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January 24, 2009

朝比奈隆の「ブルックナーの世界」

■ 正月三ヵ日以降は、朝比奈隆先生の芸術世界にどっぷりと浸かった。
 もっとも、今年の聴き初めは、次の一曲である。
 ● 「ブルックナー 交響曲第五番 変ロ長調」(ギュンター・ヴァント/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)

 とりあえず、1990年代には、ブルックナーの交響曲演奏にかけては、「西のヴァント、東の朝比奈」と称されたヴァントの演奏を聴いてから、朝比奈先生のブルックナーの世界に入った。次のようなCD、SACDを用意した。
 ①  ブルックナー 交響曲第4、5,7,8番
新日本フィルハーモニー管弦楽団 1992-1993年
 ② ブルックナー 交響曲第1-9番 SACD
大阪フィルハーモニー管弦楽団 1993ー1994年
 ③ ブルックナー 交響曲第4、5,7,8,9番
東京都交響楽団 1993-2001年
 ④ ブルックナー 交響曲第4、5,7,8,9番 SACD
大阪フィルハーモニー管弦楽団 2000-2001年
 他にも、聴いておくべき「朝比奈のブルックナー」はあるけれども、これだけでもかなりの枚数である。特に、③と④のシリーズは、絶品というほかはない。振り返れば、朝比奈先生は、戦前期のドイツ語を主体とした教養教育を叩き込まれた人物であった。京都大学法学部の後輩である政治学者、矢野暢教授と対談書を出した折、矢野教授が少し遠慮がちに話を進めていたのには、雪斎は驚いたものである。朝比奈先生のブルックナーには、音楽家の演奏というよりも、色々な世界の人々の感性に重なる「教養の響き」がある。
 閑話休題、最近、発売された朝比奈&東京都響による「ブラームス 交響曲第一番」は、雪斎の感想からすれば、ベルナルト・ハイティンク&シュターツカペレ・ドレスデンによると双璧を成すものである。
 ブルックナーの音楽というのは、日本人には馴染みのないものであったけれども、実際には、日本人の感性にも受け入れられるものではないかという気がする。それは、何故なのか。
 こうしたことの意味を判るためには、ヨーロッパ文化史に触れておく必要がある。
 「ブルックナーの聖地」と呼ばれるオーストリア・リンツ郊外のサンクト・フローリアン聖堂も、ブルックナーの時代にはバロック様式であったけれども、元々はゴシック様式で建てられていた。ということで、ゴシックに関する書を読んだ。
 特にゴシック様式の教会というのは、その内部は「深い森」のイメージ建てられたものである。ステンドグラスというのは、木漏れ日のイメージであろうか。元々は砂漠の民が作ったキリスト教も、ヨーロッパでは、「森の価値観」を受け入れて土着した。キリスト教における「復活」の概念も、冬に葉を落とした樹々が春に「復活する」というイメージが重なっている。しかも、ゴシック建築には、様々な魑魅魍魎が刻まれているのだそうである。
 だから、こうした教会という空間の影響を受けたブルックナーの音楽には、「森の価値観」が反映されているといえるであろう。「原始霧」と呼ばれるブルックナー独特の曲の始まり方は、まさに「森の朝」のイメージである。ブルックナーの音楽は、「自然の光の揺らめき」だと思えば、あの長大さも単調さも納得できるものであろう。しかも、ブルックナーは、オーストリア高地地方出身の「常民」のような人物であると評される。東北出身の雪斎は、「おお、『遠野物語』の世界だ…」と反応して見たりする、
 日本人には、「ヨーロッパ―キリスト教ー一神教」、「日本―八百万の神々ー多神教」ちう理解があるかもしれないけれども、実際には、ヨーロッパにおけるキリスト教は、「多神教」の世界の影響を受けた一神教」である。だから、ヨーロッパと日本の価値観は、余り対立的に考えないほうがよいのである。
 かの梅棹忠夫先生の学説の肝は、「日本と文明上の近似性を持つのは、実はヨーロッパ世界だ」ということであった。ブルックナーの音楽も、もしかしたら梅棹学説の正しさを示しているのではないか、
 「森の価値観」に関して最後に一言、バラク・H・オバマが「グリーン・ニューディール」を打ち出した。米国政界で野党に転じた共和党も、下院議長を務めたニュート・ギングリッチが「緑の保守主義」を標榜し始めているそうである。
 とすれば、先帝陛下の誕生日を「みどりの日」から「昭和の日」に変えたのは、阿呆な振る舞いであったというしかない。あれは、今から振り返れば、時代を先取りしたものであったのである。高名な植物学者であった先帝陛下の御遺徳を後世に伝える為ならば、「みどりの日」に戻したほうがよいのではないか。「右」から叩かれそうなことを、また書いたであろうか。

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Comments

そうなると、アメリカのキリスト教ファンダメンタリズムなんかは、「純粋な一神教に先祖返りしたキリスト教」なのかなあと考えたりもしますね。だからエルサレムに執着するのかも。

Posted by: Baatarism | January 24, 2009 at 01:22 PM

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