれども、こうした感覚は、近衛文麿、牧野、あるいは吉田のような「近代宮中重臣層」に連なった白洲には、当然のことだったのではないか。
 そして、現在の日本は、民主主義国家であるのと同時に、「立憲君主国家」なのである。「護憲」を金科玉条の如く唱えている左翼層が、この点を黙っているは不実の極みであろう。現行憲法典の「肝」は、第九条などではなく、日本が「共和国」ではなく「立憲君主国家」であると規定した第一章にあるのである。然るに、彼らが、憲法の第一章を改正せよと唱えているのを雪斎は聞いたことがない。彼らの「護憲」論というのも、その程度のものである。
 また、雪斎が現下の保守言論を嫌っているのは、白洲における「自信の裏付け」に類するものが決定的に欠けているからであろう。「矜持」だの「誇り」だのと口にしたければ、それに見合うだけの「力」や「実績」の裏付けが要るのである。こうした「力」なり「実績」なりの裏付けを伴わないで発せられた「誇り」などは、所詮、「虚勢を張る」類の代物でしかない。「反米」を唱えても米国人を黙らせるだけの論理も説得力もない。阿呆らしいことではないか。
 故に、日本にとって必要なのは、様々な性格の「力」なのである。ところが、現下の経済危機でも、「米国の尻拭いをさせられるのは嫌だ」とか「日本の富が米国に奪われる」といった類の被害者意識丸出しの議論が出てきたりする。そのような被害者意識丸出しの議論のどこに、「誇り」などあるというのであろうか。今は、黙って、力を蓄える方策を考えればいいのである。
 閑話休題、昨日昼刻、柿沢弘治さんの「お別れの会」に参加した。今だから告白するけれども、愛知和男代議士のところに草鞋を脱がなければ、柿沢さんか雪斎にとっての「親方」になっていたかもしれない。愛知代議士を紹介頂いた東京大学時代の師匠が、「愛知先生のところに行けなければ、柿沢先生に…」と仰せだったのである。柿沢さんも、愛知代議士と同様に、「東京大学法学部出身」、「都会志向」、「国際派」という性格の政治家だった。もう、十五年も昔のことである。かくて、時は流れる。壇の中央には、天皇陛下御下賜の目録が掲げられていた。それが、この国の風景である。

 今週は、明日より、箱根で「仙人生活」である。故に、エントリー更新は、金曜日になる予定である。

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Comments

> 白洲が、「米国などは我らの植民地だ」という
> 英国上流階級の感覚を受け継いだからである、
> 要するに、白洲にとっては、
> ダグラス・マッカーサー以下のGHQ将校連中などは、
> 「粗野な田舎者」に過ぎなかったわけである。

マ元帥が、初めての会談の際に吉田首相に愛用のマニラ産シガー(銘柄はTabacalera)を勧めたところ、吉田首相は自分の愛用の銘柄があるからとその勧めを断り自らの懐からハバナ産シガー(銘柄失念)を取り出して反対にマ元帥に勧めたという逸話があったことを思い出しました。

Tabacaleraが必ずしも不味いとは思いませんが、質も格もハバナには劣ります。ご長男の健一氏の対談集に載っていた話では、吉田首相は戦時中でも英国から取り寄せた最高級のハバナ産シガーを大量にストックしていたそうです(今でも最高級のハバナ産シガーは英国経由で流通するようです)。

マ元帥へのとっさの切り返しをみるに、吉田首相にも「米国などは我らの植民地だ」という英国上流階級の感覚に似たものがあったように思えます。

Posted by: 私はQuai dOrsayが好きです。 | March 02, 2009 at 11:34 PM

>そして、現在の日本は、民主主義国家であるのと同時に、「立憲君主国家」なのである。

全くおっしゃるとおりですな。
海外から見れば日本はどうみても立憲君主国でしょう。
(なぜか日本国内ではあまり話題になりませんが)

また、明治憲法以来の立憲君主国としての一貫性が、現代日本における古典的自由主義者の存在意義にもつながるように思います。

Posted by: 財前修 | March 03, 2009 at 09:11 AM

白州次郎の渾名は「スリーパーセンター」
彼を通じて吉田茂や他に利権絡みのお願いを
する時は3%の手数料を白州に払わなければならなかったことに由来します。税金を食い物にしておいてのノーブレスオブリージュって笑ってしまいます。 

Posted by: 須田清司 | March 03, 2009 at 02:45 PM

いつもブログを拝読させてもらっています。
一言二言コメントさせていただきます。
櫻田先生は「白洲が、「米国などは我らの植民地だ」という英国上流階級の感覚を受け継いだから」、「GHQ将校連中などは、「粗野な田舎者」に過ぎなかった」から呑んでかかることができたと書いておられますが、その様な精神的ありようだけではなく、実際に白洲がどのような後ろ盾を持つことでGHQに対し張り合うことが可能だったかも考えるべきではないでしょうか。ジョセフ・グルーをはじめとする国務省の知日派外交官グループは、GHQのやり過ぎを警戒し、牽制をしていました。皇室の護持を国務省で推進したのもグルーでした。彼の友人であり、日本における知日派外交官グループとのパイプ役が白洲の義父の樺山愛輔でしたから、白洲の「自信の裏付け」として国務省があったことは見逃せないと思います。

また先生は「「護憲」を金科玉条の如く唱えている左翼層」で、「憲法の第一章を改正せよと唱えている」者を知らないと書いておられますが、護憲派ですから改正を唱えないのは論理的に正しいのではないでしょうか。
ただ先生はご存じないかと思われますが、憲法第一章の削除を提案している改憲派は左翼層に限らず数多くいます。例えば大西巨人氏、小谷野敦氏は明確にその旨を著書で何度も記しています。

Posted by: 苔口誠也 | March 03, 2009 at 07:26 PM

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