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August 18, 2008

「道家」の思想

■ 政策立案の世界でも政治評論の世界でも、もっとも堕落したものの一つは、「反」の姿勢を濃厚に帯びたものであろうと思う。「他人のやること」に噛み付いたり茶々を入れたりして、いかにも物事を語っているかのように錯覚している御仁が多すぎる。雪斎は、そうした御仁の言説を前にすれば、「勝手にどうぞ、私は相手にしない」と反応するしかない。
 そうした言説は、生産性を持たないという意味において、マスターベーションの類でしかない。こういうものを公然とみせらられるのは、醜悪の極みでしかないのであるけれども…。

 ところで、下記の論稿が『月刊自由民主』最新号に載っている。こういうことを考えてみるのが、知識層の役割であろうと思う。

  □ 東アジア世界の「共通の資産」としての道家思想
 北海道洞爺湖サミットでの議論で浮かび上がったのは、二〇五〇年までに温室効果ガス排出量を半減させるという長期目標に絡む主要八ヵ国と新興国との対立である。この対立を前にして、たとえばMEM(主要経済国会合)の場で主要八ヵ国が新興国を説得する局面は多くなるであろうけれども、その説得の「本丸」が中印両国であるのは、あらためて指摘するまでもない。
 ところで、古代中国・春秋戦国期に成立した『道徳経(老子)』(守道第五十九)には、次のような記述がある。
「人を治め天に事うるは嗇に若くは莫し。其れ唯嗇なる、是を以て早く服す。早く服す、之を徳を重ね積むと謂う。徳を重ね積めば即ち克たざる無し。克たざること無ければ、即ち其の極を知ること莫し。其の極を知ること莫ければ、以て国を有つ可し。国を有つの母、以て長久なる可し。是を根を深くし、柢を固くすと謂う。長生久視の道なり」。
 要するに、この件の趣旨は、「統治」の根本には「嗇」(慎ましさ)が大事だということである。そして、『道徳経(老子)』(弁徳第三十三)には、「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」と記される。『道徳経(老子)』に代表される道家の思想は、往々にして「無為自然」の言葉とともに語られるけれども、その本質は、「欲望に駆られて無理を重ねない」ということである。それは、「徳を重ね積めば即ち克たざる無し」の一節が暗示するように、決して周囲に対する消極的な姿勢を要請したものではないのである。
 実は、地球環境破壊に歯止めを掛けるためには、こうした『道徳経(老子)』の記述に示唆される姿勢の意義は、確かに確認されるべきものである。「足るを知る」価値観に裏付けられ「嗇」を念頭に置いた国家運営が世界の諸国で行われなければ、地球温暖化に象徴される地球環境の破壊、あるいはエネルギー・資源の枯渇は、劇的に進むであろう。その点、昨年来のサブプライム・ショックに伴う金融不安が原油価格高騰と経済失速を招いているのは、たとえば米国にとっては一つの機会である。米国も、一八七〇年代以降に経済発展が加速する以前は、「嗇」を旨とするピューリタンの価値観に彩られた国家であった。多くの米国国民が米国草創期の価値意識を二十一世紀に至って思い起こすのであれば、それは、米国のみならず世界全体にとっても僥倖を意味しよう。日本もまた、元々は、「嗇」を旨とする国民性を持つ国家であった。日本が「もったいない」の言葉を「MOTTAINAI」として世界に提示していくことには、確かに必然性のようなものがあるわけである。
 もっとも、既に経済発展を遂げた日米両国のような主要国が、地球環境保全の大義を掲げて「嗇」の意義を前面に出すことは、中印両国のような新興国にとっては自らの発展を抑え付けるかのようなものであり、それは、受け容れられないかもしれない。けれども、地球の現状は、遅れて来た新興国の全幅の発展を支えるには、もはや耐えられないのである。たとえ、主要国が資金や技術の提供を通じて環境に負荷を与えない新興国の発展を支援するにしても、新興国に要請されているのは、そうした現実を冷静に認識することである。前に触れたMEMでの今後の議論の焦点は、主要国が「嗇」に戻り、新興国が「嗇」から脱しないといこうことで、どれだけ具体的な合意を図っていくかということにあるのであろう。
 古来、『論語』に代表される儒家の思想は、東アジア世界では「共通の資産」として考えられてきた。けれども、今後の世界を展望するならば、『道徳経(老子)』に代表される道家の思想こそが、東アジア世界の「共通の資産」として提示されるべきものであろう。目下、経済発展の途を驀進する中国では、どれだけの重みが二千数百年前の思想に与えられているのであろうか。現下の中国政府にも、道家の思想が今日的な意義を持つことの意味は適切に伝えられる必要がある。逆にいえば、こうした古人の知恵に現下の中国政府が意を用いなければ、地球の危機は深まる一方である。そして、そうした東アジア世界の「共通の資産」を共有する日本の人々にも、それを絶えず喚起していく責任があるのではなかろうか。

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