『回顧録』より
■ 「これまで軟弱外交とか、親米とか、親英とかの言を用いて時の当局を攻撃し、事実を究めず、根拠薄弱な放言を以て群集を煽動した弊風は、当事者を鞭撻する上で何ら実質的な効果がなく、却って相手国の誤解を招いたに過ぎなかったのである」。
これは、誰の言葉であろうか。
■ 「これまで軟弱外交とか、親米とか、親英とかの言を用いて時の当局を攻撃し、事実を究めず、根拠薄弱な放言を以て群集を煽動した弊風は、当事者を鞭撻する上で何ら実質的な効果がなく、却って相手国の誤解を招いたに過ぎなかったのである」。
これは、誰の言葉であろうか。
■ 西郷隆盛は、西欧列強の帝国主義の論理を「野蛮」と評した。だから、明治以来日本の歩みは、その「野蛮」の沙汰に加わった歳月である。
歴史の「イフ」を考えてみる。
もし、清朝末期の中国や李朝末期の朝鮮が、その植民地獲得競争に乗り出せるだけの国力の裏づけを持っていたならば、彼らは、その競争の論理に加わったのであろうか。それとも、「われれは、東洋道義の国であるから、そのようなことはしない」と応じたのであろうか。
これを考えてみることは、大事なことである。
案外、チベットや竹島の扱いを見れば、中国も朝鮮も、殖民地獲得競争に加わった可能性が高い。少なくとも、雪斎は、「敢えてしなかった」根拠を探すことのほうが難しいだろうと思っている、
■ 昨日午前、六本木ヒルズで安全保障関連の会合に加わる。
帰りがけに、京橋の「中央公論」に寄ろうとしたら、大和総研に移った著名エコノミストのTさんに出くわす。時節柄、「ビッグ・スリー」の話になる。雪斎は、先刻の「ビッグ・スリー」首脳の議会証言を観れば、「いっそのこと、潰したほうが米国のためにはなるのではないか…」という気がしているl。首脳が議会公聴会にプライヴェート・ジェットで乗り付けたというのも、ひどい話である。この首脳の姿は、米国の企業経営者の現在の「質」を表しているのではないか。Tさんを含め最近会ったエコのミストからは、異口同音に、「ビッグ・スリーはもう駄目だろう…」という話が聞かれる。
ところで、1970年代後半、ベトナム戦争の後、「米国の優越は終わった」と語られた時期があった。日本国内には、米国に対する複雑な感情があるせいいか、米国が「変調」を来たせば、「米国は終わった…」という話が待ってましたとばかりに出てくるものであるけれども、事は、それほどど単純ではあるまい。
■ ちょっとした世代論を書いてみる。
祖父 1900ー1910年代生まれ
・ 日露戦争前後、「明治国家」の完成期に出生
・ 青春時代は「大正ロマン」の最盛期。「モボ」と呼ばれた。
・ 終戦時40歳前後。第二次世界大戦中は応召せず。
・ 東京オリンピック前後に退職、「復興」を支える。
・ 往時、財界四天王と呼ばれた人々が、この世代。
・ 昭和の終わり、「バブル」の時期前後に鬼籍に入っていく
父親 1930ー1940年生まれ
・ 幼少期、「少国民」と呼ばれる。
・ 復興、高度経済成長とともに社会人キャリアが始まる。
・ 戦後の「消費文化」の恩恵を逸早く受ける。
・ 「日活スター」、「長島・王」の世代
・ 「バブル崩壊」の時期前後に退職。社会人としては、かなり恵まれた人生。
息子 1960-1970年生まれ
・ 幼少期は、「経済大国・日本」驀進の最中であった。
・ 特撮ヒーロー番組、アニメを飽きるほど観ていた。
・ 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を素朴に信じていた。
・ 青春時代は、「バブル」の洗礼を受ける。
・ 「清貧」という考えは違和感がある。
・ 「国際派」志向は当たり前という意識がある、
・ 1990年代の「不況」以前には、既に就職していた。
「息子の息子」 1990年ー2005年生まれ
■ これは、心底、嫌な話である。
□ 連続テロか 元厚生事務次官宅で妻が刺され重傷
11月18日 産経新聞
18日午後、東京都中野区の元厚生事務次官、吉原健二さん(76)宅で、家にいた妻の靖子さん(72)が、宅配便の配達を装った人物に刃物で刺された。女性は重傷。警視庁で連続テロの可能性もあるとみて男の行方を追っている。
同日午前には、同じく元厚生事務次官の山口剛彦さん(66)とその妻(61)がさいたま市内の自宅玄関で刺され死亡する事件がおき、埼玉県警が殺人事件として捜査している。
