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December 13, 2008

麻生太郎総理に

■ 「米国よ、さま見ろ」など嘯いている人々は、本当に反省したほうがいい。下掲のロイター配信記事などを読めば、そうした思いを強くする。

 □ 〔アングル〕ビッグ3破産法11条申請なら、日本経済が戦後最悪の後退局面入りの可能性
                  2008年 12月 12日 18:33 JST
 [東京 12日 ロイター] 経営危機にある米ビッグスリー救済法案が米上院で事実上廃案になったが、市場では、今後ビッグ3が米連邦破産法第11条の適用申請に追い込まれるかどうかに注目が集まっている。実際に申請すれば、米国経済のさらなる悪化を通じて、日本経済が戦後最悪の景気後退に直面する可能性も浮上してきそうだ。
 <米国の後退局面、16カ月超える可能性も>
 三菱東京UFJ銀行・経済調査室長の内田和人氏は「ビッグスリーが破たん処理ということになると、サプライヤーの雇用も含め、米国内だけで最大300万人程度に影響がある」と見ている。その場合、失業者の増加、景気先行き懸念増大を通じて、米国経済の7割を占める消費が下押しされるのは確実とみられている。
 さらに日本よりも家計の株価保有率が高い米国では、株価下落が消費を押し下げるマグニチュードも無視できない。
 経済協力開発機構(OECD)では米国の2009年のGDP成長率を前年比マイナス0.9%程度とみているが、アール・ビー・エス証券シニア・インターナショナル・ストラテジストの山崎衛氏は「11条申請になれば、見通しの下方修正もありうる」とした上で、米国経済の後退局面が長期化し、1960年以後で、これまで最長だった16カ月を越える可能性が「相当に高くなる」と警告した。
 米国経済は、第1次、第2次オイルショック後の1973年と81年に、それぞれ16カ月の後退局面入りを経験した。今回については全米経済研究所(NBER)が、昨年12月から後退局面入りしたとを宣言しており、この12月で13カ月目となっている。
 <米経済失速・円高が輸出業種を直撃>
 米国の景気後退が長期化した場合、日本経済にも輸出減少を通じて、企業収益や生産に大きな下押し圧力が生じるのは避けられない。クレディ・スイス証券ディレクターの遠藤功治氏は、ゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N: 株価, 企業情報, レポート)がチャプター11の適用を申請する可能性が高まったとし「破たんしたメーカーの自動車を買う人はいないので、GMの販売はさらに急減し、全体の景気を冷やして日本メーカーの販売も大きく落ち込むことになるだろう」と指摘した。
 さらに急激な円高も景気下押し圧力となる。ドル/円は12日に一時、88.10円まで急低下した。90円割れが長期化すれば、輸出企業にとって、かなりの収益下押し圧力となる。代表的な輸出企業であるホンダ(7267.T: 株価, ニュース, レポート)では08年度下期の想定を1ドル=100円としているが、1円の円高が1年続けば、営業利益が180億円程度下押しされる。
 ロイターが大企業を対象に11月12─27日に行った調査[nTK0219998]では、企業の円高への強い懸念が確認された。1ドル=90円以上の円高を阻止するために、当局の介入を「望む」と答えた企業は全体の46%となり「望まない」の16%を大きく上回った。特に輸出企業の比率が高い製造業・加工型では59%が「望む」と回答している。
 輸出減、円高に株安も懸念材料となっており、企業の期待成長率低下による設備投資先送り、雇用リストラによる失業者増加・消費減退への懸念は一段と強まりそうだ。
 みずほ総研では、輸出減少と設備投資低下を主因として、2年連続のマイナス成長を見込んでいる(08年度を前年比マイナス0.8%、09年度が同マイナス1.0%)。これまで2年連続のマイナス成長に陥ったのは、金融システムショックの直撃を受けた1997─98年度(97年度がマイナス0.0%、98年度がマイナス1.5%)だけ。同社の山本康雄シニアエコノミストは「成長率だけからみれば、今回の景気後退が戦後最悪のものになる可能性がある」と指摘した。
 さらに同氏は、GM(GM.N: 株価, 企業情報, レポート)が11条の適用申請に追い込まれれば、見通しを若干下回る可能性があると予想している。
 市場では、ビッグ3が11条適用申請を余儀なくされる可能性が高まったとの声が強まっているが「これで終わりではない。修正案の話も出てくる可能性がある」(山本氏)、「このままでは世界的なマーケットの大混乱を引き起こしかねないことから、法案は何としてでもまとめあげなければならない」(BNPパリバ証券・クレジット調査部長、中空麻奈氏)などの声も根強く、今後の展開が注目されている。

