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November 23, 2008

言論家の「掟」

■ 休日なので、雪斎における「言論家の『掟』」を書いてみる。

 雪斎が言論家として心掛けていることは、結局のところは、一つしかない。
 「自分が書くものは、聖上(天皇陛下)に奉呈する文章である」。
 このブログのエントリーはともかくとして、少なくとも雑誌、新聞などの「表のメディア」に出す原稿を書くときは、そういう姿勢で手掛けている。
 故に、そこからは、三つの「掟」が浮かび上がる。
 第一に、メディアの論調に合わせて書く中身をを微妙に変えるようなことは、しない。
 どこのメディアに書こうとも、常に一貫していることが大事であるl。
 「あちらで書いた文章とこちらで書いた文章が違うように見えるが、何故か」と問い質されたときに、きちんと答えられないようなことをしてはならないということである。
 そして、「蛸壺」に入って物事を論じる弊を避けるためにも、諸々の「政治運動」から距離を置く。
 第二に、書く論稿の中身は、「建設的な意味」を持たなければならない。
 「聖上に奉呈する文章」である以上、世の情勢を前にして、「どのように物事を考え、何をなすべきか」を具体的に献言するものでなければならない。無責任な「空論」やどうでもよい「よもやま話」を「聖上」に披露するのは、不敬の類である。
 第三に、他人の言論を捉えて噛み付くのを専らとするような文章は、書かない。
 そうした文章は、多くの場合、書いた人々の「マスターベーション」に過ぎない。
 加えて、他人をこき下ろす原稿には、読む人々の「感情」を満足させるという以上の意味はなく、それは本質的に「お下劣な」性格を持つ。
 そもそも、そうした「お下劣な」文章は、「聖上に奉呈する文章」たり得るはずはないし、それを敢えて披露しようとするのも、不敬の類である。
 以上である。
 雪斎にとっては、「言論の自由」とは、「放言する自由」ではない。
 「聖上に奉呈する文章」である以上、それくらいの緊張感を以て書かなければ、意味はない。
 「自由」を擁護することは、かくも厳しい。

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Comments

様々な事柄や 時代の移り変わりが激しさを増す中
一つの軸かぶれない雪斎殿の思想とそれに伴う文章に勝手なが好意を持っている者の一人です。上奏すると言うと大袈裟に捉えてしまう方もいるかもしれませんが、それ位の気概を持って論議に臨まなければ建設的な発言は生まれない。と言う意味で僕は捉えています。
僕自身幸いな事に今までどちらかに極端に偏った思想に深く触れずに生きてきたお陰もあるかもしれませんが、雪斎殿のお考えにはその都度気づかされる事が殆どでした。ですがその分思想の入り口で蛸壺に入り込んでしまった方達からは、格好の批判の標的に曝される危険めあるのではないか?と思ってしまいます。
批判とは確かに心地よさがあるかもしれませんが、
それで終わってしまうつまらないものです。下品な表現かも知れませんが、 まさに「出したら終わり」のマスターベーションに他ならないと思います。
ひとつ感じるのは批判から入る事で注意をこちらに向かわせようと言う意図があるからこその批判というのもあるとは思います。
ただ残念なのがそうでもしないと注意を注がない聴衆と批判からしか話しを進める事しか術を無くした発言者という構図が今の世の中には溢れてしまったように感じる事です。

このぶれない発言者である雪斎殿の文章が少しでも多くの方に、素直な心理で耳をかたむけて貰えれば新しい角度に歩み始めるひとつのきっかけになるのでは?と思います。

自らに課した掟 雪斎殿だけではなく 僕自身にも必要な事だと感じました。どうもありがとうございました。

Posted by: へきぽこ | November 23, 2008 at 10:57 PM

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