「市場」優位の時代は終わったか。
■ 昨日午前、六本木ヒルズで安全保障関連の会合に加わる。
帰りがけに、京橋の「中央公論」に寄ろうとしたら、大和総研に移った著名エコノミストのTさんに出くわす。時節柄、「ビッグ・スリー」の話になる。雪斎は、先刻の「ビッグ・スリー」首脳の議会証言を観れば、「いっそのこと、潰したほうが米国のためにはなるのではないか…」という気がしているl。首脳が議会公聴会にプライヴェート・ジェットで乗り付けたというのも、ひどい話である。この首脳の姿は、米国の企業経営者の現在の「質」を表しているのではないか。Tさんを含め最近会ったエコのミストからは、異口同音に、「ビッグ・スリーはもう駄目だろう…」という話が聞かれる。
ところで、1970年代後半、ベトナム戦争の後、「米国の優越は終わった」と語られた時期があった。日本国内には、米国に対する複雑な感情があるせいいか、米国が「変調」を来たせば、「米国は終わった…」という話が待ってましたとばかりに出てくるものであるけれども、事は、それほどど単純ではあるまい。
ところで、自民党機関誌「月刊自由民主』今月号に下掲のような原稿を載せた。掲載前に、かんべえ殿にエコノミストとしての所見を請うたら、「おかしなことは書いていない」という話だったので、安心して出した。
□ 「『市場』優位の時代」は終わったのか。
現在、国際金融情勢の混乱の最中で頻繁に説かれているのは、「『市場』の優位の時代の終焉」ということである。確かに、此度の金融危機に際しては、国家の枠組による介入や規制が、当然のように要請されている。一九八〇年代以降、ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーが進めた経済政策の趣旨は、経済活動に対する国家の介入の余地を出来るだけ狭めることであり、それは、経済活動が国家に従属したソヴィエト共産主義体制の崩壊を経て、自明の正しさとともに受け容れられたのである。そうした流れは、此度の国際金融危機に際して、明らかに潮目が変わったと指摘されているのである。
しかしながら、一九九〇年代以降、たとえば中国、ロシアのような「新興国」における経済発展が劇的に進んだのは、こうした国々が「冷戦の終結」以後に市場経済の世界規模のネットワークに組み込まれたからである。振り返れば、戦後の日本が経済復興が急速に進み、「世界第二の経済大国」と称されるまでに至った所以は、明治以降の歳月の中で培われた産業上の所産が、生かされたからに他ならない。石橋湛山もまた、国際自由貿易体制の一翼を担うことできれば日本の復興が早期に進むという展望を示していたし、その展望は正しかったのである。韓国や東南アジア諸国は、一九九〇年代後葉に通貨危機を経験したものの、自由貿易体制に加わることによって、日本の後を追うように経済発展を果たしたのである。加えて、現在のアフリカ諸国の状況が暗示するのは、他国からの経済援助は、その国々の経済発展を本格的に促すものとはなり得ないということである。結局のところは、それぞれの国々には、市場経済ネットワークの中で自由貿易体制の一翼を担うことにしか、経済発展の展望はない。たとえばポール・クルーグマンのような経済学者は、一九九〇年代以降の「グローバリゼーション」現象の「負の側面」を指摘するけれども、人々の「自由な活動」と「繁栄」が表裏一体の関係にあることを否定しないであろう。
故に、われわれが冷静に確認すべきは、目先の混乱に幻惑されて、市場経済体制それ自体の意義を疑うような議論に走るのは、愚かなことであるということである。それは、「角を矯めて牛を殺す」という類の議論である。たとえば、特に欧米諸国の金融機関に激甚なる打撃を与えたクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)と呼ばれる金融商品の取引もまた、その実態は、金融機関と顧客企業との半ば不透明な相対取引を趣旨とするものであった。しかも、そうした取引には、一般には判りにくいことを半ば頼みにした「無責任性」が潜んでいた。そして、幾多の格付け会社がCDSを含む様々な金融商品に高い格付けを与えることによって、あたかも高い「信頼性」を伴っているかのような印象を世に与えたのである。それは、高い透明性や信頼性と適切な秩序による担保を前提とした市場経済体制の建前とは、明らかに異質なものであったのである。現下の金融危機は、市場経済体制という身体を成す「普通の細胞」が「悪性癌細胞」に変質し、それが身体の至る所に転移した状態に擬えることができるかもしれない。そうであるとすれば、こうした「癌細胞」を除去し、前に触れた透明性や信頼性、さらには秩序を伴った「健全な身体」を取り戻す両面の具体的な方策が、議論されるべき事柄の中身である。今は、市場経済体制の本来の趣旨に戻るための議論が、要請されているのである。