 もし、デーヴィッド・ハルバースタムが存命であったならば、現下の「ビッグ・スリー」の苦境をどのように書いたであろうかと想像する。1980年代、ハルバースタムは、日米自動j車産業を取材して、『覇者の驕り』という書を著した。「日本の隆盛と米国の失速」という観点から叙述されていた。1990年代には、日本が失速し、今は米国が土俵際に追い込まれている。「生々流転」というべきか。
 ところで、下掲は、自由民主党機関誌『月刊自由民主』に載せた特注原稿である。雪斎のことを御用学者と呼ぶ向きがあるかもしれないけれども、「御用学者ならば、これくらいのものは書くのだ」といわせてもらおう。1930年代、ハロルド・ラスキは、英国労働党の「御用学者」と揶揄されたけれども、雪斎は、ラスキと同じことをやっているのである。指揮官の足を引っ張って悦に入るようなみっともないまねはしたくないだけである。雪斎が麻生総理に期待することは、ただ一つである。祖父・吉田茂が基盤を作った「経済立国・日本」の沈没を防ぐことである。それだけができれば、麻生総理の仕事は、後世の史家がきちんと評価するであろう。

  □ 麻生太郎と「近代重臣層」の系譜   

  一、はじめに
 『ニューヨーク・タイムズ』は、麻生太郎が宰相に就任した翌日(二〇〇〇年九月二十五日)付の社説で麻生を「好戦的な民族主義者」と批判しつつ、その登場を報じた。これに対しては、日本政府はニューヨーク総領事館を通じて同紙に反論していた。
 麻生という政治家を語る際、当然のように言及されるのは、高祖父・大久保利通、曽祖父・牧野伸顕、祖父・吉田茂という「宮中重臣層」の系譜との関わりである。大久保は、「近代国家・日本」の離陸に尽力し、「維新の三傑」と呼ばれる。牧野は、外務大臣在任中、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議での議論に日本政府全権として加わった後は、内大臣として昭和天皇に仕えた。牧野が内大臣を退任した折、昭和天皇は、それを落涙しながら惜しんだという挿話が伝えられている。吉田は、戦後の「復興」に尽力し、「戦後を築いた政治家」と評される。吉田は、最晩年に宮中から鳩杖を下賜される栄誉に与った。
 この麻生が連なる「宮中重臣層」の性格を理解することは、麻生の執政、特に対外政策の性格を占う上では、大事なことであろう。

 二、「宮中重臣層」と「国際協調」
 普段は意識されないことではあるけれども、日本は、英国と同様に、民主主義国家と立憲君主国家の二面性を備えている。立憲君主国家の社会は、概念上、「国王」(君)、「貴族」(臣)、「大衆」(民)の三層からなる。現下の英国議会が「貴族院」と「庶民院」の二院、戦前期の日本の帝国議会が「貴族院」と「衆議院」の二院から成っているのは、そうした社会構造を反映している。立憲君主国家の政治体制の下では、たとえ戦後の憲法秩序の世であっても、政治家は、「『民』より出でて『臣』に連なった人々」である。実際、日本においても英国においても、執政の最高の責任を負うのは、総理大臣(首相)と訳される「プライム・ミニスター」〈Prime Minister〉であるけれども、それを字義通り訳すれば、「筆頭の臣」ということになる。現在の日本の政治家の中では、麻生は、高祖父・大久保、曽祖父・牧野、祖父・吉田という「宮中重臣層」に直接に連なる出自によって、その「筆頭の臣」としての雰囲気を最も色濃く漂わせているかもしれない。けれども、そもそも「宮中重臣層」というのは、どのような政治上の性格を持っていたであろうか。
 大久保、牧野、吉田の政治上の経歴に共通しているのは、「世界の中の日本」という観点に対する強い結び付きである。大久保は、明治初年、岩倉使節団副使として訪欧した折、西欧列強の富強ぶりに接し、「世界の中の日本」の置かれた立場が用意ならざるものであることを実感した。大久保は、帰朝後には「世界の中の日本」の基盤固めに精力を傾注したものの、西南戦争終結の翌年、征韓論に共鳴した不平士族によって暗殺される。牧野は、二・二六事件の折、その「国際協調」志向により決起将校から「君側の奸」と看做され、湯河原滞在中に襲撃を受け、間一髪のところで難を逃れている。吉田は、戦時中には牧野や近衛文麿を中心とした和平工作に加わり、終戦直前には「近衛上奏文」に結び付く終戦工作に首を突っ込み、それが露見して憲兵隊に拘束される。大久保も牧野も吉田も、日本において「世界の中の日本」を冷静に見詰めたが故の受難を経たのである。
 因みに、昭和二十四年、牧野の逝去直後に刊行された『回顧録』(中公文庫、一九七八年)には、次のような牧野の言葉が戦後日本への「遺言」のように示されている。
 「講和会議が終了した後には、日本は進んで国際連合に参加してこの事業の健全な発展に協力することが必要である。…いずれ米ソの紛争が収まれば、大勢は国際連合の完成に赴くことになると思う。日本は、よくこの情勢を認識し、すべて今日までの行き掛りを棄てて、全力を注いでこの目的達成に貢献すべきであり、これが日本のためにもなり、また我々に課せられた義務でもあると信じる。今日の世界の混乱状態を見る時、日本の再建が実現した暁にはその発言は重きをなすものと信じる」。
 そして、牧野を岳父とした吉田の手によってサンフランシスコ講和会議での講和が成った後は、日本は国際連合に加わり、牧野の展望の通り、その活動に積極的に関わってきた。
 このような「国際協調」の系譜に麻生が連なると判断すれば、麻生を「好戦的な民族主義者」と呼んだ『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説が、こうした日本近代史に対する誤った認識の下で書かれていることは、瞭然としていよう。「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」。:これは日米戦争開戦時に昭和天皇が引用した明治天皇の日露開戦直前の御製である。そもそも、宮中には、好戦的であることを佳しとする価値観はないのである。「重臣」に期待される作法が、どのようなものであるかは、推して知るべしであろう。

