安全保障を語る理由
■ 雪斎は、何故、安全保障を研究し、語っているのか。
「武官の息子」であることは、決定的な理由ではない。
政治学の世界では、諸々の政策において追求される価値は、「福祉価値」と「威信価値」の二つに大別される。「福祉価値」とは、衣食住に絡む人間の生存の条件に関するものである。「威信価値」とは、正義、平和、威信、尊厳、イデオロギーといった抽象的な観念に関するものである。
たとえば、教育政策で「福祉価値」が強調されれば、「大人になってから食いはぐれないようにするための知識や技術を完璧に身に付けましょう」という話になる。方や、「威信価値」が過剰に強調されれば、戦前日本の「皇民教育」や現代中国での「反日教育」、あるいは北朝鮮における「将軍様、万歳」教育と同じ風情になる。保守層の「愛国心」教育と日教組の「教え子を戦場に送るな」教育が、いつもヒート・アップしながら交錯しているのは、どちらも教育政策における「威信価値」を重視しているからである。
安全保障政策の展開に際して、この「福祉価値」と「威信価値」のどちらを優先して追求するのか。保守論壇の多くの面々が追求しているのは、教育政策と同様、明らかに「威信価値」のほうである。彼らは、「国家の自立・威信」という事柄を矢鱈に強調する。日本の周辺情勢の「安定」に寄与するどうかも疑わしい「日本核武装論」を彼らが唱導するのも、その事例である。
だが、安全保障政策には、様々な人間の活動の前提となる「安定した社会」をどのように維持し、それが崩れたときに実害をどのように軽減するかという実践的な目的がある。雪斎は、この意味では、安全保障政策における「福祉価値」の追求を何よりも優先している。
しかも、雪斎のように、重度身体障害を抱える人間にとっては、「安定した社会」の維持こそが、生存の必須条件である。戦争やテロ、自然災害などの有事に際して「安定した社会」が崩れれば、真っ先に厳しい環境におかれるのは、重度障害者、老人、そして年端も行かない子供であろう。故に、安全保障政策は、総ての福祉政策の大元lなのである。雪斎の感覚からすれば、武官は、「平時には『安定した社会』を維持し、有事に自分を助けてくれる人々」である。だから、「武官が働きやすい」システムを考えることが、安全保障政策の一つの目的になるのである。
ここまで書いて、「何と利己的な理由か…」と怒り出す人々がいそうである。
だが、福澤諭吉が書いたとおり、「立国は私なり、公にあらざるなり」である。雪斎は、自分の生存の条件を磐石にならしめるために、適切な安全保障政策の有り様を日夜、考えているのである。「国家の威信」云々という観念論を並べている凡百の保守論壇の面々とは、その点が決定的に違うのである。
ところで、雑誌「正論」には、五百旗頭真・防衛大学校長を批判する原稿が、載っている。もしかしたら、それは、田母神前空将の論稿に五百旗頭教授に対する反発の意味合いでかかれたものでああろう。だが、政治学の世界では誰でも尊敬している五百旗頭教授が、防衛大学校長という職にあるのは、雪斎には誠に結構なことであると感じられる。
そういえば、ニコロ・マキアヴェッリの著作で雪斎がもっとも面白いと思っているのは、実は、『君主論』でも『ディスコルシ(政略論)』でもなく、『マキァヴェッリ全集 第一巻』(筑摩書房)に『戦争の技術』という名前で収録されている論稿である。マキアヴェッリは、都市国家フィレンツェの安全保障を担った行政官僚であった。近代政治学の幕を開けた人物には、「政治の一要素としての軍事」に対する認識が、きちんと出来上がっていたのである。さらにいえば、「戦争は別の手段による政治の継続である」という定義を示したカール・フォン・クラウゼヴィッツも、マキアヴェッリ以来の近代の「現実主義者」と位置づけられる。その系譜の延長線上にジョージ・F・ケナンがいる。ケナンも、 第二次世界大戦直後にナショナル・ウォー・カレッジに教官として籍を置いていた。ナショナル・ウォー・カレッジというのは、ジョン・マケインも卒業した米国武官の最高の教育の場である。政治、外交、軍事、安全保障の混然一体となった世界でこそ、安全保障に関する「知」の土壌が培われるのである。
