グルジア紛争を観察する。
■ グルジア紛争が一転して停戦の方向に向かっている。二つのことを考える。
1、ロシア・フランス関係の隠れた意味
停戦に向けて目立った動きをしたのが、ニコラ・サルコジのフランスであったというのは、ロシアにとってのフランスの「縁」の濃さを感じさせる話である。
革命以前のロシアでは、貴族はフランス語を主に話したけれども、民衆はロシア語を話した。故に、成り上がり者は、フランス語を話せない限りは、成り上がり者でしかなかった。当時のヨーロッパでは、フランス語が「上流階級の共通語」であったという側面はあるけれども、それでも、ロシアの場合は、徹底されていたのである。
ジョージ・F・ケナンが著した『致命的な同盟』は、1891年の露仏同盟成立を扱っている。オットー・フォン・ビスマルクの対外政策の基本線であった独露提携が崩れ、フランスとロシアの提携が成ったことが、後の第一次世界大戦勃発に続くという話である。19世紀末には、ロシアに最も大々的な資本投下を行っていたのは、フランスであった。実際、シベリア鉄道は、フランス資本の参加によって建設が始められたのである。
2、ソチという場所
今は、「北京」で盛り上がっているけれども、六年後の冬(実質、五年半後)は、「ソチ」である。このソチがどこにあるかは、かなり注目しういておいたほうがいい。グルジアの火薬庫と考えられるのは、南オセチアとアブハジアの両自治共和国であるけれども、ソチは、あろうことかアブハジア自治共和国との国境に位置しているのである。それも、国境まで50キロしか離れていない。
ロシアにしてみれば、グルジアで混乱が起これば、ソチでオリンピックで開くのは、危うくなる。1980年の「モスクワ」が西側諸国のボイコットによる「片肺五輪」に終った以上、「ソチ」はロシアが完全な形で開く最初のオリンピックになる。プーチン・メドヴェーージェフは、その成功を目指しているはずである。故に、グルジア紛争に際して、プーチン―メドヴェージェフが、紛争に乗じて、「憂いの種」を一掃しようとしたであろうと想像するのは、難しいことではない。
そういえば、ジョージ・F・ケナンは、NATOを旧東欧圏に拡大させることには批判的であった。それは、ロシアを不用意に追い詰めるような政策であると観たからである。現在のグルジアは、NATO加盟を目指しているのであるけれども、それもまた、プーチン・メドヴェージェフのロシアの神経を逆撫でするものであることは間違いない。泉下のケナンは、NATOの拡大が旧東欧圏諸国どころかベラルーシやグルジアにまで及ぼうとしている現状には、戦慄を覚えるであろう。確かに、そうした動きを進めたのは、ジョージ・W・ブッシュ政権下の米国であるけれども、ブッシュの対イラク政策にも批判的であったケナンは、存命ならば、こうしたブッシュ政権の対露政策にも批判を浴びせたはずである、だとすれば、此度の紛争は、グルジアに妙な期待を抱かせた米国の失敗と観ることもできる。
雪斎は、やはりロシアを不用意に追い込むのは不味いであろうと思う。ドラえもんのジャイアンも、粗暴そうに見えて、母親には頭の上がらない小心な少年だったはずである。
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Comments
>雪斎は、やはりロシアを不用意に追い込むのは不味いであろうと思う。
グルジアで一番このことを認識していたのは、かつてソ連外相も務めたシェワルナゼ元大統領だったのでしょうね。こういう事態になってみると、彼の11年の治世の間、アブハジアも南オセチアもアジャリアも比較的平穏で、ロシアとの関係も悪くなかったことを、高く評価したくなります。
Posted by: Baatarism | August 14, 2008 at 02:41 PM
遅ればせながらブログ復活を知人サイト経由で知りお喜び申し上げます。夏休みで名古屋そして日間賀島篠島に行き東京に今日戻りました。ロシアグルジア情勢今後も注意深く見守りたいと思います。
Posted by: 星の王子様 | August 21, 2008 at 04:55 PM