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January 09, 2008

佳きにつけ悪しきにつけ、我が祖国

■ 「朝日新書」原稿の執筆作業が最終段階に入っている。「右」も「左」も頭に来る中身であろう。
 ところで、懇意にしている編集者T氏から、次の記事を教えてもらった。
 □ ニューヨーク・タイムズ、ネオコン論客をコラムニスト起用
 【ワシントン=大塚隆一】30日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、新保守主義(ネオコン)を代表する論客のウィリアム・クリストル氏をコラムニストに起用すると報じた。7日付の紙面から週1回、コラムを執筆するという。
 クリストル氏はイラク戦争を一貫して支持し、リベラル色の強い同紙の論調と真っ向から対立。同紙が2年前、米政府による国際金融取引の極秘監視活動を暴いた際も、国益を損なうとして訴追を求めるなど、批判の急先鋒(せんぽう)だった。
 クリストル氏の起用にリベラル派の一部は猛反発しているが、同紙のコラム欄担当編集者は「異論を聞きたがらない人は大きな間違いを犯す」と主張。一方、敵陣に乗り込む形になるクリストル氏は「同紙の多様性を高めることは、やりがいのある目標」と述べ、リベラル派の反発には「光栄で愉快だ」と応じている。
          (2007年12月31日22時0分 読売新聞)

 たとえていえば、『朝日新聞』のコラムに、『産経新聞』「正論」欄執筆者がレギュラーで登場するようなものであろ、もっとも、これは、雪斎の書を引き受けてくれた『朝日新聞』のほうが先達かもしれない。
 もっとも、雪斎は、今では「正論左派」である。雪斎の本名をグーグルで検索してみれば、雪斎を批判する中身のウェブ・ページに行き着く。それも、どちらかといえば、「右」の方の批判が大多数である。
 読む人々に「詠んでスカッとした」という感慨を覚えさせるのは、言論家の本分ではない。雪斎は、言論家としては、自分の書くものに関して「そう簡単に納得されてたまるか…」という思いを常に抱いている。
 たとえば、過日、雪斎は青森県内紙『東奥日報』に下の文章を載せた。この記事には、青森県内の共産党関係者と思しき人物がコメントをを付している。どういう感想を持ったのかは、読者の方々に判断してもらうより他はない。
 ただし、次のような喩え話をしてみよう。「昔、貧しい母子家庭があった。それでも、息子は無事、学校を卒業できた。ある時、息子は、『真実』を知った。母親は、男を相手に『客を取る』を行為をしながら、金を工面していたのである…」。その息子は、母親を安易に非難できるのか。また、その母親がしたことを「立派なこと」として大っぴらに語れるのか。非難できると思ってるのが「左であるし、とにもかくにも正当化しようとしているのが右」である。
  □ 東アジア情勢と「歴史認識」の宿命
 平成二十年には、世界の注目は、佳きにつけ悪しきにつけ「東アジア」に集まることになるであろう。先ず、夏には、北京オリンピックが開催され、それは、中国の「隆盛」を印象付ける催事になるであろう、次に、韓国においても、李明博新大統領の執政が本格的に始動し、そこでは、盧武鉉期の硬直した執政からの脱却が図られるであろう。日本においては、「ねじれ国会」の下での膠着した政治状況が暫時、続くであろうけれども、それでも初夏の「洞爺湖サミット」で実質的な成果を出せるかは、今後の日本の対外影響力を占う上で大事なものになるであろう。
 ところで、日本と中韓両国との関係を難しくさせる「棘」になってきたのは、「歴史認識」に絡む軋轢であった。この「歴史認識」摩擦は、安倍晋三前総理が中韓両国訪問に踏み切り、福田康夫総理が中国を訪問するといった外交展開の結果、現時点では表面上は沈静化が図られているとはいえ、それが日本と中韓両国との関係、さらには東アジア情勢全般に対する不安要因である事情は、何ら変わらない。
 従来、日本が中韓両国との「歴史認識」摩擦を生じさせてきたのは、明治以来の日本が帝国主義の論理に加担した結果、朝鮮半島や中国大陸に相次いで進出したからである。
日本による帝国主義の論理の加担は、たとえば西郷隆盛のような人物ならば容認しなかったであろうし、勝海舟も、たとえば日清戦争に踏み切ろうとする政府の対応には、批判的な眼差しを向けていた。西郷や勝にとっては、帝国主義の論理は、「野蛮の沙汰」に他ならなかった。日本は、そうした「野蛮の沙汰」に手を染めることによって自らの歩みを進めたのである。福澤諭吉の「脱亜論」が「野蛮の沙汰」に乗ずる文脈で把握されるのには、致し方ない事情がある。
 しかし、その一方で、往時の日本は、植民地獲得という「野蛮の沙汰」から超然した場合には、自らの独立を確保することが出来たのであろうか。十九世紀半ばの帝国主義の時期、アジアで殖民地化を免れた数少ない事例が日本とタイであったのは、周知の事実である。タイの独立の維持は、一般には英仏両国の「緩衝国」であった事情から説明されるけれども、イギリスにマレー半島の一部、フランスにはラオスとカンボジアを割譲するという犠牲を支払った結果であったのである。それは、往時の日本に置き換えて考えれば、北海道をロシアに、九州を英国に、そして四国をフランスにそれぞれ割譲した上で、本州だけで独立を護ったようなものである。明治期の政治指導層には、そのような選択を考慮できたのであろうか。
 「進歩・左翼」層を中心として、明治以降の日本の歩みを否定的に把握する意見は、特に近隣諸国に及ぼした被害を強調する余りに、独立の維持に腐心した往時の日本人の努力には冷淡な眼差ししか向けていない。しかし、戦後の経済発展が明治以降の近代化、産業化の所産の上に成し遂げられた事情を前にすれば、少なくとも経済発展の成果の中で生きている人々が、戦前期の日本の歩みに否定的な眼差しだけを向けるのは、不誠実の謗りを免れないであろう。一方、「保守・右翼」層を中心として、日本の歩みを肯定的に把握する意見は、特に日清・日露の両戦役を経て「一等国」としての立場を得た近代の軌跡を「成功」と表現するかもしれないけれども、その「成功」それ自体が「苦み」を伴ったものであった事情には眼を背けたがる。そこには、「野蛮の沙汰」に乗じた軌跡を何かしら立派なことをしたとして語られるのを聴く居心地の悪さがあるのである。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」とは、ユリウス・カエサルの言葉であるけれども、そうした傾向は、「進歩・左翼」層にも「保守・右翼」層にも現れているのである。
 「人間は、総ての財を背に負う放浪者のように、あらゆる経験を背負っていくのである」。ホセ・オルテガ・イ・ガゼットは、このように書いた。近代以降の「成功」も「失敗」も、非難したり称揚したりするものではなく、総て「財」として背負うものであるという姿勢こそ、「歴史」に向き合う作法と呼び得るものであろう。
   『東奥日報』(2008年1月6日)

