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February 26, 2008

沖縄への「共感」

■ 過日、雪斎の許に、保守系知識人を中心にして作られた「シンクタンク」への入会案内が回ってきた。
 しかし、雪斎は、それには乗らなかった。
 政策を検討するためには、「様々な可能性」が考慮されなければならない。だが、この「シンクタンク」に名を連ねている人々の顔触れから判断すると、「様々可能性の検証という誠に地味な作業が行われるようには思えない。
 最初から、「保守イデオロギー」に染め上げられた政策を大した検証もせずに提言するのであろうと読めた。
 故に、件の「シンクタンク」もまた、「政策研究の場」」というよりも、「政治運動の場」に堕す可能性が高い。
 歴史教科書にせよ教育にせよ、近年の保守論壇の面々は、その程度の差はあれ、政治運動家になっている。政治運動家は、国論の分裂という事態を何とも思っていないし、持論を通すためならば、「大衆運動」に手を染めるのも躊躇しない。保守論客の「ユートピア」論議の光景が、出現するのである。
 昔、シャルル・ド・ゴールは、アルジェリア動乱の最中にあった頃を振り返って次のように書いた。
 「私は国民感情を徐々に国益に合致させて行き、決して国民の分裂をきたさぬように、ことを進めようとしていたのである」。
 「国民の分裂を来さぬように」。これを実現するには、イデオロギーは、最大の敵なのである。

■ 「国民の分裂を来たさぬように」という観点からすれば、沖縄への認識は、きちんとしたものを持っておいたほうがいいであろう。
 下掲は、自民党機関誌『月刊自由民主』今月号に寄せた原稿である。この原稿を書いた後に、沖縄での暴行事件が起こった。あらためて読み返してみると、雪斎は、永井陽之助先生の言説の影響を高坂正堯先生のもの以上に受けたと実感する。

 □  沖縄への「共感」を再び示せるか。
「いかに詭弁を弄しようとも、現在われわれが日々享受している“平和”なるものが、日本の外辺に位置し、直接共産圏に隣接しているという位置の故に、防共最前線に立つ南ベトナム、韓国、台湾、沖縄など、多くの地域住民の巨大な軍事的負担と、犠牲のうえにきずかれているという、きびしい反省がなければならない」。
 昭和四十年代初頭、高坂正堯(国際政治学者、京都大学教授)と並んで「現実主義」系国際政治学者の雄であった永井陽之助(国際政治学者、東京工業大学教授)は、その著『平和の代償』(中公叢書)の中で、このように書いている。
 この永井の記述は、沖縄の本土復帰が成る以前の時期に残されたものであるけれども、現在でも、全く色褪せてはいない。
 唱歌『蛍の光』の中で「千島のおくも おきなわもやしまのうちの まもりなり いたらんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなく」と歌われたことが期せずして暗示したように、戦時中も戦後も、沖縄は、本土の「盾」として位置を占めてきたのである。
 目下、沖縄の「負担と犠牲」を象徴しているのが、在沖米軍基地の存在である。冷戦期、アリューシャン列島から、日本列島、沖縄、台湾を経て、フィリピンに至る弧状の線は、東アジア地域における米国の「防衛線」を意味していたけれども、その事情は、冷戦終結以後の中国の軍事上の隆盛という事態を前にして、然程、変化していない。この「防衛線」の要の位置にある沖縄の戦略上の価値も、然りである。実態としては、こうした「負担と犠牲」を沖縄に求めなければ、日本の安全保障政策は機能しない。それが、本土と沖縄の間に介在する冷厳とした現実である。ただし、本土の人々が沖縄に対して示す言説なり姿勢なりが、こうした沖縄の「負担と犠牲」に対する苦みを伴った認識に裏付けられなければ、普天間基地移転に象徴される在日米軍再編絡みの課題に対処するにも、困難が生じるであろう。
 加えて、歴史教科書記述訂正に絡む議論にも、沖縄の「負担と犠牲」に対する認識が反映されているかを判断することは、大事なことである。日米戦争終盤期、沖縄で行われた戦闘は、日本の領域の中で行われた戦闘の数少ない事例であった。故に、沖縄戦最中に一般民衆が集団自決に追い込まれた一件に旧日本軍による強制が働いていたかという議論は、本来は瑣末なものであるかもしれない。然るに、軍の強制を否定しようという立論を採る一部の「保守・右翼」層の言説は、その歴史上の事実の正しさの証明に拘泥する余りに、そうした沖縄の「負担と犠牲」に対する認識の希薄さを曝け出した。
 沖縄戦最中、大田実(海軍中将、海軍沖縄方面根拠地隊司令官)が打電した「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という訣別電文の一節は、余りにも有名であるけれども、その電文にある「後世特別ノ御高配」の本質こそ、そうした「負担や犠牲」に対する認識なのだと諒解することは、決して無理なことではあるまい。
 故に、永井が冒頭に引用した記述に続けて次のように書いていることの意味は、誠に重いものがあるといえよう。
 「…その精神的な負い目と負担すら感ぜず、それらの地域住民や政府を『反動』や『帝国主義の手先』よばわりして、自らひとり手を汚さず、進歩的で、平和的であるかのような幻想に生きているとすれば、日本人は、やがてアジアの孤児どころか、同胞からも見捨てられるときがくるにちがいない」。
 歴史教科書記述訂正に絡む「保守・右翼」層の言説に触れれば、この永井の記述を借用して次のように書くことは、充分に可能である。
 「沖縄の地域住民や政府を『売国奴』や『左翼の残滓』よばわりして、自らひとり手を汚さず、愛国的であるかのような幻想に生きているとすれば、保守言論は、やがて同胞からも受け容れられなくときがくるにちがいない」。
 沖縄に絡む政策を遂行する際の前提は、沖縄の置かれた立場への「共感」である。在日米軍再編にせよ歴史教科書にせよ、そうした政策を語る折に沖縄への「共感」は、どこまで働いているであろうか。
               『月刊自由民主』(2008年3月号)

