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March 31, 2008

年度末の「正論」欄論稿

■ 本日、『産経新聞』「正論」欄には、雪斎の論稿が掲載される。
 今月二度目の掲載である。とはいえ、「正論」欄には、過去十年で百数十編の論稿を書いているから、決して書きすぎというわけでもない。時評は本来、最低でも一週間に一度のペースでやるべきものであろうけれども、そうしたことが叶わないのであれば、三週間に一度くらいのペースで書くのがよいのであろう。
 一昨年、昨年は、他の仕事に精力を費やしていたので、「正論」欄に書く論稿は減っていたけれども、そろそろ平常への復帰である。
 もっとも、「正論」欄執筆陣の中では、現在の雪斎の立場は、完全に「正論左派」であろう。雪斎は、雑誌『正論』には率直に書きにくいけれども、新聞の「正論」欄には割合、簡単に書けるところがある。新聞は、同人誌ではないのであるから、そうした異分子を受け入れる幅は、雑誌よりもあるのである。
 本日の「正論」欄論稿は、民主党を思いっ切り叩いた先回の論稿に比べれば、はるかに穏当なものになっているはずである。

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March 30, 2008

一週間の空白

■ 先週中は、風邪で臥せっていた。この時分の風邪も大変である。
 声も変わってしまった。三十年ぶりの「異常事態」になっている。
 外出は、月曜日と火曜日だけであった。
 火曜日は外務省での定例の研究会に参加した。
 水曜日は、築地・朝日新聞本社で新著に関わる打ち合わせをした。
 残るは、ひたすら書を読み、資料を漁る時間が流れた。
 下の書は、実に有益である。一家に一冊という趣の書である。
  ● トゥキュディデス、『歴史 1・2』(藤縄謙三訳、京都大学学術出版会・西洋古典叢書、二〇〇〇年)
 

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March 21, 2008

政治評論の宿命

■ 『吉野作造評論集』(岩波文庫)を読む。巻末に付された岡義武教授の解説を引用しよう。
 □ 吉野は述べて、医学に臨床講義があり、法学には判例研究がある。同じ意味で政治の学問においては「政論」が考えられるべきである。…自分(吉野)が政治評論においてひそかに期したところは、「政治の学問に於ける臨床講義の開設」にあった、としている。
 □ 吉野は…記して、わが国の「政論界」には二派あり、一つは「純粋な理想的標準」から現状を論評し、その説の実行が果たして可能かどうかについては意に介しないものである。なお一つのものは、「与へられたる政界の実勢を基とし、之を如何に運転すべきやを説くもの」である。この後者の方の評論は時に「因循姑息な微温的議論」のようにみえることもあるが、もともと政治は白紙に字を書くようなものではない。「実際的政論」は、どこまでも所与の現実に拘泥せざるを得ないとして、自分としては第二のタイプの政治評論を行う旨を示唆している。

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March 20, 2008

財務官僚と政権運営

■ 東京帝国大学を「近代国家の配電盤」と呼んだのは司馬遼太郎であった。
 要するに、東京大学は、発足当初から、「近代国家」の運営に携わる人材の養成を期待されたのである。
 そして、往時、東京帝国大学出身の最も優秀な人材は、内務、外務、大蔵の各省に進んだ。
 戦後、内務省が解体された後では、大蔵省が「官庁の中の官庁」と呼ばれるようになった。
 因みに、山崎豊子著「華麗なる一族」の中で、長女の夫となっているのは、大蔵官僚である。
 国家の中心に「経済・カネ」が置かれるようになれば、確かに財務担当官庁の影響力が大きくなるのである。
 この点は、日本は、英国と様相が似ている。
 「永田町」で仕事をしてみて判ることは、「最も機嫌を損ねてはいけない官僚」とは、大蔵・財務官僚だということである。農政にせよ地方振興にせよ福祉にせよ、この国の政策を遂行するためには、総て「予算」の裏付けが必要とされる。予算策定の細かい話を知っている財務官僚に味方として頑張ってもらわなければ、特に政権与党の政治家は仕事にならない。福田総理が何故、財務次官経験者の起用に執着したのかということを推測すれば、そうした政権運営に際しての財務官僚の存在感を指摘しておくことは、決して無意味ではない。
 そういえば、小沢一郎氏も、細川護煕内閣のときには、大蔵省に思いっきり配慮する形で、「国民福祉税」などというのを打ち出しているのである。おそらく、民主党の中でも、自民党議員として政権に関与した経験を持つ政治家は、政権運営における「財務官僚の協力」の決定的に大事であることを諒解しているはずである。だから、「財政・金融」分離などという理屈で財務官僚に抵抗しているような演出を見せられれば、「野党だから気楽にいえるのか、それとも政権を取った後のことを考えていないのか、はたまた政権を本当は取る気がないのか、そのどれかであろう」と思ってしまうのである。
 …と、ここまで書いて、読者の人々には、警鐘を発しておこう。
 雪斎も、一応は東京大学(大学院法学政治学研究科)OBである。
 雪斎にとって最も大事な友人の一人は、財務官僚である。
 雪斎は、五体満足だったら、外務官僚になりたかった。
 雪斎が「官僚」に対する姿勢は、彼らと協力して何らかの政策を進めることに興味はあるけれども、彼らと喧嘩して何かをする気はない。彼らとは、「役割」が違うだけである。もっとも、ここでいう「官僚」は、財務、外務、防衛という領域の官僚である。他の領域の官僚の事は、ここでは議論しない。
 こうしたバイアスを含み置いて、このエントリーをお読みいただきたい。

