古の所謂志を得る者は、軒冕の謂いに非ざるなり
■ 北京五輪も終盤である。
男性陣の「野球」と「サッカー」の将来には、懸念を覚える。
ソフトボールに象徴される女性陣の活躍に比べ、「熱」の伝わらない試合を見ていると、この二つの競技には、「冬の時代」が訪れるような気がしてならない。人々の心が離れてしまえば、プロ・スポーツが成立する基盤が揺らぐのである。勝ち負け云々よりも、「熱」の伝わらないパフォーマンスが続いている代償は、かなり大きなものになるであろう。昨日の「野球」日韓戦における左翼手(あえて名前は記さない)のタイムリー・エラー二連発には、唖然とした。余りにも、無様である。これが「野球」の現状を象徴しているのではないか。
幾度も書く。こういうオリンピックが「支持してくれる人々」を増やす機会であるということは、サッカー関係者も野球関係者も諒解しておいたほうがいい、「オリンピックをなめてはいけない」のである。
『荘子』(繕性第十六)に曰く、「古之所謂得志者、非軒冕之謂也、謂其無以益其楽而已矣。今之所謂得志者、軒冕之謂也。軒冕在身、非性命也、物之儻来寄也」(古の所謂志を得る者は、軒冕の謂いに非ざるなり。其の以て其の楽しみを益す無きを謂うのみ。今の所謂志を得る者は、軒冕の謂いなり。軒冕身に在るは、性命に非ざるなり。物の儻来寄するなり)である。。
文中、「軒冕」とあるのは、「高位高官の地位」を意味する。この『荘子』の記述に従えば、「志を得る」というのは、ただ単に「高位高官に就く」ということではなく、「これ以上はないという楽しみの境地に達する」ということである。オリンピックの例でいえば、メダルを取れたか取れなかったかというのは、「時の運」であり、「これ以上はない」という納得のパフォーマンスを示したかということが、大事だということである。
「サッカー」と「野球」には、「これ以上はなかった」という様子が、まるで伝わってない。雪斎は、その点を何よりも残念に思う。
偶然、陸上100×4mでの史上初の快挙の瞬間を観た。リレー四人衆のインタビューからは、「其の以て其の楽しみを益す無きを謂うのみ」の様子が伝わってきた。彼らは、確かに歴史に名を刻んだと思う。













Comments
プロ選手が五輪でモチベーションを保つのは難しいものなのだなと思いました。4年に1度の機会を待っている他の選手たちに比べ、プロは負けても負けても明日がありますからな。なでしこジャパンの選手には、普段はスーパーのレジ打ちをしている人が居るとか。競技に賭ける思いはいかほどであったでしょうか。
ということで、すいません、遅くなりましたが祝・ブログ再開。またちょくちょく寄らせていただきます。それから、ご著書、お待ちしておりますぞ。
Posted by: かんべえ | August 23, 2008 at 07:29 PM
雪斎殿の仰る通り 熱が伝わってくるものではありませんでした。まるで日本の政府を見てるかのようにも思われます。ただなぜ熱がこもってなかったのか? なぜこれ以上は…というパフォーマンスができなかったのか? 野球にも政治にもあてはまるかもしれませんが メディア その組織のトップなど そのほかにも原因はあるのかもしれないと思います。今年の男子集団球技は日本の何かをそのままうつしだしているような気がしました。見ていてあまり清々しくなかったように思います。個人競技には室伏選手のように残念な結果でしたが熱があった感じがしました。日本の野球や政治にもっと熱意を…と思うのはもはや酷なのでしょうか?
Posted by: へきぽこ | August 24, 2008 at 10:38 AM
先生がブログを再開なさったこと、まずはお祝い申しあげます。これからも更新を楽しみにしております。
さて、北京五輪が閉幕しました。くだんの団体競技の戦いぶりはご指摘のとおりと存じます。戦わずして敗れた感じです。追い追い分析がなされるのでしょうが、このダメージは大きいですね。
Posted by: 閑話ノート | August 25, 2008 at 08:01 AM