吉原さんは1986年に社会保険庁長官、88年に厚生事務次官を歴任。その後、日本赤十字社理事などを務めた。
■ 首を長くして到着を待っていた『ジョージ・ケナン』(リー・コンドン著)が昨日、届き、早速、読み始める。
コンドンは、歴史学者であり、ジェームズ・マディソン大学名誉教授という肩書き持つ人物である。
ジョージ・ケナンは、冷戦初期の「封じ込め政策」立案の主導で知られているけれども。彼の百一年の生涯の後半半世紀は、歴史研究と外交評論に費やされていた。コンドンの著作は、そうしたケナンの「思想」に焦点を当てている。
■ 昨日夕刻以降、サントリー・ホールで、「マリス・ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」のコンサートに出かける。
プログラムは。以下の通りであった。
① ブラームス 交響曲 第三番
② ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」
アンコール
③ ブラームス ハンガリー舞曲、第一番
④ グリーグ 組曲「ペール・ギュント」より、山の魔王の宮殿にて
■ 金曜日に田母神前空将の論稿を題材にして産経新聞「正論」欄に原稿を載せた。中身は、ここで書いた二つのエントリーを元にしたものである。
予定通り、産経新聞が運営している「iza ブログ」界隈では、不評である。四月末には、「さじをなげたく」なったものであるけれども、今は、「そういうものであろう…」という諦念が先に立っている。
ただし、産経新聞というメディアにおける「多様性」を世に示そうとするならば、雪斎のように、「正論左派」でやっていくことの意味は、決して小さくない。「正論」欄という論説欄に書き始めたのは、もう10年も前である。過去十年の間に書いた原稿は、既に120は超えるであろう。10年前に「異例の若さ」で迎えてもらい、その後、今に至るまで最若手の一人である。「よくも続いているな…」と思う。
「正論左派」を標榜する雪斎が倣いたいと思っているのは、「正論」欄の第一号執筆者である猪木正道京都大学名誉教授のスタンスである。猪木先生は、一九七〇年代に防衛大学校長を務めた。猪木先生の著書に、『軍国日本の興亡』というものがあるけれども、そこで披露されている歴史認識は、雪斎には多くの示唆を与えた。猪木先生は、あの戦争を「自爆戦争」と呼んでいる。こうした姿勢は、田母神論稿擁護に走っている人々の認識には相容れないものであろう。猪木先生は、戦前期のオールド・リベラリストである河合栄治郎の弟子である。猪木先生の門下からは、高坂正堯、西原正、五百旗頭眞、木村汎といった先生方が登場し、西原、五百旗頭の両先生は、猪木先生と同様に、防衛大学校校長に就任している。
ところで、田母神論稿が異論を唱えた村山総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)を最初から最後まで読んだ人々は、どれだけいるであろうか。議論前に触れておくことにしよう。
■ バラク・オバマが米国の新大統領として登場することになった。
1960年代生まれの世代が、昔日の「米ソ両超大国」の指導者になった。
もう、そういう時代である。
麻生太郎の次の日本の宰相は、誰になるのか。
自民党であれ民主党民主党であれ、もはや1940年代から1950年代前半までの世代には、出る幕はあるまい。
「バラクー○○」関係ということを考えたときに、○○に入るのが、民主党であれば、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人では、かなり座りが悪い。どう観ても、前原誠司、枝野幸男といった世代が中心にならなければなるまい。
その事情は、自民党にとっても、同じことである、
オバマが二期務めるとして、今、60歳後の世代の日本の政治家は、70歳近くになっている。
世界の政治指導者の「世代交代」を要求しているのが、オバマ登場の意味である。
日本は、これについてこれるのか。
■ それにしても、オバマの登場は、米j国の「底力」を感じさせる一件である。
「少数派」であって祖父の世代には、「米国人」でなかった人物が、大統領になるのである。
このところの金融混乱で「米国の時代」の終わりを鼓吹する意見があるけれども、ダメージの度合いは、米国に張り合おうとしている国々、たとえばロシアやベネズエラのほうが深刻なのである。