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Comments

雪斎さんは、まことにバランスのとれた沖縄問題に対する認識の仕方を示されておりますね。声高な政府や米軍基地を攻撃する議論も、逆に右翼的な沖縄無視の論説も、私には腑に落ちなかったのですが、ここで述べられた意見は心の中で座りがよいです。
基地負担の見返りといってはなんですが、沖縄地域の経済開発のために、特別にドバイのような関税フリーの特別区制度を優先的に取り入れるぐらいの配慮と戦略性があってもよいと思います。

Posted by: kincyan | February 26, 2008 at 06:46 AM

前段も、後段の沖縄の話も本当にバランスのとれた政治感覚と感銘しました。
世間の人が皆こういう感覚を持てるならどんなに世界は住みやすくなることか。

Posted by: Foch | February 26, 2008 at 08:24 PM

北海道の住民という立場から、敢えて申し上げます。 雪斎師がバランスを重視し、"国家"をまとめる視点からの論に敬意を払います。 しかし、確かに沖縄に基地が集中し、沖縄は環境や交通、治安で日本全体の歪みを甘受する部分が有ろうとも、このまま放置すると周辺諸国の第5列と化しても何らおかしくない、マスコミや左翼団体、同調する住民を放置して良いのでしょうか。 此は、早急に政府がすべき対応だと愚考しますが、特区や特措法規など、政府がアピールし易い花火を新規に打ち上げ、並行して沖縄への感謝を熱く語る。同時に"日本人"に改めて内地統合を説き、そしてソフトに左翼や周辺諸国の問題を指摘して、沖縄を"思想浄化"する必要はないのでしょうか。我々の後の世代が、背筋を伸ばして生きる為にも。
北教組や北海道新聞といった、左翼が根強い地域の住民が発しても説得力はないでしょうが。

Posted by: アル中やもめ | February 26, 2008 at 09:33 PM

ご趣旨は理解できるのですが、論壇はともかく、歴代政権は「負担と犠牲」に無関心どころか、十分に注意を払ってきたと思います。「保守・右翼」論壇が政権の努力を無にするほど影響力をもったとも思えないです(歴代政権の「負担と犠牲」に関する配慮は見せかけのものである、あるいは不十分であるというのなら、別の話になりますが)。

それにもかかわらず、基地問題はこの数十年、大きな進展があったとも思えないです。「負担と犠牲」へ配慮を続ける姿勢を続けてこの問題は、どの程度のスパンで解決するのでしょうか?

あるいはそもそも解決できる見通しがあるのでしょうか?

「保守・右翼」層のような対応が好ましい、あるいはそれではダメだという「べき」論から離れて、専門家の方々には細かな施策ではなく、記事で雪斎先生が述べられていること以上の方針を考えていただきたいと存じます。

Posted by: Hache | March 01, 2008 at 08:03 AM

雪斎さん

こんばんは。

このような事件が起こらなければ、国民の注目が沖縄に集まらないというのは、まこともって悲しい現実です。「負担と犠牲」をマネーで肩代わりするそういう地方の現実があるという認識が必要ですね。現状、日本の外交・安全保障上、他の選択肢は殆ど、皆無ですから

Posted by: forrestal | March 02, 2008 at 10:58 PM

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Tracked on March 01, 2008 at 06:02 PM

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