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November 04, 2008

世論に惑わず政治に拘わらず

■ 前回のエントリーの補足である。

 「農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え」。

 終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾は、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集めて、このように訓示したと伝えられる。
 因みに、戦前には武官は誰でも頭に入れておくことが要求された「軍人勅諭」には、次のような一説がある。

 一、軍人は忠節を尽すを本分とすへし
 抑(そもそも)国家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是(これ)国運の盛衰なることを弁(わきま)へ世論に惑はす政治に拘(かかは)らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ其(その)操(みさを)を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ

 「世論に惑わず政治に拘わらず」とぃうのが、武官の領分だというのである。

 『軍人勅諭』に書かれてあることには、雪斎は総じて異存はない。「天皇への忠誠」を「日本国の象徴である天皇への忠誠」と読み替えれば、今でも立派に通用する中身である。

一 軍人は礼儀を正くすへし
一 軍人は武勇を尚(たふと)ふへし
一 軍人は信義を重んすへし
一 軍人は質素を旨とすへし

 ところで、田母神前空将のしたことは、「軍人勅諭」の観点からも、おかしなものであろう。何故、彼は、「世論に惑わず政治に拘わらず」を平気で破ったのであろうか。「職を賭して問題提起をした」などと擁護する向きがあるかもしれないいけれども、それをいうのであれば、二・二六事件も、若手将校が命がけで行った「問題提起」であったのではないか。論文に応募した自衛官は、五十人近くいるようであるけれども、雪斎は、そのことがショックである。こういう精神構造が、武器の使用に結び付けば、二・二六と大差ない結果にならないか。
 昭和初期以降の旧軍の退廃は、高級将校クラスの連中が平気で勅諭を破り、その一方で「死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」を末端の兵士に押し付けたことであろう。
 日本のメディアで田母神氏に同情的なのは、「産経」だけのようである。自衛隊の活動を積極的に認めていた「読売」も「日経」も、この点では厳しい。「産経」は、「泣いて馬燭を切る」姿勢を打ち出すべきだったと思うが、どうしたものであろうか。

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Comments

本土決戦を叫んだ阿南氏まで駆り出すようではおしまいですな。ある意味「軍人勅諭」まで持ち出すとは田母神以上の問題発言ですよ。何というリベラル派でしょうか(笑)。

2.26事件を起こした事をけしからんとするなら、そういう事件が起きるようにした政治の責任、今で言うなら「構造改革」などというたわごとで日本国の雇用情勢を破壊し、格差社会を広げておきながら、秋葉原での殺人が起きるのを嘆くのと何の代わりがありましょうや。現実主義が聞いてあきれるというものです。

「世論に惑わされず、政治に拘わらず」などという考えこそが空理空論であり、この世界にそんな超然たるものは存在せず、そこからどうするかこそが現実主義ではないですか。

歴史に学ぶべきは現実主義を追求することが空理空論につながることでしょう。阿南氏の運命が何よりそれを示しています。


Posted by: ペルゼウス | November 04, 2008 at 11:02 AM

組織の中で金銭を預かる者にはそれに対して必要なモラルがあります。市場に携わる者もそうですし、人事を預かる者、法に携わる者、経営に携わる者に至っては多様なモラルが必要なように 各々の立場に於いて道徳と言うものは切り放せない物だと思います。武力を預かる方々には先人が考えてつたえた物があるにも関わらず。このような風景をまのあたりにするのは、残念に思います。武力に纏わる様々な歴史を経ている筈ではありますが結局そこから学ぶ事が出来なかったという事になます。平和呆けしているこの国ではあまり大きくは取り上げられてないようですが、個人的には今回の更迭の件の背景にあるものまで考えれば巷で騒がれている3年後の消費税の税率よりも重要視されても良いのでは無いかと思います。様々な立場に必要なモラルはその都度必要性が問われるような状態や事件が起きないと維持して行くことはできないのでしょうか? 平和呆けは困りますが平和への努力は忘れてはいけないと思います。 因みに『泣いて馬謖を切る』は公明の馬謖に対する期待や自らの戒めと苦汁の選択が産んだ一節だと思います。ので産経は公明に値しないと思います。

Posted by: へきぽこ | November 04, 2008 at 02:31 PM

この問題については、この記事も良い内容だと思います。確かに「軍紀の乱れ」ですね。

KY空幕長の国益空爆:NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/

Posted by: Baatarism | November 05, 2008 at 01:41 PM

よく「平和呆け」という人がいるが、単に自分の精神が苛立ってるだけだろう。

こういう人は、まず自分の苛立ちの原因を見つめるべきだろう。自分がイライラしてるからといって戦争を望まれては迷惑である。

Posted by: ネットサーファー | November 08, 2008 at 08:53 PM

ネットサーファーさんには、他の人の言う「平和呆け」がそのように聞こえますか?
私には、「本当の平和を考えるにはその対義である戦争をも考えなくてはならない」「平和だけの中で平和を考えていては、中道(って何か分からないけど)でさえ非平和に見えてくる」というように聞こえますが。

Posted by: ぽよん | November 29, 2008 at 02:41 PM

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