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Comments

左翼、右翼の論壇の宗教戦争のようないいざまに辟易していたので、雪斎殿の論旨を読んでスカッとしてしまいました。(御本意では無いようですが(笑))
いや、たとえ話の通りです。日本人が、この両面の感覚を持たない限り、前には進めないように思っております。

Posted by: sal | January 09, 2008 at 10:55 AM

西郷隆盛が朝鮮への進出に反対?

いったいどうされたのですか?雪斎殿。

Posted by: シャイロック | January 09, 2008 at 11:39 AM

↑征韓論のことを言っていると思うけど、西郷のたち位置はびみょー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9F%93%E8%AB%96

Posted by: MAT.N | January 09, 2008 at 01:15 PM

完璧な人間がいないように、完璧な国もなく、完璧な歴史もないなぁ。ひとつだけ己は戦前も戦後も完璧だと思い上がる政党がある。それは日本共産党。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | January 09, 2008 at 11:05 PM

↑ってなことを書きましたが、私、党員歴25年の共産党員でした。共産党の粗がやっと見えて、熟年離婚じゃなくて、熟年離党しました。私の大学時代の恩師は、イタリア共産党創始者のひとり、グラムシの研究者でしたが、その恩師も、ゼミ(「両大戦間期の人権思想」)で「日本がなぜ侵略の道を歩まねばならなかったかを考える上では、帝国列強の外圧という要素を十分重視しなければならない」と口酸っぱく言っていましたね。ついでにムッソリーニに捕らえられ獄中死したグラムシも障害者でした。恩師はグラムシのようにパッションを持って生きよとも言っていたので、それで私、共産党に飛び込んだのかもしれません。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | January 09, 2008 at 11:42 PM

御意、でございます。
遺産を相続する者が、その負債も引き受けなければならないのと同じでありましょう。そして、正負の遺産、その両方を、自分の選り好み抜きに受け継ごうとする者だけが、世間では正統な相続人として認知されまする。雪斎先生の前回エントリーでご紹介があったpatriotとは、まさにこの「謙虚な相続人」たらんとする態度にほかならないと思いまする。

Posted by: うめもと | January 10, 2008 at 10:57 AM

はじめまして。80年代に左翼運動にも首を若干突っ込んでいた者です。

「日本がなぜ、開国し、帝国主義の道に入らなければならなかったのか?」、それを帝国主義列強への恐怖から説明する論理は左翼内部でも隠然と存在していました。それは1960年代までは公然と語られることがあったようです。(文献的には知りませんが、そうだったと古老から聞いています)

しかし、1970年代頃からと思いますが、「反差別」「復活した帝国主義足下の日本人民」がキーワード化してくると、そういう文脈を語ること自体がタブーとなっていったと思われます。

歴史を語ることは、現在に束縛されます。中々に難しいものですが、現在的地平から過去の「他者」を安易に断罪するような真似は慎まなければならないと思います。

Posted by: TAMO2 | January 11, 2008 at 08:33 AM

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