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December 21, 2008

「平和呆け」批判の中の「平和呆け」 

■ 一昨日、産経新聞「正論」欄に下掲の論稿を寄せた。
 ○ 安全保障政策の不備こそ問え この論稿それ自体は、だいぶ以前に出来上がっていたけれども、スケジュールの都合で掲載が延び延びになっていた。自衛隊将官(陸海空三幕僚長の一)を務めた方に事前に読んでもらって、「違和感はない」という反応を得た。
 予定通り、この論稿は、一般には「分裂した」評価を得ているようである。
 「保守・右翼」層は、「●●(雪斎の本名)は、田母神論稿を全然、肯定的に評価しない」と不満を漏らしているようであるし、「進歩・左派」層は、この論稿における「軍事予算は足りない」という主張を嫌がっているようである。
 日本国憲法前文に曰く、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」である。それならば、具体的に何をするのか。
 紛争調停や平和維持にかかわる努力を続けるにも、カネの裏づけが要る。日本の国力の現状からすれば、軍事支出の「対GDP比率1パーセント」という水準は、昔日のように、「上限」ではなく、これを切れば他国にも示しが付かないという意味での「下限」ではないかと思われる。

 下掲は、「月刊自由民主」(2009年1月号)に寄せた最新原稿である。これは、「田母神騒動」に触発されて書いた四編の論稿の中では、最も辛辣なものかもしれない。これもまた、前の「正論」欄原稿と同様、元自衛隊将官の方には眼を通してもらった。雪斎の周囲の防衛省・自衛隊関係者には、現役にせよOBにせよ、雪斎の意図を理解してもらっているので、再三に渉る田母神論稿批判が「保守・右翼」層の勘気に触れたところで、雪斎には何ら臆するところはない。
 尚、「月刊自由民主」の同号には、かんべえさんが米国の「自己変革能力」に着目した原稿を寄せている。それは、政党の機関誌に載ったという性格上、眼にする人々も多くはないと思うけれども、率直に「読む価値を持つ」原稿だった。

  □ 「平和呆け」批判の中の「平和呆け」   

 コリン・L・パウエル(元米国国務長官)の回顧録『マイ・アメリカン・ジャーニー』には、パウエルがジョージ・H・W・ブッシュ政権下に統合参謀本部議長として湾岸戦争への対応に携わった時期のことが記されている。
 中でも興味深いのは、マイケル・デューガン(当時、空軍大将・空軍参謀長)の更迭に絡む経緯の叙述である。
 当時、米国政府が推し進めていたのは、陸海空に宇宙を加えた四分野における全面的な対イラク軍事作戦行動であった。ニコロ・マキアヴェッリが書いたように、「加害行為は一気呵成に行う」ことが大事である。というのも、兵法書『孫子』でも強調されているように、戦争は「始まったら、とにかく早く終わらせる」ことを旨としなければならないからである。その意味では、パウエルも加わって立案された湾岸戦争に際しての計画は、誠に理に適ったものであったのである。
 ところが、デューガンは、そうした米国政府の方針に反する談話を『ワシントン・ポスト』紙に載せた。デューガンは、「イラクなどは航空爆撃だけで片付けることができる」という趣旨のことを語ったのである。ブッシュには、元々、空爆の効果を過大に観る傾向があったけれども、パウエルは、「空爆に頼る場合の問題は、主導権を敵に握らせることになる点です。降伏するか否かを決めるのは向こうです」とブッシュに進言した。そして、パウエルは、デューガンの談話について、次のように書いている。「デューガンは、イラクを下すのは赤児の手をひねるようなものとの印象を与え、…大統領令で禁じられているにもかかわらず、政治を軽視し、空爆が唯一の選択肢であるとほのめかして、政府がこれ以外の戦略をとれば国民はそっぽを向くであろうとまで言ったのである」。そして、パウエルは、「一回の発言でこれほど多くの愚劣で軽率、かつ偏狭な発言が飛び出すことなど、考えられなかった」と評した。結局のところは、談話記事が出た翌日、パウエルと相談したディック・チェイニー(当時、米国国防長官)は、デューガンに更迭を伝えたのである。
 デューガン更迭の経緯は、武官の発言の意味、「文民統制」と呼ばれるものの意味を筆者に想い起こさせる。田母神俊雄(前航空幕僚長)が、戦前期の日本の足跡への評価に関して政府方針に背馳する趣旨の論稿を発表し、更迭された一件は、そうしたデューガン更迭の経緯と重ね合わせれば、誠に示唆深いものであろう。田母神の論稿は、特に「保守・右翼」知識層を中心に擁護する声がある。彼らは、結局のところは、「自らに近似した認識を示した」という理由によって、田母神の論稿を擁護しているのである。しかし、民主主義体制下では、武官の職分は、政府の方針に従い、その方針が首尾佳く貫徹されるように「軍事専門家」としての知見を提供し、その遂行に努めることである。政府の方針の維持と変更は、政治家の職分であって、武官の容喙するところではない。パウエルも書いているように、「私に課せられた任務は、文民による指導部(政府)のためにあらゆる選択肢を提示することであった。民主主義国家では、戦争を決断するのは大統領であって、将軍ではない」のである。歴史認識に関する「村山談話」の変更を自らの論稿を通じて暗に訴えた田母神の姿勢は、パウエルにおける武官としての厳格な自己規定とは、明らかな対照を成していよう。田母神の論稿が批判されるべきことの本質は、その論稿の中身ではなく、政府の方針に背馳する振る舞いに及んでも構わないと考えた心理にあるのである。
 戦後、平和主義感情が広範に浸透した情勢の下では、国際政治における軍事の効用を説くことは、平和主義感情が国際政治の現実から遊離した「平和呆け」状態を招いていることへの批判と対を成していた。しかし、田母神論稿に絡む議論を前にするとき、そうした「平和呆け」批判を展開してきた人々にこそ、「平和呆け」の色調が現れているのではないかと疑うことは、大事なことであろう。要するに、「歴史認識」に関する議論は、具体的な軍事作戦の発動に伴う緊張感とは無縁のものであるが故に、田母神は自らの論稿を書いたし、「保守・右翼」知識層は、それを擁護できているのである。民主主義体制の下で武官が政府方針に背馳する振る舞いに及ぶことの危うさに対する鈍感な感性こそ、別の意味の「平和呆け」の証左と解されるべきであろう。