このことは、何故、雪斎が、旧来の平和主義者層や昨今の「自称・保守」層の議論を嫌っているかの説明である。旧来の平和主義者は、「政治の一要素としての軍事」の意義を頭から受け容れようとしない。故に、彼らの議論は、実際にはあまり役に立たない。昨今の「自称・保守」層、即ち田母神前空将に共鳴し、五百旗頭校長への批判に走っている人々も、「政治の一要素としての軍事」の意味が判っていない。軍事は、「政治の一要素」である限り、武官に要請されるのは、「政治から何を期待されているか」ということに対する鋭敏な感性である。それは、「軍事の論理に政治を引きずってははならない」ということと対になっている。武官は広い視野を持たなければならないということの意味は、そうした軍事の位置を広い政治の文脈の中で見極めよという趣旨なのである。
田母神論稿は、「政治から何を期待されているか」に真剣に向き合ったものではない。田母神論稿は、対米関係、対アジア関係その他に、どれだけの配慮を働かせたのか。「軍事の位置を広い政治の文脈の中で見極める」ということを怠ったのは明白ではないか。
こうしたことを「高級武官の卵」である若者に教えるのには、五百旗頭校長の存在は大きなものがあろう。
閑話休題、「戦争は政治の継続である」というクラウゼヴィッツの定義を転倒させて「政治は戦争の継続である」という論理を作ったのが、かのレーニンである。要するに、彼は、「戦争を継続させることで革命を成就させる」論理でロシア革命を成就させたのである。そして、レーニン以降のソ連共産党指導層も、「革命の敵」を次から次へと創り出し、戦時状態を演出するすことで、共産党体制の足場を固めた。同じことは、今は、金正日がやっている。彼もまた、北朝鮮国内に朝鮮戦争以来の終わりのない戦時体制を布くことで権力の正当性を図っているのである。
だから、「戦争は政治の継続である」という点を厳格に守ろうとしない人々は、たとえ「保守」を気取っていたところで、左翼革命家と然程、違いはない心性の持ち主なのである。雪斎が田母神論稿を擁護する声に耐えられないのは、そうしたことに因っている。
少し、長いエントリーになった。「余は如何に国際政治・安全保障研究の道に入りし乎」。今年、納めのエントリーとして記しておく。
それでは。皆さん、よい新年を。













Comments
田母神氏の発言には賛成しない私ですが、だから雪斎さんの発言に賛成するという事にはなりません。
国際協調の名の下に日本人の血を益もなく流す事を正当化する事には断じて賛成できません。そしてそれが将来どういう影響を国にもたらしてゆくかが判然としないうちに「グローバリズム」を無批判に受け入れる愚かさは田母神氏を賞賛するのと同じで、日本がその結果大きな格差や地域の崩壊で苦しんでいても「格差やむなし」という愚かな発想が出てくる。これではとても「もはや対米決戦以外に道は無し」とした昭和の軍部を笑えますまい。ましてや福祉価値など主張なさるのはおかど違いではありませんか。
派遣労働者の件でも同じで新自由主義が上手く行かないからと言って彼ら・彼女たちを非難するのは感情以外の何ものでもありません。私の知り合いは有名校の科学技術関係でありながら、正社員の口がなく、やむなく不安定な職についたものが大半で、これを放置して福祉価値も威信価値もあったものではないでしょう。いくら福祉を嫌っているからと言ってもこれでは坊主憎けりゃ袈裟までの論法です。
Posted by: ペルゼウス | December 29, 2008 at 02:50 PM
極左も極右も全体主義ですね。
ナチスも元は社会主義政党だったそうです。
全体主義とは、要するに自分と違った思想信条を持ったものは許せない、 暴力・国家権力をもちいてでも抹殺せよと言うヤクザの思想。
強権国家を是とするところから、権力のうまみにはまって支配層(官僚・独裁者等)が堕落する。
一般国民は政府に洗脳されて馬鹿になる。
しかし自由主義にも、無政府主義・市場原理主義と言った極端思想があるから注意しなくてはならない。
これら極端思想は暴力と戦争の思想であり、平和国家日本にはふさわしくないと思います。
そもそも軍隊と言うものは、一般国民の生命財産を守るためにあるのでしょうか。
そうではなく国家、具体的には国家の支配層を守るためにあるのではなかろうか。
