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September 03, 2008

「養成」の衰退

■ ベルナルト・ハイティンクという指揮者がいる。長らくオランダのロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団の常任指揮者を務め、ボストン交響楽団やシュターツカペレ・ドレスデンのような名門オーケストラを振って、今はシカゴ交響楽団のシェフである。その中庸、堅実を旨とする指揮において、雪斎が最も好きな指揮者の一人である。
 昨日も下の一枚を聴いた。
 ● 「マーラー 交響曲第4番」 
 ところで、このハイティンクという指揮者は、前任のエドゥアルト・ファン・ベイヌムが若くして世を去ったために、三十歳の「若造」の立場でコンセルトへボウの常任指揮者を任された。そして、ハイティンクは、長い間、「凡庸」、「退屈」と評された。しかし、今は、現代最高の名匠の一人として数えられている。「若者には、機会を与え、長い目で見守る」。そうしたヨーロッパ流の人材養成の流儀がうまくいった事例である。
 政治家の養成という営みも、似たようなところがある。選挙で当選すれば誰でも、「政治家」になれるわけではない。ひとつの政策を練り上げるにも、数々の人々の「協力」が要る。その「協力」を取り付けるためには、「彼のためには骨を折ってやろう」と思わせる魅力や技量が要る。そうした魅力や技量を身に付けるためには、かなりの長い時間が要るものなのである。メディアの世界には、「『政治家の養成』には時間が要る」という理解は、どれだけ浸透しているであろうか。特にブログの世界では、記述の後に「(苦笑)」などという言辞を付けて、論ずる対象の政治家を嘲っているものがある。こうした種類の言論は、煎じ詰めれば、「俺は偉いんだよ」というカタルシスを得たいだけの代物である。罵倒と嘲笑で人材が育った事例を雪斎は知らない。罵倒と嘲笑の色合いを持った政治評論は、政治評論としては最も低級の部類に属する。
 因みに、「ワーキング・プア」の問題は、「格差」云々というよりは、「人材を使い捨てるだけで育てない」ということである。この件は後日、別に書こう。雪斎も、「永田町」での最初の数年は、二十万円に満たない給料で暮らした。全然、不満を感じなかった。「育ててもらっている」と感じられたからである。「永田町」に居る頃から、「メディア」や「霞ヶ関」をに出入りさせてもらって、物を書く機会を与えてもらった。だから、今の立場がある。
 そういえば、明治財界の大立者であった渋沢栄一も、一橋慶喜の家臣に取り立てられた当初は、「家の鼠を捕られて食べる」暮らしをしていたのである。しかし、慶喜の弟、徳川昭武に随行して、フランスに渡る機会を得たことが、その後の「日本資本主義の父」たる原体験となった。
 「若者には、機会を与え、長い目で見守る」。それが養成ということの流儀である。こうしたことが忘れられていないか。

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Comments

同感です。一つの結果が出てくることに性急になりすぎているのが今の日本ではないでしょうか。人の育成しかり、様々な事業しかりです。その全てが否定されるべきとは思いませんが、数値目標という言葉が多く聞かれるようになってきてから、日本人は性急に答えを求めるようになったような気がします。 大局的に見れば、そうではないのかも知れませんが、自分の周囲を見回す限り、そのように感じられてなりません。かつて、日米の貿易摩擦が大きな問題となったとき、父のブッシュが日本に来て、私たちの住む奈良にもやってきました。そのあたりから、この数値目標と言う言葉がやたらと聞こえてきたというのが私の実感です。これが、アメリカ流なのか。そういえばかのセサミストリートにおいても飽きっぽい視聴者の事を考え、場面の転換はきわめて短い時間の中で行われているそうです。その、考えのもたらす功罪を我々はキチンと見据えて行かなければなりません。

Posted by: gatayan | September 02, 2008 10:37 PM

いつも勉強させていただいております。「養成」についてはまさにお書きになった通りだと思いますが、今の会社のしくみ、社会のしくみは逆の方に向かっているように思えます。これから少子化が進めば結果的には「長い目で見守る」ことになるという気はしていますが、そこまで時間をかける前に有効な手は打てないものでしょうか。

Posted by: cresta | September 03, 2008 01:01 AM

養成というのはとても大切だと思います。長い目で見守る事も必要ですが、雪斎殿の若い時のように育ててもらっている…という感覚も必要だと思います。 この感覚がもっと浸透していくように是非ともこの一節は本にまとめて欲しいです。

今までの過程でもう少し良い政治家が育っていても良かったかのではないかと思います。
偏ったマスコミの情報に流されず、きちんと考えて選択出来る国民あってこそ良い人材を育てる社会だと思います。表面的ではなく根本から考え直す機会が増える事を望みます。

Posted by: へきぽこ | September 03, 2008 11:38 AM

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