   「月刊自由民主」(2009年1月号)掲載

 コリン・L・パウエルが雪斎にとっての「理想の武官」である所以は、この論稿からも判るであろう。「戦争は他の手段を以てする政治の継続」であるというカール・フォン・クラウゼヴィッツの定義に照らし合せてみても、軍事は、「政治の手段」であるという自己限定は大事なのである。パウエルは、「軍事を広い政治の文脈の中で位置付ける」ことができた武官であった。
 ところが、こうした自己限定からの逸脱を「保守・右翼」層が歓迎しているのである。「保守・右翼」層こそ、平和呆けをきたしているのではないか。
 要するに、「保守・右派」層も「進歩・左派」層も、互いに自分の「蛸壺」の中で「気持ちのよい」想いをしたいだけである。雪斎は、そうしたマスターベーションの材料を提供するために、自分の原稿を書いているつもりはない。

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Comments

保守層とやらが何と言っているかはどうでもよろしいが、雪斎さんが賞賛されるパウエルもイラク戦争を辞めさせる事はまったくしていないし、ブッシュ大統領の戦略の誤りを押しとどめてなどいない。どこに冷静だの現実性だのがあるのでしょう。
大切なのは憲法がどうだとか国際社会がどうだとかという空論ではありません。何よりも大切な日本人の命を犠牲にするのではなく、危険な任務や使命は反日を唱える国々に押し付ける事が大切なのです。日本が軍国主義になると反発する国々の兵士たちが無残な死を遂げ、何故自国の人間だけが血を流さなければならないのかと彼らが騒ぎ出した時こそにやりとして「わが国には憲法9条があります。戦争に巻き込まれないためには必要です」といえばよい。

テロとの戦いなど百害あって一利なし。彼らを我が方にひきつけ、わが国の利益になる勢力として利用するべきでしょう。アメリカも北朝鮮と手を結んでいるではありませんか。

無論そうなればアメリカは日本より韓国や北朝鮮、中国を大切にするでしょう。しかし彼らとてイスラムなど反米の国々も重要なパートナー。おまけに戦死者が続出し、虐殺事件でも起きればわが国にとってこれほどの利益はありますまい。

今は打って出る時ではありません。むろん憲法改正も有害無益です。

Posted by: ペルゼウス | December 21, 2008 at 01:01 PM

十五年戦争での中国人犠牲者数1-2000万人、日本人死者数300万人という馬鹿馬鹿しいほどの大戦果に対して、米国の死者数9万人。
なんとこれなら今の日本の毎年の自殺者数のほうがよっぽど多いじゃないですか。
指導層が愚劣だと、平時でも戦時中なみの死者を出すらしい。
平和ボケ論者のみなさんにも自覚を促したいですね。

