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March 13, 2009

歴史書の愉しみ

■ 三冊の書について書く。
 ① 塩野七生 『ローマ亡き後の地中海世界』 ② シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド、『ドイツ三十年戦争』 もうひとつ、上記二書に関連して興味深いのが、下の書である。
 ③ Barbara Wertheim Tuchman, "A Distant Mirror:The Calamitous 14th Century”,. (1978)  上記三書の共通項は、「女流作家・歴史家の描いたヨーロッパ中世・近代黎明期の諸相」ということになるのであろう。

 雪斎にとっての愉しみの一つは、こうしたヨーロッパの歴史を扱った書を読むことである。
 ①は、塩野さんの最近の著作である。②は、大枚一万円を費やしたが、出した価値は間違いなくあった書である。③の『遠き鏡ー凄惨なる十四世紀』は、タックマンの著作の中でも面白いものだとは思うけれども、邦訳書がないので日本での知名度は、余りないかもしれない。『八月の砲声』、『愚行の世界史』、あるいは『誇り高き塔』といった書は、邦訳があるので読んでみるのは、間違いなく有意義である。
 実は、四半世紀前に、高坂正堯先生の著作を通じて塩野さんの仕事を知ったし、タックマンの著作を知ったのは、永井陽之助の論稿を通じてであった。大学院生時代には、、カネはないのにエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』だけは揃えたのである。こうした世界にはまると中々、抜けられないものである。「人間というのは、何時まで経っても同じことを繰り返している」。雪斎は、率直にそう思う。
 ところで、①でも触れられているように、西暦1000年以前の地中海は、イスラム海賊の席巻する空間であった。イタリア半島西側の海域は、特にそうであり、そこに面している地域の民衆は、絶え間なく海賊による破壊、略奪、拉致の恐怖におびえ続けたのである。②は、イスラム海賊の脅威が建国に作用した神聖ローマ帝国の不全の風景を描いている。当時、現在のドイツが位置する領域は、ところによって住民の9割が消滅したそうである。たとえば、仙台や名古屋の人口の9割が消滅する戦争というのは、どういうものか想像してみれば、この戦争の凄絶ぶりが判るというものである。もっとも、①で扱われたイスラム海賊は、西暦1000年以前の話であるし、②が扱った三十年戦争は、近代の黎明期でもある十七世紀初頭の話である。③が扱うのは、その中間の14世紀の風景である。14世紀のヨーロッパといえば、百年戦争の混乱、ペストの流行や異端審問の活発化というのが浮かび上がる。実際、タックマンによれば、十四世紀とは、疫病、戦争、重税、略奪、悪政、暴動、そして教会内の分裂に彩られ、「奇怪にして大々的な災禍と逆境」に痛め付けられた歳月だったのである。
 こうして考えれば、日本で議論される「歴史論争」と呼ばれるものが、第二次世界大戦の評価に絡むものに終始しているのは、何故なのか。結局、「自分の経験」のレベルでしか物事を考えていないことをあらわしているのであろう。ヨーロッパ中世史の「阿鼻叫喚」の風景に触れてみれば、雪斎は、「日本の『右』も『左』も、高々、一度の戦争に負けたぐらいで、おたおたしているのか」という感を禁じえない。
 閑話休題、リヒャルト・ワーグナーは、ヨーロッパ中世の「騎士の世界」に憧れを抱いた芸術家であった。だが、ワーグナーもまた、中世の「凄惨さ」から眼を背け、一種のロマンティシズムの世界に耽溺した人物であったようである。少なくとも、雪斎にとっては、ヨーロッパ中世というのは、「生きてみたい」時代ではない。NHK大河ドラマが扱うのは、判で押したように、戦国時代や幕末の話である。だが、戦国時代や幕末が、普通の人々にとって、「佳い時代」であったといえるであろうか。そうした時代には、英雄が登場するけれども、英雄の影には、無数の人々の屍が累々と横たわっているのである。普通の人々にとって、「佳き時代」というのは、日本でいえば、「江戸・元禄期、文化・文政期」、「大正期」、「昭和中・後期」なのではないかと思える。ヨーロッパでいえば、19世紀末、米国でいえば、1920年代や1950年代が、それに該当するであろう。19世紀末ヨーロッパでいえば、グスタフ・マーラーやグスタフ・クリムトのような芸術家とは、ぜひ、友人になってみたい気がする。19世紀末ヨーロッパといえば、退廃の言葉で語られる向きがあるけれども、紛れもない「ベル・エポック」だったように思える。戦争のような社会混乱もなく、景気も佳い。これが、「佳き時代」の最低限の条件である。「平成の御代」の二十年は、「佳き時代」としての「戦後の昭和」を継いだ歳月である。いかにして、これを出来るだけ長く持たせるか。
 そこにこそ、おそらくは、政治の目的がある。政治には、「理想郷」は作れない。多様な人々の活動の基盤を整えるだけである。

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Comments

戦国時代の凄惨さについては、この本によく書かれていると思います。もし雪斎さんが未読であれば、お勧めです。
戦国大名だけではなく、村のレベルでも争い合い奪い合い殺し合っていたのが戦国時代だったんですね。ヨーロッパ中世と同様、正に死屍累々の時代だったと思います。

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書): 黒田 基樹
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僕は日本の「村意識」というのも、この時代に起源を持つのではないかと考えているのですが、こういう状況に「村」の起源があるのなら、あのような閉鎖性や排外性も納得できますね。

Posted by: Baatarism | March 13, 2009 at 09:44 AM

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