 三、「今日と明日のことしか考えぬ根太さ」の意義
 こうした「世界の中の日本」への冷静な認識は、「自らの力量に見合った水準の目標を設定し、その実現に注力する」という意味での現実主義の姿勢と対になったものである。
 毛利敏彦(歴史学者)が著した『大久保利通』には、次のような田中惣五郎(歴史家)の大久保評が紹介されている。
 「大久保は、今日と明日のことしか考えぬ根太さがあります。将来は将来として、先ず現在をいかによくするか。そのためには、不退転の精神と、理性的な行動を怠らないのです」。
加えて、戦前期を代表する自由主義知識人であった清沢洌が著した『外政家としての大久保利通』は、次のフランス人歴史家の大久保利通への評を引用して締め括られる。 
 「大久保が斃れたのは、過去と争い、急進な将来と争い-久光・西郷と争い、板垣と争った結果であることは、一点の疑もない」
 田中や清沢が披露した大久保評は、大久保における「現実主義」の意味を示唆している。たとえば、木戸孝允は、理念先行型で実際の政策遂行には手腕を余り発揮できなかったのに対して、大久保は、抽象的な理念の類には重きを置かず、眼の前の具体的な課題の処理に精励した。大久保が示した「内治」の施策には、士族反乱への峻厳な態度を含めて、日本の置かれた現実への切迫した意識が反映されていた。
 これに関連して、清沢が与えた「過去と争い、急進な将来と争った」という大久保への評価は、政治という営みの意味、そして政治家の責任を考える上で誠に興味深い。
 訪欧時に日本との西欧の「彼我の差」に衝撃を受け、帰朝後には日本を近代国家として離陸させることを急いだ大久保にとっては、争うべき「過去」とは、近代国家・日本の離陸を妨げる諸々の事柄であった。廃藩置県に激怒した島津久光や「士族の魂」を重んじた西郷隆盛が体現したような「旧来の制度」や「旧来の価値観」は、そうした事例である。そして、大久保が争った「急進な将来」とは、日本が直面する内外情勢や「力の現実」を直視しない観念論である。板垣退助が相次いで唱えた「征韓論」や「自由民権論」は、そうした観念論の類であったのである。そして、牧野は、内大臣に転任し、昭和初期の政党政治の失速と軍部の権勢の拡大という趨勢の中で「宮中における自由主義思潮」の藩屏の役割を果たした。加えて、吉田茂もまた、戦後、被占領状態に終止符を打つ「講和」と敗戦の打撃からの「復興」とを最優先の課題として設定した。その上で、日本軍国主義の幻影という「過去」と争い、右派勢力の「再軍備論」や左派勢力の「全面講和論」という二つの「急進な将来」と争ったのである。
こうしたことは、「未来への夢」といったものを語ることが往々にして政治家に期待され、政治家もそれに応えようとする大衆民主主義の世には、そぐわない印象を与えるものであるかもしれないけれども、政治という営みの本質を表しているのは、間違いない。というのも、「観念」を弄ぶのが、政治の趣旨ではないからである。

