小沢一郎の「ルビコン渡河」
■ 「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう!、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた」。
これは、ユリウス・カエサルがルビコン渡河に際して発した人類史上、最も有名な言葉である。誰でも、人生における重大局面で不退転の決意を抱いた時に、この「賽は投げられた」という言葉を反芻するのであろう。
小沢一郎さんもまた、自らの違法献金事件(実質、疑獄事件)に絡んで民主党代表の座を降りない決断を下した折、このカエサルの故事を頭に思い描いていたかもしれないと想像する。「ここで代表の座に踏みとどまれば日本の政治世界の悲惨、踏とどまらなければわが破滅。進もう、「政権」という神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵(政府・与党、検察、国民世論)の待つところへ、賽は投げられた」。「小沢・カエサル」の心境を翻案すれば、このようになるのかもしれない。「運命の女神は、自らの力量で組み敷くしかない」というニコロ・マキアヴェッリの教えに従えば、「運命を天に任せると」いう選択肢はない。小沢さんの選択は、政治家としては誠に相応しいものではあるのである。
「権力に恬淡であることが政治家にとっての美徳であるかのようJに語られる向きがあるけれども、小沢さんに類するような「権力への執着」の姿勢を示してくれなければ、本来は政治家の仕事は務まらない。
ただし、こうした小沢一郎さんの姿勢が、日本国民にとって幸福なものかは別の話である。小沢さんの不退転の決意は、自らの違法献金の嫌疑がそのままである限りは、「自己保身」への意志としか映らない可能性姓はある。企業団体献金廃止という誠に劇的な提案もまた、こういう嫌疑が消えなければ、「今まで散々、恩恵を受けてきたくせに…」という反応を招くしかないないであろう。さらにいえば、小沢さん周辺から漏れる異様な検察批判もまた、「政権を握ったら、人事・指揮権限を用いて検察に報復するなどという振る舞いに及びはしないか」という別種の懸念を呼び起こさざるにはいられない。
こういう世界は、率直に醜悪であろう。だから、世の人々は、同じ「いちろう」でも、シアトル・マリナーズのイチロー選手の活躍に快哉を叫ぶのである。それにしても、昨日のWBC決勝は、「心臓に悪い」試合であった。試合を決めたイチローのセンター前二点適時打は、「美しい」ものであった。イチローは、性的表現のアナロジーで「イキかけた」と語ったようであるけれども、そのヒットを観た人々は、かなり多めの「脳内モルヒネ」に浴したことであろう。九回裏までが「我慢」の連続であったが故に、なおさらである。
人間の世界における「美」と「醜」を同じ日に極端な対照で観ることができた。結構、貴重な一日ではなかったか。
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Comments
(2度目のコメントをさせていただきます。1度目はお気に召されなかったのか、掲載されなかったようです。)
「ここで代表の座に踏みとどまれば日本の政治世界の悲惨」との御指摘ですが、どういう意味でしょうか?
小沢氏への御批判のようですが、何か、小沢氏に問題でもあるのでしょうか。
率直に申しまして、政治にある程度の関心しかない私にとって、(与党が経済界からはるかに多くの利益供与を受けていると思われるのに、)虚偽記載程度のことで、小沢氏が目の敵にされることが理解できないのです。
何か、今回の事件とは別に、大きな問題があるのでしょうか?
Posted by: 2回目です | March 28, 2009 11:29 PM
僕は政治について詳しくない、学生さんですが、『政治資金を自分名義の不動産にかえてしまうような人間と疑われている』人が総理大臣になるというのは、『日本の政治世界の悲惨』だと思います。そういう意図で書かれているのかはわかりませんが。
Posted by: 学生A | March 31, 2009 05:59 PM