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November 10, 2008

日本の「盾」としての「村山談話」

■ 金曜日に田母神前空将の論稿を題材にして産経新聞「正論」欄に原稿を載せた。中身は、ここで書いた二つのエントリーを元にしたものである。
 予定通り、産経新聞が運営している「iza ブログ」界隈では、不評である。四月末には、「さじをなげたく」なったものであるけれども、今は、「そういうものであろう…」という諦念が先に立っている。
 ただし、産経新聞というメディアにおける「多様性」を世に示そうとするならば、雪斎のように、「正論左派」でやっていくことの意味は、決して小さくない。「正論」欄という論説欄に書き始めたのは、もう10年も前である。過去十年の間に書いた原稿は、既に120は超えるであろう。10年前に「異例の若さ」で迎えてもらい、その後、今に至るまで最若手の一人である。「よくも続いているな…」と思う。
 「正論左派」を標榜する雪斎が倣いたいと思っているのは、「正論」欄の第一号執筆者である猪木正道京都大学名誉教授のスタンスである。猪木先生は、一九七〇年代に防衛大学校長を務めた。猪木先生の著書に、『軍国日本の興亡』というものがあるけれども、そこで披露されている歴史認識は、雪斎には多くの示唆を与えた。猪木先生は、あの戦争を「自爆戦争」と呼んでいる。こうした姿勢は、田母神論稿擁護に走っている人々の認識には相容れないものであろう。猪木先生は、戦前期のオールド・リベラリストである河合栄治郎の弟子である。猪木先生の門下からは、高坂正堯、西原正、五百旗頭眞、木村汎といった先生方が登場し、西原、五百旗頭の両先生は、猪木先生と同様に、防衛大学校校長に就任している。
 ところで、田母神論稿が異論を唱えた村山総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)を最初から最後まで読んだ人々は、どれだけいるであろうか。議論前に触れておくことにしよう。

  □ 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

  「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」。田母神前空将か書いた論稿やそれに共鳴する人々が嫌がっているのは、この記述である。
 日本の近代の歩みは、たとえていえば、次のような話になる。

 十代の半ばの頃に、早く大人の世界に入りたくて、当時の流行の「暴走族」(帝国主義)に加わった若者が、他のグループとの抗争に勝ち抜いて、押しも押されぬリーダーになった。その過程では、周囲の迷惑になるようなことをした。「俺もようやく大人だ」と思ったら、何時の間にか、流行が終わり、「大人の世界」の常識が変わり始めていた。その後も、以前と同じことをやっていたものだから、周囲の顰蹙を買ったし、新しい「常識」を体現した人々との対立が決定的になった…。
 
 日本は、明治維新以来、「文明」の名の下に帝国主義という「侵略と植民地支配」の論理に加担したのである。たとえば西郷隆盛は、そうした帝国主義の論理を「野蛮」と呼んだ。日本は、そうした「野蛮」の論理に手を染めながら、近代国家としての歩みを進めた。だから、「日本は侵略行為をしていない」という議論は、事実認定からしておかしい。日本にとって不運であったのは、第一次世界大戦後の脱帝国主義化、「民族自決」原則の広がりの流れには、適応できなかったということであろう。結局、日本は、日清・日露という二つの明治の戦争で「成功し過ぎた」のである。
 ところで、「若き日に、他人には口にできないような恥ずかしくも、忘れてしまいたいことをした経験」を持たな人々は、果たして、どれだけいるのであろうか。雪斎の若き日は、そうした経験のオン・パレードなので、とても「若き日に戻りたい」とは思わない。「忘れてしまいたい過去ががある限りは、『誇り』を持てない」という思い込みが、右派勢力の人々にはある。だが、これは、「聖人君子でなければ誇りを持てない」というのと同じ理屈である。奇妙なことではないか。
 雪斎は、「村山談話」というのは、政治文書としては、「よく出来た文書」と思っている。「よく出来た文書」というのは、政治の現場で「色々と使える文書」だという意味である。歴代の政権は、「村山談話を踏襲する」と表明する限りは、自衛隊の海外派遣が「自らの利のために行うのではない」と説明することができる。たとえば、アジア近隣諸国との摩擦が生じても、「既に村山談話を出していますので…」と応じることはできる。そもそも、「村山談話」を出したことによって、日本は、何か甚大な実害を被ったであろうか。たとえば、中国や韓国が、「反省したならカネを出せ」といいだしたとしても、そうした理屈は、現実の国際政治の世界では通用しない。小泉純一郎時代にも、西洋列強ですらやらない「侵略と植民地支配」への反省を表明したことで、アフリカ諸国や多くのアジア諸国での好感度が高まったという成果もある。「植民地支配を受けた人々」の末裔が、「世界最強の国家」の指導者になる時代である。「侵略と植民地支配」の過去を糊塗しようする振る舞いは、日本の国益にはマイナスにしかなるまい。
 「村山談話」の破棄を求める右派勢力には、この「村山談話」の政治的な効用が、全然、理解できていない。彼らは「正義が負けてなるものか…」と思っているのであろう。その精神構造は、「正しいことは何時でも何処でも正しい」と考えている点では、彼らが嫌いな左翼活動家のものとは大差はない。しかし、それは、誠に「非政治的な」思考なのである。
 雪斎は、「村山談話」が日本の「盾」として機能してくれているうちに、早く「普通の国」への脱皮を果たしたほうがいいと思う。それとも、わざわざ、この「盾」を手放すつもりであろうか。