いったん戦争が始まったら、軍隊は戦争に勝つことを目的とし、自分を守ることを優先する。
そのためには住民を盾にし、戦車で踏み潰し、住民の大半を犠牲にすることも敢えてするのではなかろうか。
あるいは敵軍が住民を盾にして攻めてきたらどうするのか。
人口稠密で、資源も食料もない日本で、専守防衛の日本が本土決戦をやって勝てるのか。
軍隊より住民の犠牲のほうが多くなるのではないか。
もし核ミサイルなどもたせたら、支配層は、国民が死に絶えても使うのではないか。
それよりも日本など攻めるのに、わざわざ軍隊を使うまでもない。
浜松原発一基を工作員が爆発させれば、東京から大阪まで人が住めなくなる。
生物兵器や携帯核爆弾もある。
外洋で通信ケーブルを切断し、タンカーや食料輸送船を沈める手もある。
こうして引き起こした大混乱に乗じれば、日本の軍事占領など赤子の手をひねるも同然ではなかろうか。
軍事を政治の延長として考えると言うことは、日本を覇権国家(帝国)にする可能性もあります。
軍隊や戦争には、国際金融マフィア・軍需産業の金儲けの具と言う側面が大いにあります。
爆弾やミサイルを使えば使うほど儲かって喜ぶ者どもがいる。
「また、だまされました」ではすまないのだ。
それに戦闘機一機が100億円もすることも忘れてはいけない。
もし本気で脅威があるというなら、その100億円でスパイを雇い、独裁者一人を暗殺するほうがよっぽど道理にかなっている。
通商国家日本の国際親善・友好と信頼の醸成は、名もない民間人が無償でになっている。
わが国に憎しみの連鎖をもたらすことは、国益と国民の安全を大きく損なう。
安全保障上、軍備増強や戦争の行使は、最も愚かしい手段だと思います。
Posted by: 理想主義者 | December 29, 2008 at 05:31 PM
人間一人が宇宙を想像したところで、それは不可能に近い。
所詮人間一人の頭の中に宇宙は入りきらない。
人間はそういうものだと思います。
宇宙どころか地球全体も入りきらない。
ましてや日本全国すら入りきらない。
人間一人の脳と言うのは大きく物事を捉えるのは難しいように思います。
だからと言ってそれに甘んじるのではなく、様々な脳を交える必要があると思います。
考えを交える事の重要性、新しい物を導き出す柔軟性、この2つが備われば、最近世間を賑わせている不毛な論議にも、何か光が見えてくるように思います。
来年も雪斎殿の文章を楽しみにしています。
良いお年を
Posted by: へきぽこ | December 30, 2008 at 02:06 PM
>>軍隊や戦争には、国際金融マフィア・軍需産業の金儲けの具と言う側面が大いにあります。
>>爆弾やミサイルを使えば使うほど儲かって喜ぶ者どもがいる。
いまだにこんな中学生のような認識の方がいることに唖然たらざるを得ません。まさにリアリズムの欠如。「平和主義者」がこのレベル、つまり思い込みや感情でしか議論できないから、日本の平和運動はマニアだけのものになっているんだと思います。ネット内で「国籍法反対」で盛り上がる憂国の方々と同レベル。
以前先生が書かれていた「日本人はWHATばかりでHOWの議論がない」はすとんと胸に落ちます。現状分析の上に構築されたプロセスを示せないような意見ばかりいくら積み上げても、社会の進歩には役に立たないんですよね。
Posted by: 治部少輔 | December 31, 2008 at 06:43 PM
田母神氏が愚かなのは、視線が過去に向かっているからです。政治決着がついた事項に関わるより、将来に目を向ける必要があります。
将来に向かえば、覇権の多極化があり、アジアでの中国の覇権化があります。
六か国協議を見てもわかるように、北朝鮮の核保有は容認され、日本人の生存権は揺るいでいます。例えば、ベネズエラのチャベス政権が核ミサイルを保有すれば、オバマ政権ですら武力行使するでしょう。
つまりは日米安保の必要性はなくならないが、重要性は低下し、その分、日本の軍事的自立化は否応なく必要になります。その時重要になるのが、自衛隊の自律的な戦闘能力であり、国軍としての誇りです。
結局、将来的には自衛隊の生存理由が否応なしに生じ、自衛隊のアイデンティティは確立します。また、憲法の上位には国民がおり、甘んじて国民に死ねという憲法はありえません。つまりは常時、国民の生存権は憲法の規定を越えています。