来年の就任演説は、さぞかし「歴史」を意識させるものになるのであろう。
今から、楽しみである。
■ 「人間ドック」の結果が送られてくる。
「煙草は一切、吸わない。酒の類も、余りやらない」という生活が功を奏してか、診断結果は、「特段の異状はなし」である。
もっとも、脳性小児麻痺の障害と加齢の複合から生する筋力の低下や他の運動機能の低下は、もはや如何ともしようがない。ここのところの落ち込みを、どのようにスローにするかが、問題になろう。
ただし、驚いたのは、視力が何故か1.2となっているこでとある。
10代後半頃に計って「0、8」ぐらいだったと思っていたから、40歳も過ぎてから視力は衰えるどこか上昇していたことになる。物を読み書くのを生業とする立場からすれば、これは有り難いことかもしれない。
■ 「田母神論稿」騒動を扱った原稿を「産経新聞」に載せることにした。
近日中に載るであろう。
それにしても、「こういうことでゴタゴタしなければならならいとは…」と思う。
ところで、前のエントリーで「軍人勅諭」を出したものだから、ギョッとした向きがあるかもしれないけれども、そこに何が書かれ、そして誰によって書かれたものであるかぐらいは、頭に入れたほうがいい。西周が起草、福地源一郎、井上毅、山縣有朋による加筆修正を経たものである。ただし、下賜の経緯によって、、昭和初期以降の軍部が、自らの「独立性」、「不可侵性」を主張するための利用として利用した。要するに、「政治に拘わらず」を「政治に拘わらせず」と曲解したということである。
クレジット・デフォルト・スワップという商品も、似たようなところがある。当初、企業にとってリスクを軽減する手段として使われるものであったはずがが、後になって当初の想定と違う使われ方をした結果、一挙jに「有害」化したとうことである。
加えて、この「軍人勅諭」への言及は、「田母神論稿」を擁護している人々への皮肉なのだが、どれだけ雪斎の意図が伝わったであろうか。
■ 前回のエントリーの補足である。
「農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え」。
終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾は、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集めて、このように訓示したと伝えられる。
因みに、戦前には武官は誰でも頭に入れておくことが要求された「軍人勅諭」には、次のような一説がある。
一、軍人は忠節を尽すを本分とすへし
抑(そもそも)国家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是(これ)国運の盛衰なることを弁(わきま)へ世論に惑はす政治に拘(かかは)らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ其(その)操(みさを)を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ
「世論に惑わず政治に拘わらず」とぃうのが、武官の領分だというのである。
■ 田母神航空幕僚長更迭の件について記してみる。
雪斎も、件の論稿を読んでみた。
率直にいえば、雪斎は、この論稿には高い評価を与えられない。「不可」に限りなく近い「可」というところである。「不可」にしなかったのは、「自分と意見を異にする論稿は、否定的に評価する」真似は、したくないからである。少なくとも、懸賞論文で「最優秀」を取るようなものではあるまい。選考した人々の見識は、どうなっているのであろうか。
というのも、これは、雑誌『正論』辺りに載ったならば、航空幕僚長が書いたということを除けば、他の論稿に埋没するような「没個性的な」中身であるからである。とある漫画家の漫画に影響されて、保守論壇の作品に触れ始めた若者が、そういうものを必死になって真似して自前の論稿を書けば、こういうものができるという風情であろう。要するに、この論稿を航空幕僚長が書く「必然性」が、まったく判らないのである。
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