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March 19, 2009

「心の師」の逝去

■ 「戦後の日本国民は、自らの力の限界を知り、その資源や手段に見あったレベルに、日本の対外政策の目標水準をおくこと、つまり低姿勢外交に徹してきた。
 これはすばらしいことといわねばならない。タックマン女史も、最近、急速につよまってきた日本のナショナリズムの動きを憂慮しながらも、戦後日本国民の偉大な英知を高く評価している。それは、敗戦という自己の体験のみならず、多くの他者の経験からも学んだ日本国民の政治的英知である。愚行の葬列への最大の歯止めこそ、この英知にほかならない」。
   ―永井陽之助 『現代と戦略』(文藝春秋、.1985年)―

 永井陽之助先生が逝去された。
 たとえば、『読売新聞』は、次のような記事を配信している。
 永井陽之助氏=東工大名誉教授
 現実主義の立場から1960~80年代論壇で中心的役割を果たした国際政治学者で東工大名誉教授の永井陽之助(ながい・ようのすけ)氏が、昨年12月30日に亡くなっていたことが分かった。84歳だった。告別式は親族らで済ませた。
 東京都生まれ。東大で政治学者の丸山真男氏に師事。米留学中、キューバ危機に衝撃を受け、政治社会学から国際政治学に転じる。65年、「中央公論」に「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」を発表して論壇デビュー。同論文を含む67年の「平和の代償」は、米中ソが支配する世界権力構造と、限られた選択肢しか持たない日本外交を解明した著作として名高い。国際政治学者の高坂正堯氏と共に現実主義の立場から、吉田茂の軽武装・経済重視の戦後外交を高く評価した。78年刊行の「冷戦の起源」は冷戦研究として国際的にも評価が高い。80年代には非核・軽武装を唱え、軍事力を過大視するタカ派を批判した。
 北大教授、東工大教授、青山学院大教授を歴任。「日本外交における拘束と選択」で67年に吉野作造賞。
 中嶋嶺雄・国際教養大学長(国際社会学)の話「40年以上のお付き合いだったが、日本の国際政治学を世界的水準に引き上げた方なのに全く偉ぶらず、いつも快活な人だった。最近の国際政治について意見を聞きたいと常々思っていただけに、本当に残念だ」 (2009年3月18日09時07分 読売新聞) 

 永井先生の著作を最初に読んだのは、丁度、四半世紀前、仙台で予備校生生活を送っていた時分である。読んだのは、記事にも紹介されている『平和の代償』であった。そして、北海道大学の入学試験の折に、泊まったホテルで試験の前日に、『現代と戦略』を読んでいた。このエントリーの冒頭に記したのは、その『現代と戦略』の締め括りの文言である。文中に登場する「タックマン女史」というのは、『愚行の世界史』を著したバーバラ・W・タックマンのことである。
 さて、永井先生は、雪斎には、「心の師」である。雪斎は、永井先生に直接の教えを頂いたわけではなかったけれども、学生時代以降、二度、三度とお目にかかる機会を頂いた。戦後日本における現実主義者といえば、永井先生は、高坂正堯先生と並び称されてきたし、実際、雪斎は両先生の言説からの影響を強く受けてきたわけであるけれども、雪斎は、どちらかといえば永井先生の影響を、より強く受けたと思っている、
 永井先生の「現実主義」は、高坂正堯先生の「現実主義」とは趣きを異にしている。高坂先生の「現実主義」は、英国をはじめとするヨーロッパ外交史の研究が下地にあるけれども、永井先生の「現実主義」には、小野塚喜平次や吉野作造、あるいは丸山真男に代表される「東大法研」を彩る生粋の政治学の感性が反映されている。
高坂先生の「現実主義」は、エドワード・ギボンやヘンリー・A・キッシンジャー、ジョージ・F・ケナンを彷彿させる「歴史学の薫り」を感じさせるところがあるけれども、永井先生の「現実主義」には、マックス・ウェーバー、レイモン・アロン、スタンリー・ホフマンのような「社会学と政治学」の複合という性格が濃厚に漂っている。永井先生の国際政治学進出以前の研究が反映された『現代政治学入門』や『政治意識の研究』は、永井流「現実主義」の底流を理解する上では、触れておくべきものであろう。
 余談であるけれども、永井先生は、青山学院大学時代のセミナーで映画『O嬢の物語』を観賞させていたそうである。これが、どういう映画かは、こちらを参照しよう。永井ゼミ生だったj方から直接に聞いた話である。雪斎は、同じことをする勇気はない。人間がいかに複雑な存在であるかを教えようとしたのであろう、「月に人間が行けるのは、間に人間が住んでいないからだ」という永井先生の言葉は、その複雑怪奇な人間を相手にしなければならない政治の難しさを、そのまま教えているのである。こうしたところは、永井先生の特徴であろう。一言でいえば、永井先生は、その文章から滲み出るとおり、「艶っぽい」学者だったのである。人間の「情念」の側面を扱う文学者からも、評価されていた所以である。
 高坂先生の「現実主義」というのは、「舌平目のムニエル」の味わいだが、永井先生の「現実主義」は、血のしたたる「仔羊のソテー」という風情であろう。喩えとしては馬鹿なものかもしれないが、そうした風情を感じるのである。
 もうひとつ特徴的であるのは、戦後の「ナショナリズム」、「右派勢力」の動きというものには、かなり明示的に警戒の念を示していたということである。『現代と戦略』が書かれた1980年代前半は、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘さんの執政期である。「不沈空母」発言を初めとする「勇ましい」言辞が飛び交った当時の風潮では、永井先生は、不安を覚ええたのであろうと推察する。「吉田ドクトリン」という言葉も、そうした「右」の風潮への牽制の意味を込めた「論争用途の言辞」であったことは、きちんと確認すべきであろう。それは、戦時中、応召して終戦を迎えた世代に、共通のものであったであろうか。また、広い意味での丸山真男門下であったアカデミック・キャリアが反映されていたとともいえるであろうか。しかし、今では、往時に永井先生が批判した中曽根さんや岡崎久彦さんでさえ、「右」のほうからは批判されているのである。「左」に対峙していたら、何時の間にか、対峙する相手は、「右」になっていた。現在の雪斎の立場も、似たようなものである。
 昨日、永井先生との絡みで、『平和の代償』や『冷戦の起源』の出版元である中央公論新社から、一つの仕事を依頼された。永井先生の御霊前にお届けするに足る仕事にしなければならない。
 先刻の神谷不二先生の逝去に続き、永井先生の訃報に接しなければならないのは、誠に悲しいことである。今はただ、永井先生の著作に誘われて政治学徒の道に入った「縁」に感謝しつつ、先生の御冥福をお祈りする他はない。合掌。

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Comments

小生も大学生も頃は永井陽之助氏の著作を読みました。ご冥福をお祈りします。

Posted by: 星の王子様 | March 19, 2009 at 09:33 PM

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