■ このところ書くエントリーが、やたらへヴィーになっている。ということで、二、三日、お休みである。
 今週は、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサーがある。
 当日、コンサート・ホールの最前列中央に「坊主頭の男」がいたら、多分、それが雪斎である。
 待望の時間である。

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Comments

『正論』に対する不評と言うものに対して少し興味を持ちましたのでざっと目を通しました。正直なところ『このような文章の捉え方もあるもんなのか…』と言う感じです。
これは僕自身が心掛けている事なのですが、ひとつの文章と向き合う時、その文章を書いた人がどのような気持ちで何を伝えたくて書いたのかを感じとる事です。僕自身は文章力もなく果たしてきちんと感じとる事が出来てるかは分かりませんが、大切な事だと思います。
ですから雪斎殿の『正論』に対する不評な『台詞』は感じる物が少なかったように思います。揚げ足取りのような物や その言い回しに固執した内容の物が多い印象を受けました。

田母神論縞が これだけ賛否両論があり 雪斎殿の正論が話題になるのは、ひとつにこの論縞がまず右ありき左ありきで読まれているからではないでしょうか? そうする事によって生まれる相互批判は、あまり建設的ではないと思います。

Posted by: へきぽこ | November 11, 2008 at 03:09 AM

ネット界隈では田母神さんを全肯定する人が多いように見られますね。
それに意外な感じを受けています。
色々鬱屈したものが溜まり吹き出したのかなと思いますが、それにしても、中立的に考える人がなかなかいないように見えるので少し残念に思います。

Posted by: タッキーニ | November 11, 2008 at 06:25 PM

こんばんは。
国会の参考人招致、なんだかなあという印象しか残りませんでした。
歴史認識問題で「日本は悪くない」的な発言をする政治家は、自民党にも民主党にもいっぱい居るんですから、彼らを何とかする方が先だろと。
(またあの「慰安婦新聞広告」みたいな真似をされてはたまりません・・・)

民主主義はルールですから、今回はそのルールがなかったので、言論の自由の問題になってしまったということで、田母神氏の処分については同情を禁じ得ないです。
この内規↓を理由に懲戒免職とか退職金返納とかいうのは、常識的にあり得ないでしょう。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1980/az19810223_00814_000.pdf


>「村山談話」が日本の「盾」として機能してくれているうちに、早く「普通の国」への脱皮を果たしたほうがいいと思う。

仰るとおり、歴史認識問題は戦略的に対応していく必要があると思いますね。
私はずっと謝り続ける必要なんてないと思うし、アングロサクソンが衰退して大東亜戦争や日本の海外領土経営の歴史的意義が再評価されることもあるかもしれないとは思いますが、今後5年や10年でそうなることは考えられないです。
ですから、当面は戦略とそれに基づくルールを定め、要職にある者はそれに従うとすればよいと思います。

あと、シビリアン・コントロール云々で騒がれていますが、そもそも日本のそれは欧米と違って内局(キャリア官僚)が自衛隊(制服組)の上に君臨するというもので、時代遅れというか、論文なんかよりこっちの方がむしろ問題だと思うのですが、最近の防衛省改革でも根本は手つかずなんですよね・・・。

Posted by: 板倉丈浩 | November 12, 2008 at 01:20 AM

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Tracked on November 18, 2008 at 03:39 AM

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