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March 19, 2008

ペンは権力よりも強し

■  日銀総裁は、「空席」になることが確定した。
  阿呆らしくて、もはや論評する気も起きない。
  かくなる上は、空席期間をできるだけ短くしてもらうよりほかはい。
  今週中に決めてもらう必要がある。
  ところで、此度の紛糾の結果、確実にいえることは、民主党は完全に財務省を敵に回したようだということである。民主党は、たとえ政権を取っても、財務官僚の「献身」を期待できまい。そういう状態で、民主党は、予算編成などをうまくやれるのであろうか。先々のことを考えずに、目先のことだけを考えるから、こういうことになる。
 ところで、民主党が田波耕治総裁案を蹴った理由は、「国際金融の見識に不安がある」だそうである。ん、武藤総裁案のときには、そういう理由が付いていただろうか。何時から、そういう条件が出てきたのであろうか。
 かなり不愉快なので、次のように書いておく。
 民主党政治家が、どのような報いを受けようとも、雪斎の知ったことではない。
 国益よりも党益を優先させた選択の事例として、雪斎は、記憶し、言及することになるであろう。
 おそらく、数十年後に、此度の民主党の選択が「国益」を見据えての選択であったと証明する材料が見つからない限りは、此度の民主党の選択は、平成政治史に残る「愚行」と位置付けられるであろう。そして、この「愚行」に加わった民主党政治家は、「愚かな政治家」として語られることになる。そして、この評が定着すれば、後世の人々は、彼らのことを誰も尊敬はしないであろう。
 これを「末代までの恥辱」という。
 言論なり学術の領域の活動は、そういう「末代までの恥辱」を「愚かな政治家」に与えることができる。
 後世の人々から嘲笑され、侮蔑される人生とは、何と空しいものであろうか。
 「ペンは剣よりも強し」ということの意味は、そういうことである。

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March 13, 2008

民主党に知恵を付けてみようか。

■ 昨日、産経「正論」欄に、民主党批判の原稿を載せた。
 こういう原稿を書くと、何時も、雪斎における「自民党色」を口にする御仁が出てくる。
 雪斎は、「自民党員」であったことは一度もない。
 故に、自民党の執政を兎に角、支持するという義務はない。
 自民党所属議員の政策担当秘書だったという前歴を云々する向きもあるかもしれないけれども、雪斎の「永田町キャリア」の出発点は、非・自民党政権のスタッフである。こういった事情から、雪斎は、鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、岡田克也といった人々には何ら悪しき感情を持っていない。無論、民主党若手には、親しい政治家もいる。故に、民主党を兎に角、批判しなければならない理由もない。
  雪斎の原稿に「党派性」を見る人々がいるとすれば、その人々こそが「反自民」、「親民主」という「党派性」を持っているのである。

