沖縄への「共感」
■ 過日、雪斎の許に、保守系知識人を中心にして作られた「シンクタンク」への入会案内が回ってきた。
しかし、雪斎は、それには乗らなかった。
政策を検討するためには、「様々な可能性」が考慮されなければならない。だが、この「シンクタンク」に名を連ねている人々の顔触れから判断すると、「様々可能性の検証という誠に地味な作業が行われるようには思えない。
最初から、「保守イデオロギー」に染め上げられた政策を大した検証もせずに提言するのであろうと読めた。
故に、件の「シンクタンク」もまた、「政策研究の場」」というよりも、「政治運動の場」に堕す可能性が高い。
歴史教科書にせよ教育にせよ、近年の保守論壇の面々は、その程度の差はあれ、政治運動家になっている。政治運動家は、国論の分裂という事態を何とも思っていないし、持論を通すためならば、「大衆運動」に手を染めるのも躊躇しない。保守論客の「ユートピア」論議の光景が、出現するのである。
昔、シャルル・ド・ゴールは、アルジェリア動乱の最中にあった頃を振り返って次のように書いた。
「私は国民感情を徐々に国益に合致させて行き、決して国民の分裂をきたさぬように、ことを進めようとしていたのである」。
「国民の分裂を来さぬように」。これを実現するには、イデオロギーは、最大の敵なのである。