このように考えれば、「国家か市場か」という二者択一的な議論の仕方は、粗雑なものでしかないし、「『市場』の優位の時代の終焉」云々という議論もまた、先々の経済社会の姿を展望する上では却って要らぬ誤解を世の人々に与えるものでしかない。国家という枠組は、結局は、人々の自由な活動を支えるためのものである。さらにいえば、筆者が想定する「国家の役割」の根幹とは、「国家は、普段は鬱陶しいものであってはならないけれども、必要なときには必要なことができるようでなければならない」というものである。現下の金融危機は、その時間がどれだけの長きに渉るかはともかくとして、「必要なときに必要なことができる」ことが国家に要請されている局面であるということを示しているに過ぎないのではなかろうか。
『月刊自由民主』(二〇〇八年十二月号)掲載
安全保障政策領域も、そうであるけれども、こうした領域でも「○○か△△か」という二項対立の図式での議論に走りたがる人々の多いのは、どういうわけであろうか。雪斎は、幾度でも書くけれども、「市場」の意義を大いに認める立場である。その点、米国が明白な「保護主義」に走るのは、災厄でしかないと考えている。国家の役割は、「市場」を機能させることである。この原点を見落とすわけにはいかない。
大体、「『市場』優位の時代は終わった…」などと語ってみたところで、誰も、「統制経済」の世に戻りたいと願う人々はあるまい。それは、官僚が生活の細部にまで首を突っ込んでくくるという意味では、誠に「鬱陶しい」事態なのだが、そのことをきちんと観て置くことが必要であろう。
尚、「内需拡大を」という声はあるけれども、人口が増えない日本には、長期的に、どれだけ「内需」が期待できるというのであろうか。結局、日本の「内需」というのも、次に「外需」が復活するまでの「つなぎ」でしかありえないのはなかろうか。そして、次に「外需」が復活したときに、国際自由貿易の仕組が機能していなければ、その恩恵に与ることはできない。
いっそのこと、トヨタ、ホンダ、日産の三者が国策資金を背景に米国国内に続々と工場を立てて、「ビッグ・スリー」が潰れた後の掃除をやってくれたら、かなり凄いことになると思うのである。そこで作るのは、専ら「環境カー」である。これによって、「環境ダメージ車」は米国国内から消えるし、バラク・オバマの政策志向にも合うであろう。当然、米国政府にも相応の規模の助成をしてもらう。今の「ビッグ・スリー」の延命に途方もない額のカネを費やすよりは、日米合同「環境カー」工場建設計画にカネを使ったほうが、米国国民の税金の使い方としては、賢明であると思う。「潰れる会社は潰れる」という自由主義経済の建前は守れるし、米国での地球環境保護の動きは加速できるし、米国の雇用は一定程度まで守れるし、そして何よりも日本の自動車企業は米国市場を掌中にできる。
雪斎が総理補佐官ならば、そうしたことをオバマに提案すべく、働きかけようと思うのだが…。
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Comments
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_02.html#GaijuIzon
雪斎先生。こんにちわ。
日本は将来的には外需に依存しないといけないのではないか?とおっしゃっていますが、上のURLを見ればとんでもありません。
「『外需』とは何かと言えば、海外の需要のことですから、当然日本からみれば輸出になります。ということは、外需依存度とは『輸出対GDP比率』になるわけです。」(以上URLから引用)
すると日本の外需依存度はわずか15%に過ぎません。これから人口が減るのだからというのは良く聞く話ですが、仮に少子化で人口が半減したとしても、日本はイギリス並みの人口があります。
また、外需依存国の韓国や中国にしても3分の2は国内消費で生み出されるGDPなのです。以上のことから内需を軽視するのは、景気回復あるいは拡大期の初期に取る政策としてはまだしも、長期的にそういう政策を進めるのはあまりに無策であることがわかります。
Posted by: あかさたな | November 23, 2008 11:58 AM
本来ならば こういった危機的状況に対して 雪斎殿の仰るような提言や建設的な論議があって然るべきと思いますが、日本人は得てしてこういった状況になると揃いも揃って小田原会議に没頭してしまうものなのでしょうか?
僕自身も極論を用いてしまう事もありますがあくまでも最悪の状態を想定しての極論です。 論議の内容を極端に2つに分けて進めるのはやはり好ましくないと思います。
Posted by: へきぽこ | November 23, 2008 10:22 PM