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March 12, 2008

民主党発「永田町不況」か。

■ 「いい加減にせいよ…」と思う、
 日銀総裁人事に関して、民主党の反対の理由は三つである、
 1 財務次官経験者では日銀の独立性が保てない。
 2 超低金利政策に責任がある。
 3 五年前にも反対した。
 3は理由にならない。
 1も考え方がおかしい。タイガースに移籍した元ジャイアンツの選手が、ジャイアンツの勝利のことを考えるか。
 唯一、反対根拠としてまともなもののように映るのは、2である。ただし、あのデフレ環境下で金利を下げるというのは、どうして批判の理由になるのであろうか。
 この民主党の理屈は、「ためにする」ものでしかないであろう。
 各紙社説は、総裁ネタを扱わなかった読売を除き、朝日、毎日、日経、産経がほぼ一致して民主党の理屈に批判的な論調となっている。当然であろう。

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March 09, 2008

身体障害を持って生きるということ。

■ 雪斎は、「日本の福祉」批判で言論活動を始めた。今は、表の活字メディアでは「福祉」論を封印している。
 ただし、このブログでは、自分が障害を持つ身であることを隠さないで書いている。
 雪斎に直に会ったことのない人々は、雪斎がどのような障害を持っているのかが判らないであろう。
 脳性小児麻痺という障害には色々とヴァリエーションがある。
 雪斎の持つ障害者手帳には、「両上肢障害」と書かれている。
 要するに、手が使えないということである。
 手を使ってまともにできることというのは、書を開いたり、キーボードを打つことぐらいである。
 世の人々の中には、雪斎における言論活動を褒めてくれた人々がいた。
 しかし、雪斎にとっては、それは、唯一できることだから、やっているのである。

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March 05, 2008

ボゴタ、カラカス、キト

■ この動向には、少しまじめに目を向ける必要がある。
 □ ベネズエラのチャベス大統領、コロンビアとの国境に戦車移動
                      3月3日11時13分配信 ロイター
 [カラカス 2日 ロイター] ベネズエラのチャベス大統領は2日、コロンビアとの国境に戦車を移動させ、戦闘機を出動させた。コロンビアが前日、ベネズエラの同盟国であるエクアドルの国境を越えてコロンビアの反政府勢力を殺害したことを受けた措置。チャベス大統領は、コロンビアに対し、戦争につながりかねない、と警告した。
 チャベス大統領は、コロンビアから外交関係者を全員帰国させた。
 チャベス大統領は、テレビに出演し、国防相にコロンビアとの国境に戦車を即刻移動させることや戦闘機の出動を命じるとともに「コロンビアがわれわれの領土を侵すことは断じて許さない」と表明した。
 またチャベス大統領は、コロンビア軍がベネズエラ国内で攻撃を行えば、コロンビアに戦闘機を送り込むとの姿勢を示した。ベネズエラの動きに対して、コロンビア政府は今のところ反応を示していない。
 チャベス大統領の発言よりも前に、コロンビアのウリベ大統領は、軍事作戦に踏み切ったのは国境を越えて攻撃を受けたためだった、と説明したうえで、エクアドルの主権を侵してはいない、と主張した。

 □ エクアドル、コロンビアとの外交関係を断絶
                 3月4日8時38分配信 ロイター
 [ボゴタ 3日 ロイター] エクアドル政府は、コロンビアに対して、外交関係断絶を通告した。コロンビア外務省が3日明らかにした。コロンビアの政府軍が武装組織コロンビア革命軍(FARC)幹部をエクアドル領内で殺害したことを背景に、両国の緊張が高まっている。

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March 04, 2008

「JAPAIN 」記事と保守主義

■ 二月中は、「朝日新書」から出す著作を校正する作業に、総てのエネルギーがとられていた。
 「一冊の書」を仕上げるのも大変である。今月半ばまでは、この調子であろう。
 さて、今だから告白するけれども、雪斎が保守論壇から離れた理由のひとつは、その「安心感」の欠如であった。「何故、これほどjまでに余裕を感じさせないのか…」という想いがあったわけである。
 高坂正堯先生の『宰相吉田茂』の中に、先生の「保守主義者」観を示す記述がある。
 ● 自分は過去において相当な実績を挙げたきたのだという安らぎの感情は、社会の現在や未来に自信を与える。
 ● この自信の有無が保守主義者と反動家を区別する。
 ● 自信と心の安らぎがなければ、社会の進歩を取り入れることができない。
 ● 戦後の保守主義の基盤は、焦土の中から復興してきたという「実績」に求めるしかない。

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