「やってられないわ」という気分
■ 野村證券の中国人社員が起こしたインサイダー取引事件は、二つの意味で「またかよ…」という印象を世に与えることになる。一つは、野村證券という日本の最大手証券会社が起こした不祥事ということで、「またかよ…」であるけれども、二つは、中国j人絡みで起こった問題であるということで、「またかよ…」である。日本の金融資本主義の実態が与える対外印象の点でも、チベット情勢が惹起した対中感情の悪化を更に進めそうだという展望の点でも、「よいこと」は何もない。
ところで、今、野村のCMに登場しているのが、阿木燿子・宇崎竜童夫妻である。奥さんの阿木さんは、一体、おいくつなのであろうか。三十年前から容貌が全く変わっていないのが、不思議な女性である、
この夫妻の代表作品に山口百恵さんが歌った「絶体絶命」がある。次のような一節が有名である。
さあさあ さあさあ
すっかりカタはついたわ
すっかりカタはついたわ
すっかりカタはついたわ
やってられないわ
…
bye bye bye bye やってられないわ
bye bye bye bye やってられないわ
この「bye bye bye bye やってられないわ bye bye bye bye やってられないわ」という気分は、言論活動をしているときには、時折、浮かび上がってくる感慨である。
たとえば、一昨日、産経新聞「正論」欄に寄せた原稿に対する反応を見ていると、そうした感慨は強くなる。どうやら、ああいう抑えた原稿ですら、「自民党擁護・民主党批判」の原稿になってしまうらしい。ようするに、こういう反応をする人々の中には、「雪斎=自民党擁護・民主党批判を専一とする人物」というステレオタイプが出来上がっており、そのステレオタイプに基づいて物事を語っているのであろう。三月以降、「正論」欄に寄せた原稿は、最初のものから段々と「民主党批判」のトーンは落としている。こういう差異は世には中々、理解されない。だから、「やってられないわ」という気分になる。
特に、産経新聞は、「イザ」というサイトにも拙稿を載せていて、そこには読者のコメントが付されるのであるけれども、そこのコメントは、雪斎を脱力させるものが多い。「勝手にせいよ…」といいたくもなる。
民主党に関していえば、もう一回、前原誠司氏や長島昭久氏を中心とする「ネオ民主党」が復活したら、雪斎は、民主党を応援しようと思う。今の「民主党クラシック」では話にならないとおもう。雪斎は、前原代表時代の民主党に期待したことでは人語に落ちないのだから…。
ここで、夢想する。「ネオ自民党」と「ネオ民主党」で連合してもらえないかなと思う。
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