 四、おわりに、「ネチェシタ」の意味
 ニコロ・マキアヴェッリの思想の中でキー・コンセプトの一つは、「ネチェシタ」である。それは、英単語〈neccessity〉と同じ語源の言葉であり、「必要性」、「必然性」を意味する。政治の世界では、いかなる政策であれ発言であれ、その「ネチェシタ」を考慮しなければ、逆の効果を生む。政治上の営為は、須らく時宜を得たものでなければならないというのは、この意味においてである。
 さらにいえば、政治という営みは、「波乗り」に似ているところがある。浜辺には大小の様々な絶えず押し寄せている。サーファーは、好むと好まざるとにかかわらず、とにかく押し寄せて来た波に上手く乗らなければならないのである。サーファーは、それが出来なければ海中に持っていかれるだけである。
 麻生の執政は、「百年に一度」と評される世界規模の金融混乱の最中に始まった。日経平均株価下落率五傑は、「ブラック・マンデー」と呼ばれる一九八七年十月の下落や「スターリン暴落」と呼ばれる一九五三年三月の下落を除けば、他の三つが二〇〇八年十月の記録で占められている。そのことは、現下の経済情勢が尋常ならざるものであることを示唆している。故に、麻生の就任一ヵ月半余りの執政の中で忙殺されているのは、補正予算案の成立、緊急経済対策の発表といったように、専ら現下の金融危機への対処であった。こうした施策が、麻生にとって政治家として手掛けたかったものであるかは、筆者には判らない。麻生にも、結局のところは、田中惣五郎による大久保利通評が示すように、「今日と明日のことしか考えぬ根太さ」を発揮して執政に臨むことが、要請されているのであろう。その点では、麻生が置かれた政治上の環境は、たとえば「『戦後レジーム』の再考」といった言葉で「未来」を考えることができた安倍晋三(元内閣総理大臣)とは、だいぶ異なるものであるといえよう。
 しかし、そのことは、麻生にとっては、政治家としての僥倖を意味しているかもしれない。というのも、現下の世界規模の金融危機は、麻生の執政が対処すべき課題を明確に設定しているからである。大久保利通にとっての「近代国家・日本の基盤確立」、牧野伸顕にとっての「軍国主義思潮からの宮廷の防護」、さらには吉田茂にとっての「講和の実現と独立の回復」が、彼らの請け負った「時代の使命」であり、それを適切に果たした故にこそ、彼らの政治上の業績は、今や真っ当な評価が与えられているのである。
 とすれば、麻生もまた、「経済立国・日本」の沈没を防ぐことを「時代の使命」として課されているということであろう。マキアヴェッリの思想には、「ネチェシタ」の他に、「フォルトゥーナ」(運命)と「ヴィルトゥ」(力量)という二つの概念がある。麻生が四度目の自民党総裁選挙を経て宰相の座に時節が、内にあっては「ねじれ国会」状況が続き外にあっては金融危機の最中であったのは、政治家としては過酷な「運命」である。しかし、こうした「運命」に相対する際には、相応の「力量」の裏付けが要るのである。マキアヴェッリは、その「力量」に拠ればこそ、「運命」を統御できると論じたのである。麻生は、どのような「力量」を示そうとするのであろうか。
    『月刊自由民主』(2008・12)

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Comments

こういう状況になったのはそれこそ対米追従をただ繰り返し、世界の多様化の中でどう動くかを示せなかった「親米派」の責任でしょう。

第一、アメリカが何をどうしようがアメリカの勝手であり、日本がそれに対しどうする事もどういう事も言う力も権利もありません。「バスに乗り遅れるな」と外需に依存する体制を強化する事で、今度は向こう側からの大波を食らう破目に陥ったのであり、極端な話、今の危機はアメリカ政府でも日本政府でもなく、「親米派」が招いたものでしょう。

むしろアメリカなどなくても日本は生きてゆけるという事を示す方がアメリカにとっても「使える国」と思われる可能性もあるでしょう。そうなると何が親米で何が反米かという議論になり、今まで親米を主張してきた人たちの方がイラク戦争に賛成した事でアメリカに非難される事になるかも知れませんよ。

Posted by: ペルゼウス | December 13, 2008 at 10:10 AM

二、中段
用意ならざる→容易ならざる

Posted by: 須田清司 | December 14, 2008 at 09:39 PM

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