同時に、自立的軍事力を日本が保有する事がイラクのような運命を招かないように(敵国条項は安保理決議なしに、日本への武力制裁を可能にする)安保理とのリンクを強める必要が生まれます。
つまりは、日本は自国防衛には圧倒的な先制攻撃能力を保持しながら、防衛以外では安保理の決議を武力行使の必要条件にするという位置づけが必要になります。
その意味でのテロとの戦いなら参加すべきですが、北の核が容認されながらのテロとの戦いなどは日本の国益には殆どなりません。
その意味で(北の核の容認のもと)イラクで自衛隊員が命を掛けられるように、日本の過去を美化するなどは、欺瞞以外のなにものでもありません。
Posted by: まぐ | January 01, 2009 at 01:09 PM
田母神氏が愚かなのは、視線が過去に向かっているからです。政治決着がついた事項に関わるより、将来に目を向ける必要があります。
将来に向かえば、覇権の多極化があり、アジアでの中国の覇権化があります。
六か国協議を見てもわかるように、北朝鮮の核保有は容認され、日本人の生存権は揺るいでいます。例えば、ベネズエラのチャベス政権が核ミサイルを保有すれば、オバマ政権ですら武力行使するでしょう。
つまりは日米安保の必要性はなくならないが、重要性は低下し、その分、日本の軍事的自立化は否応なく必要になります。その時重要になるのが、自衛隊の自律的な戦闘能力であり、国軍としての誇りです。
結局、将来的には自衛隊の生存理由が否応なしに生じ、自衛隊のアイデンティティは確立します。また、憲法の上位には国民がおり、甘んじて国民に死ねという憲法はありえません。つまりは常時、国民の生存権は憲法の規定を越えています。
同時に、自立的軍事力を日本が保有する事がイラクのような運命を招かないように(敵国条項は安保理決議なしに、日本への武力制裁を可能にする)安保理とのリンクを強める必要が生まれます。
つまりは、日本は自国防衛には圧倒的な先制攻撃能力を保持しながら、防衛以外では安保理の決議を武力行使の必要条件にするという位置づけが必要になります。
その意味でのテロとの戦いなら参加すべきですが、北の核が容認されながらのテロとの戦いなどは日本の国益には殆どなりません。
その意味で(北の核の容認のもと)イラクで自衛隊員が命を掛けられるように、日本の過去を美化するなどは、欺瞞以外のなにものでもありません。
Posted by: まぐ | January 01, 2009 at 01:09 PM
治部少輔さん
私はまったくの門外漢だから、軍事について「現状分析の上に構築されたプロセスを示す」ことなど出来ません。
しかし思い込みや感情を語ることは無益でしょうか。
民主主義とは、専門家やエリートの専制とは違います。
私のような無知な俗物が一票を投じるのですよ。
為政者の側、専門家の側がちゃんと説明しなければ現状は変わらないと思います。
Posted by: 理想主義者 | January 01, 2009 at 06:26 PM
>思い込みや感情を語ることは無益でしょうか。
無益です。
合理的根拠を欠く=デタラメ、という事ですから。
デタラメに真面目に取り合う必要があると思いますか?
>専門家やエリートの専制とは違います。
>私のような無知な俗物が一票を投じるのですよ。
だからと言って、専門家やエリートの意見が軽視されて良い理由にはなりません。
もしかして、専門家やエリートというものは常に一般大衆の敵対勢力だとでも思っていませんか?
だとすれば、非常に歪んだ物の見方だと思います。
正直、あなたの様な方に「理想主義者」などと名乗ってもらいたくはないです。
何故かって?
理想主義者がみんな、
あなたの様なデタラメな言説を振りかざす人間だという先入観を抱かせてしまい、
理想そのものの価値まで胡散臭いものと見られかねませんので。
今の日本で、平和主義=利敵行為というイメージが定着してしまったのが良い見本です。
良い国、良い社会を作る上で、あなたの様な意見の持ち主は、ハッキリ言って邪魔です。
Posted by: 軍事力承認重視護憲派 | January 21, 2009 at 10:32 PM