Posted by: 理想主義者 | December 21, 2008 at 01:09 PM

★安全保障費用、武官顕彰に関する指摘には共感します。
★敢えて、「防衛費←軍事支出、安全保障費用?、自衛官、元自衛官←武官?」のように理解しておきます。『「過去の戦争」への評価に関する異議申し立てであったのは、率直に奇異なことであったと断じざるを得ない。』と簡単に断ずるのはいかがなものかと存じます。
★第一に、懸賞論文の題材が「近現代史」であったこと。第二に「防衛費←軍事支出、安全保障費用?、自衛官、元自衛官←武官?、1等陸佐←陸軍大佐?、過去には特車←戦車」のような言い換えが必要なのも「過去の戦争」に対して不必要に悪意の「評価」がなされているために生じた日本語の混乱、今流行の言葉狩り逃れ用語で、不適切史観の弊害であると思います。
★「国士髣髴」の意味は理解できませんが、集団的自衛権、対地攻撃兵器などの議論は純軍事作戦上の議論以外の何物でもなく、まさに海外任務遂行中の「今、そこにある危機」に言及されたものと理解しています。この問題も不適切史観の弊害で、いまだに解決されない問題であると思います。
★デューガン更迭は、パウエルの保身という見方は無いのでしょうか?航空戦力の特質を自信を持って述べたのがそれ程「文民チェーニー」にとって都合が悪かったのでしょうか?短期決戦では、民営「戦争請負会社」の出番は少なくなるだろうな、高貴な「文民統制」事案ではない、という感じをもちました。どうやら軍事介入というのは精精月単位までが限度で、年単位を超えてしまうと、「国益」に沿った治安維持であっても世論の評判は悪化するようです。

Posted by: 常陸曉 | December 21, 2008 at 05:32 PM

私の感じたことを、うまくまとめて書いていただいたかのような気持ちがしました。
しかし、現状では非常に脆弱そうで、仲間割れしている余裕のない保守勢力のことを思うと、なかなかハッキリと言えない人も多いのではないでしょうか。割ろうという謀略なのか、とも思ったりします。
メディアの政権叩き一色の異様な様相を見ると、不気味を通り越して、恐怖を感じるのです。

Posted by: 蜻蛉 | December 22, 2008 at 02:40 AM

デューガン大将のエピソードは私も記事にしました。パウエルの判断は非常に正しかったと言えるでしょう。

>デューガン更迭は、パウエルの保身という見方は無いのでしょうか?

無いですね。ちょっとでも軍事を理解している人間ならば、デューガンのアホさ加減は政治的な意味を理解する前に軍事的に子供の戯言だと断じる事が出来ます。空爆だけでケリが付けられる? その後のユーゴ空爆作戦「アライド・フォース」で実際にやって失敗してますね。

>航空戦力の特質を自信を持って述べたのがそれ程「文民チェーニー」に
>とって都合が悪かったのでしょうか?

あれを「航空戦力の特質を述べただけ」と思える発想が理解できません。言っていることは「幼児的な空軍自慢」の域を超えておらず、更にデューガンは「攻撃目標を決定するにあたり、自分は政治的な足枷を気にしなくてすむと思う」と勝手なことを言い出しており、シビリアンコントロールに喧嘩を売っています。処分されて当然の話です。そして政治的には開戦前にイスラエルからの助言を仄めかした事が解任の決定的要因でした。それが事実であろうとなかろうと、公言してしまえばイラクにイスラエル攻撃の大義名分を与える事に気付いていない馬鹿はクビにされて当然でしょう。

Ready, Aim, Fired - TIME
By Bruce van Voorst/Washington. Monday, Oct. 01, 1990
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,971272,00.html?promoid=googlep

Posted by: JSF | December 22, 2008 at 03:23 AM

ううむ、石斎師の誠にわかりやすく、説得力のある文章に比べると、一部のコメントの何と読みにくいことでしょうか。
第3者(「石斎師」「自分」の他の、このブログを読んでいる不特定圧倒的多数)のことなど歯牙にもかけない、ただ自分の思想を垂れ流すことだけのために文章を書いているとしか思えない。
もしこのような方々とお付き合いをせねばならないとしたら、石斎師のご苦労が忍ばれることであります。
あ、気を悪くされましたか? あなたのことではありませんよ。

Posted by: アルゴン金 | December 22, 2008 at 12:55 PM

冷静な意見、いつも参考にさせて頂いています。管理人様が
左から右と言われ、右からは左と言われるのはまるでかわぐち
かいじ氏の漫画の様です。
私も、有事においては政治的な判断をしなければならない
高級将官だけに、政府の見解と全く異なる事を立場を維持した
まま発表するのは文民統制の観点から非常に危険な事だと考えます。

今回の件、軍オタの間でも概ね管理人様と同意見の様です。
ご存知かもしれませんが以下のHPにて、管理人様が
出されたもの以外に複数の例が出されています。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq05h.html#15425
ご参考までに。

Posted by: 極北 | December 22, 2008 at 05:31 PM

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