好況の「徒花」
■ 二つの報道を比べてみる。
□ <ジュリアナ東京>ボディコン、扇子、お立ち台…バブルそのままに一夜限り復活 師匠vsバブル青田のバトルも
9月7日8時2分配信 毎日新聞
バブル末期に一世をふうびした伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が9月6日、一夜限りで復活した。音楽会社「エイベックス」の創立20周年記念イベントの一環。会場となった東京都江東区有明のイベントホール「ディファ有明」は、当時そのままの「ミニスカ」「ボディコン」で身を固めた女性らで埋め尽くされ、30、40代の青春時代を再現した熱い一夜となった。
ジュリアナ東京は91年5月、東京・芝浦に開業。過激な服装に身を包んだ女性が扇子を片手に、お立ち台と呼ばれるステージ上で踊る姿は時代を象徴する現象となった。しかし、93年12月にお立ち台を撤去してからは客数が激減し、94年8月に閉店した。以下、略。
□ 月例経済報告:景気後退入り認める 戦後最長の拡大終了
毎日、8月7日
与謝野馨経済財政担当相は7日、8月の月例経済報告を関係閣僚会議に提出した。基調判断を前月までの「景気回復は足踏み状態」から「景気は、このところ弱含んでいる」に下方修正。世界経済の減速などによる輸出の減少基調で生産の落ち込みが鮮明になり、04年1月から使ってきた「回復」の文字を4年8カ月ぶりに外し、景気の後退局面入りを事実上認めた。与謝野経財相は会議後の記者会見で「長い間続いた(日本経済の)順調な歩みが、ここで曲がり角に来た」と指摘。原油高などに対応した総合経済対策の策定、実行を急ぐ考えを示した。以下、略。
不況に突入した瞬間の段階で、「ジュリアナ」復活というのは、冗談みたいな話であるけれども、この記事を見て確認jしたのは、「ジュリアナ」が好況が終わった後の「徒花」だったということであある。
◆戦後の主な景気の拡大期と後退期◆
神武景気 1954年12月~57年6月 2年7カ月
なべ底不況 57年7月~58年6月 1年
岩戸景気 58年7月~61年12月 3年6カ月
いざなぎ景気 65年11月~70年7月 4年9カ月
第1次石油危機 73年12月~75年3月 1年4カ月
第2次石油危機 80年3月~83年2月 3年
円高不況 85年7月~86年11月 1年5カ月
バブル景気 86年12月~91年2月 4年3カ月
ITバブル 99年2月~00年11月 1年10カ月
戦後最長景気 02年2月~08年8月?
ところで、過去六年余りの好況は、後世に何を残したのかと問われれば、どのように答ええるであろうか。代表的な人物を考えても、ほりえもんさとか村上さんくらいの顔しか思い浮かばない。この好況にすら、まともな名前がついていないのである。結局、1990年代の「借金」を返済するだけで終わったような気がする。だから、この好況局面で「よい想い」をしたという人々が少ないのであろう。
それにしても、景気が失速する時期というのは、ほんの小さなきっかけがトリガーを引くものである。政治学畑の人間でありながら、「経済」に関する感性を養うことができたのは、収穫であった。
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Comments
ジュリアナが出来た当日自分はまだ高一なのでなんかピンときませんでした。そして復活した今では夜遊びはほとんどしなくなったのでこれまたピンときませんでした。失われた10年を青春として過ごした自分にはどちらかというとどうでも良い事です。下り坂のジュリアナ…教科書に乗っていた「ええじゃないか」と似ているような気がします。もしかしたら遠い未来の日本史の教科書に載るかもしれませんね。
Posted by: へきぽこ | September 08, 2008 01:45 PM